バケーション
- 3 -



 部室で風丸と霧隠は向かい合う。
 俯く霧隠に視線を合わせようと屈んで問いかけた。
「霧隠。知り合いとか、術が使えなくなった話なんて聞いていないか」
「少しは」
 呟くように霧隠は言う。
 確かに術が使えなくなったのは生まれて初めてだ。しかし、忍者の中で前例が無い訳ではない。
「どんな風になると使えなくなるとか、治す方法とか聞いた事は」
「……………………………」
 覚えがあるのはあくまで迷信のようなものや、仲間の間での噂のようなもの。ありえないものやくだらないものばかり。例えば思春期真っ盛りの学生の間では“人を好きになると使えなくなる”という話が今も昔も盛り上がる。
 冗談めかして言ってやりたいのに、言葉が上手く紡ぎ出せない。
 あんなに“ありえない”と馬鹿にしていた噂は、別の視点から見れば真実のような気もしてくる。
 “人”とは周りにいた戦国伊賀島の人々ではなく“普通の人間”を指すのかもしれない、と――――。
「……………………………」
 霧隠の真紅の瞳が風丸を映す。見詰め返してくれたのに気付いた風丸は薄く笑う。
 その微笑みに心が安らぎそうになるのに、胸は切なくなるばかり。
 風丸の事は好きなのに、稲妻町も雷門も想像よりも素晴らしいのに、苦しい。
「霧隠?」
 風丸が瞬きをさせる。
 霧隠の目が細められた。
 本心を吐き出せば風丸はどんな顔をするだろうか想像する。悲しい事を言うなと一緒に悲しむのだろうか。にこにこ笑って励ましてくれるのか。相手の事ばかりを気遣って、負担をかけさせてしまうだけだ。
 忍術で風丸を助けてやろうと思ったのに、それさえも使えない。
 歯がゆさに奥歯を噛み締め、一言吐く。
「少し、一人にさせてくれ」
「わかった」
 突き放したような言い方に、僅かに困った表情をするものの風丸は霧隠から離れた。背を向け、部室を出ようとした風丸に霧隠は放った。
「オレの問題だから、心配するなよ。オレ一人で大丈夫だし」
「ああ」
「だいたい風丸は心配しすぎ。あのな」
 溢れてくる言葉は止まらなかった。


「円堂の力になれないからって、オレに引っ付いてんなよ」


 一度口に出した言葉は引っ込められない。
 霧隠は振り返り、風丸を見る。風丸も霧隠の方を向いており、視線が交差した。
「なんだよ!ホントの事だろ!」
「……………………………」
 喚くように叫ぶ霧隠に対し、風丸の態度はぞっとする程冷静であった。
「それこそ俺の問題だ」
 しかし、声は震える。口を閉ざす風丸はとても悲しそうな目をして部室を出て行った。
 風丸がグラウンドへ戻る頃には練習は丁度終わり、仲間は霧隠の様子を彼に聞いて部室へ帰っていく。
「風丸」
 円堂が手を振りながら歩み寄る。
「こっち来ないのかと思っていたよ」
 笑みを形作っていた口元がぎこちなく固まった。表情を見れば分かる。風丸に元気が無い。
「どうした?霧隠の様子、そんなに悪いのか」
「いや……俺じゃあわからない」
「そっか。あいつ忍者だもんな。焦っても仕方が無いし、明日皆で考えよう。風丸一人が考え込む事は無いんだからな」
「霧隠にも同じような事、言われた」
 自嘲気味に風丸は言うと、円堂の眉が潜められた。
「霧隠に酷い事でも言われたのか」
「大したもんじゃない。あいつ、忍術使えなくなって気が立っているんだろうさ、きっと」
「言われたのは確かなんだな」
 円堂の声色が変わる。落ち着いた、低めの音は彼が静かに怒っている証拠。風丸は焦ったように擁護しようとする。本気で怒った円堂はとにかく手が付けられないのだ。
「円堂、あのな、霧隠を」
「なんでだよ」
 放った後に“あ”と声を漏らして円堂は自分の口を手で押さえた。視線を忙しく彷徨わせ、胸を軽く叩いてから普段の口調に言い直す。
「なあ、なんでそうやって霧隠の肩を持つんだよ」
「それは」
「昨日だって夕方二人で見舞いに行けば良かっただろ」
 昨日から胸の中に蓄積していた不満を吐く。
「なあ、なんで」
 円堂の瞳が風丸を射抜いた。
 彼の責めの矛先は霧隠から風丸へ標的を変える。
「だって、あいつは霧隠はここに来たばかりだし、突拍子も無い無茶やらかすし、なんか放っておけないんだよ」
 風丸も円堂を見据えて放つ。
「昔のお前みたいで」
 口を噤み、視線をそらした。
 言ってしまった後で“何を言っているんだろう”と後悔する。
 風丸が言いたかったのはあくまで“突拍子も無い無茶をやらかす”所が似ていると思っただけだ。なのになぜか“昔”を付け足してしまった。
「……………………………」
 円堂は薄く唇を開き、呆然としている。
「その、違うんだすまない。円堂、その……」
 風丸は詫び、円堂に手を伸ばそうとした。その刹那――――。


