同じ空の下、同じ大地の上で、2人の若者は友に別れを告げていた。


 1人の名をジャミル。もう1人の名をグレイといった。
 エスタミルで、メルビルで、彼らは友に別れを告げていた。
 頼りないが優しい、憎めない相棒ダウド。真面目で正義感の強い、腐れ縁のガラハド。
 若者の傍には、赤を纏った女性が立つ。
 踊り子のバーバラ。術士のミリアム。彼女たちは様子を見守っていた。
 友と硬く握手を交わし、少しだけ笑った。


「じゃあ、またな」
 また、という当てのない約束。
 けれど、信頼しあう仲にこそある確かなものがあった。
 必ずまた、会える。
 そう信じて、別れを告げた。


 まさかこれが、最後の言葉になるなど、思いもしなかった。


 悲しみが、悲しみを呼び。怒りが崩壊を招く。
 運命に弄ばれ、石の力により引き付けあう因果。
 悪夢の物語の始まりであった。



悪夢
-1-



 エスタミル。海が良く見える、町外れの丘。墓標のない墓の前で、ジャミルは座り込み、祈りを込めて目を瞑っていた。この下には、友ダウドが眠っている。波の音は、彼を慰めているのか、それとも触らぬように避けているのか、静かに揺れていた。
「ダウド、仇は取った」
 瞼を開き、低い声で報告した。ダウドの弱い心につけ込んだ悪を、この手で滅ぼしてきた。彼の魂が、これで浮かばれれば良いのだが。脳裏に過ぎった思いを、ジャミルは自ら否定した。
 手を開き、閉じたりを繰り返し、首を横に振る。
 確かにダウドは悪につけ込まれて死に至った。しかし、直接の原因を作ったのは、他でもないジャミルであった。この手で、操られた彼の身体を突いたのだ。
 仇を討っても、あの時の感触が忘れられない。べっとりと、糊のように貼り付いた罪。
 目を閉じれば、あの日エスタミルを旅立った頃が思い出される。
 刺した時の感触と、手を握った感触が入り混じる。


 夢であった、伝説のディステニィストーンを探す旅。
 それは友を失った日から、憎しみの旅へと変わっていた。


 ふと気配を感じ、ジャミルは振り返る。
「ジャミル」
 銀髪が風に揺れた。バーバラであった。
「そろそろ、行くか」
 よっ、と。わざとらしく明るい声をかけて、立ち上がる。
「ジャミル、どこへ行く?」
 彼女の胸元で、アメジストが太陽に反射してキラリと光った。
「………………………」
 ジャミルは答えず、バーバラの横を通る。バーバラも無言で、彼の後を付いていった。
 何かを思い出したのか、バーバラは一瞬足を止めるが、また歩き始める。


 ジャミルは旅の中で、出会いと別れを繰り返していた。
 過酷さと事情で、仲間は離れて行ったが、最後まで残ったのはバーバラだけであった。


 ジャミルは求めていた。漠然とした、何かを。言葉では表せない、何かを。
 求めて、伝説へ立ち向かっていく。屈する事無く、宝をもぎ取っていった。
 水のアクアマリン。
 風のオパール。
 闇のブラックダイヤ。
 邪のオブシダン。
 石は集まるごとに光を増して、彼はより高みへと進んで行く。
 まだ足りない。この先にある何かが欲しい。
 彼は貪欲に、求め続けた。手段は選ばなかった。
 もう、未来など求めていないはずなのに。


 彼の時は、友の命と共に止まっていた。
 何も感じない、何も見えない、何もわからない。
 明日を失い、昨日を探っていた。


 もう、どうでも良いはずなのに。
 運命は彼を逃してはくれなかった。より深く、より荒く、呑み込もうとしている。
 進むしかなかった。唯一の仲間は、支えて行くしかなかった。


 どこへ行く?


 バーバラの問いには、いつも無言であった。
 わからないのだ、何もかも。








「ねえ、嘘でしょ……」
 ミリアムの声は震えていた。人前で涙を流す事など決してなかった彼女は、瞳を潤ませ、連れであるグレイの背の後ろへ隠れる。服を掴まれた手が、震えているのを感じた。
 アルツールの街道。グレイとミリアムは、住人の話に固唾を呑んで耳を傾けていた。
 果実で有名なのどかなこの町で、ある事件が起きたというのだ。それは、殺人。被害者はガラハド。
 そう、グレイとミリアムの仲間であり、友人であった。町で訪れたのは、噂で彼がここへ来ていると知ったからだ。
「誰だ」
 沈黙を保っていたグレイが、一言言う。無表情ではあるが、奥底に沈む怒りを秘めていた。
 住人も感じたのか、半歩さがり、動きに落ち着きがなくなる。早く話を終わらせて離れたいのだろう。
「わかりません。少なくとも、町の者ではありません」
「そうか」
 グレイはミリアムの手を引き剥がし、その手を取って、木々のある落ち着いた場所へと連れて行く。


