もう二度と会えないかもしれない。
そんな人に再び巡り会えるのなら、その心は何を誓うのだろうか。
幸せの隙間
- 2 -
『西垣』
笑顔で二階堂が西垣を呼ぶ。
『アメリカにいた頃の友達と再会できたんだって?良かったな』
自分の事のように二階堂は喜んだ。西垣ははにかみながら言う。
『はい。もう二度と会えないって思っていた奴もいて』
再会出来た時の涙が戻りそうになるが、笑って見せた。
『サッカーやってて良かったぁ!』
二階堂も笑い、西垣の頭を撫でる。
大きな手が優しく触れてくれた。
心から木戸川清修のサッカー部に来て良かったと思ったものだ。
西垣はゆっくりと瞼を開けた。耳から朝を告げる鳥のさえずりが聞こえる。
頭に手を置き、あの時撫でてくれた二階堂の笑顔を思い出そうとする。離した手を目の前で開閉させた。
昨日、豪炎寺を叩いた記憶も過ってくる。
怒りに任せて、抵抗を見せない豪炎寺に手を上げてしまった。いささか早計過ぎたかもしれない。
手を握り締め、胸に置く。一度踏み込んでしまったからには、このままで終わらせるのは逃げも同然だった。
俺はどうしたいんだ。自問自答を心へ問い続けた。
ベッドから身を起こし、携帯を手にするとメールが二件届いている。前日から知ってはいたが、今日まで開く気にはなれず保留していた。差出人は土門と一之瀬。恐らく、いや絶対、河川敷での豪炎寺の誘いを不審に思って様子を伺ってきたのだろう。開いてみれば、やはりそんなような内容だった。
土門と一之瀬は雷門。豪炎寺も雷門で、彼らはチームメイトだ。
幼馴染の二人や木野は、豪炎寺の事をどう思っているのだろうか。ふと、そんな疑問が浮かぶ。
西垣は豪炎寺の事をあまり知らない。転校した身で二階堂監督にひっつこうとするズルい奴という印象で昨日は埋め尽くされていた。けれど少しは冷静になれた今日。豪炎寺を知りたいという余裕が出来てきたのだ。
開かれたままの携帯を西垣は見据え、決意して頷く。
しかし、思うだけでは割り切れずに、学校ではあまり二階堂の顔を見られなかった。
放課後、稲妻町の駅前で西垣が待っていると、手を振りながら一之瀬と土門が来てくれた。
「よお西垣っ」
西垣も軽く手を上げて応える。
「雷雷軒にでも行こうか。ラーメン屋でさ、俺たちの監督が経営してんの」
「へえ、わかったよ。行こう」
商店街へ行き、雷雷件に入った。一之瀬たちが言う通り、雷門の監督・響木が店主をしていた。
「いらっしゃい」
テーブル席に座り、適当に注文をする。
お待ち、とラーメンが置かれると一之瀬は頬杖を突いて西垣を見た。大きな瞳がきょろりと動く。
「昨日はさ、一体どうしたんだよ。ちょっと怖かったぞ」
「豪炎寺……どうしてる」
「普通かな。そういうの、分かり辛い奴だし」
「そうなんだ」
視線をラーメンに移し、麺を啜る西垣。
「豪炎寺と何を話したんだよ」
「ほら……豪炎寺って元は木戸川にいたんだろ?俺はよく知らないから、興味があってさ」
本当の事はさすがに言えない。
「それだけ?」
土門の瞳が西垣を見据える。友に誤魔化しは通じない。
「ん……うん……」
箸でラーメンを意味も無く掻き混ぜた。奥の方に沈んだ具が泳ぐ。
「俺たちにも話せない?」
「どう話せば良いのか……俺自身にもわからない事があって……。豪炎寺ってどんな奴なのか、お前たちに聞けば見えてくるかもって呼んだんだ……」
「そっか」
「昨日……豪炎寺に酷い事を言って、引っ叩いちまってさ」
「そっか」
一之瀬は伸びをして、ごちそうさまと告げた。
言わないでおこう。会う前はそう決めていたのに、友といると不思議と口から本音が出てしまう。
「西垣さ、一人で考えてわからないなら答えが見つかるまで俺たちは協力するよ。なあ一之瀬」
「異論なーし」
「土門……一之瀬……。有難う」
西垣の箸が止まった。
「俺たちはやっと再会できたんだ。どこまでも付き合っていくつもりさ。離れないぜ」
「そうそう。で、豪炎寺の事だっけな」
土門が本題を口にし、一之瀬は見たまま思ったままの豪炎寺像を語り出す。
豪炎寺もまた、土門や一之瀬と同じ転校生で、元は木戸川にいた事。中学サッカー界の伝説のプレイヤーだった事。帝国が雷門に転校した豪炎寺を探りに試合を申し出た事。性格は一見寡黙だが、内なる情熱を抱いている事――――
