天馬、がんばる
- 前編 -



 フィフスに対抗する革命の中心になっている雷門中は、ホーリーロードだけではなく練習試合さえも気を抜けない戦いが激化していた。サッカー棟では明後日に行う練習試合の打ち合わせが行われる。神童がホワイトボードにフォーメーションを事細かに説明し、真剣な眼差しで注目する部員。今回の鍵は松風の必殺技の磨きにかかっていた。
「技を極めた天馬なら……すなわち"改"であり"V2"ならば、相手の守りは抜けられると思う」
「精度はよくなっていっている。あと一歩で進化するはずだ」
 神童と鬼道の視線が松風を捉える。
「は、はいっ。頑張ります……!」
 松風は背筋を伸ばして返事をした。"期待しているぞ"と神童が微笑を浮かべ、打ち合わせが終わる。監督、顧問、キャプテンに続いて部員たちが部屋を出ていく中、浜野が伸びをしながら言う。
「ははっ、天馬にプレッシャーかかってんねー」
「大丈夫でしょうか。どう思いますか、倉間さん」
 速水がおどおどと倉間の反応を伺う。
「は?俺が知るかよ。天馬次第だろ」
「それ冷たくない?励ますとかしてあげたら」
 "彼女なんだし"と浜野が口の動きだけで伝えてくる。
「……………………………」
 睨み付けてくる倉間。
 睨むだけで済むのは、部屋にはもうこの三人しか残っていないからだ。
 そう、倉間と松風は付き合っており、所謂"恋仲"であった。関係を知っているのは二年生では浜野と速水、一年では松風の友人の西園くらいである。倉間は革命を起こしている学校に恋愛の噂が立つと何かとまずいとかなんとかで広めるのを極力避けようとしているのだが、単に照れ隠しなのは皆知っていた。
「天馬の技はあと一歩なんでしょ?成功させたら、ご褒美のチューってのは」
 ちゅ〜っと浜野は唇を尖らせる。倉間の顔カッと赤くなった。
「ばっ……!チューとかはええよ!あいつまだガキだし」
「え、じゃあまだしてないんですか」
「……あ、ええと……当たり前だろっ」
 頭の熱がさらに上がり、ふらつくように数歩下がる倉間。
「当たり前と言われても。天馬くんはしたがらないんですか」
「し、したがる?そんな事したらぶっ飛ばすけど」
「そりゃ酷い。でも天馬もしたがらないんだ。じゃ、いいんじゃないの」
「だろ。俺は天馬の特訓を見に行ってくる。じゃあな」
 倉間はひらひらと手を振り、部屋を出る。
 浜野と速水は顔を見合わせて肩を竦めた。
「あの二人、上手くいくんでしょうか。倉間さんには悪いんですが、ちっとも恋人に見えな……」
「さあね〜。こればっかりは本人たちの問題でしょう」
 倉間は松風が入学したての頃は彼に突っかかり、南沢が転校した時は落ち込んだが、やがて二人は仲を深めて想いを寄せ合う関係へと進展する。革命で慌ただしく不安定になる部の中でカップルが生まれたのは喜ばしいニュースだった。付き合いだしたのを打ち明けてくれたのも嬉しかったし、願わくば続いて欲しいのだが――――。倉間は素直になれない、松風は天真爛漫と、先が見えない相性に周りばかりがハラハラしてしまっていた。


 この日の練習では成果はあまり得られず、松風は倉間と帰路を歩く。夕焼けが二人を赤く染めた。
「本当にあと一歩なのに、上手くいかないものですね」
 普段明るい松風も、思うようにならない己の力にしゅんと首を垂れる。
「焦りは禁物だ。じっくりやっていこうぜ」
「あは、そうですね。さすが倉間先輩です」
 元気を取り戻して倉間に笑いかける松風。その眩しさに倉間の頬に赤みが差すが、夕日の赤で調和される。
 河川敷の前を通りかかり、グラウンドに落ちていたサッカーボールを見つけると、松風は方向を変えて下りていく。
「倉間先輩っ。タイム計ってください」
 倉間はいかにもやれやれといった顔をするが、満更でもなく松風を追って下り、ベンチに腰かけてストップウォッチを鞄から取り出した。
「いきますよ!」
 地面に線を引き、ドリブルの時間を計る。タイムが縮んでいると伝えれば、はいっと松風は嬉しそうに微笑んだ。その内、松風のボールを蹴っている姿に倉間も我慢できなくなって参戦してくる。
 だが松風は吃驚したように目を見開いて足を止めた。
「いけませんよ倉間先輩っ」
 松風の視線は倉間の制服のスカートに注がれる。いつもは下にスパッツを履いているのだが、今日は履いていない。
「パンツ見えちゃいます」
 目の前を手で覆い、指の隙間から目をぱちくりさせてくる。
「大して見えやしないって」
「あっ」
 倉間は隙を突いて天馬からボールを奪う。
「ま、ま、待ってくださいっ。ずるいですよー」
 松風も負けじとボールを奪い返そうとするが、ひらひらと舞う倉間のスカートに集中できない。"おいろけアップ"を使われたかのように、技が成功しない。
「女子チームだっているんだから、そんな調子だと先が思いやられるな」
「俺は女の子だって手を抜きませんっ。好きな人のパンツだったら別なだけですっ」
「っ」
 倉間の動きが一瞬止まる隙を松風は逃さなかった。
「スパイラルドロー!」
 ぶわっ。風が巻き起こって倉間のスカートも持ち上がりそうになる。
「こっ……こらこらこらこらっ!!」
 スカートを押さえながら倉間が叱りつけた。一瞬だけ、白いものが見えたような気がした。


