もしも、二度目の人生を歩めるのなら。
 清算したい罪がある。



満たされる世界
-4-



 カツッ、カツッ、カツッ。
 闇の中に足音だけが響き渡る。
 滅びてしまったアサシンギルドの本拠地は静まり返っていた。難解だった建物の構造も、一度わかってしまえば容易い。以前入った頃よりも古くなり、老朽を感じさせる様は廃墟と呼んでも良いくらいだ。
 殺気は無いが、気配も無い。
 外はあれほど生命に溢れていたからか、不気味な雰囲気は変わらなかった。


 ダークがいるのは恐らく儀式の間だろう。
 記憶を頼りに進みながら、以前同じ道を歩んだ頃の思いが巡る。


 怒りしかなかった。悲しみも喪失感も越えた、怒りしかなかった。
 友の顔が浮かぶ。笑った顔、怒った顔、泣きそうな顔。
 今思い出そうとすると、少しぼやけている。見飽きるまで覚えていた顔なのに。忘れまいと誓った顔なのに。
 友の仇を討った後、怒りが消えていく中で罪の意識が残った。
 あの時、ああしていれば、こうしていればという後悔の念。
 この悲しみは、胸の痛みは、友がいないからだけではない。どんな理由であれ、友をこの手で刺してしまったという逃れられない事実を負って、エゴイズムが悲鳴を上げているのだ。
 友を失った悲しみのせいにして、醜い自分から逃げ続けてきたのだ。この世すらも逃げ出したいくらいに。


 けれども、全てから抜け出せる機会が与えられた。
 奇跡によって与えられた命。ジャミルは使い道を決めていた。俺だけの為に与えられたのなら、好き勝手に使わせてもらう、と。俺だけの戦いの為に。
「…………………………」
 ジャミルは儀式の間へ続く扉の前に着く。立ち止まり、目を瞑って呼吸を整えた。
 ゆっくりと獲物の細剣の柄に手をかけると、微かに金属の音を立てる。


 ああ、これが最後。
 心の中でぼやけた友の顔を浮かべる。
「ダウド」
 心の中の友――――ダウドが自分を呼んでくれるイメージを浮かべようとする。


 声が、よく思い出せない。
 直接聞いたら、きっとわかるはずなのに。


「どうせ…………」
 ジャミルは剣を抜き放つ。
「どうせ散るなら華々しく」
 扉を敵に見定めて構える。
「いっそ跡形も無く!」
 一閃し、扉が真っ二つに切断され、轟音を立ててジャミルの横に倒れた。
 土埃が舞う中を迷わず進む。
 煙っていても見えた。蝋燭に灯る明かりを。


「…………っ……!」
 殺気を感じ、ジャミルは大きく右へ跳ぶ。
 天所から、闇よりさらに黒い闇が舞い降りてきたのだ。
 それは大きな塊のようで、やがて人の形になる。
「ぐ」
 目に見えない圧力がジャミルの身体を後ろへ飛ばし、壁に叩きつけた。
 背中で石の感触がするのと同時に、首の真横にナイフが突き刺さる。僅かにかすった刃が赤い筋を描く。
 徐々に煙が晴れていけば、ナイフの柄に人の腕があり、目の前に刺してきた張本人がいる事に気付いた。ナイフだけが飛んできたと察していた。こんなにも近くにいるのに、殺気はあるはずなのに、気配を全く感じなかった。


「久しぶりだなジャミル。反応が鈍い。平和ボケか」
 低く、懐かしい声がジャミルの耳に入り込む。
「てめーはボケてろよ、ダーク」
 交差する視線。二人の目つきが変わる。
 仲間ではない、敵に向けるものに。


 室内に息がつまる程の殺意が充満する。
 冷や汗がどっと噴き出す。
 なのに、口の端が自然と上がって八重歯が見えた。ジャミルは笑いが込み上げそうになる。
 人間とは、神よりも邪悪で恐ろしい生き物なのかもしれない。
 とんだ、悪さが過ぎた道具だ。
 ジャミルに邪神と戦った時の恐怖が蘇ってくるが、その裏側で血潮が熱くたぎってくるのを感じていた。
 改めて彼は思う。こんな場所が俺には丁度良い。


