それは、ある一言がきっかけであった。
儀式
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響木が部室で、マネージャーがまとめた雷門の試合データを眺めている。彼が監督を務める以前のものを主に調べていた。
「円堂」
たまたま入って来た円堂を呼ぶ。
「この学校は?」
差し出すファイルに円堂は“ああ”と理解する。
「尾刈斗中です。以前、練習試合を申し込まれて……。強い学校だったんですが、フットボールフロンティアでは秋葉名戸の情報操作で残念な結果になりました」
「なるほど。なかなか面白そうな学校だ」
「また今度、試合したいな」
円堂は呟き、微笑んだ。
数日後。尾刈斗に練習試合が申し込まれた。
それは雷門ではなく、木戸川清修である。試合相手を探していた二階堂が響木から紹介されたのだ。
尾刈斗のサッカー部の部室では、地木流が部員の前に立ち手を叩く。
「皆さん。聞いてください。今度、木戸川清修という学校と練習試合を行うことになりました」
ざわめく部員。すぐさま地木流は静める。
「静粛に。木戸川清修は去年のフットボールフロンティアの準優勝、そして今年はベスト4まで登り詰めた強豪校です。覚悟して掛かりましょう……」
にこやかだった地木流の表情が石のように固まり、もう一つの人格が表れた。
「お前ら……今年の屈辱は忘れてないだろうな。幽谷、日課を言ってみろ」
「はい。毎晩丑三つ時に秋葉名戸の方角に呪いをかけます。テスト期間中は自宅で萌えフィギュアを使って呪います」
「宜しい。我々は学んだはずだ。試合の前も後も油断してはならないと。準備は常に万全ではなくてはならない!」
「はい!」
部員が声を揃えて返事をする。
「そこで考えた。今回の試合で特別に強力な選手を引き抜こうと……」
「誰なんです?」
鉈が良い具合に問う。
「雷門の豪炎寺だ。強さは十分知っているだろう。しかも木戸川に在籍していた事もあるらしい。因縁つき……我が校にうってつけの人物だ」
「しかし、豪炎寺が入ってくれるでしょうか。それに」
「そうだ。生徒手帳にも書いてあるだろう、尾刈斗に加わる時は身も心も尾刈斗でなくてはならない。校則に従い、豪炎寺には完璧な尾刈斗生徒になってもらわなければならない。
我が校に代々伝わる儀式を行い、豪炎寺を尾刈斗の一員として迎え入れようぞ!」
「おー!」
拳を掲げる部員たち。気合は十分であった。
フットボールフロンティアでは悔しい思いをしたが、この試合に勝てば何かが開けそうな気がするのだ。
だからこそ絶対に負けられなかった。たとえ、どんな手段を使おうとも――――。
試合前日の夜。豪炎寺は寝苦しい夜を過ごしていた。
夏でもないのに額に汗を浮かべ、苦しそうに寝返りを打つ。
「…………ん……」
低く呻き、眉間に皺を寄せた。
夢の中で豪炎寺は何かに追いかけられていた。
逃げても、逃げても、それは影のように付き纏ってくる。もはや影そのもの、深い闇が呑み込もうとするのだ。
息を切らし、咳き込み、足がもつれそうになっても豪炎寺は逃げる。少しでも休憩をしようとすると筋肉が軋んだ。
逃げて、逃げて、逃げ続けて。けれどもついに転んで、足を捉えられる。
『あ、ああ……』
引っ張られるように身体が後ろの方へ擦られた。
ずずっ、ず、ずず。布が擦れ、衣服から露出した腕が擦れて小さな痛みが走る。
爪を立て抜け出ようとするが、なんの効果も無い。
ここには誰もいない。何も聞こえない。孤独が広がっていた。
『助けてくれ……誰か……』
細い声で助けを求める。当然、誰も応えてはくれない。
『誰か!……誰かっ……!』
大声で呼んでも無駄であった。
『……円堂……っ、……鬼道…………風丸……。染岡……』
仲間を呼んでも無駄であった。
もう身体は胸の辺りまで闇に呑まれている。
『……く、……二階堂……監督……』
愛おしい人の名前を呼んだ。
『監督……』
顔を伏せ、地に額を擦り付ける。
