月が美しいから
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静寂の中を時間だけがゆっくりと過ぎていく。
戦国伊賀島中の校長室――――和の造りの畳の敷かれた部屋で校長兼サッカー部監督の伊賀島は座布団に正座し、目線の先に居る生徒・霧隠を凝視する。
伊賀島はじっと霧隠の回答を待っていた。
「……………………………」
俯き、膝の上に載せた手を握り締める霧隠。表情は心の奥底から悩むように曇っている。
瞳を細め、揺らし続けるが、決意に閉じ、開いた。
「監督」
顔を上げ、伊賀島を見据える。
「その任務、引き受けます。いえ、オレにやらせてください」
「良いのか」
「はい」
はっきりと答えた。
「わかった。ではこれを託そう」
伊賀島は封筒を霧隠に渡し、彼は深く礼をして校長室を出て行く。
廊下で封筒を開ければ一枚の紙が入っている。FFIが行われているライオコット島行きのチケットであった。
霧隠はこれから空港へ向かい、ライオコット島でイナズマジャパンの選手として加入する。
これは兼ねてからの願いであった。ネオジャパンに入ってまで代表に選ばれたかった。
けれどもいざ選ばれれば、それは願いではなく使命――――いや、宿命となった。
「風丸……」
風丸は伊賀島のライバルである雷門中の生徒であり、現イナズマジャパンの選手である。彼と霧隠は速さを競い合うライバルであった。ライバルといえども共闘できるのが楽しみだったし、何よりも強くなった自分の実力を見せて驚かせたかった。
そんな期待は旅立つ前に伊賀島に呼ばれ、聞かされた話によって打ち砕かれる。
今、胸に残るのは楽しみよりも悲しみの方が大きい。辛くて痛かった。
自らが望んだ選択であった。自ら、茨の道を選んだのだ。
後悔はない。道はこれより他なかった。霧隠にとって風丸はライバルであった。大きな存在であった。誰にもこの役目を譲りたくはなかった――――。
ライオコット島行きの飛行機の中。霧隠は腕を組んで目を瞑る。
そして伊賀島との話を思い起こす。
それは、衝撃であった。驚きに、信じられなさに目は見開かれ、唇は半開きになった。忍びらしからぬ表情になったのだ。
「誠なのですか…………?」
「ああ。確かな情報だ」
伊賀島の告げた真実。
風丸が伊賀島の遠い子孫であり、霧隠とも遠くはあるが血縁者である事が判明したというのだ。
「疾風の風丸……ダークエンペラーズの風丸……イナズマジャパンの選手選別にあたり、彼の身辺を調べたらそういう結果が出たのだ」
「しかしながら監督。風丸は稲妻町の雷門中の生徒……それは……」
「許されてはならない事だ」
年老いた老人の声が室内の空気を通り、霧隠のこめかみから冷や汗が伝う。
伊賀島が忍者の里。サッカーに忍術を取り入れてはいるが、本来は表には出ない日陰の使者として世界各国に借り出されている。里を出る者は存在を登録しており、長い歴史の中厳正に管理されている。子孫を作る時もだ。
もしも風丸が子孫にあたるとして、今まで知られていなかったとすれば管轄外――――掟破りにあたる。掟は絶対であり破った者には厳しい処罰が科せられた。
「さらに調べたところ……風丸の子孫は抜忍であると判明した」
霧隠の頭は絶望で真っ白になる。もうやめてくれと本能が訴えていた。
「今ではあまり聞かぬだろうが、わかっておろう……。抜忍には末代まで全てに死が与えられる。風丸も該当する」
