十時間
- 後編 -



 ペットボトルを使った者が現れた。
 雷門メンバーの視線は栗松に釘付けだ。
「なぁ栗松」
 栗松への視線を察し、円堂はそっと耳打ちする。
「ペットボトルにするにしても、その、なんというか、照準ってもんがあるだろ?」
「あー、それは口を切り取って広くしたでやんす」
「なるほど」
 納得する円堂。横で聞く風丸も把握したように一人頷く。


 ペットボトル、か――――。
 選手たちは連取前にマネージャーから貰ったペットボトル、マネージャーは余りの分をそれとなく荷物の場所へ確保しだす。
 だが、切る道具は限られている。しかもそれを手にしてしまえば"ペットボトルなんかで用を足す人間"なのだと見られてしまう諸刃の刃だ。
 人としての理性と獣の本能――――。思春期という多感な時期には難解な天秤であった。加えて日本人特有の“誰かが率先しなければ道を繋げられない”という悪癖にも陥っている。既に栗松が成しえているが、もっと核となるべき代表が必要であった。
「円堂くん」
 木野が真っ直ぐに見据えて放つ。
「え?なに?」
 気迫に思わず下がりたくなる。
「円堂くん。ペットボトルを切って欲しいの」
「え…………と、俺は別にペットボトルは」
 円堂も思春期、こんな注目のされ方で用が足したいなんて言えない。
「円堂くんが、キャプテンが切ってくれないと、誰も切れないのよ!」
「いやそれは」
「そうだ円堂!」
 木野に賛同したのか、鬼道が呼ぶ。
「円堂が切らないと春奈ができんだろう!漏らしたり膀胱炎になったら責任が取れるのか!あいつがどれだけ待っていると……!」
「お兄ちゃん黙って」
 春奈の短くも低い呟きに鬼道は沈黙した。
「円堂。俺からも頼む」
 風丸が親指を立ててゴーサインを送る。
「ああ、頼むぜ円堂」
「頼むよ……!」
「円堂!」
「円堂!」
 染岡が、影野が、一之瀬が、土門が、円堂に期待する。
「だから俺はしたくないんだって」
 頬を染めて反論する円堂。さすがにこれは恥ずかしすぎる。
「円堂」
 後ろの方から音が通った。皆が振り返ると、ベンチに腰掛けた豪炎寺の瞳が円堂を射抜く。
「やれ!」
「てめえが一番したいんだろうが!」
 豪炎寺の様子は一番具合が悪そうだった。
「キャプテン、これを」
 少林がささっと円堂に近付き、ハサミを手渡す。
 円堂はわなわなと震える手でハサミの切っ先をペットボトルへ向けた。
「俺は、俺はな、俺はしたくなんてないんだからな!」


 スパンッ!ペットボトルが真っ二つに切れる。
 円堂に続き、雷門メンバーはペットボトルを切って口を広くした。


 しかし、いざ準備は整ったものの、実行に移すにはかなりの勇気がいる。
 ここには壁のような隠すものはないし、音もまる聞こえ。異性までいるとなると羞恥が勝る。
 栗松は本当にいいタイミングであったと、憎憎しく感じる者もいた。


 もう我慢の出来ない豪炎寺はベンチを立ち、室内の隅の方でズボンを下ろして性器を取り出す。
「…………………………」
 口の開いたペットボトル――ペットボトル容器に向け、次に辺りを見回した。仕方のない状態だとしても無性に恥ずかしい。もう恥ずかしいなんて言っていられる場合ではないが、恥ずかしいのだ。
「ん」
 ゆっくり、音を立てないように、小水を出す。
 どんなに注意をしても、どうしても音は立ってしまう。誰にも見られないようにしているが、恐らく顔は真っ赤だ。手に持つペットボトルから生暖かい感触が伝わってくる。まるで尿検査のような気分だ。我慢のしすぎか、量が多い。早く止まってくれれば良いのに。羞恥に唇をかんだ。
「ふう」
 出し終えて、つい出てしまう声。すっきりして随分と気持ちが落ち着いた。
 ペットボトルを置いて、性器をしまって振り返れば半田と目が合う。
「長かったな。相当溜まってた?」
 はは。笑う半田に豪炎寺はカッとなった。
「う、うるさいっ」
 ばしゃ。豪炎寺の足元で嫌な音がする。無意識に動いた足は何かにあたった感触がする。
「…………………………」
「…………………………」
 向き合う豪炎寺と半田の顔が青ざめ、豪炎寺は俯いて肩を震わせた。
「お、俺!拭くもの持って来るっ!」
 半田は急いで拭くものを探しに走った。


