月が美しいから
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「……勝、負?」
 威圧感が身体の動きを凍りつかせ、問いかけるしか出来ない。
「そうだ、勝負だ。風丸を助けに来たんだろう」
 仲間を助けるべきキャプテン・円堂がニヤニヤとからかうように放つ。
「早くしないと、俺の胃の中で解毒剤が溶けてしまうよ」
「……………………………」
 挑発の意味を理解できず、立ち尽くすだけの霧隠に円堂の姿を模した忍は言う。
「風丸を助けたきゃ、俺の腹をかっさばいて取り出してみろと言っている!!!伊賀島から殺しの許可ももらってるんだろ!!!」
「っ!」
 霧隠の脳裏に、旅立ち前に聞いた伊賀島の言葉が過ぎる。
 ――――場合によってはお前の手で殺めよ!
 今がその時なのだとわかっている。しかし、人の命を絶てばリスクも相応に大きい。
 ――――その時、もうお前は表には出られない存在となる。覚悟はあるか!
 覚悟はそれなりにあると思っていた。だからこそライオコットへ単身でやって来たし、風丸を己の身を挺して守ってきた。だがしかし、一生消えない罪を背負い、全てを捨てられるのか――――。
 守るべき風丸は本来ライバルで、嫌いではないし少なからず好意はある。けれども自分が風丸に対して、本当にどう想っているのかも見えない。
 どうしたらいいのか、自分の気持ちがわからない。最後の最後の一線を踏み出せないのだ。
「張り合いのない奴だな。後輩が来るのを待っていたというのに」
「やはり……オレを待っていたんだな」
 霧隠は周りの偽りのイナズマジャパンを見回す。
「忍の里の、最も優秀な子どもが我らを止めにやってくると楽しみにしていたよ。だが、所詮は絶対の掟を守らず、腑抜けた里で育った意識の弱い愚か者の一人でしかなかった」
 頭を振るい、円堂は袖からクナイを取り出して、切っ先を霧隠に向ける。
「裏切り者の風丸、愚かな子孫たち…………。恥さらしは死んでくれ」
 手の上で軽くクナイを投げて刃を持ち、霧隠へ投げた。受け取ったのを見やり、もう一本のクナイを取り出す。
「せいぜい最期は少しくらい期待させてから死んでくれ」


