「よし、3号室の人に助けてもらおう」
 ダウドは決意する。3号室は2階にあるらしいので、木製の階段を軋ませながら上っていく。
 ここまで辿り着けるのなら、それなりの腕前はあるだろうし、魔物の心配はしなくても良いだろう。問題は、中身であった。3号室に泊まる旅人像を想像しながら部屋へ向かう。
「わっ」
 何かにつまづき、ダウドは転びそうになるが、気合で踏ん張った。
「なんなの」
 つまづいた物が何なのか、床を見下ろす。
「ひいっ!」
 反射的に後ずさった。それは、人の足であった。扉の前で人が倒れているのだ。
「…………………」
 そっと床に膝をつき、様子を伺う。寝息が聞こえる、どうやら眠っているらしい。おまけに寝相が悪い。しかしどうして部屋に入らず床で眠るのか、謎は募っていく。酒の匂いはしない、酔っても無いのに、だ。
 ツンツン頭の、見た所かなり鍛えこまれた体をしている男である。細剣を抱き枕のように大事そうに守っていた。ジャケットが無造作に床に落ちており、どうやら布団代わりにしていたようだ。


 トントン。不意に3号室からノックをする音が聞こえた。
「そこに、誰かいるの?」
 女の声であった。
「いるよ」
 ダウドは応える。
「ドアが開かないの」
 ダウドは扉の辺りを見た。開かなくて当然だ。眠っている男が塞いでいるのだから。
「ちょっと待ってておくれよ」
 男を引き摺り、扉の前から離した。重い。
「開けても大丈夫だよ」
 合図を送ると、扉がゆっくりと開き、声の主であろう女が顔を覗かせる。長い髪に大きな瞳をしており、神秘的な雰囲気がした。女は男を見て、溜め息を吐く。
「仕方の無い人」
 部屋の中を向き、手招きをする。
「ブラウ、頼むわ」
 グルル……。獣の呻き声が聞こえたような気がした。
 気のせいでは無かった、中から熊と狼が出てきたのだ。
「!!」
 素早く壁に張り付くダウド。こういう時の動きは早い。


 ブラウと呼ばれた熊は、男を持ち上げると、ゴリゴリと関節技をしかける。
「うぐっ」
 男は呻くと、目を覚まして床に降りた。肩を押さえて腕を回し、
「いやー、凝りが治りましたよ。ははは」
 なんとも呑気な事を言う。
「それは良かったわね、ジャン」
 ぼそりと女は呟くが、なぜか周囲の温度が下がるような、底冷えのする声色であった。
「わ、クローディアさぁん。おはようございますっ。いや、面目ないです」
 男―ジャンは、直立不動になって朝の挨拶をする。
「見張りを口実に、床で眠るのが趣味なのね。覚えておくわ」
 はぁ。女―クローディアは溜め息をまたすると、ダウドを見た。
「あなた、助かったわ」
「どういたしまして」
 頭の後ろに手を当てて、ダウドは笑ってみせる。この人達ならと、ジャミルの事が頭を過ぎった。
「実は、お願いがあるんだけど…」
「何?中で聴くわよ。ジャンも入ってらっしゃい」
 続けようとするダウドの話を止めさせて、クローディアは扉を大きく開いて中に招き入れて、事情を聴いた。


「……………と、言う訳で。おいらの相棒を助ける為に、一緒に洞窟へ入ってくれないかい?」
「わかったわ」
 クローディアは2つ返事で引き受ける。
「私は反対です」
 ジャンが前に出て、反対をする。先ほどの温和な雰囲気とは異なり、鋭い刃物のような冷たく、厳しいような感じがした。クローディアもその雰囲気に気付いており、何度も瞬きをさせていた。
「早く身支度を整えて、ここを出ましょう。危険です」
「どうしたのよ、ジャン。あなたなら協力してくれると思った」
 困惑した表情で彼を見つめる。ジャンは一瞬怯んだが、引き下がらずに強く出る。
「クローディアさん、あなたの身が心配だからです。あなたが病にかかってはいけない」
「私の事なんてどうでも良いんだわ」
「え?」
「あなたが心配するのは帝国の事。……女の私で、私自身じゃない」
「いえ、そのような………!」
 ジャンは手で何やらジェスチャーをさせるが、上手く表現が出来ないのか髪をガシガシとさせた。
 ダウドは2人の間でオロオロと困り果てている。
「もういい」
 クローディアは愛用の弓を持つと、ダウドの手を引いて部屋を出ようとした。
「ブラウ、私に付いてきて。シルベンはジャンを見張ってなさい。あと……ジェミニという人を頼むわ」
「ジャミルだよ」
 訂正をする。どんな場合でも、これだけは間違ってはいけない。
「そう。シルベンは賢いわ、安心して」
 ダウドを安心させる為か、クローディアが笑ったような気がした。
「クローディアさん」
「…………………」
 ジャンが呼ぶが、クローディアは応えず、階段を下りていく。
 シルベン―狼は低く呻いて、ジャンのジャケットを噛んでいた。