 どろん!二人の間に煙が噴き上げ、中から人が現れる。
「お、お前は!」
 円堂と風丸は同時に指を差し、叫ぶ。
「百地!」
「久しぶりだな、雷門」
 覆面の奥の瞳が光る。百地は戦国伊賀島三年のGKだ。
「霧隠が忍術を使えなくなったようだな」
「なんでそれを」
 あっさりと放つ百地に、再び円堂と風丸は声を揃える。
「伊賀島の忍術は危険なもの。霧隠を里から出しても監視はさせてもらっていたのだ」
 百地は円堂と風丸を交互に見やり、腕を組んだ。
「霧隠の忍術は、恐らく環境の変化によるものだと監督が言っていた。その内慣れてくれれば良いが……」
 喉を鳴らし、彼は続けた。
「一週間経っても変化が無ければ霧隠を土地に合わなかったと判断して、伊賀島へ送還させる」
「そんな!」
 風丸が声を上げる。
「俺とて心苦しい。霧隠は都会に憧れていたからな。だが伊賀島の者は普通の人では無い。忍術の使えない忍者は元から使えない者より脆く不安定だからな」
「なら、どうすれば霧隠を」
「……あくまで俺の考えだが、ここに霧隠が安らぎを感じられれば……。俺からも頼む。霧隠はお前たちに引き抜かれた時、とても嬉しそうだった。本人が望む限り、ここにいさせてやりたい」
 覆面の奥で百地は目を細めた。突然姿を現した彼の意図を円堂と風丸は察する。
「では、俺は行く」
 百地は口元に指を添えて姿を消した。
「円堂」
 名を呼ぶ風丸の声に、円堂は内心構えてしまう。
 事態は理性ではわかっていても、本心は霧隠の為に必死になる風丸を見たくは無い。
「俺からも頼むよ。円堂」
「頼むって……」
 まさかお願いされるとは想像も出来ず、円堂は言葉を詰まらせてしまう。
「俺、伊賀島から来た霧隠に稲妻町に早く慣れてもらおう、好きになってもらおうって積極的に接して来たけど、駄目だったみたいだ」
 唇を噛む風丸。そんな表情を円堂が見たのは小学校以来だった。
「駄目だなんて言うなよ。風丸のせいじゃないだろ」
「有難う。でもさ」
 俯き、頭を振る。
「ごめん。円堂が言った通り、明日皆で考えような」
 顔を上げて笑って見せて、風丸は部室へ駆けて行った。
「……………………………」
 そんな風丸の背を円堂は見つめるしかできない。
 二人向かい合って話したはずなのに、何もかも上手く言えなかったような気がする。付き合いは長いはずなのに、喧嘩などしていないのに。近付こうとすれば近付こうとするほど距離を離していく。
 関係の崩壊の予感に不安が募った。






 一方、霧隠は一人着替えて帰ろうとした時、伊賀島の者の気配を感じて校舎裏へ回る。
「いるんだろ」
 壁に同化していた初鳥が姿を現した。
「術が使えなくてもわかるのか」
「なんだよ、使えなくなったオレを笑いに来たのか」
「落ち着け。そんな事の為にわざわざこんな遠くまで来るか」
「一体、何の用だ」
 霧隠の口調は刺々しい。気持ちはわかるが、せっかく久しぶりに会えたのに初鳥は残念な気分だった。
「何の用って、霧隠お前わかっているのか。術が使えなくなったんだぞ。術があってそれを合わせたサッカーの技術があったから引き抜かれた……」
「つまり、今のオレはここにいる資格が無いんだな」
「そうだ。監督は一週間と言っていた。それまでに取り戻せるように……」
 何が何でも頑張れ。そう続けようとした初鳥の唇が硬直する。
 霧隠が顔を曇らせ、唇を尖らせて呟いたのだ。
「……帰っちゃおうかな」
「何を。あんなに都会に行きたがっていたじゃないか」
「そうだけどさ。理想と現実って奴?」
 自嘲気味に口の端を上げ、霧隠は頭の後ろで手を組む。
 初鳥は無意識に頭を振るっていた。記憶の限りでは、霧隠はあんな風に笑わない。
「ここはさ、窮屈だよ。それに風丸に酷い事言ったんだ……会いたくないよ。明日なんて来なけりゃ良いのに」
「……ふざけんな」
 拳を握り、初鳥は唇を振るわせた。霧隠が目を丸くさせる。その初鳥の表情も初めて見るものだった。
「伊賀島を逃げ場所にすんな。お前なんか帰ってくんな」
 霧隠を睨みつけ、大きく後ろへ跳んで初鳥は空へ消える。
「なんだよ。帰らせるとか、帰るなとか」
 すう。息を吸い込んで初鳥が消えた空に叫んだ。
「オレはどこへ行けば良いんだよ!」
 返事は返って来ない。ざわめく風の音だけが耳をかするだけであった。










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