辛い事や嫌な事があった時、どうすれば忘れられるのだろう。
 眠ってしまったり、食べ物で胃を満たしたり、時間が解決するのを待ったり。
 それらよりも何か、もっと楽で心地の良い方法は無いだろうか。
 周りを見回せば多く溢れている。
 一人だけではない。誰もが辛く、孤独であるのだから。



夜間外出
- 前編 -



 丘の上の一軒家。勇者ロトの子孫の三人組はこれでもかという程、老夫婦に頭を下げられていた。
「旅のお方、本当に有難うございますだ」
「ですだ」
 曲がった腰をさらに曲げて何度も何度も礼を言う。
「い、いえ。当然の事をしたまでです」
 代表としてロランが老夫婦の頭を上げさせる。
 砂漠を越えてきた彼らの装束は身体をすっぽり覆うフード付きマントを身につけており、一見性別や年齢さえもわからない。
「当然とは。すんばらしいお方だ」
「ほれ、おめえもお礼を言うだよ」
 老婆は足元に隠れている少女の肩を抱き、前に出させる。
 この少女は老夫婦の孫であり、外に迷い込み、魔物に襲われそうになった彼女をロランたちが助けたという次第である。
 魔物が怖かったのか、少女はずっと不安そうに縮こまり、心を開こうとしない。
「助けていただいたのに失礼をお許しいただきたい。この娘の両親は先月魔物に殺されてしまい、極端に怖がりになってしまって」
「私らが目を離した隙にまた怖い思いをさせてしまっただ。外なんて滅多に出ない娘でしたのに」
「そうだったんですか。じゃあ……」
 ロランの後ろにいたルーナが中腰になりフードをはずして少女に笑いかける。
「貴方が欲しかったのはこれかしら」
 マントから現れる手には白い花が握られていた。
「あっ」
「どうぞ」
 少女が声をあげると、ルーナは優しく手渡す。花を受け取るとまた老婆の後ろに隠れてしまった。
「あの娘がいた所に目立つように咲いていたので、もしかしたらと」
「この花はこの娘の母が好きだっただ。おお、そうかいそうかい」
 老婆は少女を愛おしそうに抱き寄せる。
「ほんに、有難うございましただ」
「もし宜しければ、これをお受け取りください」
 老人が酒の瓶を持ってきた。
「いえ、こんな……」
「この地方の地酒です。是非」
「僕たち、飲めなくて」
 ロランはフードを外す。中から出てきた男があどけない顔立ちの青年であった。見上げていた少女がびくりと肩を竦ませた。
「もしいらなければ、町で売れば結構な額になりますだ。旅の足しにしてください」
「せっかくだから受け取ろうぜ」
 サトリもフードを外し、有り難く受け取った。
「町までは近いんですか」
「ええ。ここの通りから降りれば、そうかからないでしょう」
「では私たちはこれで」
 ロランたちは手を振りながら家を離れた。老夫婦は三人の姿が見えなくなるまで見送ってくれていた。
 しばらく歩くと教えられた通りに町が見えてくる。空はもう茜色。着く頃には日は沈んでしまうだろう。


「ねえロラン」
 なぜだか笑いをこらえるようにルーナが話しかける。
「貴方、顔を見せたら子供だってわかってくれると思ったの?」
「え?その、うーん」
 咄嗟の行動だったのでロラン自身にもわからない。だが全くそのつもりが無かったとは言えない。
「半々かな」
「気付いていないようだけど、随分と大人びた顔つきになっているわよ」
「そう?」
「そうよ。ねえサトリ」
「俺はどう?」
 自分を指差すサトリ。
「どうって。子供じゃない」
「おいおい俺たち皆同じ年だぜ〜」
「そういう所が子供なの」
 なんだよそれ。サトリとルーナがロランの後ろでじゃれだした。町が近いので気持ちが明るいのだろう。
 先頭を歩くロランは助けた少女の顔を思い出していた。その表情は曇っている。
 少女があんな態度だったのは、魔物に襲われた恐怖が拭いきれていないだけではない気がした。
 フードを外して目を合わせた時の少女の瞳が焼きついている。あの瞳でロランは確信したのだ。


 娘は僕を魔物と同じもののように見ていた。


 倒した魔物には魔法を使わずほとんどロラン一人で倒した。少女には魔物と同等の力で戦う得体の知れない存在に見えたのだろう。素顔を見せた時、人間だったのかと驚いたようだった。
 強くなりたいと願い、望み、がむしゃらに戦って身に着けた力。人と魔の間まで近付いているとでも言うのか。
 ロランは自分の手を広げて凝視した。一見、何の変哲もないそれは、それほど強くも無い魔物の腕ならたやすくねじ切ってしまえる。人の腕など、もっと――――。


