選択
-後編-



 夜の北エスタミルは静寂に包まれ、闇に紛れてジャミルとダウドの影が落ちる。
 水路に沿って狙いである豪邸へ向かった。
 豪邸は灯火が消え、静寂に溶け込んではいるが、建物の装飾の美しさは光を失っても荘厳である。砦のように構え、隙が無い。しかし、盗賊の目には巨大な宝箱に見えてくる。裏手に回り、ジャミルは壁に手を当てて見上げると、僅かな凹凸に足をかけて登っていく。彼の後をダウドも登った。
 微かに見えた空気口を目指す。ダウドの地図では人一人入れるくらいの大きさはある。
「ふ」
 爪が引っ掛かり、低い息を漏らした。止まれば下へ落ちてしまう。もう建物の一部に触れた以上、目当ての物を手に入れるまで引き返せはしない、立ち止まれはしないのだ。
 勢いをつけて一気に登り、空気口にしがみつく。ねじり込むように頭を突っ込み、身体を中へすり込ませる。
「ぐぎ」
 石の表面に頬がすれて小さな痛みが走ったが、おかまいなしに通り抜けた。手に重心をかけ、静かにゆっくりと足を床に付けた。降り立った場所は物置部屋。鼻腔を埃臭さがくすぐった。
「ふー」
 内部に潜入出来た事による安堵の息を吹く。けれども、次に一人ではない事を思い出す。
「…………っ………」
「わ」
 空気口を抜けたダウドが手を滑らせて落ちてくる。ジャミルは慌てて受け止めた。
 身体が床につかないよう、両腕の力だけでダウドを支えた。さっそく足を引っ張ってくれたものだ。
「へへ、有難う。さすが兄貴だ」
 礼を言うダウドはへらへらしており、緊張感に欠ける。
「気をつけろよ。てめえが見つかったら、俺もお陀仏なんだからな」
「わかってるって」
 本当にわかっているんだか。言いたい事は多々あるが、ここは言うべき場ではない。




 二人は地図を頼りに、宝物庫へ向かう。
「こっちを回った方が良いよ」
 紙ではわからない情報をダウドが知らせた。通路は薄暗く、警備兵が見当たらないのは彼のおかげだろう。
「おい、ここまでわかるなら一人でも出来たんじゃないのか」
 声を潜めてジャミルが言う。
「用心に越した事は無いって。さっきも助けてもらったし」
「どうして、俺を誘った」
「おいらの勘だけどね、兄貴といれば長生きできそうに見えたんだ」
 ダウドはジャミルを見て、口元だけを綻ばせた。
「人に守ってもらって恥ずかしくないのか」
「全然。生きていけるなら、なんだってする」
「もっともだな」
「おいらから見れば、兄貴こそ意地を張っているように見えるよ」
「…………なんだと」
 ジャミルの目つきが変わると、ダウドは視線を避ける。
「着いた」
 扉に手を当てるダウド。ここへ来るまでに見た他の扉とは変わらないが、鍵が二重にかけてある。
「よし」
 ジャミルは髪を耳の後ろへかける動作で、二本の針金を取り出した。それを鍵穴に差し込み、神経を集中させて器用に使えば、低く重い音が聞こえて外された。
「すげー」
 仕事さばきを観察していたダウドが感嘆の声をあげ、つい拍手しそうになった手をすんでの所で止める。
「お前に任せておくと夜が明けちまいそうだからな」
 言い返されはしなかった。針金をしまい、細心の注意を払って宝物庫の扉を開く。
 窓も明かりも無い部屋は真っ暗で、盗賊の夜目を光らせても何が宝で何ががらくたなのか判別が出来ない。
「これを使うはめになるとはな」
 舌打ちを一つして、ジャミルはある物を取り出す。息を吹きかけるように囁けば、手の中が淡く光を灯した。
「これは」
「光術がこめられた石さ。死んだ親父がよ、命をかけてまで盗んだ片身の代物だ」
「大嘘だね」
「ああ」
 ただの盗品である。
 石のおかげで目ぼしい宝箱を見つけられた。屈みこみ、罠が仕掛けられていないかを確認し、扉を開けたのと同じ手法で鍵を外す。
 ゆっくりと開き、光に反射して中身の宝石はキラキラと輝いた。
 色とりどりに暗闇の中で煌くそれは、まるで夜空の星、まるで天国の中、一つの世界を形成させたような感じさえ覚える。一瞬、現実から離れて彼方に飛ばされたような。夢心地に、二人は瞳をとろんと半眼にさせた。
 ジャミルは我に返り、次にダウドも返る。
 適当な宝石を手に取り、服の中へ仕舞いこんでいく。二人の衣服のゆったりとした隙間には、物を仕舞い込める十分な空間があった。