 宿の受付で主人から洞窟の地図を貰い、ダウド、クローディア、ブラウは洞窟の中へと入って行った。洞窟の中は薄暗く、道が入り組んでいる。だが冷静に地図を追っていけば迷いはしない。巣食う魔物はあまり強くはなく、獰猛なものもまだ見かけていない。それにクローディアの弓さばきは素晴らしく、的確に魔物を射抜いてくれる。
 上手く行きそうだと、ダウドは希望を持てた。
 分かれ道で地図をクローディアと2人で確認をする中、ふと彼女が話しかけてくる。
「ダウド。みっともない所を見られてしまったわね」
「ん?」
「宿での事」
「ああ」
「本当は、違うのよ」
「え?」
 クローディアは無表情で、何を考えているのかはよくわからない。洞窟の闇と、彼女の白い肌が、輪郭を浮き立たせる。横顔が、どことなく寂しげに見えた。
「ジャンは、あんな事を言う人では無いのよ。優しい人なのよ」
「そうなんだ」
「うん」
 小さく頷く。
 地図の示す方向へ曲がるが、この先は道が何度も分かれる為、2人並んだままで進んで行く。後ろを歩くブラウは大人しいが、同時にたくましく思えてくる。
「国の事、そこに住む人達の事、考えてる。帝国を誰よりも愛しているんだわ」
 独り言のように、クローディアは続けた。ダウドは黙って聞き入る。
「わかっているの。でも私じゃなきゃ嫌。私の、私じゃなきゃ嫌」
 ふるふると首を横に振った。ひょっとして惚気られているかもしれない。ダウドは今更気が付く。


 ようやく地図に印の付いている場所まで辿り着けた。この辺りに、薬草が生えているはずである。
「暗くて、良くわからないや。どんな薬草かは聞いたけれど、どんな風に生えているのか聞けば良かった」
「今更言っても仕方ないわ。探しましょう」
 しゃがみこみ、手探りで薬草を探した。ブラウは鼻を利かせるが、効果はあまり見込めないだろう。
 薬草探しに夢中になるあまり、誰も近付く魔物の気配に気が付かなかった。
「これかな」
 ダウドは草を引き抜き、身を起こしながら顔の元まで持って行き、目を凝らす。
「クローディア、これどうかな?」
 クローディアの方を見ると、彼女の背後に魔物の影が見えた。
「なぁに?」
 顔を上げる彼女は気付いていない。
「クローディア!」
 ダウドは剣の柄を握って立ち上がる。傍にいたブラウを構えた。
「………っ」
 クローディアは嫌な予感を察知し、地面に置いてある弦を拾おうとするが、眩んで指は土を引っ掻くように掴んだ。バランスを崩して膝と両手を地面に付けてしまい、背中がガラ空きになる。


