一点を狙い定め、一気に突く。
「…………………っ!」
 ジャミルの刃はダークの刃を抜けて、彼の胸の中央へ射抜こうとする。
「くっ」
 ダークは間一髪で横に避け、肩の甲冑が飛んだ。ダークの刃もジャミルの肩の上を裂いていた。
 地に落ち、跳ねて転がる甲冑の音が響く。
「そうだ。それで良い」
 認めているのではないと直感する。これは同情と哀れみなのだと――――




満たされる世界
-5-



 二人の間合いが重なり、刃を引いて後ろへ下がった。
 ダークの肩にはマントが外れた甲冑に引っ張られている。彼の空いた手が、もう一方の甲冑に手をかけた。
 ガチッ。金属音が鳴って、留め金が外される。甲冑ごと大きく振り回し、ジャミルにぶつけてきた。
「む」
 マントで視界が覆われ、目を見開くジャミル。布を押し付けられるように首が掴まれ、身体ごと引き摺られる。足が浮き、もつれそうになる。
「か………っ、あ」
 掴まれた手に力がこもり、締め付けていく。喉から空気が漏れた。
 集中的に心臓へ狙われる刃を、視界を塞がれながらも細剣で弾いて防ぐ。
「う……く」
 ダークの剣の四つの刃の間に細剣を通し、押さえ込む。しかし細剣はしなりやすい。胸に今すぐにでも触れそうな刃を感じる。押し出そうとする手が痺れていく。息苦しく、汗で滑る。
「さあ、どうする」
 胸に刃が当たり、痛みと緊張が広がっていく。
「そっ…………」
 ジャミルの片足が、細剣の端に触れた。そこに足をかけて、思い切り押し出す。
「………………こだあああ!!!」
 ダークの手が離れ、ジャミルは切りつける。突風のようにダークも反撃をした。
 マントは裂かれ、視界が晴れる。
 ジャミルの長い前髪は半分にされ、ダークの覆面も短くなっている。狙った箇所は同じであった。
 獲物を持ち直して、相手へ向けて挑発し、刃を交える。


 長い戦いであった。
 戦っている双方にとっては、永遠の戦いのようにも感じる。
 掠りは出来ても、決定的な致命傷が与えられない。
 これは、互角の強さだけではない。ダークは苛立ちを覚えていた。
 心の揺らぎを逃すまいとジャミルの突きがダークの小手を貫き、砕く。
「ちいっ!」
 すかさずダークの刃がジャミルの袖を裂いた。
 ダークの攻撃は反撃へと変化していた。攻守が逆転していたのだ。
 ジャミルには疲労が見え出したが、一撃が鋭くなっていた。邪神との戦いでの勘でも取り戻したのか、彼の本来持つ力は引き出されていっている。
 しかし、彼の刃から殺意を感じなくなった。攻撃は外周を削るような、回りくどいものになった。
 手加減、迷い――――命の取り合いに不要なものを彼からは感じる。それならそれで、命を奪ってしまいたいのに、踏み出させてはくれない実力の差も見えてきている。
 負けてはならない。絶対に負けてはならない。
「貴様ぁっ!!」
 ジャミルの刃をはじき、ダークは懐へ入り込もうと身を屈めて一撃を繰り出す。
 だが受け止められ、弾き返される。まるで瞬間移動のようにジャミルの刃は戻って来た。
「つまらん、くだらんものに捕らわれおって!」
 ジャミルの口元に食いしばった歯が映る。彼の怒りが、殺意が、牙を見せようとしている。
「そりゃてめえの方だろうが!」
 膝が高く上がり、ダークの頬に喰らわせる。
「ギルドに縛られやがって!この部屋を見ろ!とっくに終わってんだろうが!!」
「そのまま返してやる!もうダウドは戻らないんだよ!!」
 ダークは柄を持った手で殴りかかるフェイントをかけ、すねでわき腹を狙い打つ。手ごたえがした。肋骨にひびが入っただろう。


 もう戻らない、過去に二人は縛られている。
 それでも一抹の何かを掴もうと足掻いていた。
 もう戻らない。とっくにわかっていた。
 だが“こいつにだけは言われたくはない”という怒りが込み上げる。
 どこまでも続く悪あがき。戦い続ける事で己を保っていた。
 この満たされた世界に戦いは必要ない。けれども戦いにすがらなければならない。
 理由を求め、行き着いた先にいた男。ずっと予感していた、彼も同じ人種なのだと。


