心に雲陰る時。晴れを待つより、いっそ日差しを目指してみないか。



バケーション
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「かーぜまるっ」
 呼ばれて振り返れば、霧隠におにぎりを渡された。
「ちょっと待っていろ」
 おにぎりを受け取り、包装に記載された順序通りに引っ張って開ける。
「ほら」
 霧隠に返せば、さっそく彼はおにぎりにかじりつく。
 ここは商店街のコンビニ前。放課後に風丸と霧隠は寄り道をしたのだ。
 霧隠は都会のコンビニの奇抜なおにぎりの具を大層気に入ったらしく、寄る度におにぎりばかりを食べる。けれども開け方がわからないらしく、こうして風丸にやってもらっていた。忍者なので強引に開ければなんとかなると思うが、それではつまらないらしい。
 風丸はアイスを買って、二人は適当に歩き出す。話題はサッカーを始めた理由から、風丸が陸上部に所属していた内容へ移行した。
「じゃあ風丸は元からサッカー部じゃなかったのか。で、円堂に誘われて入ったんだよな」
「ああ。円堂とは付き合い長くてさ」
「ちょっと、意外だ」
 目をパチクリさせて霧隠は言う。
 初めて言われた言葉に、風丸も瞬きをした。
「そうか?」
「あんまりそんな雰囲気しない」
 霧隠は思ったままを述べている。
 彼がそう感じるのは無理も無い。今はフットボールフロンティア全国大会真っ只中であり、円堂は豪炎寺や鬼道、一之瀬などの実力や経験のある仲間と打ち合わせや特訓を行っている為、風丸と特別に共にいる事はほとんど無い。
 最近、個人的に円堂と会話をしていない。風丸自身が抱いていた現実を突きつけられ、表情が曇る。
「あ」
 思わず声を漏らす霧隠。失言であったと悟る。
 たとえ二人の付き合いがどうだろうと、風丸が円堂を慕っているのはよくわかっていた。つい雷門へ引き抜かれて親しくなり、調子に乗ってしまったようだ。
「ごめん」
「別にいいって」
 詫びる霧隠に風丸は笑って手を振った。
 風丸はいつも霧隠に優しい。試合の時は速さと技を競い合うライバルであったが、仲間になってからは学校の案内や東京の生活でわからない事を親切丁寧に教えてくれた。有り難かったし、嬉しかった。なのにここの所、それが苦しくなってしまう時がある。もっと仲良くなりたいから、もっと風丸の本心が知りたくなった。優しいだけじゃない、嫌な事があれば愚痴だって聞いてみたかった。意地悪をすれば怒って欲しかった。今だって、ちょっとくらい不機嫌になったって悪くは無い。
 けれども風丸は怒らない。いつも笑っていて、優しい。それが彼らしいといえば彼らしいかもしれない。恐らくその他大勢に見せる一面に過ぎないのが切ないのだろう。
「…………………………………」
 霧隠の視線に風丸のアイスが目に入る。あれを掠め取ったら、さすがにリアクションを起こしてくれるに違いない。風丸に見えないように片手を隠して、指を動かして機会を伺う。その時であった――――。


