失敗。
 たった一つの単語が豪炎寺の身を竦ませ、心を支配させた。



儀式
- 2 -



「…………………………」
「…………………………」
 無言で視線を交差させる豪炎寺と地木流。そんな地木流の後ろから、少年の声がする。どうやら尾刈斗の部員がつっかえているらしい。
「どうかしました?」
「……いえ、その……」
 言葉を濁し、地木流はドアを大きく開けて部室に入り、部員を通してやる。
 尾刈斗の部員はユニフォームに着替え、手にはパンやフレーバーなどの軽食が握られていた。木戸川との試合前の腹ごしらえなのだろう。食事の和やかさと試合前の緊張という、ちぐはぐながらも彼ららしさを漂わせていた部員たちであったが、豪炎寺の異変に気付くと一変する。
「がはっ!ごふっ」
 幽谷がパンを喉に詰まらせ、派手に咳き込む。武羅度が背中を擦るが、ストローを咥えっぱなしの口からトマトジュースが流れていた。
 豪炎寺は彼らの動揺ぶりに目を背けたくなるが、丁度動こうとしたタイミングに円谷が指差す。
「なんですかアレは!」
 アレとはなんだ!豪炎寺の逃げたい気持ちが引っ込んで、逆に噛み付かんばかりの睨みを利かせる。
「説明をします」
 地木流が注目とばかりに手を上げた。部員と豪炎寺の視線が彼に集中する。
 そして軽く咳払いをして、まずは一言告げた。


「儀式は失敗しました」


 衝撃が走る一同。しかし、質問や突っ込みを与える間もなく地木流は続けた。
「気付いていない人もいるかもしれませんが、我々の儀式を受けた豪炎寺くんは女の子になってしまいました。豪炎寺さんと呼ぶべきでしょうかね……。それはそうとして失敗したものの受けた事実はあるので、尾刈斗の一員として試合には出られるでしょう」
 儀式は失敗したが、尾刈斗として試合には出られる。先日、身も心もどうの言っていた割にはいい加減である。一瞬、安堵しそうになったが、問題はそこではない。
「おい!出られるとかじゃない!俺は戻れるんだろうな!」
 豪炎寺が叫んで意見する。けれども声に男性特有の低音は無く、妙に浮いた音に気恥ずかしさを覚えた。
「…………………………」
 声に反応した尾刈斗部員は豪炎寺の方を向くが、何も言わずに地木流へ視線を戻す。
 彼らには豪炎寺への同情は無く“儀式で失敗するとこんな効果があるのか”と失敗例を学習する学生の目をしていた。標本のような扱いである。
「豪炎寺く……いいえ、豪炎寺さん。貴方の心配はよくわかっています。これから調べますから」
「これからかよ!」
 荒々しい暴言も女の声で言えば下品に聞こえ、豪炎寺に自分のせいではない理不尽な罪悪感が募った。
「安心できないと試合に集中出来ませんものね。こちらとしても意味が無い」
 地木流はスーツの胸ポケットから、紙を取り出して読み出した。そこに儀式のやり方が書いてあるようだ。
 豪炎寺は地木流を見据え、願う。頼む戻し方よ、どうか記してあってくれ、と――――。
「ふむ、なるほど。だから失敗したのか……」
 紙を仕舞い、豪炎寺に目を向ける地木流。
「ああ豪炎寺さん、戻し方がわかりましたよ」
 微笑みかけられ、豪炎寺の頬の筋肉も緩んでいく。
「戻し方はですね……」
 豪炎寺は息を呑み、耳を済ませる。


