月が美しいから
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翌朝。食堂にイナズマジャパンのメンバーが集まって特訓についての説明が行われた後、マネージャーの木野と音無が困ったように部屋の隅でこそこそ話をしているのをキャプテン・円堂が声をかけた。
「二人ともどうしたんだ?」
「ああ、円堂くん。実はね」
「これを見て欲しいんです」
音無がノートパソコンの画面を見せる。そこにはアルゼンチンエリアへの通行が工事中でバスが通れないというニュースが載っていた。
「アルゼンチンエリアのお店に予約したものを取りに行こうと思っていたのに」
「なぜそんなものをわざわざ予約するんだ」
横から聞いていた鬼道が口を出す。
「その……美味しいお肉でもって、頑張っている皆にご馳走しようって」
各国のエリアには有名店が多数出展しており、アルゼンチンエリアにある肉屋もその一つであった。
「肉か……」
鬼道の後ろにいた染岡と綱海が呟く。肉は食べ盛りの中学生男子には魅惑的な単語である。
「よし、バスが通らないだけだろ?俺が歩きで行ってやるよ」
「なんの話をしているんだい?」
染岡が挙手しようとした時、音村と戸田も話しに加わってきた。彼らは日本より新たな増強選手としてイナズマジャパンに加入した者たちだ。ちなみに音村は綱海の友人、戸田は立向居の先輩である。
「おや?染岡くんはウチの立向居とシュートの練習だろう?」
「個人特訓を指示されている人が行けばいいんじゃないかな」
戸田と音村は顔を見合わせ"ねえ"と頷く。彼らの意見に周りにいた選手たちは同意の空気を漂わせていた。
「風丸……君、確か今日は誰とも組んで特訓はしないよね」
誰かが風丸を指名し仲間たちの視線が彼に注目する。ただ壁に寄りかかって話を聞いていただけの風丸は、驚いて目を丸くさせる。
「お、俺?」
思わず己を指差す。いきなり呼ばれ、胸がばくばくと鼓動が早まる。そう、いきなりだったからと思い込もうとした。恐怖さえも覚えたというのは、気のせいだと否定したかった。
「ランニングついでに行ったらどう?」
「ランニングか……」
相槌を打つ風丸。話の流れは風丸が行く方向に決まろうとしている。
霧隠はじっと様子を伺っていた。このままでは風丸が一人でアルゼンチンエリアへ向かう事になる。なぜ彼だけが。他にも該当する人物はいるのに――――この現状に違和感を覚える者はいるのか。仲間たちの反応を見定めようとしていた。
「風丸……いいのか?」
円堂が戸惑いながら風丸に問う。彼は違和感を抱いているようだ。
「ああいいぜ。行くよ」
「悪いな。有り難う」
「助かるわ、風丸くん」
礼を言う円堂と木野。木野は風丸に店の地図などを説明し、その最中に集まっていた仲間たちは散っていった。
「じゃ、俺行ってくるよ」
グラウンドで練習する仲間たちに声をかけ、風丸は買い物へ向かう。
霧隠は入り口に佇み、風丸が通りかかると横についていく。
「オレも行こう。ジャパンエリア外の中にも入ってみたいしな」
「いいのか。昨日あんな事故が遭ったが」
「それは風丸、お前もだろう」
風丸は数回瞬き、くすりと笑う。
「霧隠はしばらく見ない内に優しくなったな」
霧隠は視線を合わせてくるだけで沈黙した。
――――殺されてしまうかもしれない人間を気遣うのは当然だろう。
頭の中は風丸をどう救うかばかりで埋め尽くされている。
二人は通行止めの近くまでバスで移動し、作業員に話しかけた。
「アルゼンチンエリアへはどう行けばいいんですか」
「こちらの道を突き進んで、橋を渡れば入れます」
「有り難うございます」
軽く頭を下げ、教えてもらった道を歩んだ。