「ったく、なにをやってるんだ」
 ベンチに座って休憩する天馬の前に立ち、軽く頭を小突く倉間。
「ごめんなさい……つい、ボールを必殺技で取ってしまって」
「まぁいい……。いよいよスパイラルドローが進化しそうだな」
「はいっ」
 嬉しそうに倉間を見上げてきた松風に、彼女の脳裏に浜野の言葉が浮かぶ。
 ――――天馬の技はあと一歩なんでしょ?成功させたら、ご褒美のチューってのは。
 キスは置いておいても松風に何か望むものはあるのか、それとなく聞いてみたくなった。
「なぁ天馬。技が成功したら、二人でどこか行くか?」
「えっ、ホントですか!じゃあプロリーグの試合でも観に行きましょうよ」
「お前はなんでもサッカーだな、俺も好きだけど。試合でいいのか?手とか繋いじゃうか?」
「わあ!いいですね!俺、倉間先輩の手を握りたいです」
 松風は倉間の提案にとても喜んでくれている。松風の嬉しそうな顔に、倉間は自分の胸がどきどきと高鳴っているのを感じている。子供だガキだと浜野や速水、松風本人にも言っているが、そんな彼を倉間は大好きだし愛していた。口付けだって本当はしたいと思っている。
「ま、技が成功して試合も勝ったら、キスでもしようか?」
「へっ?」
 松風の表情が硬直した。
「えっと、俺たち中学生ですし。まだ早いですよ」
 まさか松風の口から"まだ早い"とは、意外な反応に倉間は驚く。それと同時に悪戯心が湧いてきた。
「早いのかぁ?天馬は恥ずかしいのか?」
 喉で笑い、顔をそっと松風の傍へ寄せる。松風が緊張して息を呑む音が聞こえた。
 告白の時でもにこにこしていた松風の、あまりにも意外な態度。倉間は奥歯の奥をぞくり、とさせて目を細めた。
「ご褒美とかやめ。今したくなるじゃん」
 息を止め、唇をつぐんで松風の頬にくっつける。すぐに離して生唾を呑んだ。
「…………………………………」
 倉間の目の前で、松風の頬が赤くなった後に青ざめていく。
「く、くく、倉間先輩、なにするんですかっ!」
 ベンチを立ち上がり、声を荒げる松風。
 口付けがそんなに不快だったのかと、倉間の胸は槍が刺さったような感覚に襲われる。
「こ、こんな……駄目です……いけませんよ……。こんな……」
 松風は手早く荷物を纏め"失礼します"と頭を下げた。
 "そよかぜステップ!"と叫んで逃げるように行ってしまうが、足音はドドド……と騒がしい。
「どこがそよかぜ、だ」
 倉間は立ち尽くしたまましばらく動けなかった。
 松風が好きで、松風も好いてくれていると思っていたが、どうやら思い込みだったようで関係の崩壊に胸を詰まらせる。
 松風は木枯らし荘に着くと、木野にただいまも言わずに自室に入り、ベッドにうつ伏せで倒れ込む。
 布団に顔を埋め、しばらくして"ぷは"と息を吐いて顔を上げた。
「どうしよう……俺、逃げちゃった」
 松風の顔は再び赤から青に変わる。布団に押し付けられた胸の奥から心音が叩きつけるように鳴っていた。
「だ、だって、倉間先輩があんな事……。倉間先輩があんなに俺の事を想っていてくれたなんて」
 うわ言のようにぶつぶつと呟きだす。
「俺……頑張らなきゃ……。わかってるけど……わかってるのに……。でもやらなきゃ……だって、だって俺……!」
 がばっ。顔を突っ伏し、心の中で叫ぶ。


 ――――だって俺!お父さんになるんだから!!!


 松風はとある迷信を信じていた。
 それは"女の子とキスしたら、赤ちゃんが出来てしまう"事。
 明後日の試合はサッカープレイヤーとして、父親として、負けられないプレッシャーが天馬に圧し掛かったのだった。










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