幼き日、鉄塔で。
 日が暮れるまで円堂と風丸はサッカーで遊んでいた。
「はーっ、もうこんな時間かぁ」
 地べたに座り、時計台を見上げる円堂。
「なあ円堂」
 隣の風丸は時計台の上――――鉄塔を指差す。
 鉄塔の上には雷門のシンボルがあった。
「あれ、明かり点かないのかな」
「点いている所、見た事ないや」
 なー。
 顔を見合わせて、二人でシンボルを再び見上げる。


 どんなものにも象徴するシンボルが存在する。それは物質だけではなく、人の中にも。



シンボル
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 時は流れ、円堂と風丸は雷門中に入学し、二年生となった。
 円堂は好きなサッカーを追ってサッカー部へ、風丸は疾風の足で陸上部へ入った。
 運命は巡り、風丸は陸上部からサッカー部へ移り、円堂と共にフットボールフロンティアという夢を追うようになる。強敵や難関が待ち構えるが、順調に勝ち進み、仲間たちの誰もが希望を抱いていた。
 ――――はずであった。


 とある日。練習を終えた円堂は風丸と帰ろうと彼を誘う。
「風丸、一緒に帰ろうぜ」
 円堂の後ろには仲間である豪炎寺や半田もいる。
「ごめん、今日は野暮用があって」
 風丸の足は正門でも裏門でもない、野球場の方へ向いていた。
「こんな時間から、学校の用事なのか」
「そうなんだよ。また明日、な」
「じゃあなー」
 手を振り合って仲間たちは別れる。
 風丸は野球場エリアにある陸上部の練習場へ行った。すると陸上部の生徒が待っていたとばかりに風丸に注目する。その中には良く慕ってくれていた宮坂の姿もあった。
 真っ先に風丸へ駆け寄る宮坂。人懐っこい笑顔で迎えてくれる。
「風丸センパイ、お久しぶりです」
「本当だ。随分久しぶりな気がするよ」
 陸上部を辞めてからここへ来るのは久しい。
「よお、風丸」
「高崎……」
 風丸を呼んだ陸上部の男子生徒・高崎が声をかける。彼は風丸や宮坂と同じ二年でよく補佐などをしてくれていた。
「場所を移そう。こっちに来てくれ」
「わかった」
「お前らも来い」
 高崎が歩き出し、風丸と宮坂、数人の陸上部は後を追う。


 テニスコートにある三年校舎の裏に周り、壁に寄りかかりながら本題を語り始めた。
「風丸、見ただろう。陸上部の現状を」
「新人がなかなか入らないそうだな。新聞部が言っていた」
「今度はウチが廃部の危機さ」
 腕を組み、高崎は息を吐く。他の陸上部員もつられて息を吐き、空気が重くなる。
 高崎が何を言いたいのかはだいたいの察しは付く。だが遠回りをしてきて、真意を吐いて来ない。
「サッカー部、調子が良いそうだな」
「ああ。全国へ行けるようになったんだ」
「キャプテン、元気良いな」
「それは元からだよ」
「風丸。お前がいなくなってから、陸上部は日に日に灯火を弱らせてきた」
 どこか遠くを見て、呟くように言う高崎。
「ここにいる宮坂や他の部員や俺も、風丸に憧れていた人間は少なくない。お前は陸上部のシンボルみたいなもんだったんだよ」
「高崎……」
 名を呼ぶしか出来なかった。
 高崎は人当たりの良い、穏やかで物静かな男だったはず。彼の口から“憧れ”など初耳であった。
「もう察しはついているだろう。風丸、陸上部に戻って来てくれないか」
 腕を下ろし、頭を下げる高崎。
 続いて宮坂、他の部員も頭を下げる。
「おい、やめてくれ」
「もうサッカー部の人員は十分だろ。数合わせじゃない。俺たちはお前だけが必要なんだ」
「頭を上げてくれ」
 風丸は高崎の肩を抱き、上げさせようとする。
「入ってくれるなら上げるさ」
「高崎、お前のそんな所、見たくないよ」
「入ると言ってくれ」
「……………………………」
 言えなかった。言葉が詰まった。
 サッカーと陸上の両方に入るという道もある。しかし今の風丸には浮かばなかったし、そんな気は起こらなかった。
「駄目、なのか……」
 搾り出すような高崎の声。唇を震わせ、歯を噛み締めた顔を風丸に想像させる。
「……………………………」
「どうしても、駄目なのか……」
「すまない。頭を下げられても、受け入れられない。だから上げてくれ」
 高崎と部員たちがゆっくりと頭を上げた。
「俺は、サッカー部の力になりたいんだ。出来る限り、全力でさ。せめて、フットボールフロンティアを勝ち抜くまでは」
「もう、待てない。待ちくたびれたよ。輝ける人間は限られている」
 悲しみに満ちた表情で高崎は目を伏せる。痛々しく、風丸も視線を逸らす。
「風丸さんって、そんなにサッカー好きだったんですか」
 後ろの方で、部員の誰かが口にした。
「風丸センパイと円堂さんは馴染みなんですよっ」
 無駄な説明をする宮坂。
「なら、好きな円堂さんがサッカー好きだからやってるんですね」
「なっ」
 風丸の頬に赤みが差す。
 不謹慎だと理性ではわかっていても抑え込めない。
「風丸」
 高崎が肩を掴む。
 強い力で彼の姿が影を作った。そういえば二人の身長は高崎が頭一つ分高い。風丸は恐怖を抱く。
「そんなに円堂が良いのか」
「え、いや……」
 高崎の威圧に風丸は上手い言葉を発せられない。
 そんな大げさな。そう笑い混じりに言いたいが、彼の本気に言い出せない。
「俺たちがこんなにも風丸を必要としているのに!」
 強引に揺らされる。見た事も無い高崎の形相に、ただただ動揺するばかりであった。
「もうわかった!風丸、お前が悪いんだからな!」
 何が?問うより前に、高崎の視線が逸れる。刹那、後頭部に走る衝撃――――
 あれは合図だったのだ。遅れて悟る。
「がっ」
 速いスピードで意識が遠のいてくる。見事に命中し、風丸の膝が折れた。
 視界は暗闇に染まり、頭も思考を停止する。
 近いはずの宮坂の悲鳴が遠く聞こえた。






