目に映るのは未来。輝かしい明日だった。
不死鳥
- 前編 -
木戸川清修――――。サッカーの強豪校として知られている。
入学式が終わるやいなや、今年も多くの入部希望者が訪れた。監督の二階堂修吾は新人を並ばせ、部員に一人一人紹介をさせた。
自信に満ちた者、大人しそうな者、緊張している者。皆、それぞれ違う。
中でも特に“異なる”と感じた者がいた。
「豪炎寺……修也です。宜しく」
そう大きくは無い声だが、しっかりと刻まれるように耳の中に届く。
直感で悟った。この少年の奥にある情熱の存在を。例えるなら、冷たい地表に眠るマグマだ。
練習で打たせたシュートで、勘は正しかったのだと二階堂は確信する。
豪炎寺は俗に言う"天才"と称する少年だ。だが、なぜかその呼び名はしっくり来ない。
天才だけなら今まで飽きる程、見てきていた。彼は天才と呼ぶより“サッカーをする為に生まれてきた”と言った方が良い。彼はサッカーに祝福されている。どんな選手に育つか。想像するだけで心が躍った。
しかし、仮にも指導する立場の者が一人を特別視するのはいただけない。けれども、その壁を突き崩すほどの何かを豪炎寺は持っていた。彼は違う。他の誰よりも違ったのだ。
神は豪炎寺にサッカーの才能を与えた。
天は一物も二物も与える事はあるが、全てを与えて満たす事は出来ないだろう。
豪炎寺はサッカーが上手いものの、性格に難があった。感情をあまり表さず、部員が“掴み所がない”と囁いているのを耳にした。嫌われている訳ではないが、接し方に困惑しているらしい。
「二階堂監督」
「おお、どうした豪炎寺」
呼ばれて初めて豪炎寺が傍にいたのを知る。
豪炎寺は熱心で、こうしてよく二階堂に質問をしてきた。二階堂自身も子供たちのように、豪炎寺の気持ちが見え辛い事もあるが、彼が何をしたいのかという意思表現はわかってきたつもりだ。
「なるほどな」
二階堂は背を屈め、同じ目線に立って豪炎寺の話を聞く。
「わかった。なあ、そこの二人。ちょっと来てくれ」
背を伸ばすと部員を二人呼び、練習のコンビネーションを組ませてやる。豪炎寺はサッカーが絡むと意思が真っ直ぐに表れた。ここに集る者は同じ志を持つもの同士。波長が合う時、彼らの心は一つになる。
相談し合う三人の姿に二階堂は離れていき、他の部員の指導にあたった。
豪炎寺はひたすらに高みを目指し、己を鍛えていた。
ある日、彼は決意して二階堂に声をかけてくる。
「二階堂監督」
彼の声はいつの時も耳の中を刻む。
「俺は強くなりたいです」
「うん」
二階堂は頷き、相槌を打った。
「強力なシュートが欲しい」
すなわち、必殺技が欲しいのだろう。
「特訓に付き合ってください」
頭を下げる豪炎寺の髪を二階堂は撫でた。
「わかった。付き合うぞ」
「有難うございます」
感謝する豪炎寺。ぎこちなく感謝を伝えようとする笑みに、二階堂も口が綻んだ。
それから、部活後に二人の特訓が始まった。場所は学校のグラウンド端だ。
壁に何度もシュートを打ちつける豪炎寺の横で、二階堂が指示し、精度を高めていく。
寒い日も、涼しい日も、風の強い日も、豪炎寺はやめる事無く打ち続けた。彼の熱意を汲んで、二階堂も付き合う。
「豪炎寺。今日はこれぐらいにしよう」
「いいえ。あと五本、お願いします」
「わかった。五本だぞ」
二階堂はボールを拾い、パスをして豪炎寺がシュートをする。
「あっ」
同時に声を上げる二人。今、打ったボールに火花が散ったのだ。光が希望のように見え、必殺技の形が出来てきた気がする。
「続けるぞ、豪炎寺」
「はいっ!」
あの火花をもう一度。豪炎寺の疲労しきった足に、蘇らせる力がこもった。
火花は炎となり、炎はさらに燃え上がり、渦を巻き起こす。
「豪炎寺!」
二階堂の呼び声に応えるように豪炎寺は高く舞い上がり、足が炎を纏ってボールを撃ちつけた。ボールは炎を受け継ぎ、火球となって目掛けた場所に炸裂する。
「出来た!」
拳を握り締める二階堂。上空の豪炎寺にも笑みが浮かぶ。
「うわ」
喜んだのも束の間、豪炎寺は蹴った体勢のまま落下した。既のところで二階堂が滑り込んで受け止める。
地面に座り込む二人の男と少年は泥まみれ。だが、そんなのはどうでも良い事。二人は必殺技の完成を喜んだ。
「監督!」
豪炎寺は二階堂の首に腕を回し抱き着いた。
「やったな!」
二階堂も背に手を回して抱き締め返す。
きつく抱き合った後、身体を離して見つめ合う二人は破顔していた。
二階堂の目の前に映る微笑む豪炎寺。彼の本当の笑顔を見たような気がした。
「それにしても……」
豪炎寺の片足を持ち、息を吐く。シュートの連続で随分と熱を持ってしまっている。
「そこで休もう。立てるか」
「はい」
立ち上がる豪炎寺だが、よろけてしまう。
