俺にも、出来ることがあるかな。
変化
- 後編 -
突然の出来事であった。
ついに下される廃部勧告。廃部を賭けた帝国との試合。急遽揃えられたメンバー。そして、転校生・豪炎寺の奇跡の一撃――――
何かのスイッチが入り、運命の歯車が作動し、回りだす。
まるで来るべき時まで眠っていたかのように。
空気が変わり、意識の変わりゆく息吹を半田は予感した。
帝国戦の後、半田と同じ部室待機……正直に言えばふてくされていた染岡が、俄然やる気になって練習に励みだす。急変に驚く仲間たちの中で、キャプテンの円堂は素直に喜んでいる様子だが。
学校のグラウンドは使えないので、河川敷のグラウンドを使わせてもらう事にした。
「お疲れー」
この日の練習を終え、帰っていく仲間たち。半田も荷物を持って帰路を歩みだした。
「…………………………」
不意に半田は立ち止まり、振り返る。
誰に呼ばれた訳でも、忘れものをした訳でもない。
視界の先には、染岡と円堂がまだ残り、特訓をしている姿があった。
「…………………………」
見えない力に胸がぎゅっと掴まれ、息苦しくなる。
このままではいけない。ずっと抱き続けた思いが、速まる鼓動となって騒ぎ出す。
円堂と染岡は毎日練習後に特訓を行っていた。
半田はその度に立ち止まり、振り返るを繰り返している。
だが眺めるだけで何もせずに視線を逸らして、帰っていた。
やる気にはなった。けれど、それから一歩を踏み出す勇気はまだ足りない。
円堂のようなサッカー馬鹿ではないし、染岡のような勝気でもない。
ましてや豪炎寺のような才能だってない。
いつも中途半端で、真ん中に立ち尽くすしか出来ない男なのだ。
「半田くん、どうしたの」
すぐ傍から呼ばれた声に、半田は我に返る。彼女が目を瞬かせて半田を覗き込んでいた。
そうだ、今日は彼女に会う日だったと思い返す。
「練習疲れ?」
彼女は微笑んだ。人数が揃い、試合も出来たと話したら我が事のように喜んでくれた。喜びを分かち合ってくれる人がいる。なのにどこか、半田の心は揺れ続けていた。
「せっかく試合できたのに、元気なさそう」
心中を彼女にも悟られている。思ったままの言葉を削って削って、最小限の内容を言った。
「なんだか急に皆やる気になっちゃって。ちょっと、ノリについていけていないかも」
苦い笑みを浮かべ、この期に及んで見栄を張る。
「ついていかなきゃ、損だよ」
「わかってるよ」
「諦めないで良かったね」
「そうだな……」
素直になるのが気恥ずかしく、誤魔化すようにストローをくわえた。
「照れているの?」
「…………………………」
誤魔化しの仕種はとっくにお見通しのようだ。
「俺さ……」
息を吐くように呟く。
俺にも、出来ることがあるかな。
「…………………………」
思いだけが先走り、声にならない。
「あ」
彼女は声を上げ、鞄を漁って携帯を取り出す。
「ごめん。用事が入っちゃった」
「そっか」
「あとその……来週は会えないかも」
「わかった」
「ホント、ごめんねー」
謝りながら、彼女は手早く荷物をまとめて行ってしまった。
そんなに謝らなくても良いのに。前の空席を見詰め、半田は頬杖を突く。
彼女が言わないなら、半田から告げるつもりだったのだ。来週は、会えないと。
会わないのは来週だけではなかった。再来週も会えなかった。
かといって、メールの回数は増えない。減っていくばかりだった。
早めに帰る素振りを見せて、半田は河川敷の橋の上からグラウンドを見下ろす。
「…………………………」
円堂と染岡の二人きりだった練習後のグラウンドには、もう一人二人加わって生き生きと走っている。
乗り遅れた気分だった。なぜ、あの中に入れなかったのだろう。自分の踏ん切りの悪さを呪いたい。
彼女とはなかなか会えない。練習にもなかなか本気になれない。
「俺……何やってんだろ……」
独りでに口から漏れる。手摺りを掴む手に汗が滲んだ。心ばかりが焦っていく。
焦るのは恐らく、まだ間に合うと信じているからだ。
自分への希望が失われていないからだ。可能性があるからこそ、くすぶっているのだろう。
しかし次の瞬間、迷い悩む脳裏が真っ白になる。
「……………………っ…」
橋の下の円堂が半田に気付いたようで見上げてきたのだ。
慌てて身を隠そうとするが、円堂はあの橋の上の人物が半田なのかと皆を呼んで確認しだす。
「おい半田!帰ったんじゃないのか!」
大声で呼びかけてくる始末。
「予定が急に無くなったんだ!」
咄嗟に嘘を並べて対処する。