「お任せを!」
 上の方から声がしたかと思うと、細剣が降るように魔物を頭から突き刺した。
 ど………っ、重い音と共に魔物は倒れた。頭を貫かれては、ほぼ一撃だろう。剣は天井からぶら下がるだけで、僅かな光に鈍く輝いて揺れた。
「魔物、倒せましたか?」
 また上の方から声が聞こえた。くぐもっているが聞き覚えがある、ジャンの声だろう。
「倒せたよー」
 ダウドとブラウは剣のぶら下がる場所へ歩み寄った。見上げて目を凝らすと、ジャンの姿が見える。何をどうしてそんな場所にいるのだろう。
「それは良かった。ついでに私を助けてくれませんかー?」
 カラカラと笑って助けを求める。
 剣の切っ先に触れないように、ブラウと協力して引っ張ると、網に絡まれたジャンが落ちてくるが、身を翻して着地する。
「いやー、盗難防止の罠に引っ掛かったみたいで、上に吊るし上げられてしまいましてね。ギリギリの所で腕がはずせて、何事もなくて良かったですよ」
 網をはずしながら、ジャンは言う。
「どうしてジャンがいるのさ」
「近道を通ったのですが」
「は?」
 地図を取り出し、ジャンは道を指でなぞった。ほぼ一方通行で印の場所まで辿り着ける。
「宿の主人が教えてくれまして。ダウドさん達はどうやって行ったのですか?走って行けば、合流出来ると思っていましたのに、出会わなくて心配しました」
「そんなの知らなかった。地図貰ったら、ろくに話も聞かずに行っちゃったし」
「でも、良かった。薬草も手に入りましたし!」
 ジャンは薬草を取り出して見せた。何もかも彼に先を越されてしまった。けれど、ダウドも良かったと思っていた。


「ではジャミルさんの容態も気になりますし、出ましょうか」
「そうだね」
 ダウドとブラウは大きく頷く。
「クローディアさーん、行きますよー」
 ジャンは宿での出来事を忘れたかのように、クローディアに明るく呼びかける。だが、クローディアは地面に手を付けたままだ。
「…………………」
「クローディア、さん?」
「……………たの」
「はい?」
 耳に手を当てて問う。
「腰が、抜けたの」
 …………………。
 洞窟の静寂が、痛いほど胸と耳に伝わった。
「なんてこと。最悪だわ」
 本当に、最悪であった。掴んだ土を握り潰す。地面には10本の筋が引かれていた。
「クローディアさん」
 背中の後ろでジャンが近付くのを感じた。どんな顔を見せれば良いのか、クローディアは慌てて考える。
「失礼します」
 詫びたかと思うと、彼女の身体はふわりと浮かんだ。目を丸くする視線の先には、ジャンの顔が映った。抱き抱えられているのだと、ようやく理解する。不満そうな表情をするが、満更でもないようだ。
 洞窟を出るまで、ジャンとクローディアは数度交わすだけで、言い争った内容については言及しなかった。解決したのか、避けているのかはわからない。けれど様子だけで、もうその話題は無い事になったのだろうとわかる。しかし、どうにも。
「はぁ」
 ダウドは小さく息を吐いた。なんとも居辛い事か。




 宿に辿り着いた3人と一匹は、さっそく採ってきた薬草を主人に見せて、特効薬を作ってもらい、ジャミルの所へ持って来た。
 ジャミルは熱にうなされるだけで、口を硬く閉じて、薬を飲ませる事が出来ない。
「参ったな」
 薬を持ったまま、ダウドは途方に暮れてしまう。
「良い案があるわ。ブラウ」
 クローディアが呼ぶと、ブラウはダウドから薬を取り、それを自分の口の中へ入れてしまった。そしてジャミルの前に立つと。
 ええええええええええー…。
 ダウドは目を点にし、事の次第を見送った。気の抜けた叫びが頭の中へ吸い込まれていく。目の前の光景は、覆いたい気分であったが、逸らすわけにはいかなかった。
「ん?」
 ジャミルはパッチリと瞼を開ける。血色が良い、まさに特効薬と呼ぶに相応しい効果であった。
「あ、あれ?」
 身を起こし、ダウドの周りにいる見慣れない連中に怪訝そうな顔をする。
「ジャミル、具合はどう?この人達に助けてもらったんだよ」
 ダウドはジャミルの体を支えるように、背に手を回した。
「そ、そうか。有難うな。助かったよ」
 いまいち状況が掴めないが、ジャミルは頭を軽く下げる。
「おいらも、頑張ったんだよ」
 ジャミルの顔を向き、それは嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、わかってる。何か力強いものが俺を救い出してくれたような気がする…」
 ダウドの笑顔が、僅かに引き攣ったように見えた。
 宿の一室の端では、薬は飲んでおいた方が良いと話し合うクローディアとジャンの姿。顔を寄せて見つめあい、幸せそうに穏やかであった。


 







秘密のキッスをあげる。
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