「ロラン?」
「わっ」
 サトリが横から覗き込んできてロランは肩を大きく上下させて驚く。
「どうした?」
「い、いいや」
 慌てて首を横に振る。
「ロランは疲れているのよ。さっきの戦いも任せてしまったし」
 ね?同意を求めるようにルーナが笑いかけた。
「じゃあ宿に着いたらこれ飲もうか」
 老夫婦から貰った酒瓶を持ち上げて見せるサトリ。
「飲めないよ」
「いーや、飲まない、だろ?」
 サトリが正す。
 彼の言う通り“飲まない”が正解であった。三人は飲める年であったが、旅の厳しさから夜になればすぐに眠ってしまう。よって機会は無く、ロランなどは興味もなかったので、飲まないなら飲まないで良かった。
「無理強いしないの」
「ルーナはどう?」
「結構よ。逃避みたいでそんな気分になれないの」
 後ろ髪を手で流し、ルーナは先頭に出て町の入り口を潜る。続いてロランも入る。
「俺だけで飲めって訳……」
 最後に残ったサトリは瓶を揺らして呟いた。






 町に着き、宿を見つけて部屋を取る頃には夜になっていた。
「あら、本気で飲むのね」
 隣の部屋のルーナが、ロランとサトリの部屋を覗いてくる。
 テーブルにはどん、と酒瓶が置かれ、その周りを、腕を組んだサトリと心配そうなロランが椅子に座って囲んでいる。
「私たちの中では初めてですもんね」
 中に入り、余った椅子に腰掛けて引くルーナ。
「お酒は飲んでも飲まれるなってお父様がおっしゃっていたわ。く・れ・ぐ・れ・も二日酔いで魔力が回復しませんでしたって事にならないでね」
「わーってるよ」
 サトリは酒瓶を開けてグラスに注いだ。室内に酒の匂いが充満する。
 経験が無くともわかる。これはなかなか強い酒のようだ。
「こういうの、水で割ったりするんじゃないか」
 ロランが首を傾げながら意見するが、サトリとルーナも首を傾げる。
 城のパーティーなどで酒を交わす大人たちを見た覚えはある。しかし今ではあの平和な生活が遠い昔のように思えて肝心な部分は霞んでいる。
「よくわからん」
 グラスを持ち、くーっと一気に飲み干すサトリ。
 ぐらり。頭が内側から揺れる感覚が襲う。けれども仲間のいる手前、情けない姿は見せられずに見栄を張った。
「大丈夫かサトリ」
 ロランがオロオロしだす。つくづく心配性の王子だ。
「もう一杯飲む」
「良い飲みっぷりね。お酌してあげましょうか」
「ホントかっ?王女がっ?」
 不思議と王女が色っぽく映ってサトリは興奮する。
「ミンク買ってね!」
 が、上手い話には裏があるものであった。
「自分で入れますので……」
 がくっと肩を落とすサトリ。無言でロランが酒瓶を持って注いでやる。
「ロラン。サトリが飲みすぎないように気を付けてあげて。私、もう寝るわ」
 席を立つルーナ。
「お休みルーナ」
「お休み〜」
「二人も早く寝なさいよ」
 バタン。扉が閉まり、部屋は二人きりになる。急に静かになったような気がした。


「……………………………………」
「……………………………………」
 サトリはロランに入れてもらったグラスの酒をちびちびと飲んでいる。
 おかわりは無いように見えて、ロランは瓶をそっとテーブルの下に置いた。
「なあロラン……」
 視線を合わせず、呟くようにロランの名を呼ぶ。
「何か、あったか?」
「何も無いよ」
 笑ってロランは否定した。
「話せない事か?」
「だから……」
「話したくないなら、それで良いさ」
「……………………………………」
 独り言のようにも見えて、ロランが立ち上がろうとした時であった。
 タイミングを見計らったようにサトリが目を合わせて来た。頬は上気し、目はとろんと眠そうに半眼だ。だが逸らせない力を感じた。
「俺はさ、ロラン」
「……………………………………」
 ロランは息を呑む。心が見透かされてしまうかもしれない予感に緊張が走る。
 奥底に疼く不安を、恐怖を、知られたくないのか、それとも悟って欲しいのか。二つの思いがぐらぐらと揺れた。
「やめておこう。嫌だろ」
 サトリはグラスを置いて立ち上がり、壁に立てかけてあった鉄の槍を手に取る。
「ちょっくら外に出てくる」
「な、何言ってるんだっ」
 ロランは椅子を派手に鳴らして立ち上がり、扉の前に立つ。
「熱くて。冷ましてくるよ」
 その場で纏っていたサーコートを脱ぎ、砂漠越えに使ったマントを羽織った。マントはすっぽりと身体を覆う。
「酔ってる。やめるんだ」
 部屋を出ようとするサトリの肩を抱くようにロランは引き止める。
「俺はいい。自分の心配しろって」
 サトリが軽くロランの胸を押すと、彼の手が落ちた。
「すぐ、戻るんだぞ」
 ロランの肩を叩き、サトリは出て行ってしまう。
 一人きりになったロランは床に脱ぎ捨てられたサトリのサーコートを拾い上げ、簡単に畳んで彼のベッドの上に置いた。仕方なくベッドの上に転がり、彼が戻るのをしばらく待つ事にする。
 寝返りを打ってサトリのベッドを見れば、彼のサーコートに大きく描かれたロトの紋章が目に入った。城を出て、ロトの紋章を付けてはいないサトリは、サマルトリアの王子でもロトの末裔でもない、一人の魔法剣士の男と言った所だろう。
「僕は?」
 声に出して問うロラン。
 僕は、全てを脱ぎ捨てたら何になるのだろうか。
 今日助けた少女の瞳がどうしても忘れられない。
「ああ……」
 両手で顔を覆った。