 一方、別の隅では夏未がそわそわと意味もなく歩き回っている。
 男は立って用が足せるが、女はそうはいかない。座ってしまえば、しているのだとバレてしまう。
「うう」
 本格的に限界が近付いている。内股でスカートの裾を握り締めた。
「ううう」
 出してしまうしかない。決意したが、まだ座り込む勇気は無い。
 まず、下着を脱いでしまおうとスカートの中に手を入れたが、めくりあがって夏未は頬を染めた。
「いやぁ」
 勝手に涙が浮かんでくる。ぺたん、と座り込んで、ぐすぐすと鼻を啜った。
「無理よ……無理……、出来ないわ……」
 ひっ、ひっ、と嗚咽を漏らし、涙の滴をスカートに落とす。
「な、夏未さんっ!」
「おい大丈夫かよ!」
 泣き出した夏未に気付いた音無と染岡がやって来る。
「泣くなって。ここらへん、誰も近付かせないようにするから」
「それはいいアイディアです。そうだ、お兄ちゃんのマント貸します。隠すのに使ってください」
「……ありがとう…………」
 染岡がぎこちなく見守り、音無が鬼道のマントを持って戻ってくる。
「持って来ました…………よ………!?」
 足がマントを踏んでしまう。
「よ、よ、よっ……………!」
 と、と、と、とよろけながら夏未へ近付き、倒れこむように彼女に覆いかぶさった。
「…………………!……」
 夏未の中の頑なに封印していたものが放たれる。
 ぶるっ。震えてから、押さえようとしても既に遅い。
「あ……あ、……あっ、………ああ……」
 じわ、と下着が生暖かく濡れ、太股を伝う。スカートの下の水に音無と染岡は気付いた。
 夏未は放心してしまい、唇をぱくぱくと開閉させるだけで受け答えが出来ない。
「染岡先輩っ」
 春奈は身を起こし、夏未を抱き締めるようにマントで包んで人差し指を唇に添えて、染岡に“秘密”だと合図した。
「わ、わかった」
 密かに舌打ちをする染岡。こういう時、どうしてやったら良いのかわからない。自分が情けなくなった。


 周りが用を足していく中で、キャプテンの円堂は部屋の入り口を前に腕を組んで立っていた。扉に取り付けられたタイマーを睨みつけ、減っていく時間を眺めている。もうあと、残すは十分だ。
「キャプテ〜ン、あとどれくらいっすかぁ」
 壁山がやって来る。
「十分は切ったぞ」
「あとちょっとですねえ。あれ」
 円堂の手に握られた空のペットボトルが目に入った。
「キャプテン、してないんっすか?」
「ん、ああ」
「大丈夫っすか?」
「ん、うん」
 大丈夫なはずはない。
 早くこの扉が開いてくれるのを願っている。
 "したくない"と皆の前で言ってしまった以上、どうしても用を足す気にはなれない。妙なところで円堂は頑固者だった。
「早くしてくれ〜」
 その場で地団太を踏む。
 5、4、3、2、1…………0。
 チーン。と音が立って、ロックが外れる。
「やった!外れた!」
 円堂の声に扉へ振り向く雷門メンバー。けれどもその時には既に円堂は飛び出してしまい、彼の姿はなかった。
「うおおおおおおおおおおおお!」
 階段を駆け上がってイナビカリ修練場を出て、近い洗面所へ入る。
「はあああ」
 一息吐いて、力を抜く。
 しかし、安心したのも束の間であった。いや、束の間も何も、最悪の事態である。
 ズボンを下ろし忘れた。










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