「よし、出るぞ」
 背を伸ばしたジャミルの脇を影がかすめる。気付いた時には遅かった。
「は」
 反射的に後ろに宙へ返って飛ぶが、脇が裂けてしまっていた。肌には達していないが、一難が去っただけに過ぎない。
「てめえ」
 ジャミルは睨みつけ、対象に明確な殺意を向ける。対象――――ダウドも殺意を向けて彼を見据えている。その手には小型剣が握られていた。先ほどジャミルの脇をかすめて盗み取ったのだ。
 だらりと下がったジャミルの袖から、宝が一つ、二つと落ちて床へ転がる。武器を取られて丸腰になるも、体術の構えを取って戦意を示す。
「兄貴の言う通り、過ぎた用心だったよ。もう用済み」
 へらへらとしていたダウドの表情は冷静で、瞳だけはギラついたハイエナのように鋭い。夜に蠢く、南エスタミルの盗賊の色を映していた。
 危機的状況にも関わらず、ジャミルは胸の重荷が取れた気分がする。
 ダウドは南エスタミルの盗賊であった。これで、思う存分やれるのだと。ゾクゾク、ドクドクと血潮が沸いてきた。こうなっては止められない。
 面白ぇ、かかってこい!完膚なきまでに叩き潰して死ぬまで後悔させてやる!
 内に潜めた闘争の本能が剥き出しになった。
「……………………!」
 身を屈め、ダウドが斬りかかってくる。
 咄嗟にジャミルは床に落ちた宝である金属片を蹴り上げて手に持ち、受け止めた。
 金属と金属がぶつかり、重く、削る音を立たせる。
 薄闇の中で火花を散らせ、キリキリと切っ先同士が悲鳴を上げた。
「こんな事だろうと思ったぜ!」
 瞳は殺意に歪む。互いに理性を捨てた醜い獣の姿を映している。
 本能は戦いを望んでいるが、理性は己の浅はかさを罵倒していた。氷のように冷静に後悔をしていた。
 信じなければ良かった!一人のままなら良かった!なんて馬鹿げた選択をした!
 自己嫌悪に苛立ちが込み上げすぎて、軽い嘔吐感すらもある。向かってくるダウドの存在も苛立って仕方が無いのだ。間近に見て、彼の頬にそばかすがあるのに気付く。何もかもが腹立つ。嫌味ったらしい特徴に見えた。
 騙されて、のこのこと引き寄せられて、挙句に斬りかかられる。
 このジャミル様が最悪の選択をしたもんだ。
 悔しさに食いしばれば八重歯が姿を見せる。
「ちっ!」
 舌打ちをして、金属片を下から上へ上げてダウドの刃弾き飛ばし、持ち替えて振り下ろした。
 ダウドは素早くもう一つの刃を出して防御する。盗んだのではない、彼の手持ちの武器だろう。
「こっちが留守だ」
「あ」
 ジャミルは足払いをかける。ダウドは均衡を崩して後ろへ倒れそうになるが、上がった足がジャミルの手を蹴りつけ武器を落とさせた。
 拾ってダウドを見れば、既に体制を整えている。
 どちらも退かずの争いであったが、長引きはしなかった。