「だったらこっちに来いよ!サッカーは見るより、実際やった方が楽しいぜ!」
「わかったよ!!」
喚くように返事をして、半田は急いで橋を降りた。
途中、携帯が鳴るのも気付かずに。
「うわ」
グラウンドに来るなりボールが飛んできて、手を出して受け止める。
「ナイスキャッチ!」
「まさかあれを半田が取れるとは……」
ガッツポーズの円堂の横で感心する染岡。
「俺だってそれくらい取れるって!」
言葉と共にボールを打ち返した。
皆の所に行く前に、半田は手の甲で頬に触れる。顔が熱い。
気付かれた恥ずかしさか、それとも――――
あれほど、ぐしゃぐしゃに考え込んでいた胸はすっきりとしていた。初めからこうしておけば良かったくらいに。だが、呼ばれなければあのまま眺めていただけだろう。決めたらすぐに突っ走れるような器用さはないのだから。
「半田、来いよ!」
「ああ!」
荷物をベンチに放り投げ、半田は走り出してボールを追いかけた。
かつて廃部寸前だった雷門サッカー部。帝国に奇跡の一点を決めてから、急に輝きだし頂点を目指しだした。河川敷のグラウンドでは走る彼らが普通の光景となっていく。日が傾くまで、夢中でボールを追っている。噂ではフットボールフロンティア・全国大会まで手が届きそうだという。
ある日の夕方。一人の女生徒が河川敷の橋からグラウンドを見下ろしていた。制服は雷門のものではない。彼女はサッカー部の練習を眺めながら、ただ一人の少年をひたむきに追っていた。
そんな視線は気付かずに、部員の一人・壁山が半田に話しかける。
「半田さん、こんな時間まで練習良いんですか」
「なんだよ急に」
「だってこの曜日、いつも早いじゃないですか」
「そうだっけ」
首を傾げた。
「彼女がいるとかなんとか、噂をしていた事もあったな」
「そうでやんす」
染岡と栗松が顔を見合わせる。
「彼女?まじで?半田に?」
初耳の松野が乗り出してきた。
「いないよ。別れたし」
さらりと言ってのける。驚き、問いただそうと口を開きかけた仲間の元に円堂がやって来た。
「皆、どうしたんだ」
「なんでもないって。俺の今カノはサッカーって事を説明していただけ」
「そんな事か。あったりまえだろ」
円堂は爽やかに笑って半田の肩に手を乗せる。その目は本気と書いてマジだ。さすがに半田も顔を引き攣らせた。
「さ、締まって行こうか」
「おう」
各自散らばり、練習を再開させる。
「もうこんな時間か……」
半田は呟き、かつて練習を眺めていた橋の上を見上げた。橋の隙間から差し込む夕日が眩しい。懐かしむように目を細める。度々、こうして半田は昔と今を見比べていた。自分の決断が間違っていない事を、正しく思えるよう努力する、ささやかな誓いの為に。
半田が背を向けると、橋の雷門シンボルから女生徒が姿を現した。そっと警戒をして、また練習風景を眺めだす。彼女は半田の元彼女だった。二人は別れていた。別れを告げたのは半田だ。
半田はただただ詫びるだけで、はっきりと理由は言ってくれなかった。なんとなく察してはいたので、突然で動揺はしたが彼女も受け入れた。もうあまり連絡も取らず会えなかったので、自然消滅よりはマシと思うようにして。慌ただしさに負けたみたいなのは拭えず嫌だが。
「…………………………」
別れの理由は恐らく、サッカーを取ったのだ。
中途半端だとよく言われる彼なりのけじめに違いない。はっきり言わなかったのは、変わりきれていない彼らしさとも思える。しかし、もし告げられていたなら、別れられなかった気もする。
今日は、これで良かったのかと確かめに来た。河川敷のグラウンドで練習をしているのは聞いていたので、見つけるのは簡単だった。
ボールを追いかける半田を見るのは久しぶりだ。よく遊んだ小学生の頃を思い出す。好きになった頃を思い出していた。
「やっぱり……サッカーしている半田くんはカッコ良いよ……」
口に出してみて、目の奥が染みだす。
「好きな君の傍に、私の居場所はないんだね」
涙が滲み、手で拭う。そうして振り払い、深呼吸をして手をメガホンのように構えた。
「半田くん!!頑張って!!!」
力の限り叫んだ。
「えっ?」
半田が振り返り、声の方向を見据えた。仲間たちも何事かと見上げる。
橋の上を走り抜ける一つの影。制服で彼女だとわかった。けれど、すぐに遠くなって見えなくなる。
どんな顔をしていたのか、お互い確かめようもなかった。
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