「あ」
 思わず、再び声を漏らす。忍びとした事が、また出てしまった。
 霧隠の視線の先の通路を、円堂と一之瀬が通るのが見えたのだ。
「霧隠、どうした」
「円堂と一之瀬だ」
 指差して、歯を見せて笑う。複雑な気持ちが悟られないように微笑んで見せた。
「ああ」
 指す方向を見て、返事をする風丸。
「行こうぜ」
「……ああ」
 二人は円堂たちの後をついて、声をかけた。
「よお円堂」
 円堂と一之瀬が振り返り、足を止める。
「お前たちも帰りだったのか。少し待てば一緒に帰れたかも」
 風丸の言葉に円堂と一之瀬は“そうだな”と笑う。すると一之瀬が言ってきた。
「俺、これから円堂の家に行くんだ」
「俺も円堂の家にはよく行ったなぁ」
 返してから風丸は思う。なぜだか対抗しているような言い方になってしまった。霧隠があのような事を言ってくるから、円堂との付き合いについて意識が過敏になってしまった。
 風丸の意識は持っていたアイスから逸れ、溶けた甘い汁が風丸の手に垂れる。
「うわ」
 付着してから気付く。持ち方を変えて急いで食べる。勝手な思い込みであるが、随分と情けなく感じた。
 アイスを食べる風丸を待ちながら、円堂、一之瀬、霧隠は雑談をする。
「アメリカのアイスってさ、どんなのがあるんだ」
「こーんなのとかある」
「すげえ……」
 話をしながらも、霧隠の視線はチラチラと風丸に向けられていた。自分の発言が、風丸の調子を狂わせてしまったような気がしたのだ。
 風丸がアイスを食べ終わると、彼の汚れた手を霧隠が掴む。
「じゃあオレたちはこの辺で。風丸、あっちの噴水で手を洗おう」
 引き寄せ、強引に連れて行った。
 二人に手を振って見送り、一之瀬が呟く。
「風丸は霧隠に振り回されてんなぁ」
「あいつは優しいから、親切にして気に入られるといつもああだよ」
「詳しいなぁ。ああ、幼馴染だったっけ?」
「そうだな、あんまりそういう呼び方には慣れていないけれど」
 円堂と一之瀬は踵を返して円堂の家を目指した。
 一方、噴水の前に来た霧隠は手を捉えたまま水の中へ突っ込んだ。
「やめろって、自分で出来るから」
 手を離し、背を伸ばす霧隠。
「オレも行くよ。修行しなきゃ」
「修行?忍者のか?」
 水に手を入れた体勢で見上げる風丸。
「ああそうだぜ。なあ風丸、もし忍術が使えたらどんな術を使いたい?」
「うん?そうだな、素早くボールを掠め取る技かな」
「おいそりゃ風丸が修行中の技じゃないか」
 ちっとも術ではない風丸の願望。複雑な思いが絡み、二人の表情はぎこちない。
「では、さらば」
 胸の前で印を組み、霧隠は霧と化して姿を消す。
 風の速さで河川敷へ移動した後、木々へ飛び移る修行を始めた。修行はいつも、緑の多い河川敷や鉄塔、はたまた自宅通学が困難な引き抜き選手用に夏未が用意したマンションの部屋で精神統一を行う。
 今日の修行は一段と気合が入っていた。あの問いの答えは、風丸が欲しい術を言ったのなら“俺が使えるから”と答えるつもりだった。元々、雷門を勝利へ導く為に引き抜かれた身、雷門の風丸が望むのなら忍びの術を使っても構わなかった。
 誰かの為に術を使いたいと思ったのは、もしかしたら初めてかもしれない。
 なぜなら、伊賀島では誰もが術を使えたのでそんな感覚は生まれなかったのだ。
 初めて抱く感情はくすぐったく、落ち着かない。


 それから数日が経ったある日。天気の悪い日であった。
 放課後、霧隠が木の上で修行をしていると、川の方へ円堂と風丸が歩いていくのが見える。出来心で様子を覗き、耳を澄ませた。
「風丸、今度の日曜は練習無いだろ。何か予定ある?」
「いいや」
「なら、さ。日曜に隣町でサッカーの試合があるんだよ。一緒に行ってみないか?」
「え?」
 風丸の表情は変わらないが、雰囲気から嬉しさが伝わる。
「でも、良いのか俺で。サッカーの試合なら豪炎寺とか鬼道とか……」
「あ、いや、良いんだよ」
 手を振る円堂。彼は実に正直者だ。嘘や誤魔化しが苦手であった。
 恐らく、豪炎寺や鬼道に断られ、次に風丸を誘ったのだろう。しかし、風丸はそれでも嬉しかった。
「いいよ。行こう」
「この時間に…………で、待ち合わせ、な」
「わかった」
 二人は待ち合わせの約束をして、歩道へ戻っていく。
「ふうん」
 霧隠は一人呟き、木の幹に頭の後ろで手を組んで転がった。目を閉じれば、風丸の嬉しそうな表情が浮かんできて眼を開ける。
 こないだも、今日も、風丸は円堂の事だけで一喜一憂していた。風丸を揺り動かすのは円堂ばかりだった。自分に対してはいつも同じような感じだから、余計に霧隠は目に付いた。
 嫉妬めいた感情が湧き出そうになり、首を振るう。
 円堂の事は嫌いでは無い。寧ろ好きな方だ。雷門サッカー部は皆円堂が大好きだろう。けれども、霧隠は傍にいてくれる風丸の方に情がある。円堂の事は好きなのに、好きでいたいのに、胸がもやもやとしてしまう。
「なんなんだよこれ!」
 頬を思いっきり両手で叩く。
 気を取り直して修行に励んだ。雑念を振り払い、一心に頑張った。雨が降り出したが、無視して頑張った。
 ――――日に日に調子が悪くなり、とうとう日曜日に風邪で寝込んでしまった。






