月が美しいから
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 風丸と霧隠がアルゼンチンエリアより戻って来るなり、宿舎は大騒ぎとなった。
 大怪我を負っている霧隠は急いで二階の個室へ運ばれて布団に寝かされ、風丸は監督の久遠から事情を聴かれる。けれども応える事は出来なかった。命を狙われているなど知られれば大事だし、それに宿舎に入る前に霧隠に言われたのだ。“どこで誰が潜んでいるのかわからない”と――――。
 仲間は疑いたくはないので、部外者が聞き耳を立てているという想像に置き換えて警戒をした。
「風丸、本当に身に覚えはないのか?」
 久遠の瞳が鋭く風丸を射抜く。
「俺にもわからないのです。突然だったものですから……霧隠が庇ってくれたんです」
「……そうか。風丸、お前も休んでおくんだ」
「はい」
 話を終えて風丸が二階へ上がろうとすると、円堂が声をかけてくる。
「風丸っ。その……大変だったな」
「俺は軽症だったから」
「霧隠はしばらく治療だってさ。ライオコットへ来たばかりなのに災難だな。二人で行かせたのがまずかったか……」
 俯き、顔を曇らせた。
「円堂、お前のそんな顔はらしくない。過ぎた事を悔やんでも仕方ないさ。ここで立ち話もなんだし、上へ行こう。今日から俺と円堂は同室だったよな」
 階段を上がろうとする風丸。イナズマジャパンの寝室は数日おきに部屋の割り当てが変わる。
 風丸の後をついて円堂も二階に上がった。
「吹雪に怪我をさせてしまったし、緑川も……。俺はキャプテンとして皆に眼を配らなければならないのに」
 ぶつぶつと独り言のように呟く円堂。
「円堂。お前は十分やっているって」
 風丸は寝室の前で足を止め、扉を大きく開けて円堂を招こうとする。
「やる気だけではどうにもならない。結果が伴ってこそ、それが役割というものだろう?」
 円堂が顔を上げ、二人の視線が交差した。
 姿かたち、声が同じでも、瞳の奥にある本質の雰囲気が、明らかに風丸の知っている円堂ではない――――。


「…………お前、だれだ?」
 喉の奥から搾り出すように、風丸が問う。
 円堂は答えない。二人の間に沈黙が走ろうとした、その刹那。部屋の奥から手が伸びて風丸を寝室に引き込んだ。
「あっ…………?」
 天地が引っくり返り、視界に天井が広がり、扉が閉まる音がする。
 起き上がろうと、叫ぼうと上がった風丸の首は掴まれて床に押し付けられた。
「……………!っ…………!」
 声が出せず、もだえる風丸。首を押さえた本人が風丸の視界に顔を覗かせた。戸田であった。
「!」
 瞳を動かして周りを見れば、音村や佐久間、染岡までいる。彼らは冷酷な眼差しでじっと風丸の苦しむ姿を見詰めるだけで助けようともしない。
「我々は皆、役割というものを生まれた時から持っていた」
 円堂の気配が近付いてくる。
「なのに」
 膝を突き、風丸を見やった。
「お前の先祖は忘れてしまった……。子孫である風丸、お前にも自覚がない」
「……………………………」
 風丸の心音が早まり、冷や汗が滲む。危険だと、本能が信号を送っている。
「罪深い、汚れた血よ」
 円堂が片腕を上げた。その手の先に持ち、鈍く光るのは注射器――――。
 仲間たちが風丸の四股を抑え込み、上着を引いて片側の肩を露出させる。
「掟に背き、全てを忘れた…………。長い、長い間を……」
 ゆっくりと腕を下ろし、ゆっくりと注射針を風丸の首筋にあてた。
「風丸一郎太。お前の祖先の歴史を全て背負い、苦しんで死ね」
 注射針から液体を注入される。
「あ…………あ、ああ…………………………」
 一体なにを挿れられているのか――――。とても聞くなど出来ない。
 恐怖に身体は硬直し、じっと耐えた。
 針が抜かれると、円堂は率直に放つ。
「毒だ」
「……………………………」
「じわじわと身体を侵食し、死に至らしめる」
「死…………?」
 命を狙われているとは霧隠より聞いたし、危険も覚えていた。
 だがしかし、こんな形で奪われるなど思いもしなかったのだ。それに、苦しめ、毒だと言われても痛みをまだ感じるに至っていない。
「痛みはまだない。痛みは最悪の時にやってくるだろう。毒はもう侵食しているがな。ほら、刺された辺りが変色しているだろう」
「っ!」
「お前からは見えないだろうが」
 目を丸くさせる風丸に、円堂はあざ笑う。周りの仲間たちも笑っていた。
 円堂は、仲間たちは、決してこんな笑い方はしない。
 絶対にしないだろう行動を集団でされる異様な空間は、ただただ風丸を恐怖へ落とし込む。
「……………………………」
 言葉がない。もうなにを言えばいいのかわからない。逃げるのも不可能だ。
 ――――霧隠、もう俺は駄目だよ。
 足を負傷している霧隠に助けなど心の中でさえも求められない。諦める気持ちから、絶望が染みこんでいく。