「よし。完成のご褒美だ」
豪炎寺を抱きかかえ、適当に座れる場所へ運ぶ。照れて嫌がる豪炎寺だが、大人しく従った。
「何か飲み物を持ってくる。そこで休んでいなさい」
二階堂は土埃を払いながら行ってしまい、戻ってくると飲み物を買ってきて豪炎寺に渡す。
「凄いシュートが出来たな。明日からは狙いを定めていこう。着地の方も、な」
「ええ」
豪炎寺がまた笑う。一度喜びを味わった彼の顔は、穏やかなものに和らいでいた。
「何か名前をつけようか」
「名前ですか。火……だから……」
「ファイア……うーん……」
腕を組み、顎に手をあて考える二人に、ある名前が浮かび上がる。向き合い、相手を指差して言い放つ。
「ファイアトルネード!」
同じ名前を言うものだから一瞬きょとんとした後、急に笑い出す。
必殺技の名前は“ファイアトルネード”と命名された。
身体を休める間、二人は雑談を交わす。あまり自分の事を話さない豪炎寺も、相手が二階堂だからかぽつりぽつりと語ってくれた。
サッカーの事、家族の事、妹がいる事、勉強の事。ときどき照れ臭そうにはにかんで、薄く笑う。そんな豪炎寺の姿に、二階堂も自然と嬉しくなるのを感じていた。心が通じ合う、とでも言うのか。相手を知っていく心地よさが魂を浸していく。この気持ちを人は“愛”と呼ぶ。
「それでは。俺はこれで」
「ゆっくり休めよ」
一礼し、去っていく豪炎寺の背中を二階堂は見送る。
眺めながら二階堂は思う。部員は自分の子供のように可愛く、愛おしい。豪炎寺も同じだ。二階堂自身は独身子なしの身ではあるが。
しかし、本当にそうかと、心が自問自答する。あのファイアトルネードで舞い上がった豪炎寺の姿が目に鮮明に焼きついていた。飛翔する豪炎寺はまるで火の鳥のように輝かしい生命力で溢れている。それだけではない、豪炎寺が放つシュートの一つ一つが二階堂の胸を打ち、釘付けにさせた。
そもそも、豪炎寺は初めて見た時から“特別”であった。
「…………………………」
頭を振るい、馬鹿げた事をと否定する。
俺は監督なのだ。己の立場を言い聞かせた。贔屓目は子供に見透かされる。もう気付いている子もいるのかもしれない。逃げて誤魔化すように前を向いていた視線が逸れ、狡猾な大人の瞳が細められた。
豪炎寺の覚えた必殺技・ファイアトルネードは無敵といってもいい、圧倒的な力で木戸川の勝利の決定打となっていった。この頃から彼の名前は全国に広まり、生きる伝説となる。有名になっても豪炎寺は驕らず、高みを目指し続けた。二階堂も木戸川の部員と共に戦い続けた。
フットボールフロンティアを勝ち進み、とうとう決勝戦まで辿り着いた。不審な電話も入ったが、前日は部活を休みにし、選手たちを早めに帰らせる。部室で一人整理をしていた二階堂はノックの音を聞いた。
「ん?」
開けるとそこには豪炎寺が立っていた。豪炎寺は二階堂を無言でじっと見上げる。
「どうした。忘れ物か」
首を横に振り、ぼそぼそと答えた。
「監督に……お話した事が……ありまして」
「そうか。入りなさい」
「はい」
部室の中に入れ、二人椅子に座って向かい合う。
「何か困った事でもあったのか」
「いいえ」
一体なんなのだろう。二階堂には本当にわからなかった。
「妹が」
「妹?」
「はい。妹がペンダントを作っているらしく、当日俺にくれるそうです。応援にも来るそうで」
「…………………………」
「…………………………」
豪炎寺は笑いかけようとするが、目を瞬かせる二階堂に表情を固くする。
二階堂は豪炎寺が悩みや緊張で相談しに来たと思い込んでいたので、妹の話題で妙に調子を狂わされて反応出来ずにいた。豪炎寺としては、ただ二階堂に聞いてもらいたかっただけなのだ。練習続きで落ち着ける時間が無く、必殺技を編み出した頃の二人だけで話したように、彼だけにそっと伝えたかった。
「……そうか。良かったな。つい、悩みか何かで来たのかと思ってしまって。すまない」
「いいえ。俺の方こそ、急に来たから」
「ペンダント、良かったら見せてくれないか」
「はい。そのつもりです」
頬の筋肉が柔らかくなり、豪炎寺は微笑む。
席を立ち、ドアを開ける二階堂。豪炎寺が出ようとする時、声をかけた。
「豪炎寺。明日は勝ちに行くぞ」
拳を握り、豪炎寺へ向ける。
「はい」
豪炎寺も拳を作り、彼の拳に合わせた。
真っ直ぐに交差する視線。合わさる拳と拳。
信頼を感じていた。通じ合っていると信じていた。
明日も、明後日も、一週間後も。これからの未来に相手がいるのだと、当然のように思い込んでいた。
何も知らず、何も疑わず、輝きだけを目で追っていた。
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