バケーション
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夜辺りから空を暗雲がたちこめ、雨が降り出した。朝になっても止まずに大地を濡らす。
雷門サッカー部の本日の朝練習は打ち合わせとなり、議題は主に“霧隠の術を戻す方法”だ。
しかし当の霧隠は姿を現していない。彼は河川敷で油を売っていた。
雨の日の川の流れは速く、濁っている。近寄る人などおらず、水の音だけが霧隠を包む。
今日もまた、意味の無い迷いばかりがぐるぐると頭を巡った。心の置き場所がわからない。目の前に映る川のように大きな流れに乗る事も出来ない。
「霧隠」
水に紛れて、名を呼ぶ声が聞こえた。振り返れば風丸が立っている。
困ったような顔をして、ぎこちない笑みで霧隠を見詰めていた。
「学校、行こう?……皆、お前の術をどうやって取り戻そうか考えてる」
「なんでお前が、風丸が来るんだよ」
唇を尖らせて言う霧隠。
「俺にはこんな事ぐらいしか出来ないし」
「なんでそんな言い方するんだ」
「ごめんな」
「なんで謝るんだ」
風丸の傘が傾き、表情が隠れる。
「お前の言う通りだよ。俺は円堂の力にはなれない。霧隠の力にもなれなかった」
「認めてんじゃねーよ!馬鹿かお前!怒れよ!」
風丸が傘を持ち直し、覗いた口元は弧を描いていた。
「なんで笑ってんだよ馬鹿!言いたい事あったら言えよ馬鹿馬鹿馬鹿!」
霧隠の喚きは治まらない。
「言ってくれなきゃオレも言えないだろ!そうしてくれなきゃ、ずっと平行線だろ!お前ともっと仲良くなりたいのにさ!!」
息を乱し、霧隠は走って風丸を通り過ぎていく。その横顔の耳は赤く染まっていた。
「……………………………」
風丸はぽかんと口を開け、霧隠の背を見据える。開けられた口が閉じ、再び薄く開いて呟いた。
「……馬鹿って言う奴が馬鹿、なんだぞ」
一方、サッカー部の部室では皆が話し合う中、キャプテンの円堂は窓の外ばかりを眺めていた。
「円堂」
「……………………………」
「円堂」
「……………………………」
「円堂っ!」
耳元で叫ばれ、さすがに我に返る。
「キャプテンであるお前が話し合いに加わってくれないと困るんだがな」
鬼道が腕を組んで眉間に皺を寄せた。
「ごめん。ほら、風丸がちゃんと霧隠を見つけ出せたかなってさ」
ははは。笑う円堂に夏未がぴしゃりと放つ。
「円堂くん。自分から持ちかけた割には乗り気じゃないのね」
「いや……その、霧隠は忍者だろ?忍者の事が俺たちにわかるのかなってさ」
しどろもどろに答える円堂。元からごまかしの苦手な彼のボロはすぐに剥がれ落ちる。
「円堂にしては随分と理屈を並べるんだね」
土門の言葉に思わず“うっ”と声を漏らした。
「キャプテン、まさか霧隠さんを伊賀島に帰したいなんて……」
「馬鹿な事言うなよっ」
壁山に返した声がつい通ってしまい、仲間の注目をさらに浴びてしまう。そんな円堂の肩を半田が軽く叩いてなだめた。
「落ち着けよ円堂。ピリピリすんな……って、今はフットボールフロンティア全国大会だから無理もないか?」
「そういえばそうね。大会もそうだけど、霧隠くんの一週間という期限も、私たち焦りすぎている気がするわ」
木野が半田に頷きながら言う。
「霧隠には安らぎが必要だったか?案外、俺たちにも必要なのかもな」
「なら、ここは一つパーッとリラックスでもします?」
「ふふふ……ではメイド喫茶にでも」
松野、音無と順調に話が進んだが、目金の案で揃って首を傾げる一同。
「俺たちはサッカー部だ。室内よりも外だろっ」
染岡が突っ込んでくれたところで、扉が開いて霧隠が入って来た。
「おはようございます霧隠さん」
「どこか行きたい場所とかある?」
「はぁ?」
宍戸に挨拶をされたかと思うと一之瀬から意味不明な質問をされる。
「一体、なに?」
「いやね、霧隠は雷門に来て日も浅いだろうからリラックスが必要なんじゃないかって話をしていてさ。俺たちも大会で緊張していたからいっそ皆でどっか行こうかってなったんだよ」
「ふうん……良いんじゃないか……」
霧隠の口元が綻んだ。彼の雰囲気に先日のような刺は感じない。
「な、霧隠はどこが良い?」
「そうだな。オレの故郷は山ばっかりだったから、海とかどうだ」
「海か!」
「良いね……」
さっそく半田と影野が賛同した。他の仲間たちも好意的な様子の中、風丸が戻ってくる。
