パンと牛乳
- 後編 -
日は暮れて、食事の時間になった。
イナズマジャパンのメンバーが雑談交じりで夕食を食べる中、緑川は気難しそうな顔で一人黙々と食べている。ペースも遅い。
彼は悩んでいた。グリンゴの夕食をどうするかを。
自分の分を分け与えるか、それとも食事が終わった後に足りないからと部屋に持ち込むか。
悩めば悩むほど手の動きが鈍っていく。
そんな緑川に、後ろの席の木暮がちょっかいをかけてきた。
「食欲ないの?じゃあ食べちゃうよ〜」
身を乗り出してフォークを伸ばす。
「こら、駄目だよ」
緑川の隣に座る基山がフォークとフォークをかみ合わせて阻止した。
「ちぇっ」
座り直す木暮。基山は苦笑を浮かべ、緑川を伺う。確かに木暮の言う通り、食欲がなさそうに見えた。
「お腹でも痛むのかい?」
「えっ…………いや、問題はない」
「そう?俺も皆も、もうすぐ食べ終わりそうだけど、焦らず食べなよ」
食器の片付けを始める基山に、同じ元エイリア学園の仲間なら話しても良いのではないかという意思が過ぎる。
「あっ…………のさ」
「うん?」
しかし、口を開いた途端、一番に指摘をしてくるのは身内なのではないかとも思い、真実を言い出せず、中途半端に濁す言葉を吐いてしまう。
「部屋、に」
「部屋?」
「なにか入ってきたらどうする?」
「なにか?なにかってなんだい?昨日、吹雪くんの部屋に出たゴキブリの事?彼、慣れてなくて、ちょっとした騒動だったねえ」
「いや違う。ゴキブリなんかじゃない。猫……とか」
「猫!?」
基山の声が妙に通ってしまい、メンバーの視線が集まった。
「猫!?え?どこ?どっから?さすがにありえないよね?ここ学校だし、しかも部屋は二階から上でしょう?」
「た、たとえだよ。落ち着け、声デカいぞ」
人差し指を口元にあて、しーっと合図を送るが既に遅く、他のメンバーが寄ってくる。
「猫がどうかしたのか?」
「猫?」
「猫いるんですか?」
それがね、と説明を始めようとした基山を止めてから、緑川は手を付けてなかったパンを持って食器を片付けた。
「たとえ話だと言っただろう?なんでもないんだ!じゃあな!ごちそうさま!」
嵐のように去っていった緑川が潜った扉を、メンバーは目をぱちくりさせてしばらく眺めていた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
緑川は食堂すぐ横の壁に張り付き、冷や汗を拭ってから自室へと戻る。
「オ帰リ!」
ベッドに座り、ボールをヘディングしていたグリンゴが振り向く。
「ああ……ただいま……。ほら、とりあえずこれを食べろ」
持ち帰ったパンを渡し、グリンゴの隣に腰掛けてから寝転ぶ。
「コレハ、レーゼ様ノ分?」
「ん?俺はお腹一杯だから良いんだ。腹八分目だ」
「……………………………」
グリンゴは背を向け、ヘルメットを少しだけ浮かせてパンを食べる。
「……………………………」
緑川はグリンゴが初めてヘルメットを動かすのを見た気がするが、口にはせずに目を瞑った。
「面月。それを食べて、少し食休みをしたら外へ出よう」
「外?イインデスカ?」
「ああ、夜は外に人がいない。この裏の野球グラウンドなら誰かが来る可能性はゼロのはずだ。このままお前をかくまってもいられないし、グリンゴの実力を俺が見てから、久遠監督に話を持ちかけてみようと思う」
「ハイ……」
こうして、二人はボールを持って裏口から宿舎を出て、サークル棟を抜けた先にある野球グラウンドへ向かう。今夜は満月で、電灯がなくても十分なくらいの月明かりだった。
「まずは軽く蹴り合うか」
「ハイ!」
緑川がボールを地面に置き、距離を取ったグリンゴに向けて蹴る。
「ソレ!」
上手く蹴り返すグリンゴ。
「良し!」
「ヨッ!」
「そこだ!行け!」
「ワープドライブ!!」
グリンゴの周りの空間が歪み、緑川の目の前に現れた。
「なるほど、な。うん……明日、久遠監督に言ってみるよ。さて、次だ。俺の特訓にも付き合ってくれるか?」
頷くグリンゴに、緑川も頷き、微笑んでみせる。
緑川の特訓は、ストレッチから始まり、身体を温める走り込み、そして身のこなしを高める三角コーンかわしを行う。グリンゴは主に補助として緑川に付き合った。
「レーゼ様!オ日様園ノ頃ヨリ タイムガ縮マッテイマス!」
「まだ!まだだ!俺はこんなもんじゃない!」
緑川の表情に苦悶が見える。
「……レーゼ様?」
身を屈めて膝を押さえ、呼吸をする緑川にグリンゴは駆け寄って、座るように促す。
「一休ミ シマショウ」
「ああ……」
フェンスに寄りかかり、座る二人。
「レーゼ様……レーゼ様ハ凄イノニ……ナニヲ焦ッテイルノデスカ?」
「似たような事を基山に言われたよ……俺は、早く示したいんだろうな……俺は今までとは違うんだと……」
