夜。豪炎寺が家に帰ってくる。
「修也さん、お帰りなさい」
家政婦のフクの出迎えに彼はぎこちない笑みで返し、そのまま自室に入っていく。
今夜、友達の家に泊まると出て行ってその日の内に帰ってきた。
詮索されなかった事に胸を撫で下ろす。
「はぁ」
溜め息一つ。豪炎寺は自室に入るなり、鞄を投げるように置いてベッドに飛び込んだ。
頭の中がぐしゃぐしゃで早く眠ってしまいたかった。けれども目を瞑れば、ぐしゃぐしゃにさせた相手の声を思い出してなかなか眠れない。
喧嘩をしたら
- 前編 -
この日、豪炎寺は二階堂の家に泊まりに行くつもりで尋ねた。
二人は密やかに会っては関係を深める関係であった。
ところがそこで大喧嘩になってしまい、豪炎寺は出て行って家に帰ってしまったのだ。
喧嘩の原因は些細なもの。そのはずだったのに、あんなに二階堂が怒るだなんて吃驚して、悲しくて、ついムキになって悪化させてしまった。
二階堂は元から温厚な性格で、悪さをした生徒には叱るが、今夜の豪炎寺に対しては怒った――――。
「あんなに怒らなくてもいいじゃないか」
唇を尖らせて愚痴を吐く。胸の中は不満でいっぱいだった。
豪炎寺は二階堂には一人前として認めて欲しい思いがあり、追いつこうと背伸びをしていた節がある。だがしかし、いざ怒られれば子ども染みた甘えがチラついた。
良いところは大人扱いしてもらい、悪いところは子ども扱いで見逃して欲しい。そんな調子のいい本音が二階堂に怒られる事により浮き出てしまった。
「二階堂監督、なんか。二階堂監督の」
うつ伏せでもぞもぞと動き、枕に顔を埋めて呟く。
「ばか」
唇は尖ったままでなかなか戻ってはくれなかった。
一方、二階堂も豪炎寺が出て行った一人きりの家で溜め息を吐いていた。
「あーあ」
大人気なかった、と後悔が胸に圧し掛かる。
気持ちがこうして冷静だったならば、あんなにも怒らなかったように思う。
そもそもなぜ怒ったのか。記憶を辿れば豪炎寺の態度に原因があった。普通にいられないなにかがあったのだ。
ただの子ども相手だったなら、こんな感情にはならなかった。
「あいつはもう、俺にとって普通じゃないんだよな」
ぽつりと本音を言う。
これを直接豪炎寺に告げたのなら、たぶん仲直りは上手くいくだろう。だが、こんな事は言えはしない。豪炎寺が思っているよりも二階堂は不器用で意地っ張りで素直じゃない。
「豪炎寺のばーか」
言えはしないもう一言の本音。
行き場のない本音ばかりが募り、虚しくなった。
翌日。豪炎寺は何事もなかったかのように仕度を整えて学校へ向かう。途中、円堂に出会って挨拶をされた。
「よっ!」
「おはよう」
挨拶をするなり、円堂は豪炎寺の前へ回りこんで顔を覗きこむ。
「どした?」
「えっ…………」
見透かされたような感覚に言葉が出てこない。
円堂は豪炎寺の後ろにいた栗松に手を振り、彼を呼び寄せる。
「おはよう栗松!」
「おはようございますキャプテン。あれえ、豪炎寺さんは元気なさそうでやんすね」
「だろだろ?そう思うだろ?」
二人でじーっと顔を眺められ、豪炎寺は熱視線に耐え切れずそっとそらす。
「そう、か?そんな日もある」
「キャプテンこれはきっと」
「うん?」
豪炎寺の返事など聞かず、栗松が円堂に耳打ちする。
「ふむぅ、なるほど。よくわからないが、すっげーな豪炎寺!」
「は?」
「シツレンか、うん。そっか」
「えっ」
「キャプテン、これは放っておくのがいいでやんす」
「だな。行くか」
「はいでやんす!」
円堂と栗松は軽く握った拳を腰上に持っていき、脇をしめて"えっほえっほ"と駆けていく。
「…………なんなんだアイツらは」
豪炎寺は二人の背に顔をしかめ、一人頭を振るう。
彼らより遅れて登校し、朝練を終えて部室で着替えていると、いきなり半田が机に突っ伏した。
「なぁ聞いてくれよぉ……俺やっちまった。やっちまったんだよぉ」
「どうしたの」
仲間たちが面倒がって聞こえない振りをする中、影野が声をかける。
「いい感じだった娘と喧嘩しちゃってさ。もう駄目かも。別れるしかないかも」
「そうなんだ」
淡白な反応に半田は黙り込んだ。
そんな中、豪炎寺がボタンを留めながら半田の前に歩み寄る。
「どうして別れるんだ?」
「……………?」
ぎぎっ。半田が椅子を引き、豪炎寺を見上げた。
「喧嘩をしたら、どうして別れるんだ?」
「だって仲が険悪になるんだぞ。上手くいかなくなるじゃないか」
「仲直りすればいいじゃないか」
「どうだろ。相手にその気がないとか、さ」
ふー。半田は息を吐き、また突っ伏す。
ごと。机に頭があたる音と同時に、豪炎寺の頭の中が真っ白になる。
――――相手にその気がないとか、さ。
半田の言葉が豪炎寺には衝撃であった。
昨日の大喧嘩を理由に二階堂が別れを告げてきたら。考えるだけでゾッとした。
そして、朝の円堂の言葉がパズルのように組み込まれる。
――――シツレン。
豪炎寺は、二階堂と別れるかもしれない危うい立場にいる事を悟ってしまった。
「……………………………」
「豪炎寺さんどうしたんですか?」
「少林、触れないであげるでやんす」
立ち尽くす豪炎寺を不審に思った少林寺を栗松が制する。
昨夜はただただ心が乱れていたが、今日は気落ちしてしまっていた。
午前の授業は耳に入らず、食事も味を感じず、さっさと済ませて屋上でのんびりと過ごす。心が淋しくて仕方がなかった。こんな時、二階堂の明るい笑顔に包まれたいと思うのに、原因が二階堂なのだから出来はしない。
隅に寄り、携帯を開いて細く零す。
「かんとく、は。かんとくを怒らせる俺が嫌いになるのですか」
メールを開こうとするが、指がかじかんだように動かなくてやめた。
その頃、二階堂も二階堂で異変に気付いた生徒から面倒くさがられていた。
「監督、今日辛気臭いじゃん?俺たち生徒はいい迷惑なんですけど」
「超まじうざい。プライベート持ち込むなっての」
「いやいや職場であったかもしれないし。生徒には見せないで欲しいもんだよね」
ひそひそ話を二階堂の傍で堂々と交わす生徒たち。二階堂は心の内で反省と苛立ちを抱きながら食堂を後にする。
「俺、なにやっているんだろうなぁ」
頭に手をやり、髪をくしゃくしゃさせた。
「あいつ、まだ怒っているかな。あいつから俺に連絡してくれるのを待つべきかな」
携帯を取り出すが開かずにしまう。
「なんて言えばいいのか、わからないな。難しいよ」
溜め息ばかりがやたらと出る。夜は飲もうなどと、後の予定ばかりが浮かんでいた。
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