ご褒美
- 前編 -
夜。学校帰りから二階堂の家に豪炎寺が遊びに来た。
「やあ豪炎寺。今日はメールで知らせてくれた時刻より遅かったけれど、大丈夫だったか」
「はい………。それが」
「うん?話は中で聞くよ」
扉を大きく開けて豪炎寺を招き入れ、居間に通してから彼の話に耳を傾ける。
「監督の所へ行こうとした時、学校にやるはずだった問題集を忘れたのを思い出して」
「学校まで取りに行ってから来たのか?」
「…………はい」
頷く豪炎寺。短い間ではあるが豪炎寺の監督であった二階堂は、彼の行動が予想できる。
「あの……二階堂監督。こちらで問題集やっても良いですか?」
申し訳なさそうに、ちらちらと二階堂を見上げながら様子を伺う。
「もちろんだよ。豪炎寺は学生なんだから遠慮するな。机のある部屋をご飯食べたら片付けるから、そこでやりなさい」
「有り難うございます監督……!」
「いいっていいって」
二階堂は喜ぶ豪炎寺の頭を撫でてやった。
それから二人で食事をして、豪炎寺が風呂に入っている間に二階堂は書斎という名の“荷物置き場兼机に向かってなにかをする部屋”を簡単に片付ける。上がった豪炎寺と入れ替わりに二階堂が浴室へ行き、豪炎寺は書斎の机で問題集を広げて勉強に取り掛かった。
「…………………………」
コリコリと、シャープペンシルで書き込む音だけを立てる書斎に、二階堂が入ってくる。肩にタオルをかけて髪の水気を吸い取りながら、机を覗き込んだ。
「よお、どうだ。はかどっているか?」
「はい。それなりに」
「俺になにかできる事はあるかな」
「そんな……悪いですよ」
遠慮する豪炎寺だが、二階堂はある事を閃いた。
「よし。俺が一つ、答え合わせをしようか。自分でやるよりスリルがあっていいじゃないか?」
「え……でも……」
「だから遠慮はするな」
「違うんです。これ、簡単ですから監督がやっていただかなくても」
さらりと言ってのける豪炎寺。彼は木戸川在学時代からサッカーだけではなく学問の成績も良かったと二階堂は思い出した。
「言ったな。だったら尚の事、答え合わせをしなくちゃな」
二階堂がもう一つ椅子をもってきて、豪炎寺の隣につける。
「では豪炎寺くん。今までに出来ていて、答えをつけていないものを見せてごらん」
「はい、二階堂先生」
サッカーではなく学問の先生と生徒になりきった会話に、くすくすと笑みを零しながら二階堂は豪炎寺から問題集を受け取り、答え合わせをした。豪炎寺の言う通り、全問正解である。
「ふむ……言うだけの事はあるなぁ」
「……でしょう?」
二階堂から問題集を返された豪炎寺の声色のトーンが上がった。彼は普通に褒めるより、少し捻った方が喜ぶ。
「だとしても凄いな。そうだ、次も全問正解だったらなにかご褒美をあげようか」
突然の提案に目をぱちくりさせる豪炎寺。
「その方が豪炎寺もやる気出ないか?」
「…………ご褒美ってなんですか?」
「思いつきだからな……欲しいものでもあるのか」
豪炎寺が腰を浮かせ、二階堂の唇に己の唇を押し付けた。
「俺が正解したら、今度は監督からしてくださいね」
「……キスだけでいいのか?」
――――ん?視線だけで問いかけてくる二階堂に、豪炎寺の頬は上気し、赤面を誤魔化すように椅子から立って部屋の電気を消し、机のスタンドの明かりをつける。
「暗くないか?」
「監督が変な事を言うので、こうした方が集中できるんです」
「ふーん、集中が乱れるのか」
肘を突き、豪炎寺との距離を縮めさせた。
「じゃあ、全問正解はさすがに難しくなるな…………けどあれだけ豪語したんだ。間違えた時もなにかしようか」
「なにを……ですか?」
「罰ゲームとかさ」
「どんな…………罰を……?」
二階堂を映す瞳の力だけで、不安の揺らぎを感じる。豪炎寺は本当に口よりも目で物を言う。
「そうだな……んー…………お尻叩きなんてどうだ?ははは」
「お…………尻………ですか?」
「いや、冗談だって。さすがに酷いだろう」
「…………俺は、構いませんよ」
呟くように豪炎寺は言う。視線は問題集に落としたまま、ぽつりと放った。
「だから冗談だ。お前を叩くなんて出来ないよ」
「罰ゲームならそれらしくしないと面白くないでしょう?」
「お前がそういうなら、そうしよう。集中できないだろうから、席を外しているよ。出来たら呼びに来てくれ」
「はい」
豪炎寺が返事をすると、席を立って居間へ行く二階堂。一人きりになり、豪炎寺は問題集を黙々と解いていく。だが胸の内では二階堂の“ご褒美”と“罰ゲーム”に揺れていた。
全問正解すれば、二階堂から甘い口付けが貰える。しかし、間違えてしまえば――――。
想像すると尻の辺りがむずむずとした。尻叩きなど、今までされた事はない。けれどもイメージはテレビや本などでしっかりと焼き付いている。
痛くて恥ずかしい思いをする。わかっているはずなのに、どこかで緊張を楽しんでいる節があった。一人より、ずっとやる気が湧く。
「監督、終わりました」
区切りがついて、二階堂を呼びに行った。