 途切れた意識は薄い紙を差し込んでいくように蘇ってくる。
 取り戻しても、耳に届いてくるのは宮坂の声。


 一体……なにをやって……
 いくら……
 ……やめてください


 しきりに訴える口論。宮坂だけが喚いているように聞こえた。
「か…………」
 風丸の薄く開かれた唇から音が漏れる。
 瞼を薄く開けば、それだけで場所がわかった。この床は忘れていない。
 サークル棟の陸上部部室だ。
 床は硬く、身体を置くには居心地が悪い。
「…………………………?」
 違和感に眉間を寄せた。
 腕を動かそうとしたのに、思うようにならない。
「?」
 手首に白い、ビニールテープが見える。引っ張ろうとすると細くなって締め付けた。
「風丸センパイっ?」
 宮坂が風丸の意識が戻っているのに気付く。
「ごめんなさい、こんな事になるなんて。話し合いだけだって言っていたのに!」
「宮坂。静かにしてくれないか」
 高崎の声が聞こえ、布刷れの音がする。そうして高崎の気配が近付く。
「どんな格好か理解出来ていないようだな。起こしてやるよ」
「うん?」
 肩を捉まれ、座り直される。
 風丸は高崎の言う“格好”を理解した。
 自分の身体は床に座らされ、長テーブルの足にビニールテープで手足と首を縛られていたのだ。計画性のない、無理矢理の強引な結び方で苦しく気持ちが悪い。惨めさが胸から込み上げてくる。
 高崎は風丸の前に立って見下ろし、横では他の部員が構えており、宮坂はその中の一人に押さえられていた。
「おい高崎。俺も黙っていられないぞ」
 こうまでされては許せはしない。風丸は怒りを露わにした。
「暴力に拘束。モラルや仲間で交わした約束もルール違反は認めるさ。けどな風丸、お前が悪いんだぞ。話し合いで通じないなら、仕方が無いじゃないか。何としても引き込むしか部は存続できない」
 高崎の握られる拳が震える。
「廃部なんてまっぴらご免なんだよ。俺はまだ走っていたい」
「……………………………」
 風丸は後悔した。
 ここまで陸上部が、高崎が追い詰められていたなど知る由も無かった。サッカー部に夢中で、何も周りが入ってこなかった。
 あの時、掛け持ちを考慮するべきだったかもしれない。
 しかし、きっと出来なかっただろう。過ったものを否定した。
 心はもう、サッカー部へ、円堂へ向ききっているのだから。たやすく見透かされるに違いない。
 高崎の陸上部への思い。
 風丸のサッカー部への思い。
 きっと双方普通じゃない。異常だから狂った。狂って噛みあわずにさらに狂って、傷付け合う。
「……………………………」
 項垂れ、唇を噛み締める風丸。
「そんな顔するなよ風丸。端正なお顔がもったいないだろ」
 悪戯めいた言い方。もう知っていた仲間とは思えない。
「お前……」
 見上げた先にある高崎の視線と交差する。
 口調とは裏腹の、温度を感じない瞳に身体が竦みそうになった。僅かな機微をも見逃さない、呑み込まれそうな狂気を感じる。
「なんだよその目は」
 しゃがみこみ、視線の高さを合わせてきた。
「俺が、可哀想か、そうか」
 無表情で唇だけを動かす。次の瞬間、兆候を見せずに頬を叩かれる。
 素早く、かすっただけなのに、身体の表面が急速に冷えてぶるりと震えた。










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