シンボル
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円堂。
風丸の唇が名前を形作る。
「風丸、一人で抱え込むな。俺が……」
円堂が手を差し伸べ、風丸をこちらへ呼び寄せようとした。
だが、風丸は被りを振るう。ふらつくように数歩高崎から離れると、全速力で逃げ出した。
「風丸っ!?」
風丸の行動が理解できず、円堂は咄嗟に動けない。
「センパイ!円堂さんにはっ……」
宮坂が風丸の早とちりを指摘しようとするが遅すぎる。
「風丸……!」
追おうとする円堂と宮坂の前を高崎が塞ぐ。
「やめた方が良い。風丸は円堂から逃げたんだから」
「なんでだよっ」
高崎はやれやれと、頭をくしゃくしゃさせる。
「随分最悪な時に来たもんだ。宮坂が円堂を呼んで来るなんて想定外だったよ」
息を吐き、風丸に掴まれた胸元を正した。
「サッカー部の円堂キャプテン。俺は陸上部二年高崎だ。一度、君とは話がしたかった」
「……………………………」
かしこまった挨拶をされ、円堂は激情を抑えて高崎に耳を傾ける。
「ウチの部員である宮坂からどこまで聞かされているか知らないが、改めて説明しよう。今、陸上部は新人に悩まされて廃部寸前だ。円堂、君も経験済みのはず。俺たちは部の存続をしようと先日、旧部員現サッカー部の風丸をスカウトした」
「ああ、知っている」
「風丸には断られてしまった。それでも俺たちは諦めきれない。そこで」
「脅しをかけたんだな」
低く重い声で円堂は言う。
「ああ、そう聞かされていたのか。風丸に似て君も早とちりのようだね。失礼」
円堂の鋭い視線を、咳払いをして詫びた。
「脅しといっても、どういう脅しか聞いたかい?」
「え?いや……」
はじかれたように目を見開いて瞬きし、円堂は首を横に振る。そういえば聞かされていない。思い返せば上手く伏せられた気がする。宮坂の顔が曇った。
「なるほど。そもそも頑なに断ってきたのは風丸の方だ。君からも頼んでもらいたいものだよ。陸上部へ入ってもらうように。サッカー部は盛況なんだろう?風丸を返してくれないか」
「断る」
「部が輝きを取り戻すには、特別な人間が必要なんだ。わかるだろう?」
脳裏に廃部をかけた帝国との試合。豪炎寺のシュートが過った。
「戻りたいと思うか?昔に」
人数の揃わない部で、一人で走りこみをしていた思いが蘇る。
「だけど、脅しなんかしちゃいけない!」
円堂は強い意志を持って言い放つ。
「そりゃそうしないで済んだだけの話じゃないかっ!誰もが上手く行くとでも思っているのかっ!?」
「たとえあの試合が無くても、俺は脅しなんか絶対しない!!」
荒げる高崎の声を円堂はすぐに返す。
「そうだな……そうであるべきだった……」
視線を逸らし、俯く高崎。
その力が、輝きが、僅かにでも自分にあれば。円堂と目を合わすのが辛くなったのだ。
「なあ、風丸に何をした。どうして風丸は俺を避ける」
高崎の服を引っ張って訴える円堂。
「風丸が円堂から逃げたくなるようなものを俺が持っているからだよ」
「一体、それは……」
円堂の手を離させ、カメラを取り出す。
「高崎さん」
宮坂が見詰めてくる。そっと彼に目を向けて頷く。
「円堂。よく聞いてくれよ。君がこれを見てどう思うのか。それを風丸は最も恐れている。風丸はこのままだと陸上部にも、サッカー部にも行けないだろう。もしも、君がそれでも風丸を……部の一員として迎え入れるのなら、俺にはもう手立てが無い。全ては君次第さ」
「わかった」
「ふふ、迷わないんだね」
高崎は笑う。見守る宮坂には、どこか泣き笑いのようにも見えた。
「さあ」
あの写真のページを表示させ、円堂に握りこませるようにして渡す。
「……………………………」
何が映っているのか。
息を呑み、円堂は恐る恐る画面を覗いた。
「……………………っ……」
そこには服を脱がされ、拘束されて下半身を露出させた男の上に乗る風丸が映し出されていた。
写真の中の風丸に表情は無く、人形のよう。しかし拘束された箇所を凝視すれば痕があり、生きている人間だとわかる。
卑猥を通り越した悲惨。
怒りを通り越した悲しみ。
言葉が詰まり、吐き気さえ覚える。
風丸はこんな事をされて、朝自分に笑いかけてくれたのか。
円堂の脳裏に朝に交わした笑顔が浮かんだ。
「最低だよ」
「ああ、言葉も無いさ」
「最低………だ……」
カメラを握り締める指が画面に指紋を付ける。
「円堂」