西垣の中で、豪炎寺という男がどういう人物か少しずつ見え始めてきた。
話しこんでいると、不意に一之瀬が“あっ”と声を上げて指差す。声に反応して指差す方を向けば、ガラス製のドア越しから円堂と豪炎寺が通るのが見える。円堂は雷雷軒の前で止まり、手を振って豪炎寺と別れて店に入ってきた。
「あれ?お前たちもいたのか」
目を丸くする円堂に、三人は乾いた笑いをする。
「豪炎寺が見えたけど、あいつは」
土門が問う。
「ああ、病院に行くって。家族の人が入院しているんだ」
「初耳。円堂、こっちに座るか」
一之瀬は通路側の席から一つずれて円堂を招いた。
「お、どうも。監督、ラーメンください」
「ここでは店長と呼べ」
「はい店長っ。ラーメンお願いします」
「ふむ」
響木のサングラスが納得したようにキラリと煌く。
円堂は西垣と目が合うなり“昨日はどうも”と、木戸川との練習試合の礼を述べた。
「ああそうだ円堂。ほら、木戸川って前に豪炎寺がいただろう?西垣は転校生で豪炎寺の事はあまり知らないから興味があるそうなんだよ」
当たり障りの無い流れを作る土門。
「なあ円堂。豪炎寺って第一印象、どうだった」
「うーん……どうというか、強いプレイヤーってのを教えてもらってさ。でも出会った当時はサッカーをしたがらなかったんだ。今は心の整理がついたようでやっているけどな。あっ」
円堂は何かを思い出したらしく手を合わせ、注文したラーメンも同じタイミングで出来上がった。
「木戸川って言えば、豪炎寺は自分から昔の事はあまり話さなかったんだけど、フットボールフロンティアで木戸川の試合が終わってから、ときどき話してくれるようになったんだ」
箸を割り、ラーメンを見下ろす円堂の瞳が半眼になる。それはどこか寂しげな色を映していた。
「サッカーを捨てて雷門へ来たから、木戸川とあたるなんて当時は夢にも思わなかったって。もう二度と会えないなんて思っていたらしいぜ」
「もう二度と……か。ははっ」
突然、土門は声を上げて笑い出す。
「どうしたんだよ、土門」
「いやね、俺もそんな事思っていた時があってさ」
思い出話だよ。そう土門は静かに首を横に振った。
土門は思う。帝国のスパイだった頃の自分は、木戸川を出た豪炎寺の心境と似ているような気がした。
「円堂、俺は感謝しているんだ。お前のおかげと言っても良い。こうして一之瀬や西垣、アキにまた出会えてラーメン食ったりして……」
「おいおいやめろって」
照れた円堂は手をぱたぱたと振る。
「だって本当の事さ。円堂が巡り合せてくれた絆、俺は二度と離さないつもりだ」
「さっきも言ったぞ土門。俺も同じ気持ちだけどな」
「俺もだ」
一之瀬が手を前へ差し出す。土門と西垣が重ね合わせ、三人の手が円堂の手に乗った。
くすぐったさに誰かが笑い出し、伝染して皆笑い出す。
彼らを傍らで見守る響木のサングラスが、また煌いた。
木戸川の地へ戻る西垣を、駅前まで一之瀬と土門は見送った。
「なあ西垣。何か見えてきたか」
「ああ、少しずつ。お前たちがいてくれて良かったよ」
「それは良かった」
三人は手を硬く握り合う。離そうとする際、ばつが悪そうに西垣は話す。
「今度機会があれば俺が自分から言うけどさ。豪炎寺に悪かったって伝えておいてくれ」
「わかった。言っておく」
「またラーメン食べようぜ。試合もしようぜ」
「ああ」
手を振り、西垣は改札を抜けていった。姿が見えなくなるまで彼を眺めていた二人の背に聞き慣れた声が放たれる。
「ねえ!今の西垣くん?」
振り返れば木野であった。一度自宅に戻ったらしく、私服姿だ。買い物袋も提げている。
「そうだよ。さっき、雷雷軒でラーメン食べたんだ」
「ええっ。来ていたなら私も呼んでくれれば良かったのに」
「あー……ごめん。その……男同士の話でさっ」
「ずるい。そうやって私を仲間はずれにするのね。アメリカの時からそうだよね」
木野は口を尖らせ、たじたじになる二人の少年。
「悪かったよ。今度一緒にラーメン食おう」
「ラーメンが食べたいんじゃないよっ」
「一之瀬……」
一之瀬のボケを肘鉄で土門が突っ込んだ。
「いいよ。今度また木戸川に練習試合申し込んでやるんだから」
なんだその挑戦状のような言い方は。火の点いた木野を二人ではとても止められない。
しかし、木戸川とまた練習試合が出来るのは願ってもみない事だ。
