いつも、どんな時でも、俺たちは一緒にいた。
 たとえ離れていても、別の道を歩んでも、存在を感じていた。
 嬉しい時も、悲しい時も、風丸がいてくれた事を覚えている。


 なのに、それなのに。今は風丸を感じない。
 世界からまるで、風丸だけを切り取ったかのように。
 風丸がどこにもいない。風丸が俺から消えようとしている。
 それでも、絶対に。
 お前を見つけ出すんだ。



シンボル
- 5 -



 夕焼けに染まる河川敷。長く伸びた影は人が走る姿を映し出す。
 食らいつき、もがき、懸命に。影は走り続けた。
 橋の隙間から沈みかける太陽に、走る人物――――円堂は目を細める。
「はぁ、はぁっ…………」
 いくら底知らずの体力といえど、やがては限界が訪れる。転びそうになり、手の先で地をかすめて体勢を整えた。足は棒のように、膝はガクガクと震える。振った二の腕が痛い。身体を動かすのは得意だし、好きなのに苦しくて仕方が無い。
 目指すべきゴールは風丸の元。どこにあるのかわからない、曖昧な場所。
「俺は……絶対に……諦めない…………」
 途絶え途絶えに、気力だけで身体を強引に動かす。
「…………ふう、……うう………………」
 橋の上に登り、中腰になって息を整える円堂の髪を柔らかな風が吹く。
 何かに惹かれるようにして前を向いた。小さくて判別し辛いが、風に揺らされる特徴的なポニーテールが見える。
「風丸」
 最後の力を振り絞って、風丸の元へ向かった。


 ある程度距離が近付くと、風丸が円堂を見やる。
「……………………………」
 曇った顔で俯き、そむける。
 あんな風丸を見るのは、本当に久しぶりのような気がした。
 無性に懐かしい気持ちが込み上げてくる。
「風丸。そこにいたのか」
 手摺りに掴まりながら円堂は風丸の元へ辿り着いた。
「めちゃくちゃ……捜したんだぞ……」
 姿を見ればどれだけ捜してくれたのか一目瞭然である。
「来るなよ」
 微かな呟きでも、空気が伝わった。
「宮坂から聞いたんだろ」
 疲労しきっている円堂なら逃げるのは容易い。けれども足が動かなかった。
 円堂の震える膝を見て、風丸の足が硬直する。
「戻ろうぜ。な?」
 手を伸ばし、微笑む円堂。
「触るなよ、俺を見るなよ」
「風丸。悲しい事言うなよ」
 風丸の手を取り、握った。
「辛い思い、させたな」
 もう片方の手で包み込む。
「円堂が……悪いんじゃない」
 声が震えた。
「風丸だって悪くないだろ?」
 うん?伺うように風丸の顔を覗く。
 涙は出ていないのに、風丸の目は真っ赤だった。
「俺が悪いんだよ。俺が……円堂………」
 掠れて続かない。
「そうだ風丸。どうして俺がサッカーを今も続けているか知っているか」
「なんだよ急に」
「爺ちゃんのノートのおかげで練習は一人で出来ても、プレイは一人じゃ出来ないんだ。昔、河川敷で皆に囲まれて遊んだ頃も、グラウンドの隅で蹴っていた頃も、風丸はいつでも付き合ってくれただろ?きっかけは爺ちゃんだけど、続けられたのはたぶん風丸がいてくれたからだ」
「円堂……」
 風丸が顔を上げると、前髪が流れた。
「風丸。いつも一緒にいてくれて有難う」
「なんだよ……」
 顔がくしゃりと歪んだ。
「お前に泣き顔は似合わないよ」
「そういう円堂だって」
 円堂の顔もくしゃくしゃになっていた。
「ふっ」
 風丸が息を噴き、笑う。そこを円堂が包んだ手を離して思い切り抱き締めた。


「怖くなんか無い。怖くなんか無い」
 耳元で、風丸にだけ聞こえる音量で何度も囁く。
「怖くなんか無い……」
 片手を浮かせ、そっと陸上部のカメラを取り出し、風丸に握らせる。
 感触で察した風丸の身体が強張るが、きつく抱き締めて抑えようとした。
「円堂。見たのか」
「風丸はどうしたい?風丸が忘れたいなら、俺は忘れる」
「見たのかって聞いている」
「何回も言っただろう。そんなの、怖がらなくて良いって」
 顔を向き合わせ、額を合わせる。
「消す。だから背中を向いていてくれないか」
 抱擁を解き、風丸は背を向けて例の写真の消去に取り掛かった。背中越しに円堂は話す。
「それ、貰ったんだ。持つのも捨てるのも勝手だって。このまま水に捨てちゃうか?」
「……………………………」
 写真を消去した次の画面に、風丸、宮坂、高崎が映っていた。
 丁度河川敷をバックに撮ったものだ。この中にあるのは嫌な思い出だけではない。しかし――――


