水の匂い
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 心の準備をする間もなく、明日はやってくる。


 木戸川清修との練習試合は昨日朝練をした河川敷で行われた。
「本日は宜しくお願いします」
 雷門中監督・響木と木戸川清修監督・二階堂が握手を交わす。
「宜しくな」
 監督同士の握手を済ませ、二階堂が雷門の選手に笑いかける。
 変わりなく笑える二階堂に、豪炎寺は嫌な気分になった。腹まで立ってくる。けれども子供染みた感情に自己嫌悪に陥った。二階堂の事で豪炎寺の心はぐしゃぐしゃに乱れてしまう。
 しかし、反発心からか動きにキレが出来、先日のような気の抜けたプレイからは打って変わる。豪炎寺が得点を入れ、雷門中がリードで前半戦が終わった。
「豪炎寺、調子よすぎー」
 武方長男の勝が肩を叩いてくる。
「後半は負けませんよ」
「俺たちは気合い十分なんだけど」
 友と努は溜め息を吐いて、ベンチの二階堂へ目を向けた。
「二階堂監督のテンション低すぎ」
「え」
 思わず声を上げる豪炎寺。全然、そんな風には見えなかった。
「豪炎寺は雷門に来て勘鈍っちゃった?監督も隠そうとしてるみたいだけど無駄無駄」
「俺ら生徒にはお見通し」
「豪炎寺、後半戦もヒートして監督に火ぃ点けちゃってよ」
 武方三兄弟の三つの手が豪炎寺の背中を叩く。
「……………………………」
 豪炎寺はじっと二階堂を見据えた。彼は振り向かない。睨むような視線にしても、ちっとも向けて来ない。
 挨拶の時も目を合わせてくれなかったのを思い出す。わざと避けられたのだと今更気付く。
「………………………監督」
 意を決したように頷き、雷門のベンチに戻ってマネージャーから受け取ったスポーツドリンクを飲みながら、携帯で二階堂へメールを出す。
 ジャージのポケットに入れていた二階堂の携帯が震え、確認だけしようと画面を覗いた表情が一瞬固まる。
「二階堂監督?」
 女川が目をパチクリさせた。僅かな変化も子供は敏感だ。
「いや、なんでもない。後半戦は巻き返すぞ」
 力強く選手に放つ二階堂。武方以外にも二階堂の元気のなさを察していた選手はたくさんおり、普段の二階堂が戻ってきて安堵した。
 後半戦は武方が開始直後から必殺シュートで同点にし、互いに譲らぬまま延長試合へ持ち越す。戦術はもはや意味を成さず突撃するのみとなり、シュートの応酬合戦と化した。残り数分で、勝利の女神は木戸川へ微笑んだ。
「次は勝たせてもらう」
「受けて立ちます」
 監督同士、選手同士が握手を交わし、練習試合は幕を閉じた。


「二階堂監督!」
 終わるなり、豪炎寺は二階堂の元へ駆け寄る。
「ん、うん」
 らしくない曖昧な返事をし、二階堂は豪炎寺と共に橋の先の人気の無い場所へ移動した。背中から散々、茶化されながら。
「豪炎寺。こないだは本当に申し訳ない。謝って済む問題じゃあないが」
「そうですね」
 背を向けたまま詫びる二階堂に、豪炎寺はきっぱり言う。
「今日なんて、武方たちに心配されてましたよ。元気ないって」
「そうか……悪い事をしたな」
 振り向き、携帯を持って苦笑を浮かべる。
「お前のメールで目が覚めたよ」
 メールには簡潔に“試合に集中してください!”と書かれていた。
「悪かったな、豪炎寺」
 もう一度、詫びる。
「二階堂監督」
 豪炎寺は拳を握り締め、強い視線で二階堂の瞳を射抜いてきた。
「なにが悪いと思っているんですか」
「そりゃあ……無理やり、お前を……」
「俺、監督がちゃんと言ってくれたら、やめて欲しいなんて思いませんでした」
「言える訳ないだろ。俺は監督なんだから」
「……監督を、監督として見ているのは、二階堂監督の、方じゃないです、か」
 声が震え、上手く紡げなくなる。