「その、アキ……いえアキさん。お荷物お持ちしましょうか」
土門が木野の買い物袋を持つ。
「本当?もう一軒行こうと思っていたから助かるよ」
けろりと木野は機嫌を直し、明るく笑う。その変わり身の早さは怖気すら感じる。女とは恐ろしい生き物だ。
「その店の荷物は俺担当って訳ね」
「ふふっ。じゃあ行きましょう」
木野が歩き出し、土門と一之瀬が三歩後をついていく。
西垣ももう少しいれば四人また揃ったかもしれない。後悔とは違う、起こり得た可能性が過った。
また今度がある。明日の存在の素晴らしさが甘く円やかさをもって、胸の内に溶け込んだ。
西垣が木戸川に戻る頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
改札を抜けると、制服に気付いたのか帰りらしい二階堂が声をかけてくる。友と話をして迷いが晴れる兆しは見えてきたが、こうも突然だと心の準備は出来ておらず困惑した。
「西垣じゃないか」
「監督……」
「家へ帰らず寄り道か」
「その……こないだ話した幼馴染に会ってきたんですよ」
「ああ。彼らか」
二階堂はいつかの話を思い出し、二人は並んで歩き出す。
「監督はお帰りですか」
「これから夕飯の買い物さ」
「作ってくれる彼女とかいないんですか」
「痛い所突いてくるな」
苦笑を浮かべる二階堂。それは建前のようで、何ら痛みは受けていないと見える。寧ろとても機嫌が良さそうだった。
豪炎寺がいるからか。そう邪推してしまう西垣の浮上しかけた気持ちは沈んでいく。
「そうだ。幼馴染から聞いたんですけど、前にウチにいた豪炎寺は一度サッカーをやめるつもりだったらしいですね」
視線を忙しなく彷徨わせ、言葉を紡ぐ。
「ウチと二度と会えないかもって思っていたらしいですよ」
「そうだったのか……」
相槌を打つ二階堂の表情は神妙だった。
「それで土門が、幼馴染が言ったんですよ。俺にも似たような思いがあったって。再び巡り会えた絆を二度と離さないって……」
西垣は二階堂の顔を見上げる。瞳が意思を秘めて真っ直ぐに貫いた。
「二階堂監督は豪炎寺にまた出会ってどう思いました?」
「先生、か?」
「はい」
「豪炎寺はサッカーをやめないって信じていたからな。またきっと会えるって思っていたよ」
「そんなにずっと信じていたんですか。豪炎寺は信じた通りの奴だったんですね」
二階堂は瞳が素早く瞬く。
「西垣、どうした。刺々しいぞ」
「そうもなりますよ。豪炎寺は雷門で、監督は俺たち木戸川の監督なんですから」
「もし西垣がまたアメリカに行っても、先生はずっと覚えているよ」
「そういうんじゃないですよ」
「じゃあなんなんだ……」
西垣の刺は鋭さを増すばかりで、二階堂は対応に戸惑う。
「監督は豪炎寺をどう思っているんですかって聞いているんです」
「どうって……大事な教え子だよ」
お前もそうだよ。そう言っている意味にも聞こえて、余計に苛立ちが募る。本当はもっと特別に思っているくせに。西垣自身、会話を交わす内に二階堂に何を求めるのかわからなくなってくる。
別に二階堂に豪炎寺への想いを認めて欲しい訳でもない。木戸川の監督としての回答を求めている訳でもない。ではなんなのだろうか。
ただ、お互い一人の人と人として接して欲しいだけなのかもしれない。人間らしい、少しの弱みが見られれば満足したかもしれない。しかしそんな本心は、いかにも青臭くて心が認めるのを拒否している。
「わかりました……もう、いいです」
西垣は足を止め、諦めたような溜め息を吐く。けれども唇は尖り、不満を隠しきれない。
「その、西垣……ごめんな」
「謝らないでください……勝手に解決させようとしないでください」
西垣は違う方を見て、ここから別の道だと合図した。
「俺の方こそ、すみません。明日からまた、ご指導お願いします」
一礼して、薄暗い住宅街へ駆けて行った。
消えていく西垣の背に、二階堂は一人呟く。
「難しいなぁ」
西垣が二階堂の本音を探ろうとしていたのは察していた。
一言愚痴でもこぼせば良かったのだろうが、それは出来なかった。年上で、大人と呼ばれる以上、見栄を張ってしまうからだ。なんの意味は無くても、そうしてしまうのだ。
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