水の匂い
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「はぁ……はぁ………はあ………………うぅ……」
豪炎寺の薄く開かれた唇から漏れる息遣い。
堪える気のなくなった涙は頬を乾かせない。
瞳は怯えながらも二階堂を見上げていた。どうすれば良いのかわからず、監督である二階堂にすがるように求めていた。
あんな目に遭わされても、まだ彼は二階堂を教師として見ているのだ。
「………………………く…」
二階堂は低く呻いた。
真っ直ぐな視線に心が乱される。二階堂もどうしたら良いのかわからない。なのに、監督像を求めてくる豪炎寺から、生徒としての尊厳を壊してしまいたくなる。
ここまでやってしまったら、戻れはしない。
「あ」
豪炎寺が小さな悲鳴を上げた。
二階堂が肩を掴み、身体がうつ伏せに倒れる。腕で首の後ろを押さえつけられて、双丘の裂け目を指でなぞられた。
「…………あっ……!」
触れられた事のない、秘められた箇所をいきなり触られて、また声が出る。二階堂の指先は豪炎寺の放った精液を絡めて窄みへ這わせてきた。
「な、なにを……!そんなところ触らないでください……!」
性器も恥ずかしいが、窄みはさらに恥ずかしい。見ようとしてすぐに見えない分、どうなっているのかわからない箇所を好きな人に見られるのは、狂いそうになる激しい羞恥だ。
「……やめっ……、やめて……!……や……嫌、……っ……」
声を荒げて拒否するが、頭を押されて塞がれる。暴れようとするが、指先が窄みの内に入り込もうとすると、びくんと強張って動きを止めた。
「…………ん…………」
腰を上げさせられ、二階堂の視線を感じて豪炎寺の身体は震えだす。シーツを手で掴み、口で噛んで、顔をやや持ち上げて顎をつき、豪炎寺は鼻を啜った。まったくの得体の知れない行為への恐怖に、彼は耐えるしかなかった。
大人しくなった豪炎寺に、二階堂は空いた手でたまたまあった軟膏を取る。精液では役不足だった。指に出して、豪炎寺の窄みの周りに塗りつけた。それは労わりをもっており、豪炎寺の冷え切ってしまった胸はきゅうと締め付けられてから、奥から熱を灯す。
「ん!」
滑りを持った指が入り込み、痛みに目を瞑る。
「…………ふぅ……!」
指は浅く入るだけで抜かれ、抜き差しを繰り返す。初めは怖くて痛くて恥ずかしく、まだその気持ちは消えてはいないが、排泄特有の開放感という生理的な快楽が脳をくすぐりだしてきた。しかし耳には、くぷくぷと卑猥な水音がしてきて塞ぎたくなってくる。
口で噛むシーツは唾液で濡れ、涙は訳もなく零れてきて、二階堂の指がより奥へ入りこんだ時に豪炎寺はとろけた声で鳴いてしまう。
「はぁ」
聴いた事のない音に、豪炎寺と二階堂は目を丸くさせた。顔を合わせず、ほぼ同じタイミングに。
そうして合わせぬまま、二人は頬を染める。胸がどくどく脈打ち、どきどきしてしまう。
「豪炎寺」
二階堂が豪炎寺を呼ぶ。
その声も、本人が驚くくらい愛おしさがこめられていて、またもや二人で驚いた。
「かん、とく?」
豪炎寺がシーツを放し、そっと振り向いて二階堂を見る。
甘い声――交差する視線――二人の鼓動がさらに大きく高鳴った。急に合わせ辛くなり、首を戻す豪炎寺。
指の本数を増やされても、彼は頑なに黙り込んで鳴く事は無かった。しかし大人の指は苦しく、これ以上は無理だと思った矢先に急に引き抜かれる。しばしの間の後に指とは違う何かが窄みにあてがわれた。確認せずとも、豪炎寺は二階堂の性器だと悟った。疑問だらけだった窄みの指への侵入の意図を漸く彼は察する。
――――二階堂監督とセックスするんだ。
豪炎寺の顔が火を噴いたように真っ赤に染まった。手に汗が滲み、頭の中にいやらしい妄想が急激に流れ込んでくる。不安になりかけていた二階堂への想いも溢れ出してくるのに、二人の行為が織り成す罪深さもやって来て、豪炎寺の身体は緊張と期待でガチガチになった。強張るのに、自身は再びそそり勃ってしまう。
「豪炎寺」
二階堂の手が豪炎寺の腰を撫でてきた。神経が集中しているせいか、びくびくと反応する。
「豪炎寺……」
手の動きが止まり、二階堂は放つ。
「すまなかった」
手が離れ、二階堂は衣服を整えて自身をしまう。
「二階堂監督?」
豪炎寺は腰を下ろし、顔を起こして二階堂へ向き直る。シーツに両手を置いて、上目遣いで見据えた。二階堂は視線をそらして背を向けて、ベッドに座って床に足をつける。やや屈め、昂りを抑えようとした。けれども豪炎寺の視界からは見えない。
「わかっただろ。豪炎寺の監督は、こんな酷い真似絶対しやしない」
「酷いなら、どうして……急にやめるんですか……」
