水面の声
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 雷門中裏門の通りにある、豪炎寺の妹も入院している病院。白い壁、白い床。白に囲まれた廊下を円堂は進む。
 足はどこか急ぎで、視線を彷徨わせて風丸を探した。
「あ」
 声が重なる。診察室前のソファに風丸はおり、円堂と目が合うと立ち上がった。彼の隣には霧隠が腰掛け、軽く会釈する。
「今、終わった所なんだ」
「しばらく運動は控えろと言われた」
 忍者の死活問題だ。付け加える霧隠に風丸は笑う。
 円堂は二人のやり取りに瞬きし、急に驚いたように霧隠を指差した。
「お前っ。声が!」
「円堂。しー」
「静かに」
 風丸と霧隠は口元に人差し指を立てて添える。
「そもそも怪我は、声を取り戻す為に自分から傷付けたせいだ」
「自分からって、無茶やるなぁ」
「そんなのオレの性分だ。秘伝書を奪おうとしたり、溺れた風丸を引き上げたり……」
 息を吐き、霧隠も席を立った。
「外に出ないか。円堂にも話しておかなくてはならない」
 風丸は頷き、霧隠の後ろをついて外に出る。
 円堂も首を傾げるものの、後を追った。病院に着いてから、霧隠と風丸の包む空気が柔らかで仲の良さそうな雰囲気が漂う。風丸と出会え、負傷したらしい霧隠も無事で一安心すれば、つまらない嫉妬心がチラついた。ちっとも振り切れない未練に溜め息が出る。


 外に出て、病院内の中庭のベンチに霧隠、風丸、円堂の順で三人は座った。木々が丁度良く植えられ、和やかな空間を醸し出している。
「今日は良い天気だ」
 背もたれに身体を預け、伸びをする霧隠。うっかり傷を広げかけて屈む背中を風丸が撫でる。
 二人の様子に、円堂は面白く無さそうな顔を隠しきれない。口が尖ってしまう。
「で、話ってなんだよ」
「霧隠」
 風丸が呼ぶ。霧隠が頷き、語りだした。
 水の中で風丸は円堂を求め続けた事、円堂が手を握り、呼びかけて風丸が息を吹き返した事を。
 円堂は動揺で言葉を失った。真実から目を逸らすように俯き、自分の手の平を見下ろして開閉を繰り返す。
 この手は覚えている。冷たく、濡れて色を失った風丸の手の感触を。
 あれで息を吹き返したなど、どうしても思えないのだ。
 触れた時、悲しみに胸が押しつぶされそうになったのに。
 気休めを言ってくれているのかとも邪推してしまう。
「そうすぐに信じられないのも無理は無い。円堂には意識を失った風丸の姿が目に焼きついているだろうから」
「俺、風丸が目を覚ますように神様に祈ったんだ。風丸が目を覚ますなら、なんでもしますって、俺はどうなっても良いって。生きてくれれば良い、俺にはそれで十分だった」
 手を閉じ、片方の手で包み、膝の上に置いた。
「でもさ、全然十分じゃなくて。そのくせ風丸の気持ちをごまかして。霧隠に本当の事を教えてもらってもどうすれば良いのかわからない。こんな気持ちじゃ、また風丸を傷付けるだけだよ」
「なんでそう、お前はそうなんだよ」
 風丸の手が円堂の手に重ねてくる。
 振り向く円堂に、風丸は睨むような視線で見据えた。
「傷付くぐらいがなんだよ。そんなのどうって事無い。俺だって傷付けるかもしれないし、お互い様」
「俺、風丸を霧隠に取られるなんて怖がってたんだぜ。お前がいくら言ってきたって、疑ってたんだぞ」
「なんだそれは」
 苦いような、呆れたような、微妙に口を歪める霧隠。
「疑いたきゃいくらでも疑えよ。俺はその度に証明するだけだ」
 片手を取り、自分の胸に触れさせた。
「嘘偽り無い、本物だってな!」
 円堂の指がぎこちなく開き、風丸の胸を布越しに掴んだ。
「風丸……」
 吐息のような円堂の呟きの後に、霧隠は咳払いをする。
「あー……その。二人はそういう仲なのか」
「えっ」
 はじかれたように、風丸と円堂は手を離した。
 霧隠はもう一度、咳をする。その頬はほんのりと赤みが差していた。
「オレが運命を狂わせたから、お前たちの関係も狂ったのか……」
「おい霧隠。俺が溺死するのが正しかったみたいな言い方するな。こうして生きていられて、幸せなんだから」
 自ら幸せだと言う風丸は本当に幸せそうで、これも一つの形だと認めざるを得ない。
「なあ、知りたいんだ。あの時、円堂と霧隠はどういう風に出会ったのか。教えてくれよ」
「そうだな……」
 円堂の顔を横目で伺い、霧隠は思い出を話しだす。
 長年の苦い記憶が味を変え、少しずつ甘くなるのを感じた。複雑な思いもあるが、懐かしむ三人の顔は穏やかだった。
 霧隠の心の奥底に秘めていた“約束”が果たされ、昇華していく。
「ふっ………はは」
 急に笑い出し、驚く円堂と風丸に詫びてまた笑い出す。喜びが胸に溢れている。溢れに溢れて、笑顔となって零れてしまうのだ。