道は細く、舗装が大してされていない。二人以外に通るものはおらず、しんと静まっていた。街から遠く建物はなく、ときどき吹く風がまばらに立つ木を揺らす。
「誰もいないが、この道でいいのか」
霧隠が辺りを見回しながら呟く。嫌な予感が騒ぎ出した。
見えない何かに外堀から埋めて追い詰められるように、息が詰まっていく。本能が罠だ、罠だと叫んでいる。
「……………………………」
霧隠は足を止め、後ろを振り向いて警戒を示した。
「おい霧隠、どうしたんだ。お前おかしいぞ、一体しばらく会わない内にどうしてしまったんだ」
風丸も足を止める。
「無茶を言うな。土台……お前が何も知らずに事を済ませるほど、相手は一筋縄ではいかずオレも未熟すぎたんだ……」
「はぁ……?なんなんだよ……」
困惑する風丸に霧隠は後ろから手を出す。
「風丸……オレの手を取れ……。早くだ」
「教えろ。霧隠はなにを隠している」
「早く……取れ」
「教えろ。まずはそれからだ」
「風丸!お願いだ……取ってくれ」
くっ。風丸は答えようとしない霧隠に不満を抱きながらも、尋常ではない彼からの焦りに仕方なく手を取った。
「逃げるぞ。とにかく走れ」
霧隠の手を取った瞬間、風丸の身体が浮く。その次の瞬間で風丸は自分が霧隠に引き寄せられたのを悟る。
まるで風のように速く、嵐のように強く、霧隠は風丸を連れて走り出したのだ。目指すは先にあるであろう橋であった。戻るのは危険だと直感が判断した。
――――霧隠はこんなに速かったのか?
風丸はただただ驚くばかりであった。霧隠は風丸の心境を悟るように言う。
「必死なだけだ!長い時間はもたない!お前も走れ!」
「や、やってるよ!」
「オレは忍者だ。普段は忍び、決める時だけ力を発揮すればいい。あの橋を渡ってアルゼンチンエリアとやらに入る!」
二人はがむしゃらに駆けていく。霧隠はジグザクに走り、風丸は足の先をギリギリ掠めるような何かを数回感じていた。それが"何か"を今は考えないようにした、霧隠の必死さが全てを物語っているような気がしたのだ。
プツッ。道の先で音がする。
そこには橋があり、縄と木で組んだだけの古い造りであった。
「くそう!」
霧隠は風丸の手を振りほどいて腰へ回し、彼を抱きかかえる。見た目の同じ身長や筋肉からは信じられないような力で持ち上げた。
「なっ………なっ………?」
目を白黒させながら、霧隠の首にしがみつく風丸。
橋に踏み込んで数歩目、縄が解けて崩れだす。
「振り返るな!」
「あ、あぅ」
首を縦に振り、ぎゅうと目を瞑る。霧隠は足場が崩れる前に橋を渡りきり、膝を折って風丸を投げ出すように下ろして地に手をついた。
「はぁっ…………はぁ………はぁっ………」
荒く息衝き、肘も折れて転がる。
「霧隠…………」
身を起こし、霧隠の様子を伺おうとした風丸は驚愕した。
霧隠の靴下は切り傷だらけで真っ赤に染まっていたのだ。そして己のものも確かめれば、出血はしていないものの靴下に刃物のような傷が数箇所つけられていた。
「おい……!霧隠!」
膝を突いて抱き起こし、肩を揺らす。
「大丈夫だ……傷は浅い……」
「浅いって!血だらけじゃないか!」
「骨や筋は絶たれていないだろう。それだけでもマシだ」
「マシとか…………。お前一体何なんだよ。いい加減にしろ、いい加減に話せ」
半眼になり、未だ話すのを躊躇おうとする霧隠に、風丸は彼を背負い、アルゼンチンエリアを目指す。
霧隠が痛がらないようにゆっくりと移動し、やがて景色は街と一緒に石で舗装された水路も見えてくる。すると霧隠は風丸に降ろすように頼んできた。
「風丸。ここで下ろしてくれ。傷を洗って薬を塗る」
「薬まで持ってきていたのか」
石の階段を下り、風丸は水の近くに霧隠を降ろす。
霧隠はてきぱきと靴下を脱いで傷口を洗い、薬を取り出して塗りこむ。
「………………………風丸」