片腕を力の限り伸ばして、最後の救いを求めた。
『…………………………』
豪炎寺は完全に呑まれた。
黒が覆う無の世界。そこで豪炎寺は自分を呼ぶ声を聞いた。
「…………………………」
豪炎寺の瞑られた瞳が見開かれる。
身を起こし、着替えを始めた。まだ時刻は深夜だというのに。
表情は無く、意識を感じられない。まるで夢遊病のようだ。
身支度を済ませると玄関の鍵を外して外に出る。歩きに迷いは無い、目指す場所は決まっているようであった。
しばらくして、彼は尾刈斗中の前に辿り着く。
校門の裏では人形を中心に三人組で念を送り、豪炎寺を引き寄せていた。
「あと十歩……十歩で校内に入る」
「入れ……入れ……」
「こっちだ……こっち……」
豪炎寺の足が一歩ずつ近付き、とうとう校門を潜る。そこで我に返った。
「は……ここは……?」
反射的に辺りを見回す。校門が見えて、出て名前を確認すれば“尾刈斗”とあった。夢か幻かで混乱する豪炎寺に尾刈斗の生徒が挨拶をする。
「こんばんは豪炎寺くん。ようこそ尾刈斗へ」
「君を呼び出したのは俺たちなんだ。これは俺らなりの歓迎さ」
「理由は部室で話すから、おいでよ」
黒上のフードの下で口の端が上がった。尾刈斗の生徒たちは友好的に“歓迎”をしているつもりなのだろうが、不気味さしか感じない。けれども尾刈斗と試合経験はあっても学校に来た事は無く、帰り道がわからない。豪炎寺は話を呑むしか選択肢はなかったのだ。そこまで見越して笑っているとすれば悪趣味極まりない。
「わかった」
了承すると、部員たちは部室へ案内すると言って歩き出す。
グラウンドには電灯とは異なる淡い光が数個浮かんでいた気もするが、意識をしたらキリがないので無視を決め込む。
おどろおどろした木々の先にある建物。その裏手に回れば、地下へ通じる階段がある。
「この下がサッカー部。イカすだろう?」
霊幻がニタッと歯を見せる。それはギャグなのか。突っ込みは控えた。
地下へ続く階段は長い。まだかと問おうとした時、やっと先に明かりが見えた。
重厚な鉄製の扉に飾られた燭台の灯が揺らめいている。鉄が引っ掛かる音を立てながら、それは開かれた。
「豪炎寺を呼び寄せて来ましたー!」
人形が明るい声で言えば、待っていた部員たちの笑顔が返ってくる。
和やかな雰囲気とは裏腹に、床には真っ赤な何かで描かれた陣があり、それを囲むように蝋燭が立てられていた。電灯は裸電球に得体の知れない何かがこびり付いており、まだらに部屋を照らしている。
豪炎寺の本能が危険だと騒いだ。
「帰る」
引き返そうと後ろを向けば、黒い壁にぶつかって進めない。
上を見上げれば、壁ではなく人だと悟る。屍であった。こんな巨体がいつ付いてきたのか、全く気配を感じなかった。とにかくここは怖すぎる。
「外は冷えるだろう。温まりなよ」
厭味ったらしいお節介を吐き、屍が豪炎寺を持ち上げて部室に入れた。
「うわ」
突然、手を離されて床に転んだ。
「ごめん」
起き上がろうとした豪炎寺の前に、地木流が立つ。
「ようこそ、尾刈斗へ」
人の良さそうな笑みで微笑む。この笑みの奥に別の顔を持っているのを知っている。油断は出来ない。
「誰か、椅子を用意してあげなさい」
「はーい」
嬉々として無邪気に柳田が椅子を押して持ってくる。金属製の意味不明な部品とヘッドギアがつけられており、光の速さで豪炎寺は断った。
「いらん!」
立ち上がり、地木流を見据える。
「監督である私から説明をしよう」
地木流は語る。明日、正確には本日、木戸川清修との練習試合があり、フットボールフロンティアでの反省を踏まえて、完全な勝利を目指したいと。そこで尾刈斗の好む負の単語の一つである“因縁”持ちの豪炎寺を助っ人に引き抜きたいと呼び寄せたのだと――――
「なんとなくわかった。だが、なんでこんな事をする。普通に呼べば良いじゃないか」