「お、出来たか。さてどうかな…………」
椅子に座って横を向き、豪炎寺から見えないように答え合わせをする。
「よし終わった。結果は」
「けっか、は?」
豪炎寺の鼓動がどきどきと忙しなく脈打ちだした。
「全問正解だ。凄いなお前は」
ふぅ。安堵の表情を浮かべた豪炎寺に、二階堂はすかさず指摘する。
「ん?どうした?自信があったんだろう?」
「そうですけど……」
「尻叩きが怖かったのか?」
ニヤニヤする二階堂に、ついムキになって“違います!”と口調を強める豪炎寺。
「豪炎寺。問題集はどれくらいやるつもりなんだ?」
「あと、こことここだけです」
問題集のページを指す。
「なるほど。なら解答タイムは二回って事か」
「タイムってなんです?」
「まあいいじゃないか。豪炎寺、ご褒美だ。こっちに来なさい」
問題集を机に置き、豪炎寺は招かれるままに二階堂の膝の上に乗った。
「さて、ご褒美は…………と」
豪炎寺の身体の一箇所一箇所をじっと見詰めていく。まるで舐め回すような視線だった。
手が伸び、指先が胸の間に線を描き、顎の輪郭を撫でて捉えられる。
「キスだったな」
そっと、低い音で囁かれた。
豪炎寺は受け入れようと目を瞑ろうとするが、眼球がひくひくと落ち着かず、閉じていられない。
二階堂は待ち望む豪炎寺の様子を眺めながら、目を閉じて唇と唇を重ねた。
「…………ん」
離れ、終わるかと思えばもう一度口付けをされる。
次は唇を割り、舌を絡めてきた。
「んっ!」
反射的に二階堂の衣服を掴む豪炎寺。
ぬるぬるした舌の責めは柔らかく、気持ちの良い声を意図的に上げられる。
「…………は……………、あ……」
喉がひくんと震えて唾液を飲み込む。息と水音が絡む中、豪炎寺が鼻の抜けたような声で言う。
「きす、……じゃないん、ですか」
「キスだろ。ご褒美なんだから、それなりに、な」
顎に添えられた指が豪炎寺の口を大きく開けさせる合図を送り、彼は濡れた赤い舌を出して二階堂の舌に絡めた。
「ん……っふぅ……………は……………ん、とく……」
強請る声で鳴く。だが舌は解放され、とろりと唾液が糸を引く。
「ここまで」
二階堂が豪炎寺の唇に人差し指をあて、閉じさせた。
「…………かんとく……」
物欲しそうに呟く豪炎寺の目は半眼で熱っぽい。二人きりの、もっと深くて秘められた夜だけに見せる顔をしていた。
「豪炎寺。続きが欲しかったら、また全問正解するんだぞ」
「わかり、ました…………」
名残惜しそうに豪炎寺は掴んでいた二階堂の衣服を放す。握り締めるままの形になった皺に、豪炎寺の甘え具合がわかる。
「勉強、頑張りなさい」
「…………はい」
立ち上がった二階堂は豪炎寺の頭に手を載せてから部屋を出て行った。
再び、豪炎寺の勉強時間になる。そんなに時間は経っていないのに、先ほどの心境とは大きく異なっていた。失敗の恐れよりも、次も全て正解して二階堂に愛してもらいたかった。ご褒美が欲しくてたまらない、気持ちだけが先行く。
「かんとく、終わりました!」
書斎から出てくるなり、豪炎寺は居間のソファで座っていた二階堂の首に背後から腕を回す。
もうそれだけで、ご褒美が欲しくて欲しくてたまらない雰囲気を醸し出した。まるで餌を待つ動物のようだ。豪炎寺は本能のままに二階堂を欲していた。
「早いな。よし、答え合わせだ」
書斎へ行き、答え合わせをする。嬉しそうな豪炎寺からは並ならぬ自信に満ちている。そのせいか、二階堂も豪炎寺も全問正解は当然だと思い込んでいた。だがしかし、結果は残酷であった――――。
「豪炎寺」
「はいっ」
「残念だ」
「えっ」
豪炎寺の瞳が驚きに見開かれる。
「一問、間違っている」
「そんな…………」
衝撃が隠せない豪炎寺に、二階堂は問題集の問題と答えを見せてやった。
「……本当だ」
「キスはお預けだったな。そう落ち込むなよ、次は……」
「罰ゲーム、するんですよね」
豪炎寺の言葉に二階堂はハッとする。豪炎寺が忘れているなら、そのままやらずに流すつもりだった。
「たかだか一問だ。やりたくなきゃ……」
「やると、決めました」
一度やると決めたのだ。豪炎寺にやめる気はなかった。
「まったく、お前らしいな。まぁ、ゲームだからな、しょうがないな」
「はい」
「罰ゲームだ。豪炎寺、お尻を出しなさい」
「…………え?」
怯む豪炎寺。服越しにされると思い込んでいた。
二階堂は意地悪でもなんでもなく、ただ尻叩きは尻を出してからやるものだと思い込んでいた。
「どうした?やっぱり嫌になったのか?」
「ち、違いますっ」
豪炎寺は慌てて首を振り、背を向ける。
腰に手を当て、少しだけズボンを下ろして尻を覗かせた。
二人の椅子を横に並べ、二階堂の膝の上に尻が来るようにして豪炎寺はもたれかかった。
羞恥と緊張でうつ伏せになった顔を擦り付けるように椅子に埋めて、彼は放つ。
「た、た、たたい、て。叩いてください」
肩が縮こまり、握られた拳に汗が滲んだ。
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