どんな幸福にも隙間がある。
そこから吹き込むのは冷たい罪。
罰の匂いを掠めて通り抜けていく。
幸せの隙間
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休み時間。同じクラスの円堂と木野は顔を見合わせてから、後ろにいる豪炎寺の席へ向かう。
彼は携帯を眺めており、二人が傍に来てやっと顔を上げる。
「豪炎寺」
「豪炎寺くん」
笑いをこらえながら、呼びかけた。何がそんなにおかしいのだ。理由の分からない笑いはあまり良い気分がしない。
「どうした」
問うと、待ってましたとばかりに円堂が豪炎寺の机に手を置く。
「良いニュースだよ」
「そ、とってもね」
「だからなんだ」
「聞いて驚くなよ」
円堂が腰に手をあて胸を張ると、木野が横に動いて円堂に注目とばかりに手をかざした。
「なんとこの度、木戸川清修と練習試合を含めた合同練習を行う事になりました」
「…………そう、なのか……」
目をパチクリさせる豪炎寺。反応は予想を大きく下回り、薄い。
「もっと喜んで良いんだぞ」
「交渉したのは私だけどね」
「あ、ああ」
頷き、笑ってみせる。
「前のチームと一緒に練習できるんだぞ」
円堂が身を乗り出して肩を叩こうと手を伸ばす。すると、豪炎寺は持ったままの携帯を閉じた。
「有難う。楽しみだな」
「おうよ」
肩を数回叩き、円堂は木野と自分の席へ戻っていく。彼らが離れると、豪炎寺は携帯を開いた。
画面にはメール受信欄が表示されており、選択されているのは差出人“二階堂修吾”のメール――――
そこには円堂たちが話した練習試合兼合同練習が行われると書いてあった。
かくして当日。練習試合は休日に河川敷グラウンドで行われる。午前に練習、昼を挟んで午後に試合という形式になった。
雷門、木戸川の選手たちは共に練習をして汗を流し、待ちに待った昼食がやってくる。打ち解け合ったのか各チームは混ざり合い、和気藹々と草の絨毯に弁当を並べて食べ始めた。この日は天気にも気候にも恵まれ、心地良い事この上ない。
「はー……風が気持ち良い……」
木野の髪が風に揺れる。
「本当だ」
「うん」
「おー……」
彼女の横に土門、一之瀬、西垣が並ぶ。
「まさかご飯も四人で食べられるなんて思わなかったよ」
「ほんっと久しぶりだよな」
それぞれが顔を見合わせ、微笑み合う。
その横では武方三兄弟と影野と目金が輪を作り、下の方では円堂、風丸、豪炎寺、染岡、松野、難山、跳山がいた。円堂と難山はGK同士の連帯感が生まれ、松野の面白おかしい話に風丸、染岡、跳山が涙を浮かべて笑い、間の豪炎寺は双方の話に耳を傾けながら黙々と弁当を食べている。
「ごちそうさま」
豪炎寺が空の弁当箱を閉じた。
「早いな豪炎寺」
「散歩行って来る」
彼は立ち上がる。
「俺たちここにいるし、荷物預かっておくよ」
「すまない」
礼を口にして、仲間たちから離れた。
しばらくすると、西垣が円堂たちのもとへやって来る。
「おーい、難山」
「ん?どうした」
「二階堂監督知らないか」
「いいや」
首を振る難山。西垣が言うには、武方三兄弟も知らないので難山の所へ聞きに来たらしい。
「参ったな。試合の事で質問あったのに」
バンダナを掴み、困った顔をする。
そんな彼の横を石井が通りかかった。
「ああ石井。監督知らないか」
「監督なら川の方へ散歩しに行くって」
「そっか。助かった」
肩を軽く叩き、西垣は川の方へ下りていった。
「さーて。監督は、と」
川に沿って歩きながら、辺りを見回す。
一之瀬たちと話をしている内に午後の試合の事で熱くなり、対策に向けて二階堂の助言が欲しくなったのだ。
仲間たちから離れると、急に辺りは静かになる。こんな離れた場所まで行く訳無いか。そう思って引き返そうとした時であった。
楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
声のした方は、大きな雷門シンボルが飾られた橋の向こう側だ。
橋の下へ潜れば、さっと影が出来て雰囲気が変わる。近付くにつれ、声が二階堂のものだとわかってくる。
「………………………………」
西垣の歩調は弱まり、やがて止まった。
橋の先の川の近くに二階堂が見える。二階堂は一人ではなかった。彼の傍には雷門の生徒がいた。
立てられた襟と逆立てた色素の薄い髪。名前は確か豪炎寺だった。
西垣は今年からの転校生なので詳しくないが、豪炎寺はかつて木戸川に在籍していたと聞く。
二階堂と豪炎寺は何かを話しており、遠くからでも楽しそうな雰囲気がよくわかった。
「………………………………」
そんな二人の姿に、西垣は何か嫌な感じがした。
声もかけ辛いし、近寄りたくない気持ちが湧き起こる。なぜか自分の存在を隠したくなり、橋の柱の陰に隠れて二人の様子を伺った。
何なのだろう、この気持ちは。あくまで感じであり、具体的なものが浮かばない。
西垣の視線など気付かずに、二人は会話をし続ける。
寄り添い合い、肩を揺らして笑う。微笑ましい光景なのに、どこか独特だった。何かが違うのだ。
不意に豪炎寺が二階堂の腰にしがみつく。二階堂は“やめなさい”と窘めるものの、満更でも無い様子。豪炎寺の腕の絡みつきが、やけにべったりとしており胸が詰まりそうになる。
