フットボールフロンティア全国大会決勝戦。帝国学園対木戸川清修――――
帝国学園の勝利により、幕は下りた。
不死鳥
- 後編-
敗北を背負い、膝をつく武方三兄弟の長男・勝。
「なんでだよ!なんで……!」
拳を何度も地面に叩きつけた。彼の悲痛な叫びは、項垂れる木戸川の仲間たちの胸を走り抜ける。皆、同じ思いだった。
負けた悔しさと“なぜ”“どうして”という疑問で頭も心も埋め尽くされ、どうにかなりそうだった。
「…………………………」
二階堂が部員を見回す。そこには豪炎寺の姿は無い。
豪炎寺は来なかったのだ。この決勝戦、彼は会場に出てこなかった。
豪炎寺がいれば勝機は見えたのかもしれない。だがそれよりも、そんな事よりも、もっと大事なものがあった。
豪炎寺も同じ頂点を目指す同士だった。無愛想で、ぶっきらぼうで、掴みにくい人物ではあるが、同じ夢を見ていると信じていた。なのに、それなのに――――
信頼は少しずつ育っていくものだが、壊れるのは一瞬だ。信頼の崩壊。この絶望的な光景を目の当たりにするとは。呼吸が詰まりそうになる。
「監督」
石井が二階堂を見上げてきた。
「豪炎寺から、何か連絡は来ていないんですか」
「それは……」
来ていない。答えようとした二階堂の声を三兄弟の三男・努が喚くように遮る。
「もう良いだろ!あいつは逃げたんだよ!」
きっと何か理由があったはず。返そうとした二階堂は躊躇う。
言わずとも、彼らにはわかっているだろう。だが、悲しみが容量を超え、誰かのせいにしなければ心の均衡が保てないのだ。果たしてそれは弱さだと責められるか。今はその時ではないのは確かだ。
二階堂自身、何がどうしてこのようになったのか把握できない。
昨日の不審な電話のベルが、木戸川の悲運を嘲笑うように頭の中で響き渡った。
翌日の早朝。意気消沈した部員を励まそうと、二階堂は一番に部室へ来た。
彼が早く来るのがわかっていたように、朝霧に包まれて豪炎寺は部室のドアを叩く。
「…………………………」
ドアを開けた二階堂。二人は向かい合う。
会ったら何を聞くのか、話すのか。しっかりと決めていたはずなのに、彼の目を見たら全てが掻き消えてしまう。豪炎寺の瞳は何も映さない。その先に空洞のようだ。外面だけを取り繕った人形のように、中身が抜け出てしまった感覚を覚える。
瞳を合わせただけでこれだ。一体何が起きたのか。冷気が頬をかすって背中に入り込む。
「…………………………」
豪炎寺は二階堂の横を通り、部屋の中へ入った。自分のロッカーを開け、中の物を鞄へ乱暴に詰めだす。
「引っ越す事になりました」
「……っ」
二階堂が足を速めて豪炎寺に近寄る。
「部も辞めます。サッカーもやめます」
「豪炎寺」
「今まで、お世話になりました」
「豪炎寺」
豪炎寺の手首を掴み、引き上げた。豪炎寺は顔を背け、視線を合わせようとしない。
「あのな。そういう言葉は目を合わせて言うものだ」
「離してください」
「豪炎寺。どうした。何があった」
問い詰めようと手首を掴み直したタイミングに逃げられた。
「豪炎寺」
諦めず、触れようとした手を払われる。
悪気はなかったが、爪があたってしまう。
「あっ」
はじかれたように豪炎寺は二階堂を見上げた。しかし、詫びの言葉が出てこない。
「気にするな。豪炎寺、お前あんなにサッカーが好きだったじゃないか」
「もういいんです。もう嫌なんです。サッカーに関わる全てが嫌になりました」
溢れ出し、抑え切れない悲しみが豪炎寺の口から流れる。彼は自分で自分の口を手で覆い塞いだ。
手早く鞄を閉じ、出て行こうとする。
「嘘だろ。またサッカーを始めるだろ、お前は……豪炎寺……」
行くな豪炎寺。二階堂の胸がどうしても逃がしたくない思いでいっぱいになる。
だが、どうやって豪炎寺を止める?どうすれば受け入れてくれる?