「誰かいるのか!」
 警備兵の叫びが聞こえる。これだけ争えば気付かれないはずはない。
「てめえがこんな所で仕掛けるからだぞ」
「知るかよ」
 二人は顔を見合わせて休戦し、宝物庫を出て逃走する。
 扉を開ければ、すぐに警備兵がおり、来た道は塞がれていた。
 ダウドは無言で反対方向を指す。ジャミルは従うしかない。
 走りの速さはジャミルの方が上で、後ろをダウドがついてくる。不思議と良い気分がした。不思議と悪くないなどと思ってしまい、考えを掻き消そうとした。
 前に見えた出口らしい扉を体当たりで押し開ける。外に出るが、高い囲いが待ち構えていた。
「いたぞ!」
 同じく待ち構えていた警備兵が二人を指差し、槍を突きつけてくる。
「よっと」
 軽やかな身のこなしでかわして、みぞおちに拳をめり込ませた。腰に触れるジャミルであったが、小型剣が無いのを思い出す。これでは怯ませるぐらいしか打撃を与えられない。鎧を纏っている警備兵を相手にするには、あまりのも分が悪い。すぐ横で刃片手に善戦しているダウドを見ると、先ほどの苛立ちが蘇ってくる。
 どちらにしても多勢に無勢だ。ジャミルは切り上げて囲いへ駆け出す。勢いを付けて飛び上がってしがみ付き、乗り越えようとした。
 よし、登れる!確信し、必死に登り上げる。ジャミルに続いてダウドも乗り越えようと囲いを登りだす。
「ふう」
 天辺に足をつけ、立ち上がって下を見下ろし仁王立ちをした。どうだとばかりに腰に手を当てて。
 その真下をダウドが登っており、あと少しでジャミルの立つ天辺の足場に手がつく所で滑る。
「あ……!」
 ダウドは目を見開き、口を“あ”の形に開けて強張らせた。地獄の底へ落ちていくような、恐怖が顔に張り付いている。


 ざまあみろと思った。
 自業自得だとあざ笑った。
 だが――――


「ダウド!」
 力の限り手を伸ばしていた。ダウドに蹴られた利き手を。あの時は暗くて良く見えなかったが、墨が擦れたような靴跡がついているその手で。彼の手を掴んでいた。
 均衡を崩し、よろけて、自分までも落ちそうになりながら、ダウドの身体を引き上げて、共に豪邸の外へ飛んだ。
 ガン!足が地へ付くと下から上へ痺れと痛みが上がってくる。そこで悶えてはいけない。
 二人は残りの力を振り絞り、駆けて行った。
 水路を通り、北から南を目指す。走って、走って、走って、走り抜ける。何も考えられなかった。逃げ切る事だけで必死であった。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
「はーっ、はあ、はあ」
 水路を抜けて南エスタミルへ出ると、二人は倒れこんだ。ジャミルは仰向けに、ダウドはうつ伏せになって大きく深呼吸をする。やっとその時初めて、ダウドの手を握ったままだったのに気付く。
「気持ち悪ぃ」
 放り投げるようにダウドの手を払う。ダウドと視線が交差すると、彼の目は笑っていた。
「くく…………おいらの選択は間違えなかった。兄貴を誘って正解だったよ」
 笑いをこらえて肩を震わせ、ダウドはしゃあしゃあと言う。
「こっちは散々だ」
 ジャミルはダウドのわき腹を掴み、ベストの裏に手を刷り込ませて隠した宝をもぎり取った。
「分け前は俺が8だったよな」
「だ、駄目!駄目だって!嫌だあ!」
 奪われまいとジャミルの手を掴み、取り戻そうと踏ん張る。
「兄貴だからでしょ?だったら相棒!相棒になれば五分五分だよね?ねっ?」
「都合良すぎなんだよてめえ」
「つれない事言わないでおくれよジャミル」
 苦虫を噛み潰したような顔になると手の力が緩み、ダウドは宝を素早く懐へ隠して立ち上がった。
「じゃあまたね、相棒」
 手を振り、軽やかな足でダウドはまた町の中へ消えていく。
 一人残ったジャミルはまだ起き上がる気分ではなく、しばらく転がっていた。
 夜空に浮かぶ星は闇の中でも良く光る。一つの光も美しいが、数多に瞬けばさらに美しくなる。そういうものなのだろうか。認めたくは無い自分がいた。




 今夜は住処には帰らず、適当な屋根の下で一眠りをする。もし追っ手がやって来た場合、場所を悟られない為にだ。
 朝日が昇り、光の筋が差し込んでくる。
「夜明けか」
 呟き、通路に出ようとすると遮るように一つの影があった。
「おはようジャミル」
 ダウドが屈託の無い笑みを浮かべる。まるで昨日を忘れたように、ずうずうしくへらへらしていた。
 寝起きで重い瞼は、ぼんやりと彼を見据えている。口の端だけが、自然と上がった。


 なぜあんな選択をしたのか、いくら考えても見えては来ない。
 死ぬまで後悔するのは俺の方なのかもしれないとジャミルは思う。
 苦悩と苦痛と後悔だらけの人生。それも一興の気がした。











ここまで読んでくださって有難うございます。私のジャミルとダウドの出会い妄想を詰め込みました。
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