青いマントを翻し、鬼道は雷門のグラウンドを走る。
 彼女は女子校・帝国学園から雷門へ世宇子を打倒する為に転校して来た。帝国学園は女子校にも関わらず、男子顔負け――それ以上の力を見せるフットボールフロンティア常勝の学校であった。だがその不敗神話も今年は無残な結果となる。地区大会では雷門に敗北し、全国大会では世宇子に負けてしまったのだ。
 手酷くやられた帝国の選手は鬼道を残してまだ入院中の身。ただ一人でも敵校の力を借りてでも、彼女は世宇子と戦う決意をした。
 そんな鬼道には雷門に妹がいる。名を音無春奈といった。名字は異なるが、血の繋がった本当の妹だ。
 決して負けられぬ戦いをする一方で、妹と一緒の学校へ通えるという緊張と安らぎの生活を送っていた。



こころのあかり
- 1 -



 ある日の昼休み。鬼道が食事を終えて校舎沿いを歩いていると、音無を見つけた。
 彼女が向かおうとしている場所を瞬時に悟り、鬼道は歩調を速めて腕を掴んだ。
「春奈」
「お姉ちゃん……」
 捉えた手は強く、音無は痛みを訴えた。
「痛いよ。離して」
「どこへ行こうとしている」
 落ち着いた口調であるが、強い。
「どこって、体育館裏よ」
 鬼道の眉間に皺が寄る。体育館裏は不良のたまり場であり、女子で一年の音無が近付くのは危険すぎる場所であった。
「なぜそんな場所へ行こうとするんだ」
「マネージャーの仕事よ。円堂キャプテンがスカウトしたい生徒がいるっていうから調べに」
 音無はサッカー部のマネージャーであり、元新聞部の力を生かした選手の情報収集だけに留まらず選手スカウトの仕事もしている。
「あんな所にいるような連中はサッカー部にはいらない」
「それはキャプテンが決める事だよ」
「なら私が行く。春奈はそこで待っていろ」
「やめてよ。私の仕事取らないでよ」
 強引に鬼道の腕を振り解く音無。
「取る取らないの問題じゃない」
「問題ですっ」
 音無は"いーっ"と歯を見せる。彼女は鬼道に対し、不機嫌であった。
 先日、音無に必要以上に近づいてきた男子生徒の胸倉を掴みあげて凄んでしまい、口喧嘩をしたばかり。一緒に学校へ通えると喜んだのも束の間。姉の鬼道は妹の音無に過保護で、鬱陶しさを感じていた。
「とにかく駄目だ。絶対に行くな」
 歩き出そうとした音無の肩を掴み、もう一度向き直らせる。
「円堂に話してくる」
 今度は音無が鬼道を追いかける番となってしまった。


 円堂のクラスの円堂の座る彼の席の前に立ち、静かに手を置く鬼道。
「円堂。春奈に体育館裏にいる生徒のスカウトを頼んだそうだな」
「え……場所までは知らなかったけど……」
 鬼道から放たれる威圧に椅子を下げたい気持ちになる円堂。
「お前の希望した生徒は体育館裏にいるんだ」
「そっか。じゃあ俺が行って来るよ。音無、悪かったな」
「悪いだなんて……私……」
 音無の言葉を遮って鬼道が告げた。
「春奈。これで今回のスカウトは終わりだ」
 言うだけ言って、鬼道は教室を出て行ってしまう。
「終わりって……なんなの……酷いよ……」
 立ち尽くす音無。円堂は鬼道の去った扉と音無を交互に見詰め、おろおろしていた。
 身内間、しかも女同士。円堂の入り込む隙など無い。
「何よ。お姉ちゃん、自分で勝手に決めて……」
 円堂の教室を出て、西校舎にある自分のクラスへ戻る道を音無は歩く。
 口から呟かれるのは姉への愚痴。嬉しかったのは再会できたばかりの時だけとすら思えてしまう程、鬱憤が溜まっていた。二人は中学生に成長したが、姉の何でも自分で決めてしまう性格はちっとも直っていない。余計に酷くなった気もする。
 まだ子供だが、そこまで子供ではない――成長を姉に認めてもらいたい――。思いだけがくすぶって、空回りをしていた。
「ん」
 不意に立ち止まり、携帯を取り出して開く。
 先程とは別件のスカウト情報がメールで届いていた。
 ――――今度は姉に邪魔されてたまるものか。
 音無は木野にだけ告げて、スカウト選手を追って放課後練習を抜け出した。
 ところが、練習が終わりを迎えようとしても音無は一向に戻って来ない。
「木野。春奈はまだ戻って来ないのか」
 鬼道が痺れを切らしたように腕を組んだ。
「ごめんなさい。音無さんが鬼道さんには話さないでって言ったんだけれど」
 木野は前で手を組み、鬼道に頭を下げてから事情を語った。
「そうか。春奈の奴がすまなかったな。私が探しに行く」
 傍で聞いていた染岡が口を挟んだ。
「俺たちも探す。いくらなんでも遅すぎるだろう」
「有難う。見つけたら私に知らせてくれ」
 鬼道は部室へ入り、手早く着替えて音無を探しに行ってしまった。