その手の上に高崎が手を重ねた。
「これは君にあげるよ。持つのも捨てるのも勝手にしてくれ」
音を下げて囁く。
「風丸を捜してくれるね。きっと、君にしか見つけ出せない」
「風丸……!」
円堂はカメラを奪うようにして仕舞い、走り出した。
彼が見えなくなった後、宮坂が呟く。
「カメラ、あげたんですね」
「もう必要ないだろう。陸上部は消えるさ」
頭を振るい、ポケットに手を突っ込み去ろうとする。
「逃げるんですか」
宮坂が高崎の背を睨んだ。
「他に何が出来る」
「考えればいっぱいあるはずです。スカウトは貴方が言い出した事だ。責任を取るべきです」
「無いさ、出尽くした」
「貴方の話に乗ったオレたちにも責任はあります。オレたち皆でもっと考えるべきなんです!」
感情が昂っているのか、声を裏返して宮坂は叫ぶ。
「なんだよ……。宮坂お前、俺を軽蔑していたんじゃないのか」
「愚問ですね。貴方とオレはどうであれ仲間のはずです」
振り向こうとした高崎の背を、いつの間にか近付いていた宮坂が叩く。
「やれやれだ」
お返しとばかりに宮坂の後ろ頭を軽く叩き、二人は二年校舎へ入って行った。
はっ……はっ……はっ……。
息切れし、呼吸が苦しくなるのも無視して円堂は風丸を捜していた。
グラウンドを調べ、校舎の中を見て回る。それでも風丸は見当たらない。
やがて昼休憩終了の鐘が鳴る。仕方なくクラスに戻る円堂は疲労し、机に座るなり突っ伏した。
「円堂くんっ、どうしたの?」
「円堂っ?」
同じクラスの木野と豪炎寺が円堂の様子に驚き、席を立って伺う。
「はーっ、はー」
息を整え、二人に問う。
「なあ、風丸に会わなかったか」
「風丸くん?」
木野と豪炎寺は顔を見合わせ、首を傾げる。
「いや、俺たちは会っていない。朝練には出ていたし、自分のクラスにはいるだろう」
「そうか」
風丸のクラスの人間をあたるべきだったと失態に気付く。
気持ちが表情に出ている円堂に、木野と豪炎寺は事態が穏やかでは無いと悟った。
「円堂くん。風丸くんに何かあったの?私たち、力になるよ」
「ごめん。理由は言えないけれど、風丸を見つけたら逃がさないように捕まえてくれ。絶対に、離さないでくれ。俺は授業が終わったら風丸を捜しに行く。その間の部を頼む」
「わかった」
豪炎寺が頷くと丁度教師が入り、二人は席に戻った。
授業が終わり、ホームルームが始まる。
途中で風丸のクラスの方で、席がガタガタと動く音が聞こえた。先を越されてしまった。
「く」
円堂は机の下で拳を握り締める。早くホームルームが終わる事を一心に祈った。
早く終われ。早く、早く、終わってくれ……!
「では起立、礼」
やっと終わる。
円堂は終了と同時に瞬発力で教室を出て行った。
彼の焦りようが、木野と豪炎寺の胸に不安をますます募らせていく。
「本当に、どうしたの……」
「わからない。俺たちは円堂に頼まれた通り、部に専念しよう」
「そうだね」
二人は荷物をまとめて部室へ向かった。
教室をいち早く飛び出した円堂は、まず風丸のクラスの扉を勢い良く開ける。
「円堂、どうした?」
たまたま残っていた円堂の知り合いが問う。
「風丸は?」
「ああ、途中で保健室行っていたな。顔色良くないみたいだったし」
横で聞いていた女生徒が続けてくれた。
「でも終わり頃戻って来て、荷物もその時持って出ちゃったわ」
「そうだったそうだった。おい円堂、お前も顔色悪いぞ。秋葉戦の集団体調不良の噂ってホントだったのか?」
「風丸は荷物持って教室出たんだな」
「だからそうだって。おーい円堂?」
手をメガホンにしてわざとらしく呼ぶ生徒だが、円堂は反応せずに風丸のクラスを出て行く。
次にサッカー部の部室に行くが、やはり風丸の姿は見当たらない。
「円堂さん、どうしたんっすか?」
難しい顔をして部室を出る円堂に、先に来ていた壁山が後をついて聞いてくる。
「円堂キャプテン?」
呼びかけに応えず、円堂は携帯電話を取り出す。
風丸の名前を出すが、指が止まった。
メールや通話。風丸に何て言えば良い?
携帯を握り締め、閉じてしまう。電話では遠すぎる。直接会わなくては。
「あの〜、大丈夫っすか?」
「ん、ああ。大丈夫だ。必ず戻ってくるから」
漸く反応したかと思うと、円堂は再び走り出した。
腕を振り、全力で駆ける。心の内で、何度も風丸を呼んだ。
思うだけなのに、喉がひりひりした。
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