選択
-中編-



「けっ」
 ジャミルは足元に転がる適当な石を蹴る。
 石はどこかへ飛んで建物の影の中へ消えていった。
 食事を終えたというのに、どうも気分が晴れないのだ。
 それもこれも……。脳裏に原因の人物――――ダウドを思い浮かべる。
 無理な願いをしてくる少年がしつこく付き纏い、せっかくの食事の邪魔してきたのだから。


 大股で町の中を散歩しながら、ジャミルは思いを巡らせる。
 俺が話を聞くような奴に見えるのか。
 なんでよりにもよって俺なんだ。
 俺はいつも一人で仕事をしているんだ。
 誰にも頼らない。
 お前は愚かだダウド。人をあてにするのはやめとけ。
 愚痴と、悪態と、己の主張がぐるぐると回った。
「……………………………」
 不意に足を止めて石の床を見下ろす。
 俺はなぜ、考えるのだろう。
 いつもなら、さっさと忘れて切り捨てているはずなのに。
 無性に苛立ちが胸の内から喉元へ駆け上がり、顔を上げる。
「……………………………」
 丁度その時、ジャミルの前を横断しようとした顔見知りと目が合った。
「あ」
 顔見知りは声をあげ、片足を後ろへ下げてジャミルの方を見る。肩を竦めて、荷物をきつく抱き締めた。
 顔見知りの名はファラ。幼い頃から知っている少女である。


 孤児だったジャミル。南エスタミルには孤児が多い。
 そんな彼らに施しをする者がいた。いつも笑っている、笑顔が特徴的な男で、ギターを弾いて歌を聴かせた事もある。ファラは男が来ると進んで手伝いをしており、二人は知り合った。
 とは言っても、愛情を知らないジャミルにとって、他人は敵でしかない。ファラは怯えながら、飯の入った器を彼に渡したものだ。
 いつしか男は来なくなり、風の噂では心無いものに暴力を振るわれて天へ召された、はたまた子供を奴隷商人へ売り渡す為の餌付けだった等、悪いものばかりが出回っていたが、定かなものはない。
 ジャミルとファラはそのまま疎遠となり、こうして顔を見合わせてもすぐに挨拶が出て来なくなっていた。


「なんだよ」
 ただの呟きでも威嚇のような圧力がある。
「なんでも……ないよ。ねえ……ご飯、ちゃんと食べてる?」
 ファラは荷物を持ち直す。中には食料が入っていた。
「さっき食べた」
「…………そう…………」
 ジャミルの瞳の温度は冷たいままで、じっと動かない。
 恐怖で身体が小刻みに震える。けれども、意を決して彼女は言い放った。
「また、盗んだの」
「またも何も、俺は盗賊だ」
 何か気に障る事でもあるのか。
 そう言わんばかりに、ジャミルの口の端が上がる。
「……………………………」
 唇を薄く開いて、ファラは発せないでいた。
 盗みはいけない。道徳を乱してはならない。
 だが、ジャミルは盗みをしないと生きてはいけない。
 盗みをせずに生きていく術を、ファラの力では導いてやれない。
 矛盾に突き当たる時、この世界で何が正しいのか、間違っているのか、わからなくなってくる。
 そうしてどうにも出来ずに流されていく。
「何も無いなら、俺は行くぞ」
「……ジャミル!」
 背を向けるジャミルを呼んだ。
「名前は呼ぶな!」
 怒鳴られ、尻込みするファラ。
「俺とは関わらない方が良い」
 呟くようにジャミルは言う。ファラには絞り出す声に聞こえた。
「……無茶は、しないで」
 ファラも呟く。
「言われるまでもないさ」
 ひらひらと手を振り、ジャミルは行ってしまう。
 その姿に、幼き頃の彼に重なり、ファラの口元は綻ぶ。
 しかし、遠くなっていく彼に胸が締め付けられて泣きたくなった。




 時は刻々と夜に近付いていく。
 太陽は沈みだし、南エスタミルを赤へ染め上げる。
 ジャミルはある建物の中へ入り、螺旋階段を上った。
 長い、長い階段の先に辿り着いた扉を開けると町の全てが広がる。
 ここは南エスタミルで一番高い塔。家ではないので好きに入れる。昔、戦争で見張り用に作られたと聞くが、ジャミルにとって過去などはどうでも良かった。
 塔の天辺からは町の様子が一望でき、特に夕方あたりは絶景とも言える素晴らしい絶景になる。
 風が強く、髪が流れ、衣服の裾が音を立てて揺らいだ。
 ここに立つと、一時的に地獄から開放された気分になれる。あくまで気分であり、本当は絶望に足が浸かってはいるが。一時的に忘れられる。夢を抱く事が出来るのだ。
 世界に散らばる、強大な力を持ったディステニィストーン。手に入れれば運命さえも変えてしまうという。
 運命――――変化――――それはジャミルにとって甘い囁きであった。
 いつか南エスタミルから抜け出し、運命を変えて幸せを手にする。ジャミルの密かな夢であった。
「……………………………」
 夢を思うジャミルの瞳は、じっと沈み行く太陽を捉えている。
 まるで、沈むのを待つかのように。
 赤は紫に変化し、ジャミルは頭を振って展望をやめた。また螺旋階段を通って外へ出ようとすると、ダウドが横切り、つい戻りたくなる衝動に駆られる。なぜこうもタイミングが合ったのか、呪いとすら感じた。


「あ」
 目ざとくダウドが気付き、歩み寄ってきた。ジャミルは心底嫌な顔をする。
「兄貴!来てくれたんだ」
「知るか。ここは待ち合わせ場所じゃない」
「いいでしょ、行こうよ」
 馴れ馴れしくダウドはジャミルの腕を掴み“ねえ”と引っ張った。
「嫌だ」
 軽く払い、掴まれて皺になった所を伸ばす。
「じゃあ、これ見て」
 懐から紙を丸めたものを取り出し、押し付けてくる。開いてみれば地図であった。
「これは……」
「言ったでしょ、地図」
「……本当だったんだな」
「酷いね兄貴は」
 ムッとする素振りを見せるダウド。
「こんなもの、どうしてお前が」
 ダウドを見るジャミルは、彼の顔に影が差すのに気付くが指摘はしなかった。
「んー、おいらは昔、そこで勤めていたんだ。雑用だけどね」
「それで?」
「ちょろまかしたの」
 “はい、話はおしまい”とばかりにダウドは笑う。
 どうやって盗んだかは詮索する気分にはなれなかった。誰にでも話したくは無い過去はあるだろう。ジャミル自身にも覚えはあった。
「だから行こうよ兄貴。おいらたちならやれるから」
 手を差し伸べるダウド。ジャミルの空いた手はだらりと下がっている。
 町が闇に染まり行く中、二人は向き合い、立ち尽くした。
「…………分け前は」
「え?」
 掠れた細い声に、ダウドは聞き返す。
「一緒にするんだ。分け前を決めるのは妥当じゃないのか」
「そうだったね」
「俺が兄貴だってんなら、俺が8でお前は2だ」
「なにそれ!もっと話し合おうよ!」
 北エスタミル行きの船に向かうジャミルの後ろをダウドは慌てて付いていった。


 今宵、北エスタミルで都会の盗賊の大仕事が決行される。










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