 楽しい時間は時計を早く回し、戻らなければならない時間になる。席を立つ円堂たちに、病院の入り口の前で霧隠は別れを告げた。
「円堂、風丸。ここでお別れだ」
「帰るのか」
「ああ。関東へ出かける条件だった声は戻してしまったし、説教を受けに戻らないといけない」
 寂しそうに目を細める。だが、気になどしていない様子であった。
「また……会えるか」
「ウチに練習試合を申し込めば会えるさ。オレは怪我でしばらく試合には出られないがな……」
 目を伏せ、一人頷いて笑みを描く。
「今回の事や、あの時の事、オレは向き合おうと決めた。どんな処分を下されるかわからない。けれど……」
 霧隠は手を差し伸べた。
「オレたちがサッカーを通じて再び出会えたように、円堂たちが続けてくれるなら、いつか出会う機会はきっとあるはずだ」
「霧隠、さよならは言わない」
 風丸が握り締め、二人の手ごと円堂が包む。
「また、今度だ」
「ああ。またな」
 霧隠の姿が薄くなり、向こうの景色が透けだした。目を凝らす二人だが、やがて消えてしまう。
「行っちゃったな……」
「ホント、霧に隠れちまった」
 霧隠の手が抜けた風丸の手を、円堂は硬く握り締める。
 顔を見合わせる二人は、言葉は交わさぬとも思った事は同じであった。


 どうせ学校を出たなら、寄り道をして戻ろう。


 場所も決まっていた。もちろん河川敷だ。
 途中で足を止め、歩道を降りて並んで腰をかけ川を眺める。
「円堂……確か、あの日もこんな天気だったよ。良い、天気だった」
「気温もこうじゃなかったか。ちょっと肌寒くて。母ちゃんが上着もう一枚着ろってうるさかったっけ……」
 円堂は後ろに倒れ、草のベッドに転がった。
「なあ風丸……」
 腕で目を覆い、囁く。
「俺で本当に良いのか」
「円堂こそ、俺で良いのかよ」
 風丸も横になった。
 腕を下ろし、首を風丸の方へ向ける円堂。その瞳は昨日と似た、痛みを秘めたものだった。
 しかし風丸はそらさず、真っ直ぐ見据えて微笑む。
「円堂」
 人差し指を持ってきて、円堂の顎の輪郭、鼻筋をなぞり、唇の途中で止めた。
「…………………………」
 呼ぶだけ呼んで、言葉が続かない。笑おうとしていた喉が呻き、瞳が揺れて潤んだ。それでも見詰めるのをやめない。
「…………………………」
 唇に触れていた指を円堂は捉え、絡めてくる。彼もまた、風丸の瞳をそらさずに見据えた。
 たぶん、待っているのだ。相手の瞳の先に見えるだろう、再び生まれ変わる瞬間の煌きを。
 わだかまりが晴れて通じ合い、新たに始まる二人の未来を。
 きっと素晴らしい輝けるものだから、待っている間も幸福で魂が満たされていく。
 柔らかな風が吹き、くすぐったそうに目を細めて開けば、煌きが見えたような気がした。