 一方その頃。霧隠は一人、別の寝室の敷布団の中でこれからの事を考えていた。
 怪我をして練習にすら出られなくなったのは、ある意味風丸を守るには都合が良い。けれどもこの足では、いざという時に上手く働いてくれない。
「どうしたらいい……早く治ればいいものを。人の体とは上手くいかん」
 上半身を起こし、布団の中で負傷した足に手をあてた。すると気配を感じ、耳を済ませる。
 コンコン。扉がノックして霧隠が低く返事をすれば、マネージャーの木野が盆に湯飲みを載せて入ってきた。
「霧隠くん。具合はどう?」
「心配には及ばん」
「薬、持って来たよ」
 霧隠の布団の横に膝を突け、湯飲みを差し出す。
「熱いから気を付けてね」
「……………………………」
 受け取ろうと伸ばした霧隠の手が一瞬、動きを止めそうになる。
 確か都会では薬は水で飲むものだとテレビで観た事があった。湯で溶かしたものなど、伊賀島ぐらいだと聞いた事があった。
「……………………………」
 警戒を漂わせながら湯飲みを受け取る。
「……珍しいな。湯に溶かすなど」
「伊賀島ではそうするんでしょう?たくさんの選手がいるから、各選手にあった治療法をマネージャーは研究するのよ」
「そうなのか。凄いな」
 相槌を打ちながら湯飲みを口元まで持っていく。鼻孔を強い薬の匂いがくすぐった。
「……………………………」
 霧隠は手を止め、口を閉ざす。
「…………どうしたの?霧隠くん?」
「……………………………」
「お薬、飲んでくれないの?」
「………………これは、薬なのか……?」
 呟き、湯飲みを置こうとする霧隠。けれども木野が手を重ねて止めてくる。
「待って」
 手へ視線を向けていた霧隠が顔を上げると木野と交差した。
 じっと真剣な眼差しで見据えてくる瞳は温かで、そして懐かしい。霧隠は漸く違和感の意味を悟った。
「お前だったのか…………」
 ――――初鳥。
 唇の動きだけで言葉を伝える。
 木野は頷く。彼女は、いや彼は伊賀島の仲間・初鳥であった。霧隠と同様に唇の動きだけで伝え、二人は読唇術で会話をする。
『霧隠。お前の後から伊賀島のサッカー部はイナズマジャパンの宿舎に忍び込んだのだ』
『皆が?』
『そうだ。だがすまない』
 初鳥は俯き、嘆くように頭を振るう。