 一撃は重く、心臓へ伝わっていく。
 一つ一つが罪の意識であり、このマルディアスへの別れの挨拶。
 面と向かって言うような器用さは持ち合わせてはいない。ここは不器用で、どうしようもない男の終着点。
 静かで、暗くて、冷たい、石で敷き詰められた空間。墓には丁度いい場所だろう。
 心地の良さなどいらない。そんな場所は落ち着かない。


「これで終わりにする!」
 ジャミルの高速かつ無数の突きがダークの利き腕を容赦なく撃ち付けられる。針のような小さな穴から血が溢れて腕がびしょ濡れになり、機能を失う。
「お前と添い寝する趣味はないんでね!」
 獲物を持ち替え、傷を受けている脇を何度も蹴りつけ、渾身の一撃がジャミルを横に飛ばした。倒れこむ位置に構え、腹にダークの剣を刺す。身体の重心が加わり、剣が背へ貫通する。
「っは!あ……………」
 内臓まで到達し、大きく開かれたジャミルの口から血が吐き出され、ダークに付着した。
「だああああああああああ!!!」
 ダークは肩と動く腕を使ってジャミルを押し出し、舞い上がった身体は祭壇に落ちる。


「が、は。はっ…………あっ、あ」
 祭壇の上でジャミルはうずくまり、咳き込み苦しんだ。
 髪は汗に濡れ、顔は飛び散った血で汚れ、口には唾液と血の混じったものがだらしなく垂れている。
 衣服は腹を中心に血で濡れて、手は血と泥まみれで爪が割れてしまっている。
「……………う、うう………ふ」
 意識が遠のきそうになり、頭ががくんと下がる。身を起こそうと支えようとした手に、血が滑って崩れ、もう一度起き上がろうと力をこめ、顔を上げた。
「がっ!」
 後頭部を強い力で捕まれ、石の台に押し付けられる。はずみで帽子が外れた。
「うあ……」
 髪を乱暴に引っ張られ、足で横腹を蹴られて仰向けにされる。馬乗りになり、見下ろしてくるダークの瞳。
「虫の息と見える」
 膝でジャミルの腹に刺さった剣を横から当てて、揺らされる。
「い、あああ!!ああ!!」
 激痛に首を振ろうとするが、押さえられているのでもがく事も許されない。
 ダークは揺らすのをやめ、呟くように話しかける。
「その瞳を見るのは久しぶりだ」
「…………………………」
「ダウドを失ったお前は、そんな瞳をしていた。どうしようもない怒りの先に、何も救いはない。それでも怒らずにはいられない激情。
 俺は暗殺者として多くの命を奪ってきた。すぐに殺ってしまうから、味気ないものだったさ。
 ジャミル。お前のその瞳が俺に矛先を向けられる。感動すら覚えるよ。お前の死が、ギルドの、俺の願いの再生となる。俺を憎み、恨むが良い。叫び、苦しめ。最後の最後まで命を惜しめ。俺にとって、最高の賛美歌だ」
 ダークの剣をジャミルの心臓へ向けて押してやる。スムーズには動かず、つっかえながら、鈍く刃は傷口を広げていく。祭壇はジャミルの身体を中心とした血の泉であった。もういつ息絶えても可笑しくはない血が流れ出ていた。
「あ、あ、ああああああっ!!」
 絶叫と同時にジャミルの利き腕が持ち上がる。
 その手には細剣が力強く握られていた。
「命の奪い合いに御託はいらねえんだよ!!!」
 逆手に持ち替え、ダークの背中に突き刺す。血肉を貫く刃は胸を通過して台に突き刺さる。
 ダークの身体が傾くと、ジャミルは機会を逃すまいと身を起こして彼の上に跨った。
「ダーク、てめえを倒す前に死ぬ訳にはいかねえんだ」
 ジャミルの血塗れの口元がニタッと笑う。
「…………………ぬかったわ……。そこまでの力は残っていないと慢心していた……」
 転がった拍子に覆面がめくれ、素顔が見えていた。彼が一言口にするたびに、素顔にある唇が形作る。
 ダークはジャミルに刺さった剣へ手を伸ばす。
 利き手は使い物にならない。残った手は頼りなく震えている。
「つい口数が増えた…………最初で最後だからな。本当の俺として本当のお前と言葉を交わすのは……」
 ジャミルは動かない。確信していたのだ。ダークの手は届かない。仮に柄に触れても抜ける生命力は既に残ってはいない、と。口を聞いている自体が奇跡。ジャミルの剣はダークの心臓がある位置を貫いていた。そのジャミル自身にも、死が刻々と近付いてくるのを悟っていた。意識が薄まり、まともに呼吸が出来ない。
「ジャミルよ。俺とお前はなんだったのだろう」
「敵さ。そうしておこう」
「それで構わない」
 ダークの手が止まる。指が内側へ収まり拳を作る。
 僅かに上がったと思えば、身体の横に叩きつけられた。
 何をやったのかと見張った。そうでもされなければ気付かなかったであろう、窪みに気付いた時、身体に残った全ての血が引くのを感じた。
「ギルド……万歳」
 ダークの口が、勝利の笑みに弧を描く。
 目を見開くジャミル。
 光が全てを包み、真っ白に染める。