「……レーゼ様ニトッテ サッカーハ楽シイノデスカ?」
「俺たちはサッカーを楽しくって、そう決めたじゃないか」
「ソウデスケド……」
膝を抱え、満月を見上げるグリンゴ。
「今夜ハ満月デスネ。アノ夜ヲ思イ出シマス……覚エテイマスカ?」
お日様園の屋根の上での思い出だと察し、緑川は“ああ”と呟くように言う。
「忘レマセン……アレハ……宝物……。デモ……緑川クンハ ドウナノ……。緑川クンハ……オ日様園ニ来タコト……後悔シテナイ……?サッカーシタコト……後悔シテナイ……?皆……望ンデ園ニ来タンジャナイ……。緑川クンガ園ヲ出テカラ……満月ノ夜ヲ良ク思イ出スヨウニナッタ……」
「……………………………」
「緑川クンハ……初メテ出来タ トモダチ。緑川クンハ……俺ノ アコガレ。ダカラ緑川クン、自分ニ負ケナイデ。君ニハ オ日様園ノ皆ガイル……俺モイル。君ノ選択ヲ 後悔サセナイ」
グリンゴは立ち上がり、緑川に手を差し伸べた。
「面月……ああ、一緒に戦おう」
手を伸ばし、握って立ち上がる緑川は微笑む。向かい合うグリンゴのヘルメットに刻まれた邪悪な笑みが、破顔したように見える。
二人は共に並んで、グラウンドを走った。三周を回ったところで、誰かの視線に気付いて立ち止まる。
「!」
夜の薄闇から姿を現したのは監督の久遠。緑川は反射的に前に出てグリンゴの姿を隠すが、遅すぎる。
「く、久遠監督……こん、ばんは」
「緑川。後ろにいるのは誰だ」
「……………………………」
「誰だと聞いている」
「…………………面月デス」
グリンゴは自ら本名を名乗り、前に出た。
「どうして部外者がここにいる」
「レーゼ様……緑川クンノ チカラニ ナリタイ。一緒ニ戦イタイ。ソウ思ッタラ ココニイマシタ」
「そうか。お前もか……」
腕を組み、顎鬚に手をやる久遠。
「も………、とは?」
「面月以外にも、数人自室に部外者を出現させた者がいてな……緑川同様、隠しているようだが、ここ数日の食事の消費量が明らかにおかしい事になっている。隠しても無駄だ」
「監督はどうなさるおつもりなのですか」
「私はチームがより勝利に近付くのなら、どんな者が来ようが構わない」
「だったら……!」
「予備要員として、一先ず加えよう」
ぱあっ。緑川とグリンゴの顔が輝き、喜びのあまり抱きつく。
「やったな!」
「レーゼ様ト一緒!」
「あくまで予備要員だ。緑川も席を奪われる事を覚悟しろ」
早く寝ろ、と最後に呟きを残し、久遠は宿舎へと帰っていく。
緑川とグリンゴも顔を見合わせ、帰ろうかと伺い、二人で宿舎へ戻った。
翌日。グラウンド傍のベンチにはグリンゴを含んだ突然宿舎に召喚された選手たちが座り、イナズマジャパンの応援をしていた。
グリンゴは緑川と共に己を鍛えて頑張っていたが、その後に控えた韓国チーム・ファイアードラゴンとの戦いで緑川が不調を来たして代表から外されてしまう。本戦への出場が決まっても、グリンゴは緑川と二人で日本に残り、再び代表として世界の舞台へ戦うべく、再出発への特訓を開始した。
代表の去った雷門中の体育館周りを緑川は走る。
「はっ…………は………………はっ………………は…………!」
彼の後ろを遅れてグリンゴが走っていた。
「……フゥ…………フゥ…………」
そんな二人の元に、かつてのジェミニストームのメンバーであったディアムとパンドラ、もとい三浦と近畿が包みを持ってやって来る。
「おーい二人とも。昼ご飯持って来たぞ」
噴水近くのベンチに座り、包みを広げればタッパーに入った美味しそうな弁当が出てきた。花壇の傍には他のメンバーも来ており、のんびりと花を眺めている。
「二人は響木監督という人のラーメン屋さんの二階に住まわしてもらっているんだって?」
「ソウダ」
「砂木沼さんも沖縄に行っちゃうし、お日様園は人不足だよ」
「すまないな。七回転んだままでは俺は帰れないんだ」
「……わかってますよ」
三浦が口の端を上げた。
食事を終えると、先に三浦と近畿が席を立つ。
「また、来るから」
「アア……」
「たまには帰って来いよ」
「わかってる……」
仲間が帰った後、緑川とグリンゴが立ち上がってストレッチを始めた。
「なあ面月」
「ハイ?」
「皆の前で食べていたな」
「ソウデシタネ……」
「うん。それだけだ」
お先に。そう告げて緑川は走り出す。
天から照りつける太陽が眩しい。思わず目を閉じてしまうのに、口の端は上がったままだった。体の内側から輝くように、微笑みはなくならない。まだまだ頑張れそうだった。絶対に八回目に起き上がる時が訪れる事を確信していた。
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