 雷門へ帰る頃にはすっかり放課後になっており、部室の扉を開けば仲間が迎えてくれる。
「お帰り。円堂くん、風丸くん」
「お前らちょっとサボってたろ」
 嬉しそうに振り返る木野、腰に手を当てて勘繰りだす半田。その後ろで“良いなぁ”とぼやく一年生たち。
「仲直りは出来たようだな」
 豪炎寺は鞄を背負い、二人の横を通り過ぎていく。
「え?あがり?」
「そうだぜ。何時だと思ってんだよ」
 染岡も帰っていく。
「明日から頼みますよ。キャプテン、風丸さん」
 壁山が身体を横にして通った。
「鍵、お願いしますね」
 音無が円堂の手に鍵を落とす。円堂と風丸を残し、仲間たちは皆帰ってしまった。
「だってさ」
 風丸はロッカーに寄りかかり、くすくす笑う。
「明日からやってやるさ。今、気合すげえ入ってんだから」
「それってどっちの意味」
「は?」
 不意な突っ込みに円堂は鍵を落とした。
「サッカーだって、サッカー」
 鍵を拾い上げ、内側から閉める。そんな円堂の背を風丸は後ろから抱き締めた。


「おい、待てって」
「待てない」
 円堂が向き直るなり、風丸は唇を押し付ける。
 後ろ頭がドアに当たり、立て付けが悪いのもあり音がよく通った。
「ん…………ん、ん……」
 唇を押し返し、片手を腰へ、もう片方が胸のボタンを掴み、指を衣服の中へ滑り込ませる。
「………ふ、う」
 風丸は夢中で口付ける下で、円堂の制服のボタンを器用に外していく。
 入り込んだ手は輪郭を確かめるように撫で、指は筋肉と骨を味わう。
 円堂の方は片手では上手く外せないらしく、ボタンを引きちぎるように力任せに解いていった。
 カンッ。一つ取れて床に転がる。しかし謝る事も、拾う事も出来ず、愛撫を続けた。
 惹き合う想いに身体は熱くなり、快楽の小波が脳を揺さぶる。
「は………はぁ……」
 苦しくなった唇を解き、生唾を飲んで乱れた呼吸を整える。
 腰を引き付け合えば、高まる自身を布越しから察して二人は顔を赤くさせた。
「……なに、やってんだよ」
「円堂こそ」
 口をもごつかせる中で、円堂が風丸のベルトのバックルをはずしだす。
「じゃ、俺も」
 風丸も円堂のベルトに手をかけた。
 ベルトをはずし、ズボンと下着を下ろして自身を曝け出しあう。感じた通り、自身は反応を示していた。互いに相手が欲情してくれたのを悦ぶ反面、隠すものがない欲望を目の当たりにされるのは気恥ずかしい。
「……緊張する」
「なんだよ、今更。俺もだけど」
 二人は肩口に顔を埋め、手探りで相手の自身を包む。
 円堂は上下させ、風丸は指をばらして刺激を送りあった。
「気持ち良い?」
「うん。円堂は?」
「良いよ」
「そう」
 様子を耳元で囁く。
 息が再び乱れゆくのも耳元で感じていた。熱い息が顔のすぐ横で吐かれる。人肌より微かに高い温度が心地良い。
 手の中で自身は形を変容させ、零れる蜜に指が絡んで卑猥な音を立たせた。お互いのが触れ合えば、微弱な電流が通ったかのように甘い痺れが走る。
「汚れちゃう」
 風丸は足を浮かせ、下ろしたズボンと下着を外へやろうとした。靴が引っ掛かるので、脱いで衣服を踏む。
「円堂も、ほら」
「ん、ああ」
 爪先で円堂の足を突き、彼にも促してやる。
 快楽は速度を増し、埋めるだけでは我慢できず、口付けをしだす。頬や瞼、鼻の頭、至る場所に唇で触れる。
「………んう…………ふ」
「あ…………は」
 喉を鳴らし、悦びの音が奥から吐かれた。
「ああ」
 快楽が走り抜ける感覚に、身体を震わせる。
 二人、ほぼ同時に欲望を吐き出す。白濁の体液は下肢に付着し、どろりと足を伝った。
 さらに汚れるのも気にせず、身体をきつく抱き締めて足を絡める。苦しさに口から空気が漏れ、薄く開かれたそれを塞ぎ合った。
 何度も角度を変えて塞ぎ合う隙間から、声か息か判別のし辛い微かな音を鳴らす。
 だが吐息より、布擦れより、ぴったりとくっついた胸から鳴り続ける鼓動が二人にとっては騒がしかった。
 まだこれは始まりに過ぎない。求め合う想いは膨らみきった蕾を咲かせて花を開いた。花びらの一枚一枚が形を形成するのはこれからなのだ。