意を決して霧隠は風丸を呼ぶ。
「驚くかもしれない、恐ろしいかもしれない。それでも、逃げずに聞いて欲しい」
霧隠は語った。
風丸が遠い伊賀島の血筋を持つ者だと。しかも先祖が抜忍であり、古い掟に固執する者から命が狙われている事を。自分が風丸を守る為に派遣されてきた事を。
話を聞いた風丸は、霧隠と同様に表情が曇る。
「円堂から聞いた。風丸はオレが来るまで大きな怪我はなかったと……。あいつらは、恐らくオレを試してもいるのだろう。橋を渡りきった所で攻撃は止んだ」
「霧隠が話すのを渋った理由はわかったよ。俺も宇宙人に襲われたり色々な目に遭ったが、まさか命を狙われるなんてな……。俺には忍術一つ出来やしないのに」
「そうだ。風丸には忍術を受け継がれてはいない。抜忍など、遥か昔の事。そんなもので命を狙われるのは間違っている。オレも、伊賀島校長もそうお考えなのだ。こんな掟はなくなった方がいいと思っている。奴らがオレを試す理由もそこにあるのだろう」
風丸の手が霧隠へ伸び、薬に触れた。
「俺に治療させてくれ。元はといえば、俺のせいなんだろう」
「違う。風丸は知らなくて良かったのだ。知らずにいるべきだったのだ。オレの力が至らないばかりに……」
自信を失い、項垂れる霧隠。
風丸は彼の姿にかつて強大な敵の前に、何度もくじけては能力の伸び悩みに自暴自棄になった自分と重なった。
「霧隠。しっかりしろ。落ち込んだってどうにもなる訳じゃない。守ってもらう俺が言うものではないけれど、お前のそんな姿は見たくないよ」
振り向く霧隠の目をじっと見据える風丸。
「そうだな。後ろ向きに考えても状況が変わるものでもない。風丸、危なくなったらとにかく逃げてくれ。オレからお前にしてもらいたいのは、それだけだ。他の事は伊賀島の問題だからな」
「……………………………」
風丸は何も言えなかった。自分は守られる側で、かつ何も出来ない。
本当に霧隠の言うように、逃げる事しか出来なさそうだった。それが的確であり最善であるのが歯がゆい。
「なぁ……どうしてお前なんだ霧隠。相手はプロなんだろ?お前はエリート忍者らしいが、学生なんだろ?こんなに傷付いて、どうしてなんだよ」
「オレが伊賀島校長より任務を受け、引き受けた」
立ち上がり、よろける霧隠を風丸が腕を回して支える。
「引き受けた?お前、立候補だったのか?」
「え?ああ。説明の中で言わなかったか?」
二人の顔が近付き、赤い瞳が交差した。
「なぜ俺の為に?」
どくん。霧隠の胸が内側から大きく高鳴る。
こんな間近で言われたらさすがに照れてしまうと自己弁護しながら、顔の熱は正直に熱くなっていく。
「自惚れるな。さすがに知り合いが我らのいざこざが原因で殺されては夢見が悪い」
「けど…………」
「う、うるさい!お前は黙ってオレに守られればいい!」
カッとなって風丸の胸を押して離し、足を引きずりながらアルゼンチンエリアへ向かおうとする。
鼓動を落ち着かせようと気持ちを整理する霧隠。
自分にとって風丸はライバル以上の以下でもない、それだけの存在だと思い込もうとする。
忍者が任務に関係する人間に特別な感情を抱くのは、タブーというより危険による戒めとされてきた。忍者は常に冷静でなくてはならない――――これが出来ていないから、以前雷門の秘伝書を奪うにも忍術を破られてしまったのだ。
――――落ち着け。落ち着くのだ才次。
胸に手をあてて深呼吸をした。
心のどこかでこの任務は割に合わないと自覚はしている。
相手は正体も数もわからないが実力は自分より遥か上。しかも守るのはただのライバル。
考えれば考えるほど、自分の気持ちがわからなくなってくる。
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