嫌だな。西垣の率直な感想であった。
まさにこれは、見たくは無いもの。
一人だけ、しかも他校生を特別そうに扱う二階堂が嫌だった。
木戸川を転校した身なのに、二階堂一人に近付く豪炎寺が嫌だった。
けれど、二階堂は木戸川の監督で部員は西垣も含め慕っている存在だ。そのせいか、嫌悪対象はよく知らない豪炎寺に集中してくる。的が決まると、急に二人を引き剥がしたくなった。豪炎寺にこれ以上、二階堂に触れていて欲しくなくなった。胸の中に、悪意が募っていく。
せっかく幼馴染と一緒にいられて幸せだったはずなのに。なんでこんなものを見てしまったのだろう。ついていないとすら思う。
深呼吸をして、西垣は声を上げて駆け出した。
「二階堂監督ーっ」
声がするなり、豪炎寺が反射的に腕を離す。やはり後ろめたい何かがあるのだと邪推した。
「おお、どうした西垣」
返って来た二階堂の声も、普段より僅かに高い気がする。複雑な心中を悟られないように、西垣は明るい声で話す。
「午後の試合の事ですよ。監督にご享受願いたいなって」
「そうだな。雷門に負けてられないからな」
二階堂が豪炎寺へ目を向けると、穏やかに微笑む。
「じゃあ早速、作戦会議です」
背中へ回り、二階堂を押した。
「わかったわかった。豪炎寺、グラウンドでな」
「はい」
返事をする豪炎寺を、西垣は振り向く。微かな交差でも豪炎寺は察した。
蔑むような西垣の視線を。漠然とした嫌な予感が胸に淡く広がった。
昼休憩が終わり、練習試合が始まる。双方退かぬ戦いで、存分にサッカーを楽しんだ試合が出来た。何事も無く終わったと安堵した豪炎寺であったが、荷物を片付けていると鞄を背負った西垣が歩み寄ってくる。
「豪炎寺……だったよな」
西垣の接触に豪炎寺の傍にいた円堂と風丸、友人の一之瀬と土門が振り返った。
「皆には一人で帰るって伝えてある。ちょっと付き合ってくれないか」
西垣の見据える瞳は刃物の切っ先のように鋭い。攻撃的な色を映していた。
「どうしたんだよ西垣」
一之瀬が肩を竦めて言う。
「ちょっと、な」
「良いだろう」
豪炎寺は鞄を背負い、頷く。
皆から離れていく西垣と豪炎寺の背中。疑問が漂い、気になった。
橋の上に登り、いくらか歩くと西垣は足を止めて向き直る。目を細め、下から上へと豪炎寺を眺めた。
「あのさ。二階堂監督と随分仲良さそうだったな」
「ああ……監督には木戸川にいた頃、とても世話になったから」
淡々と答える豪炎寺。ここまでは何ら可笑しくは無い。
「監督、随分お気に入りみたいだな。でもさ、二階堂監督はウチの監督なんだ。ああいう事はやめて欲しい」
「ああいう……?」
「いちいち、言わなきゃいけない?」
冷たい風がすり抜けるように、豪炎寺の顔から血の気が引く。
「はっきり断らない監督も監督だけど、甘えきるお前もお前じゃないか。まさかそういう趣味?とやかく問わないが、二階堂監督はやめてくれ」
「………………………………」
豪炎寺に反論の意思はない。西垣は止めの一言を吐く。
「迷惑なんだ」
迷惑。その一つの単語が豪炎寺に圧し掛かった。
西垣がどこまで知っているのかはわからない。けれども豪炎寺が二階堂へ思慕を抱いているのは確かで、それがいけない事だとも理解している。しかし“許されないから”と諦められない。出来ないからこそ、余計に罪の意識が深まった。
「………………………………」
黙ったままの豪炎寺。これは西垣の言葉を受け入れていないようなものだ。
「俺の話、聞いてるよな」
「ああ」
「二階堂監督に必要以上に近付くなよ」
「………………………………」
「あのな」
落ち着いていた西垣の声色に苛立ちが入り込む。手を伸ばし、胸倉を掴んだ。
「いい加減にしろよ」
「すまない」
豪炎寺は瞼を閉じた。
肌を叩きつける音が鳴り響く。
「……すまない」
瞼を開くと、頬に手形が赤く浮かぶ。
「これで済まされると思うなよ」
「わかっている」
「…………っ……」
叩いた西垣の手が拳を作り、震える。
「くそっ」
掴んだ手を解放させた。豪炎寺は胸元を正し、背を向けて去っていく。
一人残った西垣は橋の手摺りに殴りつける。
叩いて、殴って。痺れるように痛みが湧いてきて空いた手で包み込んだ。
西垣の嘆きを悟るように、豪炎寺は歩みを止めて振り返る。河川敷の橋に夕日が重なって、眩しさに顔がしかめられる――――。
いっそ適当に口だけでも認めていれば、西垣は怒らなかったし、叩かれもしなかっただろう。
けれども豪炎寺には出来なかった。二階堂に再会した時、彼は一人決意したのだ。もう自分から二度と彼から離れないと。
「………………………………」
携帯を取り出すと、メールを受信したランプが点いていた。開いてみれば、二階堂からメールが届いている。内容は今日の練習試合のことだ。ざっと見て、携帯を閉じる。
今日会ったばかりなのに、文字を見るだけで声を聞きたくなって見ていられなくなった。
離れたくない。絶対に離れたくない。持つ手に力がこめられ、ストラップが揺れて音を立てた。
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