「監督っ……!いえ、校長!それはあまりにも……!」
立ち上がろうとする霧隠を伊賀島は手で座るように促す。
「このような近代になってまで、とっくに忘れられた里の子孫を手にかけるのはくだらないと私は思う。だがしかし、それを許さない者がいるのも事実。日本だけではなく、世界にもいる」
伊賀島の歴史は長い。長い時の中で順応する者もいれば、変化を頑なに拒む者もいるのだ。
「既に風丸の親族には匿うように手配はしておき、私も処罰を与えない手続きをしておいた。問題は風丸一郎太だ。彼は海外にいて、我らの里の手が届かない範囲にいる。海外の過激な連中が命を狙ってやって来る」
伊賀島は軽く息を吸い、放つ。
「霧隠才次よ!そなたに任務を与える!選手としてライオコット島へ潜入し、風丸一郎太を守れ!!」
「はっ……!」
「だが任務は重いぞ。相手は自ら掟を無視し、忍術をただの人殺しの道具として使ってくるだろう。場合によってはお前の手で殺めよ!その時、もうお前は表には出られない存在となる。覚悟はあるか!」
表には出られない。それは、サッカーの試合も、風丸たちに会う事も出来なくなるという意味を示す。
「出来ぬのならば他の者に任せる。よく考えよ」
「……………………………」
霧隠は視線を落とし、深く考えた。
任務の重さは理解できる。自分に出来るだろうかという自信の揺れもある。しかし、退くという選択はなかったのだ。結果、霧隠は引き受ける事となった。
一つ失敗すれば全てを失うかもしれない。怖くて仕方がないが、もう決めてしまった。
ライオコット島の空港へ着き、イナズマジャパンの宿舎に連絡して迎えのバスを待つ。
島は日差しが強く、湿度のない温かな気候。霧隠の心境とは正反対だった。
「さて、どうするか……」
ベンチに腰掛け、一人呟く。
わかっているのは風丸の命を狙う者がいるというだけで、実力も数もわからない。それにここは日本ではなく、土地に詳しくないのは圧倒的に不利。エリート忍者と呼ばれ、誇りを持ってはいるが所詮学生。大人のプロを相手に戦い、勝てるのか――――。
「無理だ……だが、やらねばなるまい」
頭を振るい、拳を握る。
しばらく待てばバスが到着し、人が降りてきた。青い髪が太陽に照らされる。
「よお、久しぶりだな」
薄く微笑み、霧隠の前に立ったのは風丸であった。
「…………かっ………!」
反射的にベンチから立ち上がる霧隠。咄嗟で上手く呼べない。
「俺の名前、忘れちゃったのか?風丸だよ。藤丸じゃないぞ」
「わ、わかっている……風丸……。久しぶりだな……」
「お前たち伊賀島は雷門を敵視しているが、今日から共に戦う仲間だ。宜しくな。荷物はそれか?宿舎へ行こう、円堂に会って皆に紹介してもらおう」
「ああ…………」
返事をする霧隠に、風丸は手を差し出す。
「改めて、宜しく」
「……………………………」
霧隠は硬直し、風丸の手を凝視した。
「どうした?まさか俺が雷門だからって握手できないのか」
「そういうんじゃない……いや、それでいい。我らはライバルだ」
「相変わらずだな。それでいいぜ、その方が俺たちらしいかもしれない」
出した手を引っ込め、下ろす風丸。
「さ、行くか」
荷物を持ち、バスに乗る霧隠と風丸。
窓から見える流れゆく景色は日本とは全く違う。
――――ここで、本当に風丸を守るのか?守りきれるのか?
