このままではいけない。思いだけがくすぶるばかり。いっそ、どうでも良いとも割り切れれば良いのに。
変化
- 前編 -
放課後になると、各運動部は練習を始める。楽しそうな声、気合の篭もった声、踏み鳴らす足。校舎の周りを活気に満ちた音が包む。
しかし、サッカー部は人数不足でだらけた部室待機をしていた。外とは異なる、ゆったりしながらも堕落した空気が漂う。一人元気なキャプテンはおらず、どこか走れる場所を探して個人特訓に励んでいる。
「あふ……」
半田は生あくびをして、雑誌のページをめくった。
床に座って壁に寄りかかって読む体勢は、初めごつごつして心地悪いが慣れればどうという事は無い。
「おーい!」
バンッ!勢い良くドアを開いて、キャプテン・円堂が戻って来た。
「皆、サッカーやらないのか」
「こんな数で何をしろと……」
ドアの近くにいた少林が答える。
「なら出来る事を相談しよう」
「空しくなるだけですよ」
溜め息混じりに宍戸が言う。
元気な声と抜けきった声の応酬の中、半田が横を通って部室を出る。ユニフォームはいつの間にか制服に着替えられていた。
「半田、帰るのか」
円堂が振り返り、呼び止める。
「ああ。もう時間だろ。お先に」
「ボールくらい蹴っていけば良いのに」
「俺は円堂と違って、一人遊びは苦手なの」
「そうか。じゃ、明日」
厭味に動じず、円堂は手を振った。半田も軽く手を振り、去っていく。
「半田さん、この曜日はいつも早いっすね」
壁山の言葉に、円堂含め皆で斜め上を見上げて“そういえばそうだ”と気付いた。
「あの噂、本当でやんすかね」
「もったいぶらずに言えよ」
「あくまで噂でやんすけど、彼女がいるって」
「彼女ぉっ!?」
栗松を中心に、驚愕する一同。
「半田さん、勝ち組だったんですね」
「けっ」
羨望する宍戸の隣で、いかにもくだらないと言わんばかりの染岡が腕を組んだ。
「あくまで噂でやんすよ」
「前にそんなようなの、言っていた覚えがある」
囁きあう栗松と宍戸。二人の隣においてある籠に円堂はボールを戻す。
「半田に彼女か。サッカーっていう恋人がいるのにな」
「そりゃ、円堂さんは……」
はは。少林が苦笑して、この話題は終わった。
一方、半田はというと駅前の改札口の横で行き交う人を眺めていた。
ある女生徒が出てくると、半田は歩み寄り小さく“よお”と挨拶をする。
「この間は、ごめんな」
会うなり詫びる半田。
「なんで悪いか、わかってる?」
「え、いや……」
返す彼女に言葉も無い。
「それはそれとして、どっか入ろうよ」
「ああ」
駅前を軽く見回し、方向を決めた彼女の後を半田はついていく。
この女生徒こそが、部室で噂になった“半田の彼女”だ。
二人は小学校の元同級生で、中学に上がると彼女は電車で数駅先の別の学校に入った。連絡を交わす内に付き合いだした。
手近にあったファーストフード店に入り、二人席で向かい合って座る。
交わされる内容は学校の出来事、テレビ、遊びに行く予定などの雑談。特に彼女は学校生活が充実しているらしく、よく話してくれる。忙しそうだが、満ち足りた輝きを感じる。
「ねえ半田くん、サッカーどう?」
「……うん……」
またその話題か。そんな心中を誤魔化すように、ストローをくわえた。
「言ったろ。人数少ないんだよ」
「知ってるよ。それからどうしてるって聞いてるの」
「どうもしないって」
ふー。自然と溜め息が出る。
二人の思い出が詰まっている小学生時代。半田は夢中にボールを追いかけ、彼女にサッカーの話ばかりをしていた気がする。だが今は、楽しかったからこそ逃げたい気持ちになっていた。しきりに話を振る彼女も、半田を苦しめるつもりはないだろう。半田が好きだからこそ、好きなサッカーを気にかけて話を振ろうとしている。
「あ、そうだ……」
彼女の興味がある話題に切り替えた。
