北風が顔の表面を冷やし、身体の内側へと徐々に浸透させていく。
 冷え切った空気に、耳は凍ったように音を捉えない。
 円堂の見開かれた瞳の先には風丸が立つ。
 雲一つない晴天の下、白銀の世界で二人は向かい合っていた。
 すぐ手を伸ばせば届くはずなのに、腕は上がってくれない。
 すぐ声をかければ届くはずなのに、唇は固まって機能をなさない。
 円堂を見据える風丸の瞳は、苦しみを秘めて虚ろ。半眼に伏せられ、半信半疑の揺れる思いがこめられていた。
 円堂が動き出せぬまま、風丸は目を伏せ、背を向ける。



故郷の空
- 中編 -



「円堂」
 不意に呼ばれて、円堂は我に返った。
 無意識に俯いていた視線の先には、具沢山の汁物が湯気を立てている。汁の表面に映る己の顔は、頼りなく感じた。
「どうした。不味かったか」
 顔を上げれば、ちゃぶ台の向かい側に百地が正座して座っている。
 外は暗く、室内の明かりが暖かい色で照らす。
 本日、雷門は伊賀島の里に厄介になり、円堂は百地の家に泊めてもらっていた。
「ちょっと考え事をしていたんだ。上手いよ、この野菜のゴロゴロした感じ、母ちゃんの肉じゃがを思い出す」
 ちゃぶ台に並ぶ料理は夕方、百地と買い物をして彼が作ってくれたものだ。あっさりとしながらも飽きの来ない、純和風の味付けがされている。
「考え事、か」
「うん」
「円堂。お前は雷門のキャプテンを務める男。悩みも多いだろう。この里にエイリアの脅威はない。気持ちを緩めよ」
「有り難う」
 円堂は礼を言い、頭で先ほど心を支配していた思いを反芻させた。
 それは北海道での出来事。エイリア学園、ジェミニストームに対抗すべく特訓を積む中、風丸と言い争いになった。円堂は途中まで冷静だったが、風丸が“神のアクア”を使おうなどと言うものだからこじれてしまった。その事をずっと引っかけている。風丸の気持ちもわからなくはない。けれども自分の気持ちもわかって欲しい。もっと上手いやり方はなかったのか、と――――。
 あれから、風丸とどうもギクシャクしてしまう。
 しっかり話し合いたいが、時間もなく、余裕もない。その間に、風丸は瞳子から聞かされるエイリア学園による被害情報に心を痛め、焦り、疲れている様子だった。
 エイリア学園襲来により仲間が入院し、人員も揃わないまま旅立ったイナズマキャラバン。こんな状況だからこそ、今居る仲間と心を通わせたいのに、理想が先走り、空回りする現実に落胆している。
「…………………………………」
 黙々と飯を食べる円堂の姿を、百地は密やかに観察をしていた。
 平然と装っても、心の揺れは手に取るようにわかってしまう。だからといって、円堂の問題にどうもしてやれない。いっそなにも知らず、一緒に無邪気に食べてやった方が互いの為のような気もした。
「…………円堂」
「ん?」
「ウチの霧隠が世話になっているが、どうだ」
「とても助かっているよ」
 円堂は百地を安心させるように、口元を綻ばせてみせる。
「そうか。伊賀島の者が人間と上手くやれているのか、心配でな」
「チームには溶け込めていると思う。ほら、風丸とも仲がいいし」
「風丸。疾風の風丸か……」
「それと、伊賀島も人間だろ?宇宙人じゃないんだからさ」
「そうだな」
 ふ。百地の口から、息が漏れる。笑ったのか、それともため息なのか、わかり辛い。


 それから食事を終えて、風呂に入ってから敷かれた布団の中で眠る。
 けれども円堂は寝付けず、仰向けでじっと天井を眺めていた。
「…………………………………」
 百地は眠る時も覆面は外さず、上半身を起こして円堂の背を揺らす。
「円堂。少し外に出るか」
 円堂はすぐさま起き上がる。それが返事だった。
 夜風に身体を冷やさないように簡単な上着を羽織り、二人は家を出て散歩をする。人気はなく、自然のかもし出す静寂の気配は荘厳としていた。
「円堂。少し、里の話をしようか」
 独り言のように百地は呟く。
「この里は、元来閉ざされた地。外部からの接触を避け、忍びの術を高めて巣立っていく。我々は己の技術を過信していたのだと、校長の伊賀島は言っていた。そんな伊賀島にある時、己の忍び人生を揺るがす存在が現れたのだ。それが雷門、お前たちの伝説であるイナズマイレブン。それから伊賀島はサッカーを始め、サッカーというルールを元に勝利を目指した」
「サッカーというルール……」
 円堂は雷門に襲来したレーゼの言葉を思い出す。サッカーという秩序の元に、征服をすると。
「我ら忍びはエイリア学園と紙一重の存在。人とは相成れない」
「それは違う!」
 円堂は百地の前に回り込む。
「伊賀島はそりゃ秘伝書を盗もうとしてきたけれど、お前たちはサッカーが好きだろ。サッカーを破壊の道具になんか使わないだろ」
「円、堂」
 百地が息を吐くように言う。その刹那であった。