「……………………………」
無意識に窓に映る風丸の顔を見て、霧隠は決意に揺れる。
窓に手を這わせ、風丸に触れてみようとしてやめた。
「ここの角を曲がって、真っ直ぐ行けば宿舎さ」
「…………風丸、オレはここで降りたい。少し、歩いてこの島を踏みしめたいんだ」
「そうだな、来たばっかりだもんだ。俺も皆と最初は島をバスで一周したんだぜ」
二つ前の停留所で降り、歩き出す二人。
しかし足は突如前方から聞こえた不自然な音に止まり、目を見張る。
キキキキキキ――――!二人が乗っていたバスは不自然なスリップをして建物に激突した。
派手な轟音を立て、思わず目を瞑る霧隠と風丸。すぐさま人だかりが出来、救急車がやって来て騒ぎになる。二人は呆然と立ち尽くし、事故を眺めていた。
「おい……俺たちがあのまま乗っていたら…………。誰も大きな怪我をしていなければ良いが……」
「……………………………」
「霧隠?大丈夫か?さすがに忍者でも交通事故は動揺するよな……」
「……………………………」
俯くように頷く霧隠。拳を握り締め、指先の痺れを落ち着かせようとする。
これは見せしめであると察していた。敵は本当に風丸の命を殺めてくるつもりなのだと。
相手は手段を選ばない。だが、自分の手はまだ人を殺めた経験がない。
「おい、霧隠…………。どうしたんだ?お前、具合悪そうだぞ」
肩に手を置き、気遣おうとする風丸に、振り向いた霧隠の視線が交差する。
その瞳にサッカーをする時にあった輝きがない。まるで心を閉ざしたように薄暗さを感じる。まるで黙々と任務をこなす忍者のようだった。思ってから、彼が忍者であったと自覚する。
「しっかりしろ。霧隠はサッカーをしに来たんだろう?楽しくやろう」
「すまない、ボーっとしていた。そうだな……楽しくやりたいものだ」
再び歩き出す霧隠の背に拒絶を感じ、風丸は詮索できずに背を追った。
ジャパンエリア・イナズマジャパンの宿舎一階食堂。
霧隠は新メンバーとして監督の久遠、キャプテンの円堂から仲間たちに紹介される。
「ネオジャパンより来た、戦国伊賀島中の霧隠才次だ」
メンバーは日本で戦った顔見知りの選手の他に、引き抜きやスカウトによって加わったと見られる知らない選手もいた。
――――この中に潜入されている可能性もある。
警戒をする霧隠ではあるが、一度疑い、警戒をすればきりがない。神経だけがただ磨り減っていく。
――――持久戦をかけられてもオレは負けてしまう。
考えれば考えるほど、己の立場の振りさが浮き彫りになり、策が見えなくなる。
夜、霧隠は現状を知るため、円堂を食堂に呼んで相談を持ちかけた。
「チームの状況を知りたいんだ。オレが知らないチームメイトもたくさん加入しているようだし」
「熱心だな、嬉しいよ。頼りにしてるぜ」
語りだす円堂。現在、イナズマジャパンは二勝一敗で数日後にオルフェウスとの試合が待っている。スカウトや引き抜きで新たに加入したメンバーは霧隠を入れて十名だという。
「二勝一敗か、なかなかいい成績じゃないか。油断は出来ないがな」
「ああそうだぜ。次の相手の監督は影山だし……アイツは自分のチームでさえ」
「うん?」
円堂はオルフェウスがかつて影山より乗っ取りに遭い、チームを故意に負傷させた事を話した。
「怪我……イナズマジャパンには怪我人はいるのか?」
「いるけど、順調に皆回復していっている」
「そうか……」
軽く息を吐く霧隠。昼間の事故のようなもので怪我をした者がまだいない事に安堵する。
「なあ円堂。風丸はどうだ?」
「風丸?メキメキと実力を上げているぞ」
「そうか……」
薄く微笑む。
「お前と風丸はいつも一緒だな……いや、雷門の一部部員はエイリアに取り込まれて対決をしていたが」
円堂はやや困った顔をして、肩を竦めて見せる。
「ただの試合なら何度だって対戦するけど、もうあんな戦いや風丸や皆と離れるのは嫌だよ」
「わかっている…………」
一人拳を握り締めた。
「円堂。よくわかった、有り難う。お休み」
「お休み」
ニッと白い歯を出して手を振るう円堂に、霧隠は頷いて去っていく。
しばらく会わなかったせいか、円堂には霧隠が随分と落ち着いた大人になったように見えた。対戦した事により近付いたと思っていたのに、距離を感じた。また一緒に戦えば近付けると信じて寝室へ向かう。
霧隠は寝室に入らず、宿舎の屋上で月を眺めていた。
丸くて大きな月の光は夜空の闇があるからこそ映える。霧隠は元より闇に属する人間であった。サッカーに触れる機会に出会い、光へ足を踏み入れたが本来は闇、光をより輝かせる為に生きていく運命。
そんな霧隠にとって、風丸は初めから光に属する人間だと思い込んでいた。彼は自分が闇より生まれた事を知らない。知らないのなら、知らないでいて欲しいと願う。
闇から見上げる月の煌きは、なにものにも代えがたいからだ。
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