 サトリは夜の街を歩く。
 昼間とは異なる、宵闇の中に淡い光が浮かぶ空間。普段は眠っている時間に繰り広げられる世界。思わず感嘆の声が漏れた。
「へえ〜……」
 アルコールが入り、一人きりなのもあって、ますます違うものに見えてくる。魅力的で美しい。人のざわめき一つ取っても、色気を感じる。
「……………………………おっ…」
 酒場を見つけた。つい足が止まりそうになると、通行人に当たってよろける。
 惹かれるものはあるが、入る時は三人一緒だと思い直した。
 適当に店を回れば、昼には見かけなかった武器屋を見つけて、手に取り具合を確かめる。
 この剣はロラン、あの杖はルーナに丁度良いだろう。それで俺に合うのは……
 サトリの指は武器の束を彷徨う。
 剣か、魔法か、どちらも出来るが、特別特出はしていない。良く言えば器用、悪く言えば中途半端。
 二人にとって俺はどのように映っているのだろうか。夜の仕業か、弱い気持ちがくすぐってくる。
 こっそり盗み見たロランの沈んだ顔が浮かぶ。崩壊したムーンブルクの城が過る。
「俺は……」
 決められずに手は下り、武器屋を去った。


 そろそろ酔いも醒めて来て、宿に戻ろうと踵を返そうとした時、妙な音が耳に残る。
 誰かの悲鳴のように聞こえた。勘を頼りに裏路地にサトリは入る。
「おう?」
 やはり直感した通りであった。狭く暗い道の中で数人の大柄の男がこちらを睨みつけてくる。
 その隙間に隠されるようにして女物のドレスがチラついた。
「何をしている」
 落ち着いた低音で放つサトリ。
「何って、交渉よ」
 男の大きく無骨な手が女の首を捉え、後ろ頭を壁に押し付ける。拍子でネックレスでも外れたのか、ぱらぱらと硬いものが複数落ちる音がした。
「あう」
 女は低く呻く。暗闇の中でもブロンドの長い髪と白いドレスと肌はわかった。ドレスは想像していたより薄く、レースは付いているものの質素で胸元は大きく開いていた。どうやら娼婦のようだ。
「せっかくだから大人数で相手をしてやろうと思って呼んでやったのに、断りやがる」
「ん…………ん………んん……!」
 女の足がぶらつき、バタつかせてもがいている。首を押さえられたままで持ち上げられている。
「おいっ」
 サトリの声が大きくなる。
「邪魔すんな」
 もう一人の男が凄み、サトリへ手が伸びてきた。
「っ」
 サトリはかわし、後ろへ下がって鉄の槍を取り出す。
 刃は後ろに下げ、男たちが構える前に柄の部分で前の男の腕を押し退け、女が捕らえられている手の甲を突く。
「ぎゃっ」
 離れた隙を狙い、一気に踏み込んで女の手を取って力の限り引き込んだ。
「この野郎っ!」
 血を上らせ、襲い掛かる男たちに、サトリは女を抱き寄せて魔法を放つ。
「ギラ!」
 サトリの前に炎が生まれ、闇を照らして男たちの足元に降り注ぐ。
「あちちっ」
 足踏みをしながら熱がる男たち。さすがに人間相手なので足止め程度に弱めておいた。
「さあ、逃げよう」
 女に合図を送る。この時、初めてサトリは彼女の顔を見た。
 たぶん年上のまだ若い女性。しかし痩せて骨は浮いて病的に色白く、髪は間近で見れば艶が無い。喉元に手を当てて息を整えている。男には相当強い力で締め付けられたらしい。声は発しなかったがサトリの顔を見上げ、しっかりと頷いて見せた。青い瞳がサトリだけを見据える。
「走るぞ」
 手を握り、二人は走り出した。
 夜間の散歩のつもりが、とんだ事件に巻き込まれたものだ。
 けれども助けを呼ぶ人がそこにいたなら手を差し伸べずにいられない。
 これは勇者ロトの血筋のせいだろうか。










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