 あれから一週間後。雷門サッカー部室――――
 夏未が携帯を片手に円堂に声をかけた。
「円堂くん。注文の選手を見つけてきたわよ」
「ホントか!?」
 円堂の顔がパッと輝く。
「場所は……」
 説明する夏未に、円堂はこくこくと頷いた。
「風丸!行くぞ!」
「ああ!」
 円堂は風丸を連れて部室を飛び出していく。
「……早く、とは言ったけれど。そこまで急がなくても……」
 開けっ放しで揺れるドアを、目をパチクリさせて眺めていた。


 商店街のレンガ広場。そこに円堂が求めていた選手が待っていた。
 遠くからでも目が合うと円堂と選手に笑みが零れる。
「霧隠!」
 軽く手を上げて応えた。選手とは霧隠であった。
「また会えたな!」
 出会うなり握り締める両手と両手。
「今度は喋れるよな」
「もちろんだ」
「あれから、大丈夫だったか」
 円堂の後ろにいた風丸が顔を出して問う。
「それが、大目玉さ」
「へ」
 握っていた手が離れ、だらんと垂れた。
「停学で自宅謹慎だったんだが、雷門から引き抜きの話をもらって、謹慎から追放に変わった」
「駄目じゃん」
「どうすんだよ」
 淡々と言う霧隠に、円堂と風丸は焦りだす。
「なに、追放といってもしばらくの間さ。フットボールフロンティアの期間ぐらいだろう。それまで世話になる」
「俺たちとしては仲間になってくれるのは嬉しいけれど……」
「気にするな。寧ろオレはすっきりして清々しいくらいだ」
 髪を耳の後ろに避け、霧隠は微笑んだ。
「楽しみで仕方がない。これから、何が始まるのか」
 霧隠の中でも新たな始まりが訪れていた。円堂と風丸と同じように、煌きの予感に心を躍らせているのだ。
「宜しく頼む。雷門サッカー部」
「歓迎するよ」
「ようこそ」
 霧隠の手を円堂と風丸が片手ずつ握る。
「遠くから来て腹減ったろ。雷雷軒へ行こう」
「店主さんが監督なんだ。新しい仲間を紹介しなくちゃ」
「承知した」
 手を引かれ、霧隠も踏み出す。
 のんびりなどしていられない。輝きの中へ飛び込むように三人は走り出した。










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