「性交をすれば良いそうです」


 部室の時が停止し、動き出した。
「………………ぶっ」
 鼻で息を吐くように、尾刈斗部員の数名が鼻血を噴く。ある者は先程の幽谷のように咳き込み、ある者は青白い肌を真っ赤に染め上げていた。
 性交。すなわちセックスは思春期の中学生には刺激的な単語であり、しかも霊的や不思議な現象を好む尾刈斗にとって崇高な行為である。興奮は尋常ではなかった。だがしかし、揺れ動く尾刈斗を静めたのはやはり監督である地木流だったのだ。
「このエロガキども落ち着け!血を騒がすのは試合にしろ試合に!」
 豹変し、場を一声でまとめた。すぐに戻り、豪炎寺に歩み寄る。
 豪炎寺はというと、現実を受け止めきれず硬直していた。
「豪炎寺さん、君は彼女とかいますか?」
「…………………………」
「しまった。彼女じゃ女同士になって挿入できない。困ったな……」
 顎に手をあて、考える素振りを見せるが決断は恐ろしいほど早かった。
「仕方が無い。監督である私が責任を取りましょう」
「……は?」
 見上げる豪炎寺。丸く目を見開き、瞬かせる彼……いや彼女に地木流はもう一度放つ。
「私が責任を取ると言ったのです。君を強引に呼び寄せた尾刈斗が負うべきでしょう。試合が終わったら、私とセックスをしましょう」
 ぶるぶるぶる。豪炎寺は髪を振り乱さんばかりに首を横に振る。
「私では不満ですか?ではウチの生徒で好みがあれば……」
「そうじゃない!なんでそんな……!」
 頭の中がぐしゃぐしゃになって、具体的な内容は何一つ言えていない。
「でも戻らない訳にはいかないでしょう。滅多に味わえない体験だと思ってください」
「いやしかし!」
「さて、そろそろ表に出なければなりませんね。八墓くん、豪炎寺さんにユニフォームを渡してあげてください。他の者はグラウンドへ集合する事」
「はい!」
 地木流にずっと注目していた尾刈斗部員がバラけだす。
 顔を赤くすれば良いのか青くすれば良いのか、ただ冷や汗を流す豪炎寺に、八墓は黙々と拘束を解いてやり、尾刈斗のユニフォームを置いて出て行ってしまう。気付けば豪炎寺以外、誰もいなくなってしまった。男がいると着替えられないとでも気遣われたのか、あっという間であった。


「…………………………」
 ユニフォームを拾って立ち上がり、上着を脱ぐ。
 素肌を晒せば胸の膨らみの存在を如実に感じた。ここに鏡は無いので全身を見る事は出来ない。なので、無意識に見詰め、触って身体の変化を知ろうとした。恐怖と好奇心が入り混じった己の手が身体を探る。
「…………………………」
 ふっくらとした乳房。丸みを帯びて、くびれた腰。引き締まった筋肉の中の柔らかな脂肪。
 ズボンを下ろせば男性器は無く、下着は随分とすっきりして見えた。どっからどう見ても女だった。
 戻れる方法が最悪ではあるものの、戻れるとわかれば変化を知った時より不安は薄い。
 ユニフォームに袖を通しながら、対戦する相手を思い出す。相手は木戸川清修。知り合いが大勢いる上に、二階堂までいるのだ。彼らにこんな姿を見せなければならない。穴があったら入りたいくらい、嫌であった。
 特に、慕っている二階堂に知られるのは絶対に避けたいと思ってしまう。
 女に対する二階堂の反応が怖いのだ。喜ばれても嫌だし、避けられたら傷付く。どんな反応をされても豪炎寺は良い気分にはならない。
 こんな時に限って木戸川にいた頃、偶然見てしまった二階堂と女性教員が楽しそうに話していた光景が過った。当時、なぜ目も耳も塞ぎたくなった気分になったのかわからなかったが、今はわかりすぎてしまう。口数の少ない不器用な性格で、大した主張は出来ないくせに独占欲と情念だけは一丁前なのだ。
「…………………………」
 はあ。憂鬱な溜め息を吐いた。尾刈斗のユニフォームに着替えを終え、脱いだ服を畳む。最中にポケットに入っていた携帯のランプが点いている事に気付き、開いた。
 二階堂からのメールが届いており“今日、雷門に紹介された尾刈斗中と練習試合をする”という内容が書かれている。呑気さに、思わず笑みが零れた。
 まさか豪炎寺が助っ人として加わり、女になっているなど夢にも思わないだろう。
 携帯をしまって豪炎寺はまた溜め息を吐く。いつも何かがある度に二階堂から逃げている気がしたのだ。決して自分が直接関与する訳ではないのに、運命に弄ばれている。神様は二人の邪魔をしたいのだろうかなどと皮肉を思えば、勝手に胸が締め付けられた。






