天馬、がんばる
- 後編-
翌朝。松風は木野と共に朝食をとるのだが、顔色がすこぶる悪い。
「天馬……。昨日は遅くまで勉強でもしていたの?」
「うん?……そんなところ」
哀愁染みた、やや大人びた顔を見せる松風。
昨夜は倉間と二人の子供との新しい暮らしについて、中学一年生なりの知恵を振り絞って考え、悩み、あまり眠れなかった。
「秋ネエ、木枯らし荘って空き部屋あったっけ」
「あるけど……なに?部屋を探している人でもいるの?」
「ちょっと、聞いてみただけ。えっとさ……あとさ……子供って、結婚する前にいたら駄目なの?」
「えっ!?」
木野は思わずパンを喉に詰まらせそうになる。
「ごほ、ごほっ。いきなり何を言い出すの?」
「ごめん……その、知りたくて」
「変なドラマでも観たの?いかがわしいものばかり観るなら取り上げるわよ」
「違うよ、違う」
ジト目になり、疑いの眼差しを向ける木野に松風は乾いた笑いを浮かべた。
雰囲気が気まずく、朝食を終えたらそそくさと木枯らし荘を出て雷門中を目指す。
校門を潜るなり先を歩く倉間を見つけて、横に並んで声をかけた。
「おはようございます!倉間先輩」
はきはきとした声で礼儀正しく返事をする。近い将来に奥さんになるのだから、しっかりした態度で接せねばと妙な気合が入っていた。
「大声出すなよ……。ああ、おはよ」
松風に対し、倉間は声が小さく元気がない。昨日、口付けをしてからの松風の反応に衝撃を受けて気落ちしていた。別れ話をどうしようかまで考えており、松風がもう一度あのような反応をするならば切り出そうと思っている。
「天馬。その、昨日はごめんな。お前……謝る前に行っちまうもんだから」
「倉間先輩は謝らなくていいんです!」
松風は両手で倉間の手を掴み、ぐっと顔を寄せて迫った。
サッカー以外で見せた強引な一面に、不覚にもカッコいいと感じてしまった倉間の頬がほんのりと染まる。
「俺こそ、昨日は逃げてしまってごめんなさい。でももう逃げないって決めました。俺、貴方を幸せにしてみせます!!」
松風の真剣な告白に、周りの生徒たちが拍手と口笛を送った。
倉間は辺りを見回してから、腕を上下させて手を振り解く。
「ば、馬鹿っ…………な、ななな、なに言ってんだっ!!冗談も休み休み言えっ!!」
羞恥のあまりに逃げ出す倉間を松風は追いかける。
「馬鹿来るな!恥ずかしい奴と一緒にいてたまるか!」
捲し立てるが、昨夜悩みに悩んだ別れ話は胸の中から吹き飛んだ。
「倉間先輩!そんなに走ったら駄目です!」
激しい運動はお腹の子供に危険かもしれない!松風は素早く倉間の前に回り込み、旧部室前で彼女を止めさせた。
「まったく……俺たちの関係がバレそうな事を表で話すなよ」
「わかりました……つい熱くなっちゃって。それよりも先輩……明日の試合はどうするんですか」
「俺か?俺は昨日の打ち合わせでもFWだって……」
きょとんとしながら倉間は答えるが、松風が突如憤怒する。
「いけませんよ!!先輩はベンチにいなきゃ……!!!自分の身を大事にしてくれなきゃ困ります」
「……何言ってんの?」
倉間にはさっぱりわからない。
「倉間先輩がわからないなら、キャプテンに相談してきます!」
「えええ!お前……何言って……!?」
松風を行かせまいと腕を伸ばす倉間だが、彼は暴風を巻き起こしてサッカー棟へ行ってしまった。
暴風の接近にも気付かず、サッカー棟サロンで早めに来てくつろいでいた神童は松風の訪れにひっくり返る。
「神童キャプテン!!!」
「な、何事だ……天馬……」
よろりと身を起こす神童。
「大事な話があるんです。ちょっとこちらへ」
神童の腕を引き、一軍部室の隅のソファへ連れて行って座る松風。
「大事な話とはなんなんだ。明日の試合の事か?」
「はい……。俺ではなく、倉間先輩の事なんです。倉間先輩をベンチにして欲しいんです」
「倉間をベンチに?一体なにがあった?」
いきなり倉間の名前を出され、神童は神妙な表情で松風を見つめた。
「はい……。この事はまだ誰にも話さないでくださいね」
「ああ、わかった」
神童が微笑む。頼れるキャプテンらしい、安心できる笑顔であった。