「え」
 天地が反転し、片足が意思とは関係なく浮く。足払いをかけられたのだと察するより早く、月明かりに百地の指先が煌き、眩さに瞳が目を細め、一度瞬かれて開かれれば見下ろされていた。


 自然と生唾を飲み込んだ喉が、あてられた金属に気付く。
 それは一瞬の間だった。
 瞬きさえも追いつかない、息つく暇もない。
 足を掛けられ、倒され、馬乗りに跨れて、首を狙われる。
 円堂の身体は石にでもなってしまったかのように動かない。動けないでいた。
「賢明な判断だ」
 どこから発せられたのか、まるで脳天から鳴るように百地の声がする。
 彼の覆面から覗く素肌は宵闇より深く、動いているだろう眼球は気配を感じるだけなのに本能が危険信号を発して身を竦ませる。
 円堂の感じている金属は、百地の袖口より取り出された針であった。
「わかるか」
 針の当てられた箇所が、どくどくと脈打つ。
「ここに、太い血管がある。俺が少し力を加えるだけで、血の海になるだろう。針といえども、刺し方でどうにでもなる」
「…………………………………」
 円堂の瞳は緊張で目元が痙攣を起こす。
「だが円堂。ここで必要なのは技術ではない。決意なのだと思う。俺は現に、この一線を越えられない」
 針が首の肉から離れ、仕舞われる。
「円堂。隙は見せるな。隙につけ込む悪意をお前は知らなすぎる。お前の相手は普通じゃない」
 百地は円堂の身体から降り、立ち上がった。
 円堂も起き上がり、襟元を正して深呼吸をする。しかし、難が去れば表情はけろりとしていた。
「円堂、わかっているのか」
「わかっているよ。百地が俺の事を考えてくれたって」
「円堂」
「わかってる」
「…………………………………」
 百地の溜め息が夜風に溶ける。






 同じ夜空の下、星を眺める瞳があった。
「…………………………………」
 風丸は頭の後ろで腕を組み、楽な体勢で空を見上げている。
 彼も円堂と同様、眠れない夜を過ごしていた。一人霧隠の家を出て、適当な木の上を登って転がる。
 一人きりの静かな夜。未来よりも過去を振り返る気持ちが強い。
 栄光をがむしゃらに目指していた頃が、随分と昔のように思う。あの頃は、なんでも出来ると信じていた気がする。どんな苦難でも、どこかでなんとかなると信じられていた気がする。
 だが、今は――――。
 無力さばかりを痛感させられるばかりだ。
 頑張っているのに、考えているのに、本当にどこまでもどうにもならない。
 風丸は片腕を上げ、手をかざしてみせる。
 ちっぽけで、頼りない。この手は、なにかを掴めるのだろうか。零していくばかりなのではないだろうか。
「…………………………………」
 なにも、見えない。
 わざとらしい、自虐めいた息を吐き、下ろそうとすると霧隠が上がってきた。
「ここにいたか」
「ああ」
 腕を下ろし、相槌を打つ。
「眠れないのか」
「ちょっとな」
 霧隠は風丸の傍にある太い枝に腰を置く。
「霧隠。伊賀島に帰ってきてどうだ?」
「エイリア学園のニュースばかりでざわついているが、いつもの里だと思う。どうした、稲妻町が恋しくなったか」
「わからないんだ。帰っても、そこに俺の居場所はない気がする」
「どうして」
「俺は戦えるからさ」
 霧隠のこめかみが、微かにひくついた。
「風丸。お前はエイリア学園を倒したいのか、それとも追い払いたいのか」
「違いがわからない」
「エイリアを追い出すだけなら、戦わずに済ます方法もあるかもしれない。風丸、お前は自分で自分を追い詰めていないか。なにか証を求めていないか」
「証?」
「お前がエイリアより強いという証だ」
「…………………………………」
 風丸は上半身を起こし、霧隠を見据えてくる。
「霧隠、俺は学校を破壊されて身をもって知った。奴らに話し合いなど通じない。俺たちには勝つしか道はない」
 瞳は揺るがず、まっすぐだった。強い、あまりにも強すぎる頑なな意志が伝わってくる。
「俺は、速く、強くなりたい。皆を守りたいんだ」
 霧隠の上唇と下唇が間を空けるが、声は発せられない。
 頭に思いついていたはずの言葉は、かき消されて失われた。










Back