故郷の空
- 後編 -



 息を吸って、吐いて。霧隠は風丸の名を呼ぶ。
「風丸」
 赤い瞳は揺らぎながらも、風丸を捉える。
「お前の気持ちはわかる。だがそれは、とても難しいものだ」
 己の手を開閉させて、握り締めた。
「オレは伊賀島の里に生まれ、忍者として育ってきた。修行をたくさんして、多くの術を学んできた。なのにだ…………」
 半眼になり、俯く。
「霧隠?」
 風丸の視線を感じながら、霧隠は思う。
 ――――こんなにも近くにいる彼を、救う手段を持ち合わせていない。
「なあ、霧隠」
 霧隠と視線の高さを合わせるように、風丸も俯く。
「お前の言いたい事は俺だってわかっているよ。俺たちがやろうとしてる事は、本当に難しい」
 でも。囁くかのように続けた。
「あいつが、やるって決めたんだ」
「…………………………………」
「あのさ、俺たちは朝起きるだろ。それは太陽があって、明るい内に活動をするように身体が出来上がっているんだ。だから、だからさ」
「お前は円堂と戦うのか」
 放たれる図星に、風丸はやや驚いた反応を見せる。
「ああ……でもさ所詮、口だけなんだよ」
 膝を抱え、はは、と自嘲めいた笑みを零す。
「最近、円堂と話すとイライラしちゃって上手くいかない。理想が高いだけで、エイリアの被害は広がるばかり。俺はたぶん、自分の不甲斐なさにイラついてるんだろう。円堂にとばっちりをさせたくなくて、早めに話を切り上げちまう」
「…………………………………」
「どうしてさ、上手くいかないんだろう。昔は出来ていたはずなのにさ……」
 はぁ。大げさなリアクションをとる風丸。
「昔が、恋しいのか」
「そうだな。出来ればさ、帰りたいよ。なにもない、退屈だった学校生活に、さ」
「…………………………めてくれ」
「え?」
 顔を上げ、風丸は瞳を瞬かせて霧隠を見詰めた。
「やめてくれと、言った」
 霧隠も顔を上げ、二人の視線が交差する。
「風丸が嘆くほど、悪い事ばかりじゃない。なあ風丸、この里をどう思う」
「霧隠が育った場所……お前らしいって思う。空気が美味しいし、俺は好きだな」
「……良かった」
 吐かれる息が、安堵したかのように柔らかい。
「オレの家に、里以外の人間を連れてきたのは風丸が初めてなんだ」
「そうなのか。なんだか悪いな、俺みたいなのが第一号で」
「卑下するな。オレは、その、第一号は風丸がいいと思っていた。だから、だ」
 ――――昔に帰りたいだなんて、やめてくれ。
「あ……」
 視線をさけ、少しだけ照れたように呟かれた霧隠の言葉に、風丸は目を丸くさせた。
「霧隠。変な事を言い出して悪かったな。俺は今を頑張って戦うよ」
「謝るな。気にせず話せ、オレは」
「うん?」
「いいや……オレの方こそすまない。今日はお喋りになった」
 急にぼそぼそとした喋りになる霧隠に、風丸もどこか安堵したような表情に変わっていた。
 それからしばし二人で夜空を眺めて家に戻り、やがて夜が明ける。