嬉しそうに笑う彼女。本当に楽しそうに話すものだから、半田は斜めを向いて相槌を打った。いつからか、正面を向き辛くなっていた。眩しくて、目を細めてそらしたくなるのだ。
二人ともお互いを好きだろうし、こんなにも近くにいるのに。どこか寂しさを抱いていた。うかつに入り込まれると痛いし、苦しくなる。擦り傷のようにちくちくするのだ。
鏡は見ていないが、半田は思う。俺は詰まらなそうな顔をしていると。彼女には、詰まらない男に見えているのだろうと。笑う彼女が魅力的だからこそ、卑屈に心は歪む。
「ねえ半田くん。他のスポーツってどうなの」
不意に彼女は問いかけた。
「スポーツは全般好きだけど、どれも飽きっぽくて」
「そんなだから中途半端って言われるんだよ」
半田の性分か、彼は良く家族友人に“中途半端”と注意されたり、呆れられたりする。最近になって彼女も言ってくるようになった。漸く恋の盲目が薄らぎ本性を知ってきた、とも捉えるべきか。
「やっぱりサッカーが一番なんだ」
「どうかな……このままやっていても何も始まらないし、やめちゃおっかな……なんて……」
声が頼り無さそうに細くなる半田。彼女の顔色を伺いながら、瞳は彷徨った。
「そう、なんだ」
彼女はおかわりをしてくると告げ、席を立つ。
半田は突っ伏し、横を向いて窓の外の景色を眺めた。
やるせない日々の中、心の奥に沈殿していた思いをとうとう吐き出してしまった気分だ。言ってしまった後で、どうして言ったんだろうと後悔する。言って、彼女にどうして欲しかったのだろうか。怒るか、泣きそうになるか、半田がしたくても出来ない感情を露にして欲しかったのか。
いざ吐き出せば、いらない心配をかけてしまっただけだった。
彼女の話を聞くだけ聞いて、自分の話をすれば傷付けている気がする。
ふと視線を動かせば、自分のコップから水滴が浮いて流れ出していた。時間が経てば湧き出して、だらだらと流れていく。まるで、二人の関係のようだった。熱くもなく、冷たくもなく、ただ流れ行く。誰かが拭き取ってくれるまで、流れ続けるのだ。
店を出る頃には外は暗くなっていた。つい話し込んで、油断するとこうなる。
「じゃ、そろそろ帰るね」
「途中まで送るよ」
学校は駅通学だが、彼女の家は雷門の住宅街にあった。
駅から遠ざかれば人は少なくなり、辺りが静まってくる。言葉を交わさなければ、さらなる静寂が覆う事だろう。
「ここで良いよ」
十字路の電柱の前で立ち止まる彼女。
「お前、頑張れよ」
彼女に励ましを送り、背を向ける半田。
だが彼女は手を伸ばして半田の腕を掴んだ。
「どうした?」
「今夜は帰りたくないの……」
「いっ?」
薄闇に上気した頬が浮く。
「家……そこじゃん」
「もっとマシな事言ってよ」
「んな事言われてもだな」
彼女は腕を解放し、鞄を前に両手で持った。
「ねえ、半田くんも頑張ってよ」
「…………………………」
どう頑張れと言うんだ。喉奥に溜めて口をつぐむ。
「ねえ、終わっちゃうつもり?」
彼女の声色が変わった。表情はよく見えない。
「半田くんさ、中途半端って言われるけど、諦めも悪いよね」
「…………………………」
「この話題、嫌がられてるのわかってるよ。でもさ」
「なら、言わないでくれよ」
「……そうだね」
二人、謝り合うように俯く。
「…………………………」
「…………………………」
かける言葉が出せず、軽く挨拶をして別れた。
静かな夜道を一人歩みながら、半田はしきりに前髪を弄っていた。触れながら、どうすれば良かったのかを考えている。
彼女の言いたい事はわかる。彼女はちっとも悪くない。
だが正しいのは、耳が痛い。嫌になってしまう。
このままではいけない。思いだけがくすぶるばかり。いっそ、どうでも良いとも割り切れれば良いのに。
中央に立つ魂の置き場は弥次郎兵衛のよう。錘に振り回され、持ち主が飽きるまで揺らされ続けるのだ。
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