「げほっ、げほ。喉痛ぇ」
 ベッドで布団に包まり、咳をして声を出して喉を押さえる。
 ここは引き抜き選手が共同で住んでいるマンションの一室。霧隠の咳に気付いた千羽山からの選手が甘いジュースを持ってきてくれた。
「これ、飲むか?」
「ごめん……有難う……」
 身を起こして受け取り、ジュースを飲む。
 風邪の症状は熱と喉。頭がぼんやりとしており、気力が抜け切ってしまっていた。
 霧隠は思う。外の天気は快晴で気温も丁度良い。きっと風丸は円堂と楽しく試合観戦をしているに違いない。対してオレはといえば、こうして寝込み苦しんでいる。なんとも無様だ。
「あーあ」
 ジュースを飲み終えると、ベッドの下に置いて不貞腐れたように布団を頭から被って眠った。
「畜生」
 誰にも聞かれない程度の、掠れた細い声で愚痴を吐く。その内、うとうと眠りに入ろうとした時、こちらへ近付く気配を感じた。足音で誰かを感知するが、勘はありえない人物だと知らせてくる。神経を集中させて探り直す。だがどうしても彼以外ありえない。布団からそっと顔を出し、薄目で伺った。
「起きているのか?」
 ばっちりと目が合い、丸く見開く。相手は風丸であった。
「風丸……どうして……」
 身を起こそうとする霧隠を制し、風丸が横に座る。
「連絡が入ったんだよ、霧隠が高熱出したって。お前、最近がむしゃらに修行しすぎていたみたいだし、疲労が見えていたから……」
「でも」
 時刻的に円堂と約束していた試合の最中だ。二人の会話を覗いていたとは言えず、途切れてしまう。
「霧隠は忍者だから修行なんてのは特殊かもしれない。だけどな、俺たちは仲間なんだから一人だけ突っ走ったら駄目なんだぞ」
「……ごめん」
「しっかり休んで治すんだぞ。ゼリー買ってきて冷蔵庫に入れたから、調子の良い時に食べろよ」
「風丸」
 布団から手を出し、風丸へ伸ばす。
「おいおい、そんなに弱気になるなよ。きつい言い方だったらすまない」
 手を握り、困ったような顔で笑う風丸。
「違う。違うんだ。風丸……」
「うん?」
「……なんでもない……」
 とうとう言い出せなかった。
 どうして円堂との約束よりもオレの事を優先してくれた?などと――――。


 その約一時間前、待ち合わせ場所へ向かおうとしていた円堂の携帯にメールが入った。
 内容は行けない旨への詫びと、霧隠が熱を出したので見舞いに行って来るとの事だ。
「…………………………………」
 メールを眺めたまま、円堂は立ち尽くしていた。
 風丸の性格からいって、遊びの約束より病人を気遣うのはわかる。確かに理解できる。
 だが、衝撃を覚えていた。試合観戦の約束は風丸なら間違いなく行ってくれると思い込み、当然承諾してくれたというのに、当日に断られてしまった。長年の慣れ、親しい故への自惚れを一気に裏返されたのだから。
 仕方が無いのにどうにもならない思いが込み上げ、行き場を失って渦巻く。
 嫌な感情だ。いけない事だ。しかし心が上手く整理できない。










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