 早朝、宿舎前に雷門は集い、霧隠が百地と共に練習場へと連れて行く。
 木々で覆われた自然のトンネルを抜けた先に、グラウンドがあった。
「百地先輩」
「!」
 霧隠が頷けば百地は印を組んで解き、サッカー用のゴールが出現する。
「幻術で隠してたんっスね」
「盗難防止だ」
 目をキラキラさせた壁山に、霧隠は地味な現実を正直に言う。
「では皆、紅白戦をしましょう」
 瞳子が選手全員に届くような声で放った。
 チーム分けをし、準備体操を行う中で円堂が風丸に話しかける。
「昨日は眠れたか」
「ああ、まぁな。円堂は?」
「熟睡だよ」
 二人とも、眠れずに夜中に目覚めたとは告げなかった。
「霧隠とはどうだった」
「どう?」
「ほら、ここはあいつの故郷だし、忍者だし」
「円堂どうしたんだよいきなり。お前がそんな事言うなんて」
「そうだな……」
 ごめん、なんでもない。円堂は被りを振るって愛想笑いを浮かべる。
 昨夜の百地の言葉を、少なからず気にしていた。
 ――――我ら忍びはエイリア学園と紙一重の存在。人とは相成れない。
 円堂自身としては百地にも言った通り、彼らはエイリアとは違うと思っている。しかし、だ。風丸はどうなのだろうと知りたかった。
 話を終えて、背を向ける風丸の肩を円堂は掴む。
「どうした、円堂」
「なあ、俺たちは分かり合えると思うか」
「円堂、お前はそう思うんだろう?」
 こくん。円堂は小さく頷く。
「だったら、きっと上手くいくよ。俺はそう信じている。そうなるように」
「ん?なんか言いかけた?」
「なんでもない。俺は先行くぞ」
 風丸は手をひらひらさせて、準備を終えた仲間たちの所へ駆けて行く。
 ――――そうなるように、俺はお前と頑張りたい。
 決意は秘めたままに、胸に仕舞った。


 紅白戦は四対四のサッカーバトルで行われ、一試合目は円堂、風丸、壁山、栗松と、吹雪、霧隠、一之瀬、鬼道で試合開始となる。
「今更でやんすが、これ酷すぎでやんす」
「栗松くん、貴方がそういうだろうと思ったから、あえて選んだわ。どんな状況においても乗り切れる戦いを私たちはしなきゃならないのよ」
 さっそく不平を口にする栗松を一蹴する瞳子。
「監督のおっしゃる通りだ。円堂にばかりゴールを任せる訳にもいかなくなるかもしれない」
 鬼道がゴールでグローブを深く嵌めながら、両手を前にかざす。
「そうだね。僕たちはいつだって、パーフェクトじゃなきゃいけない」
「供えあれば憂いなしだ」
 DF位置にいた吹雪が一気に上がり、一之瀬と二人がかりで壁山からボールを奪って霧隠にパスをした。
「風丸、取ってみろ!」
「言われるまでもない」
 挑発に風丸が疾風の走りで霧隠の前に立ちはだかり、二人はボールの奪い合いをする。
 霧隠は目で風丸を捉えながら、足で彼の足から器用にボールを触れさせないように扱う。
「くっ」
 顔をしかめた風丸の隙を逃さず、霧隠はひらりと身体の向きを変えて抜かした。
「行かせるか!」
 背後から助走をかけてスライディングを浴びせる風丸。霧隠は動じずに飛び上がってかわす。着地は足の崩れがなく、流れる動作で栗松も抜かした。
「来い!霧隠!」
「ああ!」
 構えをとる円堂に、霧隠は必殺技を使わずに渾身の力をこめてシュートを撃ち込んだ。
 バン!広げられた手から全身へ衝撃が伝わってくる。
 ボールから、霧隠の思いが胸に響いてくる。
 頑なな意思を感じ取った。それは自分と波長のようなものが似ている気がした。
「…………いいシュートだった」
 受け止めたボールを抱えて、霧隠に握手を求める。
 霧隠は少しだけ戸惑いながら手を伸ばした。
 交わされる手と手。じんわりと伝わる体温。溶け合うような、人の肌。
「あ」
 握られた手を見下ろしていた円堂は顔を上げた。
 霧隠の意志を受けた、俺たちちょっと似ているかもしれないと言いたかったのに、声が出なかった。
 “似ている”という感覚が、決していいものではないと、直感してしまったのだ。
 心よりも、本能がそう判断したのだ。










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