「そうだな。言う通りだよ豪炎寺。お前は鋭い。鋭いお前ならわかるだろう……俺はお前の思うような監督じゃないって」
「監督はそればっかりだ。俺にはちっともわかりません。監督が言ってくれなきゃわかりません」
「……………………………」
「……………………………」
 沈黙が走った。
 二階堂は目を合わせるのが辛くなったのか、息を吐いてやや俯く。その表情は、随分と寂しそうなものに豪炎寺には映る。
「二階堂、かんとく」
 豪炎寺は彼につられるように俯いて、ユニフォームの裾を下へ引っ張った。ぼそぼそと独り言のように彼は語る。
「俺は監督が好きです……監督が……言うように…………俺は監督の……監督とした部分しか見ていないし…………見られないかも…………しれませんが、もっと監督が知りたいです。もっと、貴方を、好きになりたい……です」
「嫌いになるかもしれないぞ」
「そんなの……知って見なくちゃ、わからないじゃないですか。何事も、やってみなきゃ、わかりません……俺は…………俺……」
 唇を歪め、今にも泣き出しそうな顔を上げた。
「ここで、知りました」
「……………………………」
 二階堂は感じた。教え子に学ばされていると――――。
「豪炎寺。俺も、俺もさ……お前が好きなんだと思う……」
 声を潜め、囁くように言う。聞こえるか聞こえないかの細い声で、本心を告白する。
「だけどな、こんなの初めてなんだよ。まず犯罪だというものもあるが、俺の中で絶対にやらかしちゃいけなかったものが崩れるんだ。俺は監督の前に男で、人間だ。どうしたら良いのかわからなくなる時がある。豪炎寺に聞かれても答えきれないものがある」
 豪炎寺は感じた。二階堂監督も不安だったんだと――――。
 二階堂が監督だから、先生だから、割り切れず困惑する感情があるという事が、豪炎寺の中ですっかり抜け落ちていた。
「に、にか、二階堂監督っ。いえ、二階堂さんっ」
 豪炎寺は衝動に背を押され、二階堂の腰にしがみつく。顔を埋め、額をぐいぐい擦り付ける。
「どうしたいきなり。無理しなくても良いぞ」
 二階堂の手が優しく髪を撫でた。
「監督も無理しないでください」
「いや……その、な……」
「俺、一昨日の事で、絶対に納得できないものがあります。取り消して欲しいです」
「なんだよ……」
 顔を伏せて、くぐもった声なのに強い意思を秘めている。
「お別れは嫌です。絶対、嫌です」
「豪炎寺こそ、別れなくても良いのか?」
 豪炎寺は二階堂から離れ、見上げて爪先立ちになって放つ。
「当たり前です!」
 だが、言い切った直後。豪炎寺の目は驚きに丸く見開かれる。
 二階堂の大きな両手が両肩を力強く押さえつけ、屈んできたと思えばさらに近付いてきて、唇を唇で塞がれた。
「ん、んん……!」
 喉がひくりと動き、手足がぴんとなる。
 開放されれば、ふらふらとよろけ、二階堂が背中ごと肩を抱き、膝をついて視線の高さを合わせて来た。
「豪炎寺」
 耳の側で優しく呼ばれる。刺激の強さに豪炎寺は眩暈を起こす。
「今日この後、俺の家に来てくれるか?ちゃんと、お前に向き合わせてくれないか」
 豪炎寺は横目で二階堂を少し見て、小さく頷いた。
「有難う」
 二階堂は微笑む。あまりにも自然に笑えて、自分で吃驚して気恥ずかしさにほんのりと頬を染めた。


 二人の話を終えて戻ってくれば、目ざとい木戸川や雷門の生徒が橋の柱近くで、大げさな咳払いをして迎えてくれる。会話内容や口付けを知られていないのは幸いで“豪炎寺の相談に乗った”と誤魔化す。疑われはしなかったが、からかわれはした。
 慌ただしい嵐のような時間は過ぎ去り、夜がやってくる。豪炎寺が二階堂の家へやって来れば、既に二階堂は風呂上りのようで髪が濡れていた。豪炎寺はまず、着たまま出て行ってしまった二階堂の衣服を返す。苦笑混じりで受け取れば、豪炎寺の家の洗剤の匂いがした。