ぎくりと、二階堂の肩が揺れる。
「お前が……お前なんか……お前に…………」
床を見据える二階堂の瞳が忙しなく揺れる。揺れて、揺れて、揺れに揺れて、なんとか紡ぎ出せた言葉は――――。
「お前じゃ勃たないよ」
最低の一言だった。
豪炎寺の表情が失われていき、熱が冷めて青くなっていく。
「お別れだな、豪炎寺」
「…………………――――」
く。二階堂の背後で、短い呻きが聞こえた。
豪炎寺は乱暴に衣服を整え、自分の服と鞄を持って二階堂の家を出て行く。顔は向けなかったので、互いにどんな表情をしていたのかは知らない。知りたくもない。
「……………………………」
二階堂は顔を両手で覆って背を丸めた。雨の水が、雨の音が、流すに流せない彼の涙のように降り注いだ。
二階堂から去った豪炎寺は、荷物を抱えて雨の中を走り続けた。
傘は無い、地に足をつけただけ、水が跳ねる。駅前のシャワーつきの漫画喫茶に飛び込むように入る。ずぶ濡れだったので店員や客にも、着ているのが大人物だとは気付かれなかった。
全裸になってシャワーの蛇口を捻って頭から湯を被る。前には鏡があり、豪炎寺の顔が嫌でも映し出された。酷い顔をしていた。落ち着いてくれば、じわじわ悲しみが押し寄せてくる。
大好きな二階堂に無理矢理ベッドに倒されて脱がされ、弄られ、射精させられ、その気になろうとした所で拒絶された。本当に、どこまでも、好き勝手放題にされた。
何か悪い事をしてしまったのだろうか。二階堂を完全に責められない想いが記憶を手繰るが、根本的に二人の関係自体が悪い。何が正しいのかとなれば、二人が別れる事なのだ。ある意味、二階堂は正しい。だがしかし、その為に彼がしでかした行為は間違いすぎている。
「……あんまりです。監督」
監督。声に出して呼んだら、悲しみで全てが埋め尽くされた。
「…………く、………う………うぅ……」
どれだけ口を硬く閉ざしても漏れてくる嗚咽。
涙が滴になってぼろぼろ流れてくる。手の甲や指で拭っても止まらない。
「ぅ……う……あああ……!」
声を上げて泣いた。わんわん泣きじゃくった。
ずっと自分の中で溜め込んでいた様々な悲しみも一緒になって一気に爆発したのだ。ずっと泣くまいと我慢し続けてきた。そんな自分を、二階堂は離れた場所から見守っていてくれたと知った時、どれだけこころは救われたか。
自分の中の強がりで必死に守ってきた“芯”を、信頼し、愛した人物によって折られたのだ。もう何をどうしたら、信じたら良いのかわからない。
豪炎寺は気が済むまで泣いた。泣くだけ泣いて、全て排水口へ流そうとした。
鼻が詰まって、匂いは何も感じない。息を吸えば鳴る、啜る音が情けない。
翌日、雨は止んだ。
雷門中サッカー部の朝練は河川敷グラウンドで行われ、豪炎寺は先陣をきってボールを蹴り込んだ。地面のぬかるみは残っているが、十分いける。勢いよく飛んだボールはキーパーの円堂の手の中におさまった。
「ん?」
受け取って見て、瞬きをさせる円堂。気迫と正反対のボールの勢いがなさに驚く。
「豪炎寺、もっとしっかり撃ってくれよ」
「そうだったか?」
返す表情はぎこちない。気を取り直そうとしても、そうそう上手くいかない。
「豪炎寺くん元気ないわね〜」
「ですね〜」
マネージャー陣にもバレてしまっている。
「悪いもんでも食べたっすかね?」
「壁山じゃあるまいし……でもマジであるかもでやんす」
このまま調子が悪いままだと壁山第二号のレッテルが貼られそうだ。
「まぁそんな日もあるだろう」
鬼道が歩み寄り、フォローを入れてくれる。
「豪炎寺。お前に朗報だ。今度、木戸川清修と練習試合をするぞ」
「え」
変な高さの声が出てしまう豪炎寺。
「良かったなぁ豪炎寺。やってやろうぜ!」
土門が遠くから手を振る。彼としてはアメリカ時代の友人に会えるのが楽しみなのだろう。
「今度っていつだ?」
「ん……?明後日……いや、明日だったか?」
「どうして」
豪炎寺の問いに、鬼道はゴーグル越しの瞳を瞬かせた。どうしてと言われても困る。
「いつから……いつから決まっていた」
「マネージャーに聞け」
「そう……だな」
項垂れるように頷く豪炎寺。無意識に、気落ちの素振りを見せてしまった。悟られないように振舞う余裕がない。
「豪炎寺?」
呼びかけに豪炎寺は軽く首を振るい、鬼道から離れていった。
もし、もしもだ。
もし昨日二階堂に会わなければ、試合がとても楽しみだっただろう。
もし昨日二階堂と何も起こらなければ、試合を二人で楽しみに待てた。
今は、たぶん。一人より辛い。
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