 まず雷門中を周り、次に外に出て商店街を探す。雷門の女生徒の制服ばかりが目に付いた。
「全く、仕方の無い奴だ……。木野に口裏を合わせてもらい、皆に迷惑をかけて……」
 一人呟く鬼道の手には携帯が握られている。音無の連絡をすぐにでも受け取れるようにだ。
 きょろきょろと見回す鬼道の額に汗が浮かぶ。軽い走りを繰り返したものと、不安の冷や汗である。
「春奈……」
 呼び声に応えるように、携帯が震えた。届いていたのは一件のメール。
 差出人は不明。件名は“妹さん”とあった。
 直感的に嫌な予感が脳裏を走り、眩暈がしそうになる。開いてみると、場所が指定されており、相手も件名が示す通り鬼道を指名しているかのような文言であった。他に手がかりはなく、従うしかない。
 案内の先に辿り着いたのは大通りから離れた廃ビルであった。ここの5階だと差出人は言っている。さび付いた外階段を上り、手摺りを持つと汚れがついた。四階から室内に入り、鉄の匂いが鼻について啜る。
 五階へ続く階段の途中で、人の気配を感じた。
「ようこそ、鬼道さん」
 上がるなり、名を呼ばれた。複数の下卑た笑いの中に“本当に来やがった”と誰かが言うのを聞く。
 声の方向へ向き直り、鬼道のゴーグル奥の瞳がスッと細められた。
 数人の男がおり、制服は雷門のものではない。そして、彼らの間に音無が柱に縛り付けられているのが映ると声を荒げて叫ぶ。
「春奈!」
 駆け寄ろうとすると、階段近くにいた男が立ち向かってくる。
 鬼道は動じる事無く足払いをかけて転ばせ、空いた背に抱き込むようにして腕を背後から捻り上げて押さえつけた。
「おい」
 鋭い瞳が主犯格と思われる中央の男に向けられる。周りにいた者が“ひっ”と小さな悲鳴を上げた。
「なんの真似だ……」
 気迫は雷門にいる時の柔らかなものではなく、無敗の帝国学園の頃の刃の切っ先のような鋭さがこめられていた。男を屈服させる手の指が肉に食い込む。
「そう睨まないでくださいよ」
 中央の男は鼻で息を吐き、畏縮した者たちに“びびるな”と舌打ち交じりに囁く。
「貴方が着ているのは雷門の制服。転校したという噂は本当だったんですね」
「だからなんだと言うんだ。春奈は関係ないだろう。早く離せ」
「焦らずに。せっかく久しぶりの再会なのです。ゆっくりお話をしませんか」
 久しぶりの再会――――鬼道の眉がひそめられた。
「お忘れですか。残念です……。去年、貴方のいた帝国学園と戦った学校の者なのですが……」
「どこのだ」
「もう、無いのですよ。敗北して帝国学園に吸収されてしまいましたから」
「……………………………」
 喉が震え、生唾が飲み込まれる。脳裏に影山総帥に心酔し、力で他者を圧倒し踏み潰した黒い過去が過った。彼らは帝国の下敷きとなった犠牲者らしい。
 鬼道は捕らえていた男を解放し、背を伸ばして向き直る。
「帝国が世宇子に敗北したら、今度は雷門ですか。強い者がお好きなのですね。正直な事です……」
「違う。私は……」
 頭を振るい、言い直す。
「お前たちは私だけに用があるのだろう。恨みがあるなら私だけに向ければ良い。春奈を離してくれ」
「春奈……春奈、か。帝国の鬼道が随分とお優しいんですね。無理も無いですか」
 男の口は歪むように端が上がった。
「妹さんなんでしょう?」
 手を上げ、音無の肩に触れる。
「触るな!」
「たかだか肩じゃないですか」
 撫でるように擦る。音無が震え、薄く開かれた唇から声にならない音を発した。
「やめろ!触るな!春奈には何もするな!」
 叫び、助けに向かおうと踏み出した鬼道に男は放つ。
「鬼道さん。貴方ともあろう方が、理解できていないようだ。貴方、人質を取られているんですよ」
 男の手が肩から音無を拘束している縄へ移り、指を絡ませて挑発をする。
 縄は音無の腕と足を縛りつけ、半袖の制服から覗く柔らかな二の腕は薄っすらと赤く色付いていた。
「一体……何が望みだ……。私に出来る事があるならする。頼むから、春奈には何もしないでくれ」
「望み、ですか。まず謝罪してください。誠心誠意、土下座でも」
 男は話の途中で噴出しながら言う。周りの者も笑いを堪えていた。


「土下座か。わかった」
 鬼道は制服のスカートを押さえて床に膝をつけ、両手を付けて頭を下げる。
「帝国学園がした仕打ち、本当に申し訳なかった。決して許されないものだ。だが、恨むなら私だけにして欲しい。この通りだ」
 下げた頭をさらに下げて鬼道は詫びた。
「お姉ちゃん……」
 音無が今にも泣き出しそうな顔で細く姉の名を呼ぶ。
「こりゃ、良いや」
 鬼道の真剣な態度をからかうように男たちは手を叩く。
「鬼道さん、そのままちょっとじっとしていてくださいね」
 調子の良さそうな男の一人が前に出て、携帯のカメラで鬼道の土下座を収めた。
「やめてよ!なんて事するの!」
 黙っていられず、声を上げる音無。
「よせ、春奈。私に構うな」
「鬼道さん、貴方の妹さん躾がなってないですよ」
「すまない。姉である私の責任だ。許してやって欲しい。私はどうなっても構わない」
 しん、と辺りが静まった。
「どうなっても、構わない……?はは、本当に構わないんですか?」
「そうだ」
 頭を上げ、鬼道は立ち上がる。
「二言は無いですね」
「もちろんだ。帝国学園、元キャプテンの名にかけて誓おう」
 見据える瞳に揺るぎは無い。そうしてそっと、音無に笑いかける。
「春奈。心配ない。縄は痛いだろうが、もう少し待っていてくれ」
 姉の態度は姉妹が同じ名字の頃からちっとも変わっていなかった。










Back