 円堂が足を踏み出す。次の瞬間、霧隠の視界いっぱいに彼が広がった。一気に間合いを詰めてクナイを突きつけるように持ち直す。
「っく!」
 咄嗟に身体の向きを変え、一撃を避ける。クナイは胸を横切った。急所のある心臓を一撃目から狙ってきたのだ。
「……うう!」
 後ろへ下がりながら、円堂の攻撃をかわしていく。
 反撃で仕掛けた足払いはすぐに受け止められてしまう。
 金属音を立ててクナイとクナイは擦れ、ぶつかる。円堂は霧隠を試すように、わざとらしい浅い突きを繰り返していた。
「くぅ」
 霧隠は徐々に後ろへ下がっていき、風丸と距離が離れていく。
「いいのかぁ?ちんたらチャンバラをやってて。胃は解毒剤を消化していくぞ」
「…………――――っ!」
 視線が反射的に風丸を見据える。彼は虚ろな瞳で霧隠をじっと見詰めていた。視線が交差したその刹那――――。
「ぁ」
 霧隠の口が開かれ、手からクナイが落ちる。
「余所見厳禁」
 偽りのイナズマジャパンの誰かが呟く。円堂のクナイが霧隠の腹を深々と刺していた。
 大した音も立てず、すんなりと刃は服と皮と肉を貫く。
「ああ……………」
 こみ上げる血液を、唇を噤んで耐える。膝が震え、頭がくらくらして腹が焼けるように熱い。
「……………………………」
 円堂はクナイを抜き、握った拳で霧隠の頬を殴り、地に倒れさせた。
「きりがくれ!!」
 風丸が悲鳴のように霧隠を呼ぶ。霧隠は地に伏せ、爪の立たない床を引っ掻いた。じわりじわりと腹から血だまりが広がっていく。
「せっかく薬を運ばせて膝を立たせてやったのに、もうまた折れたのか」
「霧隠!霧隠!霧隠っ!!」
 喉を震わせ、風丸は何度も霧隠を呼ぶ。
 自分は毒を盛られて拘束され、仲間たちは人形のように吊るされて、守ろうとしてくれた霧隠は血まみれで命のともし火を揺らがせている。なぜこんな目に、皆が傷付かねばならないのか。風丸の胸は悲しみで押し潰されそうに締め付けられる。
 ――――痛みはまだない。痛みは最悪の時にやってくるだろう。
 円堂の姿をした忍の言葉がよぎった。彼らはこの事を言っていたのだ。今、どうしようもなく身も心も痛めつけられている。
「もう、もう…………やめて、くれ。お願いだから」
 哀願する風丸。頼み込んで助けを請う。
「俺が、元はといえば俺がいけないんだろう?俺が死ねば済むんだろう?だったら、そうして欲しい。もう俺は自分の無力さで仲間が傷付くのは嫌なんだ……。消えたくなるくらい、嫌なんだよ」
 苦く苦しい過去が胸に渦巻く。謝るように顔を伏せる。
「もう毒を盛っているんだから、そうしているだろう?」
「じゃあもういいじゃないかっ!霧隠を助けてくれよ!」
 声を荒げる風丸の息が、ぜえぜえと乱れた。
「あまりカッカするな。息が出来ないんだろう?」
「霧隠を、助けてくれ!!」
 苦しくても風丸は訴え続ける。
「霧隠を………!」
「うるさい!!!」
 三度目の訴えに、霧隠自信が遮った。拳を震わせ、肘に力を入れて顔を浮かせる。
「言った……はずだ……。風丸……お前は、オレに、黙って…………守られればいい!!!」
 えふっ。咳き込み、血の混じった唾液が飛ぶ。
「がっ……………ごふ……っ……」
 顎に伝って血の塊を手の甲で擦りつけ、起き上がろうとする。中腰になってクナイを拾い上げ、切っ先を円堂へ向けた。
「風丸が殺されるのが掟ならば、風丸を守り通すのも掟の一つだ。オレは、オレの誇りの為に戦い、お前を守る。それで……いいじゃないか。それで、いいと決めた。風丸、オレは間違っているか……?」
「まち、がってない……と……思う。お前は……凄い、な……。忍者って、ホント、なんだな」
「だが、オレはお前の前では一人のサッカー選手だ。これは、オレのルールだ」
 円堂は切っ先を無表情で見詰めていた。その瞳の奥に、煮えたぎる苛立ちを秘めて。
「誇り、か。くれてやったクナイで刺しも出来ない分際で」
 間合いを詰めて切りかかり、クナイで抑え込まれながら吐き捨てるように言う。霧隠の手は力が入らないようで小さく震えていた。
「オレに刺すなんて度胸はない。欲しいとも思わない。それでいい気がしてきた!」
 渾身の力で押し出すようにクナイを払い、手を離して腰を沈め、思い切り円堂の腹に拳を叩き込む。


「……っあ!」
 拳は腹の下から上へ突き上げるようにめり込んだ。


 円堂は動きを止め、こみ上げる吐き気に口だけが開いて、喉の奥から音に近い声が鳴る。
 続いて第二撃を食らわせ、堪らず胃の中のものを吐き出した。
 カンッ。瓶が出てくると霧隠は素早く受け止めて、風丸を吊るす縄めがけてクナイを投げつける。
 見事に命中して落下する風丸を、壁山が助けて床に静かに寝かせた。
「勝負あったな。お前の掟が勝ったようだ」
 重々しく佐久間が呟く。
「忍とは執念深い者ではあるが、負けは負けだ……」
 手裏剣を取り出して縄を切り、捕えた伊賀島の仲間を解放させた。
「う、くぅ。霧隠……見事だ……」
 仲間たちは呻きながら立ち上がり、霧隠の勝利を祝う。
「皆、無事か。風丸、今助ける!」
 霧隠は解毒剤を持って、風丸の元へ歩み寄る。彼が歩んだ後は血が滴っていた。
 崩れるように膝を折り、床にぺたりと座り込んで解毒剤の蓋を開ける。
「霧隠…………おまえ、すごいよ…………」
 風丸は薄く眼を開き、薄く笑う。けれども顔色は悪く、呼吸も遅く、ぐったりとしていた。
「漸くわかったか……と、言おうか?ゆっくり、落ち着いて飲め」
 瓶の口を唇まで持って行き、流し込もうとする。けれども薬は中へ入らず、唇の横を伝う。
「もっと、口を大きく開けるんだ」
「…………ごめん」
「ほら、もう一回だ」
「……………………………」
「おい」
 風丸の唇は動かない。
「……………………………」
「聞こえなかったのか。口を開けと言っている」
「……………………………」
「風丸。口を開いてくれ」
「……………………………」
 霧隠の横に百地が座り込み、風丸の鼻と口元に手を添えた。
「……息を、していない?」
 後ろで風魔が問う。百地が頷いた。
「馬鹿な!口を開くだけでいいんだ!」
 肩を掴んで揺らそうとした霧隠に、円堂が口元を拭いながらやってきて告げる。
「手遅れだ」
「違う!今さっきまで喋っていたではないか!」
 霧隠は鼻を啜り、目を閉じて涙を堪えた。
「泣いているのか?」
 問いに、顔を伏せて頭を振るう。
「愛していたのか」
「黙れ。オレは忍として、ライバルとして守ったに過ぎない」
「……………………………」
 円堂は軽く息を吐き、顔を手で一旦覆って離し、本来の顔を曝け出す。無論、背を向けて風丸に注目している伊賀島たちは気付かない。
「もし、愛しているのなら、救う方法はただ一つ」
 ――――王子様のキスだ。
「……私を打ち負かしても、当たり前の対処もわからないとは。まったく、昨今の忍の腑抜けには困ったものだ」
 口の端を上げ、円堂に化けていた忍は姿を消した。彼に続くように偽りのイナズマジャパンは霧のように消えてしまう。
「愛だと……馬鹿な。こいつは男だ」
 くしゃりと顔を歪ませ、とうとう涙を溢れさせた。
「馬鹿だと、言え……」
 赤い瞳が、眠っているように呼吸が止まった風丸を捉える。霧隠の背中を百地が慰めるように撫でた。
 沈黙の空間を、伊賀島の仲間たちはじっと霧隠の選択を待つ。
「……………………………」
 瓶の中身を口に含み、頭を沈める。目を閉じて唇に触れ、直接口の中へ薬を流し込む。
 人肌は温かく、生命を感じながら目覚めを願う。
 っく。微かな喉の音を耳は捉えた――――。