「実は、倉間先輩は妊娠しているんです」
「?」
神童の表情が笑ったまま石のように固まる。
「すまない天馬。よく聞こえなかったんだ」
「倉間先輩がにんし」
「あー、すまない。耳の調子が。昨日ピアノのレッスンで」
「にんしんです」
「………………………………」
漸く現実を受け止めたらしい神童は、笑顔のまま眉間に皺を寄せて松風の肩を掴んだ。
「なぜだ一体。ま、まさか……ぼ」
「俺の子です」
暴行の疑いを問う前に松風が答えた。松風の肩を掴む神童の手が震えだす。
「それは、双方合意だったという意味でいいのか」
「倉間先輩がいきなりしてきたものですから」
「いきなりだとしてもだ、避妊はどうにかならなかったのか!」
「ひにん?避妊ってなんです?」
ぷつっ。神童の中で何かが切れた。
「避妊も知らないで貴様……!」
神童の身体から湯気のようなものが湧きだす。それは頭上で薄っすらと人型を形作る。
「キャプテン!マエストロが漏れてます!」
「貴様が倉間の中で漏らすからだぞ…!!これでは革命どころの話じゃない……!!部の存続に関わる大問題だ!!」
「俺は革命を諦めません!それに漏らすって意味わかりません!倉間先輩が急にチューするから……、俺防ぎようも覚悟も出来なくて……!!」
「あ?」
神童の切れたものが、すんなりとくっつく。手を前に出し、肩を掴んでいたもう片方の手を離して胸を押さえて深呼吸した。
「天馬……俺は大きな勘違いをしていたのかもしれない。ひょっとしてその……倉間とはセッ……いや、その、キスをしただけなのか?」
「だけってなんですかっ。キスしたら赤ちゃんが出来るんですよ!」
松風の目は真剣であり、神童の眼差しは生暖かいものへと変わる。
ふう。息を吐いてから、松風を諭すように肩を軽く叩いた。
「いいか天馬。キスじゃ子供は出来ない」
「本当……ですか?なら倉間先輩は」
「妊娠などしていない」
「………………………………」
松風の青い瞳が神童を捉える。彼の瞳に揺るぎはなく、信じる事に決めた。
「そう……だったんですか。すみませんでした……俺、てっきり。倉間先輩にも謝らなきゃ」
「事が大きくなる前で良かった。その……天馬と倉間はそういう関係だったのか、知らなかったよ」
「はい。倉間先輩から黙っているように釘を刺されていて。この事、言わないでくださいよ?」
「わかったわかった。ほら、明日は大事な試合なんだから頑張れよ」
神童が励ませば松風は"はいっ!"と返事をして立ち上がり、一軍部室を出ていく。
すると、松風の居場所を探してサッカー棟中を回っていた倉間が彼を見つけてやって来る。
「天馬!そっちにいたのか!俺をベンチにしろってどういう」
「倉間、それはもう済んだんだ」
神童も出てきてフォローをした。
「倉間のポジションは昨日の予定と変わらない、FWだ」
「そうなんです。俺勘違いしていたみたいで、ごめんなさい」
「余計な事すんなよ天馬」
ムッとする倉間に神童は爽やかに"まあまあ"となだめる。
「天馬は倉間を心配していたんだ。可愛い後輩じゃないか。いや……倉間にとってはカッコいい、か?」
「は?」
「気にするな。俺はそろそろグラウンドに行くから、後で二人とも来いよ。じゃあな」
手を振り、去っていくまで神童は爽やかであった。
「なんなんだアイツ……ピアノの先生にでも褒められたのか?ってああ?」
サロンが二人きりになるなり、松風が倉間の身体を抱きしめて頬に口付ける。
「なっ……おま……!」
慌てふためく倉間だが、抵抗は弱く満更でもないような素振りを見せた。
「倉間先輩、俺……先輩といっぱいチューしたいですっ」
「なんだよ昨日は早いとか言っていたくせに」
「ところで先輩。俺、聞きたい事が」
「今度はなんだよ」
松風はにっこりとほほ笑み、先ほど神童に聞けなかった質問を倉間にする。
「赤ちゃんってなにをしたら出来るんですか?」
ゴロゴロゴロ……。
突如サッカー棟の上空に暗雲が立ち込め、サイドワインダーの威嚇音が轟く。
そして、魔神ペガサスの断末魔の叫びが大地を揺るがせた。
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