 一方、呑気と思われた二階堂率いる木戸川清修は丁度、尾刈斗中に到着していた。
 眩しく照っていたはずの朝日は、尾刈斗が近付くにつれて雲で覆われ姿を消し、心なしか気温まで下がった肌寒さを抱く。尾刈斗中自体も、ホラー映画や漫画に出てくるような陰を背負っており、怖がりな部員は校門前で尻込みしている。
「いやー、凄いなあ」
 腰に手を当てて尾刈斗を見上げる二階堂。横では西垣が雷門の一之瀬に報告をしていた。


「尾刈斗?そんな面白そうな学校があるのか」
 電話の相手である一之瀬は、雷門の部室で着替えながら西垣と通話をしている。傍には土門がおり、一緒に話を聞いていた。本日、雷門は休日練習で学校に集っているのだが、当然豪炎寺の姿はない。まだ集合時間前なので誰も気にする者はいなかった。
「俺?俺は試合していない。土門もしていないって。校舎までそんななの?マジ?」
 一之瀬と土門は尾刈斗との試合経験はなく、西垣の話を食い入るように聞いている。
 着替えが終われば、もっと声が聞き取り易い所へと二人で部室を出た。楽しそうな一之瀬をたまたま部室前にいた木野が指を差し、土門が説明をする。
「えっ、西垣くんの木戸川が尾刈斗と?あそこ怖かったな……催眠術とか使うし」
「催眠術だって。一之瀬、西垣に伝えた方が良いんじゃないか」
 一之瀬が頷き、話題を対策に持っていこうとしたその時――――
 プツッ。ツーツーツー……。突然、電話は切れてしまった。
「西垣?おい西垣っ?」
「どうしたんだ?」
「西垣くん……?」
 一之瀬、土門、木野は視線を交差させ、顔を青くさせる。西垣の身を案じた。


「ん?」
 突然切れた電話に、西垣は携帯を耳から離して画面を見た。回線が混雑しているという、相当な状況でなければ見られないメッセージが表示されている。
「ここ電波悪いのかな」
 意味も無く振ってみるが効果は無い。
「西垣、どうした」
 二階堂が西垣に問う。
「雷門の一之瀬と話していたら、急に切れてしまって。ここ電波が悪いらしいですね」
「まるで心霊スポットのハプニングみたいだな」
「ですねえ」
 ははは。笑う二人だが、声は乾いている。
 西垣の通話中に、霊感の強い部員が二階堂に体調不良を訴えてきた矢先であった。
「勝っても負けても呪われそうだなあ」
「ですねえ」
 ははは。笑いながら校門を潜る二人。もはや空元気でないと気力を保てない。