強引に引き寄せるのか。振り向かせて掻き抱くのか。個人的なエゴイズムが暴走しそうになる。
歯止めをかけた理性が伸す手は遅れて、指先が襟を掠るだけで止められない。
「二階堂監督」
ドアの前で豪炎寺は振り返る。鞄を両手で前に持って、会釈した。
「ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」
走馬灯のように走り抜ける輝かしい思い出が“迷惑”の単語一つで冴えない色に変化する。
「許されるつもりはありません。お世話になりました」
ドアが開かれ、白い朝日が部室に差し込む。
豪炎寺が閉めたつもりのドアは、薄く開いて揺れていた。彼の心のように、頼りなく揺れていた。
「豪炎寺!」
開け放ち、豪炎寺の名を呼ぶ。遠ざかる豪炎寺の背はそのまま小さくなっていく。
その影は火の消えた蝋燭の煙のようだった。かつて火の鳥とまで思った彼の輝きは完全に失われ、灰と化していた。
本当に豪炎寺はサッカーをやめてしまうのだろうか。
あんな姿を見て、あんな声を聞いたのに、二階堂は肯定しきれないでいた。
惹きつけた彼を、惹きつけられた自分を、本物なのだと信じたかったかもしれない。
あれだけ木戸川清修を応援してくれた声は、裏を返したように非難に変わる。
人は調子の良い時は乗って、責められる理由を知ると途端に指摘し叩き始める。そんな勝手な生き物なのだ。
反論は出来なかった。成果で示すしかなかった。
豪炎寺の抜けた木戸川清修は新たなスタートを踏み切る。武方を中心に猛特訓をし、がむしゃらに能力を上げて行った。その心にあるのは豪炎寺への反発、嫉妬、恨み――――マイナス方面の力。
二階堂はいけないとは言えなかった。彼らの味方は自分しかいないのだ。二階堂が守ってやらねば、誰が守るというのか。
遠い噂で、豪炎寺が転校先の雷門でサッカーをやっていると聞いた。やはり自分の直感は正しかったのだと嬉しく喜ぶ一方で、寂しく思う。もう豪炎寺はここに戻らない、一緒にサッカーをしないという意味でもあるからだ。ずっと紡いできた一抹の期待が途切れ、今の今になって喪失感が襲う。
未練がましさが気色悪い。嫌悪の気持ちを、その日の夜はきつい酒と共に喉へ流した。
喉から湧き上がる辛さが、無性に寂しさを増してくれる。それでも納得しなければならない現実を、喉へ流し続けた。
みっともない。夢の中で豪炎寺に軽蔑の眼差しで叱られたような気がした。
お前のせいだよ、豪炎寺。夢の中なのに黙っていられず愚痴を呟いた。
そして再びやって来たフットボールフロンティア全国大会。準決勝で木戸川清修と雷門は戦う事となる。
豪炎寺が復活したと同時に、こうなる運命は粗方決まっていた。
「絶対に勝つぞ!」
「おー!!」
武方三兄弟の声に、木戸川の部員が応える。言わばこれは雪辱戦でもあった。
「頑張って来いよ」
見送る二階堂。彼らの背中を眺めながら心の内に願う。
この戦いで、木戸川清修の思いと豪炎寺の思いが昇華されるのを。サッカーで集った彼らがサッカーによって通じ合う事を。
試合開始の合図が鳴る。知らずに二階堂は衣服越しに胸を掴んでいた。手に汗握るとでも言うのか、心音が高まって治まらない。監督というのは、こういう時に非常に辛い立場だ。共に走れないもどかしさを耐えねばならないのだから。
雷門サイドで木戸川を狙う豪炎寺は、あの頃よりも仲間たちと意思疎通が出来ているようだった。試合中は突っ走るしか出来なかった彼が、周りに目を向けている。
木戸川で失ったものを取り戻し、木戸川で手に入らなかったものを持っている。しばらく見ぬ間に随分と彼は成長したものだ。
「…………………………」
口の中が渇き、ごくりと生唾を飲む。
この気持ちはなんなのだろう。試合中に不似合いな複雑な感情が支配していた。嬉しいはずなのに寂しく、悔しささえ覚える。
「あっ……」
思わず声が漏れた。豪炎寺の走りが変わった。木戸川の部員たちが一斉に構えて阻止にかかる。かつての仲間なら直感的に悟るはず。しかし止められず、豪炎寺が飛び上がった。
足が炎を巻き起こし、ボールに蹴りこまれると唸る。ファイアトルネードが炸裂した。
火球となったボールは真昼の隕石のようにゴール目掛けて飛んで行く。色あせないどころか、威力は去年よりも上回っていた。豪炎寺の完全復活――――彼の必殺技を見て、確信する。
絶望し、灰と化したような豪炎寺の姿はもういない。灰から蘇る鳥を不死鳥と呼ぶのだと、どこかで聞いた気がした。蘇った翼は漲る生命力を纏い、さらなる高い空へと飛んだ。
この得点が決定打となり、木戸川清修は敗北した。
しかし、部員たちには去年のようなわだかまりは無い。そんなものは空へ投げ捨てたように、彼らの顔は清々しい。暗雲は晴れ、心の快晴が広がっていた。
雷門の生徒と木戸川の生徒が入り混じる中、何の偶然か二階堂と豪炎寺の間が引いて道が出来る。
「二階堂……監督……」
豪炎寺は胸元で利き手の指先をもう一方の手で隠していた。
彼が去ってしまった日。爪があたった事をふと思い出す。まさか気にしていたとでもいうのか。もう新たな居場所を手に入れた彼に、木戸川は通過点でしかないのに。
「…………………………」
俯く豪炎寺。傍にいた仲間たちが何事かと気遣いだす。
二階堂は歩み寄り、名を呼んだ。
「豪炎寺」
顔を上げる豪炎寺に笑ってみせる。
「良い仲間たちじゃないか。大事にしなさい」
「監督、あの時……あんな事を……」
「なぁに。嘘だろと言ったろう?俺はずっと信じていたさ」
「…………………………」
「…………………………」
豪炎寺の口元が弧を描く。微笑み合うが、二人の唇は微かに震えていた。
精一杯の強がりであった。幸せだと笑って見せることが誠意だと信じて。
立ち尽くす二人に言葉は無い。今口を開けば、必死に保っている心の壁が崩れてしまいそうだった。
指先が冷え、固くなる。僅かに動いた第一関節が軋む。
こんなにも近くに、求めていた存在がいるというのに。苦い思い出が、二人の間に出来た溝が立ち止まらせる。
それでもここまで来たのだ。二階堂はそっと腫れ物に触れるように豪炎寺へ手を伸ばす。豪炎寺も伸ばし、指で指を掴んだ。
伝わってくる熱が、炎のように熱かった。
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