「お待たせ。……霧隠は……もう戻っているな」
先に行った霧隠がいるのを確認してから、閉じた傘を綺麗にまとめだす。
「風丸」
霧隠が歩み寄って前に立った。
「なあ風丸、お前は海好きか?」
「うん?好きだぜ。最近、行ってないけど」
「そっか、良かった」
微笑む霧隠。言いたい事を吐き出してすっきりしたのか、表情が柔らかい。彼の変化に風丸も嬉しくなり、同じように笑ってみせる。
彼らの姿を見て仲間たちは“霧隠ならもう大丈夫だ”という安心を覚えていた。
だが、ただ一人円堂は硬い表情で二人を見据えている。数人、気付いている者はいたが、かけるべき言葉は浮かばず、見守るしか出来なかった。
次の日の放課後、雷門サッカー部は近場にある海へ向かう。
天候にも恵まれ、水着に着替えて気ままに楽しんだ。海に入る者、砂浜の砂と戯れる者、散歩をする者、それぞれ本当に好きなように遊ぶ。
円堂は仲間たちから離れた岩場に座り、水平線をぼんやりと眺めていた。
「円堂」
ぺたぺたとサンダルを鳴らし、風丸がやって来る。
「隣、座るぞ」
隣に腰掛け、息を吐いた。
「こんな所でどうした?海、嫌だったか?」
「いいや」
「皆、俺に"円堂はどこにいる"って聞いてくる。なあ、どうしたんだよ、一人になりたい気分なのか?」
「俺はさ、こうしていて一人じゃないんだって思ってる」
呟くように円堂は言う。
「今はたくさんの仲間がいるけど、ちょっと前までは定員もままならなくて部員集めに必死だった。風丸にはいつも相談に乗ってもらっていたな」
「ああ。そうだな」
「風丸がいてくれたのは嬉しかったよ。でもさ、悪いなって思っている俺がいて、いつか風丸の力を借りなくても大丈夫な俺になりたかった。自分で言うのもなんだけれど、そうなれるようになっているって思いたい」
「……………………………」
「そしたら、風丸との時間がすげえ減った。仲悪くなったんじゃないのに。違う部活だった時より遠い気がした。そんなのに気付いたのはついこの間だ。なあ……俺は間違っていたのかな……」
円堂が横を見て、風丸の瞳を覗き込んで名を呼んだ。
けれども口の形は違うものを示していた。
“霧隠”と――――。
「……………………………」
風丸の唇がゆっくりと弧を描き、瞳が瞑られて開かれる。
すると、視界が歪むように風丸は霧隠に姿を変えた。
「とりあえず、その……おめでとう……かな」
目を擦り、瞬きをして祝辞を述べる円堂。霧隠は見事に術を取り戻したのだ。けれども見破られたのがつまらないらしく、舌打ちをする。
「ちぇっ、いつ気付いたよ」
「足音や声、仕種も全部風丸だったけど、直感で違うって思ったんだ。たぶん、風丸が風丸過ぎたんだろうな。ここに来て欲しいなんて、都合の良い事を俺自身思っていたから」
「なんだよ、やけにお喋りなのな円堂」
「海が気持ち良いからだよ」
「そんなもんかねえ……」
足を伸ばした楽な姿勢を取る霧隠。
「違うってわかってて、なんで話すんだよ」
「風丸じゃないからかも」
「本人に言えよ」
円堂の答えを返し、霧隠は声を低くして淡々と語りだす。
「あのな、オレここ結構好きだぜ。稲妻町って良い町だ。円堂、元伊賀島のキャプテンからすれば、お前はよくやっていると思う。皆お前についていっているだろ、お前が間違いなんて言っちゃ駄目だ」
「有難う。稲妻町を気に入ってくれた事、風丸に話したらきっと喜んでくれるよ」
「そうだと良いな。オレは風丸のいっぱいの笑顔が見たい」
「いっぱいの、笑顔かぁ」
最近、声を出して笑う風丸を見ていない気がした。
自嘲の笑みがこみあげ、やがてやけのような本当の笑いとなり、霧隠もつられて笑う。笑いが揃えば胸の靄は晴れていく。
円堂の言う通り、海の気持ち良さが二人の固まっていた心を溶かし、ほどよく薄めて馴染ませていた。
そこへ二人の笑い声を聞いた風丸が顔を出し、“何か面白いものでも見つけたのか”と問う。
「特に何も無いぜ」
「こんな時間もたまには良いかなってさ」
「そうなのか」
風丸はくすくすと笑った。彼の笑みに、もっと笑わせてやりたい衝動が押し上げる。
「風丸もこっち来いよ」
「そうだそうだ、来い来い」
円堂と霧隠が手を伸ばし、風丸は小さく頷いて向かう。
二人の背にある空と海が眩しい。風丸を映す二人も、彼の青い髪がやけに眩しく感じた。
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