 続々と選手がグラウンドに集合する中、豪炎寺は長い階段を上ってやっと外に出る。
 そこには待ち構えていたように、魔界と木乃伊が立っていた。
「豪炎寺。ちょっとこっちに来てくれ」
 手が伸び、豪炎寺の腕を引く。思わず足がもつれそうになり、小さな悲鳴が漏れた。
「あっ」
 体力の低下を痛感する。
 これでまともにグラウンドを走れるのだろうか。強引に呼び出され、女にまでされたのにサッカーの事を気にしてしまう。
 連れられたのは建物の奥の木々の陰。ひんやりと涼しく、露出した腕を豪炎寺は己を抱きしめるようにして擦る。
「何の用だ。もうすぐ試合だろう」
「すぐに済むよ」
 目線で合図を交わす魔界と木乃伊。魔界が代表して説明をした。
「俺たちの顔、こんなだろ。豪炎寺の身体が本当に女になったかわからなくて監督の話がさっぱりでさ、よく見せてくれよ」
 言い分はわかる。二人は覆面と包帯で視界が遮られていた。
 豪炎寺に密着すれすれに近付いて姿を眺める。好奇の視線は羞恥と不安を抱かせ、豪炎寺は前で組んだ手を下ろせないでいた。
「うーん、確かに女の子っぽい……」
「もっとよく見せてよ」
 男の手が豪炎寺の腕を解き、上着を捲し上げる。あまりに素早い強引な行動に、呆気に取られて反応を忘れた。
「なっ……!」
 下着などつけておらず、乳房が零れる。肌寒さもあって、突起がつんと主張していた。
「うわー本当に女の子だ……」
「こんな所まで女の子なんだ」
「やめろ馬鹿!」
 押し退けて衣服を正す。元は男で上半身裸など大した羞恥ではないはずなのに、火が噴くほど恥ずかしい気持ちになった。隠した後で、心にまで変化があると思うと恐ろしささえ覚える。
「ねえ、監督がセックスするって言ったけれど、なにも監督じゃなくても男なら良いんだよね」
「え……」
 とんでもない事を言い出す魔界。豪炎寺は身の危険を今更ながらに察知する。
 しかしこんな人気の無い場所に男二人に囲まれては、どう足掻いても捕まる。せめてサッカーボールでもあれば必殺技の一つや二つで切り抜けられるというのに。
「セックスするとさ、死亡率が上がるんだよ」
「ホラー映画の定番ですもんね」
 映画かよ!突っ込みをいれたい所だが、彼らの表情は隠れていても嬉しそうな雰囲気を感じる。しかし――――
「あーっ!駄目だあ!」
 突然、魔界が頭を抱えてしゃがみこんだ。
「どうしたんですか先輩」
 木乃伊が心配そうに声を掛ける。
「俺、人間じゃなかった……」
「そうですね。人間では無い魔界先輩にとってエッチなんて低俗ですよ」
「だよな。人間の監督に任せるべきだ」
 魔界は勝手に持ち直して立ち上がった。
「て、言う訳だから。グラウンドへ案内するよ」
 魔界が歩き出し、ついていく木乃伊が途中振り返って豪炎寺に手招きする。危ないんだか優しいんだかわからないが、心臓に悪い事だけは確かであった。
「あ」
 木乃伊が何かを思い出したように手を合わせる。一歩踏み出そうとした豪炎寺の足が引っ込んだ。
「何もつけないで走るの、女の子は大変じゃない?クラスの子が話しているのをたまたま聞いたよ」
 ズボンのポケットから包帯を取り出して豪炎寺に手渡す。
「こんなのしか無いけれど、巻いておいた方が良いよ。いちおう新品ね」
「ど、どうも……」
 頭を下げて礼を言う。
「俺で良ければ巻いてあげるよ。背中向いて上着を上げて」
 好意を受け取り、言われた通りに背を向けて上着を上げる豪炎寺。包帯を木乃伊に返せば、丁寧に巻いてくれた。
「はい完成」
 振り返った先に映る木乃伊は微笑んでくれたような気がする。






 グラウンドでは各監督が向かい合って握手を交わしていた。
「おはようございます。私は尾刈斗中監督、地木流と申します」
「木戸川清修監督、二階堂です。本日は宜しくお願い致します」
 温和そうに笑いかける地木流に二階堂は内心安堵する。彼の後ろに控える尾刈斗の選手はいかにもオカルトだが、普通に接すれば何のことは無いように思えた。
 そこへ魔界、木乃伊、豪炎寺が到着する。
「おい、豪炎寺じゃないか!」
 まず存在に気付いたのは木戸川のキャプテン武方長男・勝。
 対して豪炎寺は肩を大きく揺らして動揺し、足を止めた。
「お前どうしたんだよ。まさか雷門から尾刈斗に転校したとか?」
「違いますよ」
 地木流がすかさずフォローを入れる。
「後で紹介するつもりだったのですが、豪炎寺さんは今日の試合でウチの助っ人として来て貰ったのです。あなた方の元メンバーですし、盛り上がると思いまして」
「よしっ。俺たちは何度でもお前と戦ってやるっしょ!」
 三男の努が前に出た。相変わらずの態度だが、豪炎寺はそれが嬉しく感じられた。
「にしても……」
 次男の友がやって来て、視線を上下させ豪炎寺の身体を眺める。
 どことなく、豪炎寺全体の輪郭が丸く見えるのだ。
「豪炎寺……ひょっとして太ったか?」
「変わりない」
 返した声は高く、豪炎寺は慌てて自分の手で口を塞ぐ。瞳は木戸川全体を見回して、最後に二階堂を映す。彼はというと、きょとんとしていた。
「変な声だなぁ。風邪ひいてんのか」
 三兄弟がほぼ同じポーズで豪炎寺を指差し、もう一方の手で腹を押さえて笑う。
「それも、違いますよ」
 地木流が落ち着いて、もう一度フォローした。豪炎寺の後ろに回り、そっと肩に乗せて言う。


「彼は今、諸事情で女性になっているだけです」


 木戸川全体が硬直し、豪炎寺は歯を噛み締めて唇を歪め、目を閉じた。
 今の気持ちを一言で表すなら。
 終わった。
 それしかないだろう。










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