 判断を悩む風丸は、前方に近付く気配を感じた。宮坂だ。
「やはり、円堂さんが先に風丸センパイを見つけ出したようですね」
 軽く額を拭う仕種をする。
「高崎さんから伝言を預かってきました。今後、センパイには二度と関わらないそうです。顔を合わせる自体が気まずいだろうから、俺が代わりに。センパイ、この度は本当に申し訳ない事をしました」
「しかし宮坂、お前は」
「止められなかった事、スカウトに乗ったのは事実です。これから、陸上部はオレたちの手だけで立ち直らせます。センパイはもう見る事も無いと思いますが、後ろ指をさされようとオレたちは最後まで足掻き続けます。それでせめてもの貴方を必要とした代償を示したい」
 風丸はカメラを宮坂に差し出す。
「これ、返すよ。写真は消したけどな」
 なかなか受け取ろうとしない宮坂に、押し付ける。
「また新しい記録を作ってくれ。都合の悪いもんは消せるが、書き換えのないように使えよ」
「はい」
 カメラを胸元で抱き締め、一礼をして去っていく宮坂。
 橋の終点には高崎が待っていた。宮坂が横を過ぎると並んで歩き出す。
「厄介ごと押し付けてすまなかったな」
「そう言うならどんどん動いてくださいよ。これから忙しくなります」
「今度、お前を部長に推薦するわ」
「高崎さん、貴方はつくづく責任転嫁がお得意ですね」
「言ってくれるな」
 歩調が次第に速まり、やおら二人は走り出す。
 願わくば、これからも走り続けられるように。この道は新たな始まりに繋がっていると信じて。


 宮坂の背を見送る風丸に、口を開く円堂。
「良かったのか?」
「いいんだよ」
 振り向き、体を向き直す風丸は口元を綻ばせた。
「円堂がいてくれるんだから」
 はにかみながらも、円堂も笑みを返す。
 二人の間にあった笑顔が戻った。


 えんどう……
 えんどう……
 円堂を呼ぶ声がする。
「なんだ?」
 橋の下に身を乗り出すと、グラウンドに豪炎寺がボールを抱えて手を振っていた。
「どうしたんだよお前!」
「どうしたもこうも!今日は走り込みをしてここで練習だと俺が決めた!!」
 橋の上と下で会話を交わす。
 そんな豪炎寺の後ろを、遅れて他のメンバーがよろよろと追いついた。
「豪炎寺、キツすぎる……」
「ハードです……」
「俺は円堂とは違うからな」
 次にマネージャー陣も追いつく。
「はいはーい、あと少しよ」
 元気な木野とは対照的に、音無と夏未はダウン寸前だ。
「もうへろへろです……」
「なんで私まで。汗掻くの嫌いなのよ」
「マネージャーだって体力は必要なんだから」
 木野は円堂の真下に行き、声を大きくして呼びかけた。
「円堂くん!風丸くん、いた?」
「ああ!いるさ!」
 円堂は風丸を引き寄せ、顔を出させる。
「なら代理は終わりだ。お前に任せる、円堂!」
 ボールを円堂目掛けて蹴り込む豪炎寺。
 高く上がったボールは円堂の手の上に納まった。
「行こうぜ!風丸」
「……ああ!」
 差し伸べられた手を、躊躇い無く取る風丸。
 橋を降りれば仲間たちが待っている。日常の中へ戻って行った。






 時は経ち、雷門中サッカー部はフットボールフロンティアを制覇した。
 鉄塔の雷門シンボルは四十年ぶりに明かりを灯し、夕闇を照らしている。
 円堂と風丸は二人並んで見上げていた。
「あんな風に光るんだ」
「前に、似たような話をした覚えがあるよ」
 立ち尽くす二人の横を、人々は通り過ぎ家へ帰っていく。徐々に辺りは静かになっていった。
「なあ、どうしてあんなシンボルを作るんだろう」
 そっと呟く風丸。
 いつかの苦い思いが過る。
「たぶん、目には見えないからだ」
 呟くように答える円堂。
「傍にいても、見失いそうになるから」
 円堂の手が風丸の手を握った。
「確かめるんだ」
 体温が伝わり、やがて溶け合う。
「なあ、もっと近付いても良いか」
 風丸の囁きに、円堂は振り向いた。風丸はゆっくりと円堂を見て淡く微笑む。
「確かめるんだろう?」
 一歩分。円堂に寄り添い、手を握り返す。
 二人は合図をしたかのように雷門のシンボルを再び見上げた。
 人は電灯のように自ら光は発する事が出来ない。
 だが今この時、煌きを胸の中に抱いていた。










Back