 夜は明けて、何事もなかったかのようにイナズマジャパンは次の試合に備えて練習に励む。
 彼らは故意に眠らされた事も、吊るされた事も、助けられた事すら知らない。
 そんな中。霧隠は一人、腹に新たな包帯を巻かれて二階の個室で眠っていた。窓からは選手たちの元気な声が聞こえ、日差しも爽やかで平和を噛み締める。
 風丸を狙っていた忍は去り、伊賀島の仲間たちは人知れず日本へ帰ってしまった。
「挨拶くらいしていけばいいものを。せっかちな奴らだ」
 天上を見上げ、呟く。
「忍とは難儀だ……。割りに合わん……なぜ、オレは伊賀島に生まれて来たのだろう。今ほど、こんなにも考えた事はなかったように思う」
 ぼそぼそと独り言を口にする。どこかで誰かに聞かせるように声に出した。
「オレは今後、考えていくのだろうな……。自分の気持ちを」
 唇を閉ざし、深呼吸をする。すると、扉をノックされて声をかけられた。
「霧隠、俺だよ。風丸だ。入っていいか」
「好きにしろ」
 霧隠が返事をすれば風丸が入ってくる。
「どうした。練習中じゃないのか」
「そうだけど、俺の為に怪我をしたお前を放って置けないよ」
「気にするな。言っただろう、これは伊賀島の問題だと。そして、役目は終わった。風丸は今日からまたオレの敵であり味方だ」
「相変わらずだなぁ」
 風丸は苦い笑いを浮かべ、霧隠が眠る布団の横に腰を下ろした。
「けど、いつもの霧隠に戻って良かった」
 苦さをなくし、微笑んで見せる。その笑顔に、昨夜目覚めなくてとても悲しかった想いが過ぎり、切なくなって視線をそらす。
「俺には霧隠に感謝や、お前が治ったらサッカーをするくらいしかお礼が出来ない。だから、お前が治るまで、治ってFFIが終わるまで、ずっと傍にいるよ」
「気持ち悪い奴だな。迷惑だ」
「酷い言い草だな。そうさせたのは誰だよ。俺だって、霧隠の事は敵であり味方だぜ」
 顔を近付け、じっと霧隠の横顔を凝視する風丸。そうして彼は、さらに近付けて、頬に唇をつけてから背を伸ばす。
「な…………っ……」
「敵ならば、味方ならば、フェアじゃないとな」
 霧隠の白い肌に赤みが差し、耳まで真っ赤に染まる。風丸は悪戯が成功したように口を押さえて、くすくすと笑う。
「意識が……なかったんじゃないのか……?」
「なんとなく、何をされたのかわかった。俺も忍術が使えるようになったのかも。なんて。……じゃあ俺、またちょっといってくるよ」
 風丸が立ち上がると、霧隠は横目で彼を見やる。
「安静にしていろよ。後で暇つぶしの何か、持ってくるから。そうだ、安静と言えば……」
 なにかを思い出し、手を合わせた。
「今夜は満月らしいな。そこの窓から、見えるかも」
「知っている。綺麗な満月が見えるだろう」
 顔の熱を冷ますように髪をかき上げ、首を動かしてしっかりと風丸へ顔を向ける。
 二人は満更でもなさそうな、穏やかな微笑を交わした。










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