 土埃が完全に晴れると、ジャミル声を上げて笑う。
「景気はざまあねえようだな」
 この儀式の間にはジャミルとダークしかいない。
「またお前に壊されたらたまらんからな」
「建設的なこった」
 ジャミルは細剣を逆手に持ち替え、柄でダークを押し退ける。当然、かわされるが壁から抜け出す事が出来た。


「ちっ」
 舌打ちをして、すぐにその場から離れる。一対一の決闘。息をつく暇はない。
 ダークはジャミルの横へつき、高速の突きを繰り返してくる。武具はアサシン時代の愛用と見られる曲刀だろうが、素早すぎて形が見えない。刃の範囲がわからなければ反撃は命取りとなる。
 狙われるのは全て急所。ダークは暗殺者として人体の細部にわたる急所を理解している。それを正確に、的確に射抜いてくるのだ。
 ガンッ。刃と刃がぶつかり、金属音を立てる。ジャミルは一瞬の隙に見えたダークの獲物を捉えた。四つの刃を持つダークの剣を。
 刃が擦れ、悲鳴のような音を立てる。まるで命を取り合う二人の運命を嘆いているかのように。
 だとしたら、余計なお世話だ。
 生と死のぎりぎりの狭間。この絶妙の間が居場所だった。生まれた時から、今この時に至るまで。
「ダーク、てめえもだろ」
 前置きもない、唐突な呟き。
「ふ」
 ダークの息が、同意を意味する笑みに聞こえた気がした。


 埒が明かず、ジャミルは身を屈めて足払いをかける。が、均衡を崩したダークの足がジャミルの利き腕を蹴り上げ、細剣が宙を回って飛んだ。靴に刃物を仕込んであったのか、手の甲が裂けて血が噴出す。
 すかさず心臓を狙う突きを、身体を逸らしてかわし、両足を合わせてダークの顎に蹴りを浴びせた。
 ダークが後ろへ飛ぶ間に細剣を拾う。
「は……は………」
 息が切れ始める。この祭壇の間はダークのテリトリー。長期戦に勝機はない。
「息が乱れているぞ」
 体勢を整えたダークの声は馬鹿にした言い方ではあるが、表情は氷のように温度を感じさせない。その顔に疲労はない。


 ダークは強い。仲間として組んでいた頃よりも力をつけている。
 互角程度には予想していた。これほどまでとは、想像もできなかった。
 互いに実力があるからこそ、一撃が勝敗を決める。一突きが死へと繋がるのだ。
 ダークの攻撃には迷いが無い。彼は死への一撃だけを狙ってくる。
「……ふ…………ふうっ……」
 間合いを取りながら、ジャミルもダークへ突くべき一撃に覚悟をこめる。力を入れるほど、手が痛んだ。
 突然、柄を握る指の神経が、ばらける感覚に襲われた。まるで心と身体が分離するような。




 この期に及んで、迷っているのか。
 この手で再び仲間の命を奪う事を。


 神経を尖らせすぎて、ダークにあの日のダウドの姿が重なる。
 ああ、こんな時になって。ジャミルはなんとも言えない思いにかられる。
 ダウドの姿が、ダウドの声が、はっきりと思い出せるとは。


 ずっと迷っていた。
 ずっと悩んでいた。
 悲しくて、寂しくて、腹が立って。
 後悔の繰り返しだった。
 二度と同じ過ちは犯さないと決めた選択が、二度目の過ちになっている。
 とんだ大馬鹿野郎だ。


 そんなどうしようもない自分を。
 ダウドは叱るのだろうか、許してくれるのだろうか。


 ダウド。
 無性に、お前に会いたいよ。




「来い……!」
 ダークの姿が消える。
 来るであろう方向に、ジャミルは刃を構えた。










Back