「これが尾刈斗なりの歓迎さ。聞かなかったかい?実はね、尾刈斗の校則に一員として加える時は、身も心も尾刈斗でなくてはならないというものがある。一試合だけでも、豪炎寺くんは尾刈斗の生徒にならなければいけない。これから、君を迎える儀式を行うんだ」
「儀式……?」
「伝統を重んじる尾刈斗は、滅多な事がなければ他所者をこんな形では受け入れない。校長に許可を取ったところ、十年ぶりらしいよ」
「大丈夫なのか……」
眉を潜め、不安に駆られる豪炎寺。
「安心なさい。失敗しても、死ぬだけだから。冗談だよ」
血の引く豪炎寺の周りでは、部員がくすくす笑っている。どうやら尾刈斗では定番の洒落らしい。
「案ずるより生むが易し、というから。ちゃっちゃと始めましょう」
地木流が目配せすると、部員が豪炎寺を陣の中央に連れて行き、身体を鎖で縛りだした。
「おい!何するんだ!」
「ほら鎖じゃないと雰囲気でないでしょう。ウチの部員は儀式が大好きでね」
もはや価値観が違いすぎて気後れする。
豪炎寺は身体を鎖で巻かれ、先には錘がつけられている。手首と顎には皮製の拘束具を嵌められた。
地木流の言う通り、部員はこういうのが趣味らしい。一緒に縛られてポーズを写真に撮ってはしゃいでいる。
「さあさあ、撮影はそれくらいにしなさい」
手を叩き、部員を下がらせた。地木流の手には装飾の細かい杯があり、白い煙を噴いていた。まさかあれを飲めというのか。豪炎寺に歯を噛み締めたい衝動が走るが、顎の拘束具が閉じさせてくれない。
「プリントは行き渡ったかな」
振り向き、部員を見やる。三途が部員一人一人にプリントを手渡し、地木流に完了を告げた。
「では、さんはいっ」
指揮者のように指を立てて揺らし、合図を送る。部員はプリントを見ながら呪文らしきものを唱えだす。低く聞き取り辛い、不安定なリズムに気分が悪くなった。
そうして地木流の瞳が豪炎寺を捉え、ゆっくりと歩み寄ってくる。
今すぐ逃げ出したいはずなのに、不思議と目が逸らせないでいた。目尻が痙攣し、冷や汗がこめかみを伝う。
膝をつき、視線の高さを合わせてくる。
「豪炎寺修也を尾刈斗の生徒として迎え入れたまえ」
「入れたまえー」
地木流は目を閉じ、ぶつぶつと何かを呟き、開いて杯の飲み口を豪炎寺の唇に寄せた。
金属の感触が、唇から血液を伝って身を竦ませる。
「……飲め!」
目の前で地木流が豹変した。
大きな手が顎を掴み上げられて、一気に液体を流し込まれる。
舌に触れれば苦さと辛さが入り混じった味が広がった。息を吸えば、冷えた鉄の匂いがした。これは杯のものか中身かは判別がつかない。
豪炎寺の喉が震え、液体を飲み込む。ほぼ強制的といってもいい。
食道を通り、胃の中へ落ちていく。存在をリアルに感じていた。
顎を開放されると、豪炎寺の頭ががくんと下がり、揺れた反動か視界がぶれる。
反動のせいではないと気付くのは早かった。猛烈な眠気が襲ってきたのだ。
「…………………………」
床に沈むが衝撃よりも睡魔が勝り、豪炎寺は眠ってしまった。
上の方で何かが聞こえたが、意識は遠のき、聞く気にもならない。
夢さえも見ない深い眠りから目覚める豪炎寺。朝のような気がした。
瞼を開けると、拘束具によって合わせられた手首が映る。地下で太陽が届かないせいか、妙に弱々しく感じた。
「う」
呻いた声は、どこか高い気がする。上半身を起こすが、その際に胸元に違和感があった。
豪炎寺が起きる時間がわかっていたように、扉が開いて地木流が入ってくる。
「おや…………」
ノブを握って半分開けたまま、地木流は豪炎寺を見て怪訝そうな顔をした。
それだけで大した動揺もなく、彼は言い放ったのだ。
「失敗したかも」
「え?」
自然と聞き返し、見下ろして自分の姿を眺める豪炎寺。
身体が心なしか貧相に見え、閉じられた脇が腕に何かをあてた。
無い場所にある不自然な肉の膨らみ。脳は認識を避けるが、じわじわと理解が侵食していく。
紛れも無い、違和感の正体は女の乳房だった。
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