『我々は負けたのだ』


「…………っ!?」
 霧隠は目を丸くさせる。
『霧隠と風丸がアルゼンチンエリアへ行っていた頃、元よりいた宿舎の人間はあいつらに乗っ取られ、我々は返り討ちに遭い、制圧されてしまった』
『制圧…………?』
『そうだ。もうここにいる人間は、全てあいつらに摩り替わっている』
「なら、風丸は…………!!」
 初鳥は首を横に振る。立ち上がろうとした霧隠の腕を掴み、引く。肉に食い込みそうな強い力、身を起こした事により見えてしまった肩に滲む血に、霧隠の熱くなった頭が急激に冷めて尻をつく。
「霧隠。落ち着いてくれ、まだ、間に合う……。そうなるようにあいつらは仕組んだ」
 読唇術をやめて本来の声で言う。掴んだ腕を解放させ、湯飲みをもう一度差し出す。
「飲んでくれ。かなり良く効くはずだ。これは……あいつらからのハンデらしい。もう舞台は整ったと言っていた」
「舞台……だと……?」
「ああ……地下修練場の奥にあいつらはいる。風丸もそこへ送られたはずだ」
 初鳥が額を拭う。変装した樹脂性の覆面が擦れる。床に手をつき、息を乱しだす。肩から背中にかけて血の染みが広がっていき、変色していく。
「初鳥!」
 湯飲みの薬を飲み干し、初鳥を支えようとする霧隠。
「……霧隠の助けになりたかったのに、かえって負担を背負わせてしまった」
「そんな、そんな事…………!」
「あいつらは圧倒的だ。そして無慈悲で冷酷…………まさしくあれが忍び本来の姿なのだろう。だが時代は変わる……伊賀島校長がサッカーを始めて雷門という殺し合わないライバルが出来たように、我々は変わるべきなのだ」
 初鳥が霧隠の目を見据え、両手で利き腕を包み込む。
「風丸を取り戻せ……伊賀島の誇りを証明して欲しい。霧隠の能力は我らが十分知っているつもりだ。優秀な忍びよ」
「……わかっている」
 頷き、初鳥を布団に横たえて立ち上がった。
 深呼吸をして、寝室を出て宿舎を出る。目指すのは店舗通りにある地下修練場――――。






 地下修練場は薄暗く、いつもならいるカウンターの人間もいない。不気味なほど静まり返っている。
 室内の各ブロックを抜けていき、グラウンドのある大広間への扉を開いた。
 そこにはイナズマジャパンの選手たちが、まるでオブジェのように天井から吊るされて並べられている。彼らはぐったりとしてびくとも動かない。目を凝らせば顔色は悪くないので眠らされているのだとわかる。奥へ奥へと進んでいけば、最奥の壁の中央に風丸が罪人のように十字に貼り付けられていた。祭るように横には傷だらけの伊賀島の仲間たちが苦痛を浮かべて吊るされている。その下には吊るされた選手たちと同じ顔をしたイナズマジャパンが待っていた。
 キャプテン・円堂の前で霧隠が足を止めると、円堂は口を開く。
「ようこそ。君は後輩の中でも礼儀正しいんだね」
 横にいた鬼道が伊賀島の仲間を見上げる。
「礼儀の悪いお友達は私たちがお仕置きしてあげたよ」
「化けるなら、もっとそれらしくしろ。口調が気色悪いぞ」
 歯を噛み締め、瞳に殺意をこめて睨む霧隠。
「口が悪いな。せっかく後輩にフレンドリーに接してやっているのに」
 木暮がにやにやと嫌な笑いをする。普段の悪戯めいたものではない、邪悪で嫌な気分にさせる造りをしていた。
「霧……………」
 風丸が薄っすらと目を開き、細い声で呼ぶ。彼は意識があるのに顔が真っ青であった。
「か、かぜまるっ!?かぜまる!!どうした!!!!」
 踏み出そうとした霧隠を土方が抑え込む。円堂が涼しい顔で回答した。
「落ち着け。ただ毒で死に掛けているだけだ」
「……毒…………!?」
「そうだ。解毒剤はこれだ」
 手を開き、小瓶を見せて顔の横へ持っていく。そうして、さらに摘み上げて大きく口を開く。
「解毒剤は、ここにある」
 ごくん。喉の音を立てて飲み込み、親指で胸を示す。
「勝負をしよう、霧隠才次」
 円堂の瞳が霧隠を射抜く。底知れない威圧感が魂を揺るがせ、凍りつかせる。










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