 アサシンギルド本拠地から地響きが鳴った。地中から突き上げるような、くぐもった轟音。
 入り口は土煙を噴き、周辺の森にいた鳥たちは騒ぎ、飛び立っていく。
 音は一度きり。やがて鳥も騒ぐのをやめ、静寂が戻る。






 白。どこまでも白い世界にジャミルは佇んでいた。
 白は微かに濁っていき、灰色となる。
 静かで冷たい。それに一人きりだった。
「ああ…………」
 頭上を見上げ、彼は納得する。
 頭上――――空から白いものが舞い降りてくる。軽くて冷たい雪であった。


 しんしんと降り続ける雪。
「寒いな」
 息を吐くと白く染まる。
「どっこらせ」
 立つのが面倒になり、腰をかけた。
 すると、座った場所が瓦屋根になり、視界を映すものは南エスタミルの町に姿を変える。
「寒い……」
 沈黙する世界に、ジャミルの声だけが唯一の音であった。
 この場所この景色。懐かしく、心が安らいでいくのを感じる。
「……………………寒い…………」
 大きく息を吐くたびに、寒さを口に出した。
 一人で寂しいから声を出したくなるのだろうか。それにしては随分と穏やかな気持ちであった。


「しつこいよ」
 すぐ隣で声がする。
「余計に寒くなる」
 布擦れの音がする。
「悪かったな」
 ジャミルは膝を抱えた。


 これは幻なのだろうか。それとも思い出なのだろうか。
 ダウドの声、ダウドの存在を感じた。横を向いて確かめられない。
 もし違っていたらという不安、酷く申し訳ない罪悪感が揺れていた。
 鼻をすする。これはきっと寒いからだと思い込んだ。


「お腹空いたね」
「そうだったか……」
「失敗したもの」
「そうだった………」
「ねえ」
「ん?」


「ジャミル」
 胸が痛い程、脈打つ。


「どうして、おいらたちは生まれてたんだろう。こんな、世界に」
 こんな?聞き返そうとした言葉を飲み込む。
「親もいない、お金もない、家もない。一体、なんの意味があるんだい」
「ある」
 考えるより早く、返事をしていた。
「あるさ、きっと。ある」
 ジャミルは立ち上がり、拳を握る。
「証明してやるさ。この俺が」
 ダウドがいるであろう方に身体を向けて言い放つ。けれども俯き、目は瞑られていた。
「意味がある。絶対にあるさ」
 顔を上げ、瞼を開ける。
「ダウド」
 そこにはダウドの顔があった。彼は頷き、微笑む。
 口を歪め、ジャミルはぎこちなく端を上げる。唇が震えていた。


 雪は量を増し、風が出て来て吹雪となる。
 影はさらわれていった。
 二つの影が重なったような、それとも元から一つだったような。
 消えてしまっては真相がわからない。






 歌が聴こえる。音と同化したような、美しい歌が。


 晴れきった空にギターの音が鳴る。
 風も無いのに、長い髪が揺れる。
 吟遊詩人は歌を奏でていた。
 小高い丘の上から眺める景色は、南エスタミルと海が共に見える。
 彼の傍には小鳥が舞い、動物が身を寄せて眼を瞑る。
 人と獣が自然に溶け合っていた。
「美しい、美しい世界だ」
 歌うように詩人は言う。
「英雄よ。貴方はミルザと同じ星になりたかったのか。エロールの選択は間違っていたのか」
 指が涙の滴のように弦を弾く。
「私にはわからない。貴方がたが生まれたマルディアスは、これほどまでに美しく尊いのだから」
 空へ向け、祈りをこめて歌う。
 高い、高い、天に届くように。


 その頃、丘の下の南エスタミルでは、黒髪の娘が詩人と同じ歌を口ずさんでいた。











バッドエンドながら、ずっと書きたかった話でした。
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