 二人とも夕食は済ませていたようで、豪炎寺は風呂を借りる。上がって礼を言おうとしたが、途中で唇は凍った。
「二階堂かんと」
 二階堂が豪炎寺をいきなり抱きかかえ、寝室へと連れて行く。ベッドの上に投げ込まれ、豪炎寺の小さな身体を二階堂の大きな身体が跨いで組み敷いた。
「か、か、かんと」
 羞恥に身を焦がし、舌が上手く回らない豪炎寺の口を二階堂は口付けで塞ぐ。舌で歯列をなぞり、歯を割って舌を絡めて、くちゅくちゅと淫らな水音をわざと立たせて弄ぶ。こないだのような衝動的で一方的な二階堂の責めではあるが、決定的に異なるものがある。二階堂が目を合わせ、唇を解放させて角度を変えた別の口付けをする間に“豪炎寺”と呼びかけてくれることだ。
 豪炎寺の内にある緊張の糸はやんわりと外されていき、快楽の海へと沈められていく。
「……あ、あっ……ふぁ……っ、あ、監督……監督……」
 指で耳の性感帯を弄られながら、甘噛みと短い口付けを何度も施され、豪炎寺は濡れた声で鳴き、愛撫の度に身体を震わせて善がる。
「二階堂監督」
 二階堂の首にしがみ付き、お返しとばかりに耳元で甘く名を呼ぶ。二階堂は背を撫でながら、手を衣服の中へ滑り込ませ、器用にズボンと下着を下ろさせる。風呂で水気を保った、しっとりとした双丘が露になった。
「豪炎寺」
 喉で笑いながら、悪戯めいた手が双丘の肉を揉んで豪炎寺をくすぐる。
「わ、うわっ」
 逃れようと身を捩じらす豪炎寺だが、動く事に専念するあまり足が広がり、既に反応してしまっている自身を二階堂に見られてしまう。慌てて隠そうとするが、二階堂に上着を摘まれていやらしい目で覗かれた。
「…………………っ………」
 豪炎寺はそっぽを向き、拗ねた素振りを見せるが、二階堂に頬、鼻、額、瞼と口付けを施されて絆されて、瞳をとろんと半眼にさせる。
「ん」
 二階堂が顔を引いた間を狙って口付ける豪炎寺。二人抱き合ってベッドに転がり、笑いに切ない息を混ぜながら情事を交わす。その楽しみも昂れば余裕は無くなり、ベッドが軋みだして圧迫したような嬌声で色に呑まれた豪炎寺は鳴く。
「……ん、………ふぅ………ん、んあっ……!ふぅっ……!」
 途中でやめられたものの、萎みへの侵入が初めてではないせいで力を抜き易く、心地良く二階堂自身を受け入れる。普段、激しい運動でもなかなか乱れない髪を乱し、二階堂の背に手を回して彼に圧し掛かられながら揺らされる。内では二階堂自身が擦れ、突かれる度に快楽の電流がびりびり流れた。
 快感に全てを持っていかれそうなほど、二階堂との性交に豪炎寺は酔う。
「は……っ……………ん、く…………はぁっ………」
 二階堂も低く息づき、ときどき高い音を出して豪炎寺を夢中で抱く。汗が滴を作って流れ、身体が熱で火照った。突く速度を徐々に弱め、豪炎寺の手を解かせて背を起こし、彼の様子を伺う。
「豪炎寺、大丈夫か?」
「はい……気持ち良い、です……」
 汗で張り付いた額の前髪を手で拭うようにして避けながら、豪炎寺は腹で息をして返事をする。
「監督も気持ち良い、ですか?」
「ああ、気持ち良いよ。豪炎寺、痛かったらすぐに言いなさい」
 豪炎寺は頷き、二階堂へ手を伸ばす。顔を前に出すと、前髪を後ろへ撫で付けるように触ってきた。
「暑いですね……」
 二階堂が豪炎寺の腰を丁寧に抱いて自身を引き抜き、もっと顔を近付ける。豪炎寺の手が二階堂の頬を包み込む。汗のせいか、濡れているような気がした。
「監督の、匂いがします」
 水音を立たせ、二階堂が口付ける。
 豪炎寺の身体を後ろから抱く形にして体位を変え、再びベッドは軋みだした。










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