「グレイ………」
 ミリアムは消沈し、名を呼ぶだけで精一杯であった。座り込み、立てた膝の間に顔を埋める。
 伏せている中で、彼の気配が前へ来るのを感じた。泣いている彼女を隠したのだろう。
「………もう………」
 3人で財宝探しは出来ないんだね。
 声にならない言葉を心の中で言う。
「俺は真相が知りたい。来れるな、ミリアム」
「うん」
 顔を上げると、グレイの手があった。手を借りて彼女は立ち上がる。もう涙は流れなかった。
「話を聞いて、情報を集めるぞ」
「うん」
 2人は民家や行き交う人に声をかけ、事件について聴いて回った。わかったのは、ガラハドがアイスソードという高価な剣を購入した事。現場には、アイスソードが無かった事であった。
 裏路地に入り、小声で相談しあう。
「強盗の、仕業かな」
 ミリアムの表情は帽子に隠れていて見えない。
「強盗だったら、買い物をする前に狙わないか?ただの強盗に、ガラハドが負けるはずもない」
「じゃあ、初めから剣が目当てだった訳?それとも、ガラハド自体を?」
「わからない。そもそも、殺した張本人が見えてこない」
 グレイは頭を振る。行き詰っていた。


「もし」
 呼びかける声が聞こえ、反射的にグレイは刀を構え、ミリアムを庇う体勢を取った。その影でミリアムは術詠唱の構えを取る。
「物騒な。しまって下さい」
 路地の奥の闇から、白い手が招くように、下ろしてくれと合図をした。2人は構えを崩さない。
 その内、声の主は歩み寄り、闇の中から姿を現した。真紅に染められた長いローブを纏った細身の人物。フードをすっぽりと被っているので顔が見えない。指先は長く、骨ばっている。ローブの裾は、ただの影なのか、隠れていた闇と同じ色をしていた。
「殺人事件の事が知りたいのですか」
 男性とも、女性とも判別し難い声。心へ直接訴えかけるような、不思議な声である。
「だとしたら?」
 グレイは刀の切っ先を向けた。
「どれ、私が水晶で事の一部始終を映してさしあげましょう」
 ローブの中へ手を入れると、水晶玉を取り出し、撫でてみせる。
「どうする?」
 ミリアムはグレイを見上げ、返事を待つ。
「ふん。誘いに乗ってやろう」
 グレイは刀を鞘へ納め、前へ出る。ミリアムも彼と共に水晶の側へ寄った。


 赤いローブの者は、術を唱えながら水晶を撫で続ける。すると、濁っているような曇った霧の中で、映像が流れた。風の音が聞こえる。その中で、僅かに聞こえる金属音。
 カンッ、カンッ。
 ガラハドらしき、大きな影が誰かと剣を交えていた。その背後で、素早く動く影。何かを持っている。恐らく弓だろう。
 矢が刺さったのか、ガラハドが大きく揺れる。その後、連続に刺さる何か。
 鎧を貫き、肉へと食い込む音がした。ミリアムは口を固く結び、耳を塞ぐ。
 一瞬、晴れたように霧が消え失せた。背後で狙っていた影が、表情を見せる。長く尖った耳、揺れるピアス。片方が髪で隠れた、鋭い瞳。他者を受け付けない修羅の気迫。
「もう、いい」
 グレイは大きな手の平で、水晶玉を握り込む。
「そうですか」
 ぷつりと水晶の中の映像は途絶え、路地の景色を歪ませて映した。
「複数………卑怯な」
 握る拳に篭る、行き場の無い怒り。
「感謝する。ミリアム、行くぞ」
 肩に手が乗ると、ミリアムはびくりと身体を震わせる。
「ミリアム?」
「なんでもない、大丈夫」
「そうか」
 グレイの手の上に手を重ね、そっと剥がした。その指には、薄闇の中でも煌きを放つ宝石がはめられていた。
 光のダイヤモンド。
 フードに影に隠れた口元が、ゆっくりと弧を描く。
 路地から出て行く2人の背を、見えなくなるまで見送っていた。
「また、会いましょう」
 先ほどまでとは異なる、どすのきいた男の声を放つ。


 歩きながら顔を向ける事無く、グレイは横にいるミリアムに語りかける。
「ミリアム、俺は奴を追う」
「仇?」
「わからない。ただ、一太刀浴びせねば、気が晴れないんだ」
「仲間だから?」
「さあな。きっと、そうだったんだろう。…………ミリアム」
「ん?」
「来れるな」
「聞くまでも、ないよ」
 ミリアムは頷く。だが、表情は思い詰めたように影を落としていた。


 ガラハドを背後から狙った人物。あれは、確かにジャミルだった。


 グレイと一度別れ、北エスタミルへ戻った時、短い間だが旅をした事がある。
 賢く、陽気な仲間思いの青年。だが、あの時映った映像の中では、別人のようであった。一瞬、誰なのかわからなかったぐらいだ。
 憎しみか、悲しみか、それとも虚無か。何かに囚われているような、そんな印象を受けた。


 術士として、長い事旅をしていた。
 苦しい事、嫌な事、語り出せば止まらないが、楽しかった。振り返ろうとしなかったツケが一気に降りかかって来たかのようだ。
 手の中にあると思っていたもの。それは知らず知らずの内に、隙間から零れて無くなっていた。
 知らない事は、罪だったのだろうか。罰を受けねば、ならない事なのだろうか。
 もう、昔には戻れない。美しかった思い出は、無残にも崩れ落ちた。


 横を歩く、グレイという男。どこか掴めない、不思議な雰囲気を放つ、どこか惹かれる男。探究心の底を見せず、我が道を進む冒険者。
 彼は探求の延長線にあった伝説へと立ち向かい、再び合流した彼女はそれを手助けする形となった。手に入れた宝石が、軌跡を物語る。
 火のルビー。
 土のトパーズ。
 魔のエメラルド。
 光のダイヤモンド。
 気のムーンストーン。
 石は所有者を求め、導こうとしていた。それが例え憎しみの引力であっても、引き寄せ合う因果。煌きを奪おうとする闇もまた、身を潜めて近付いていった。










説明でもあった通り、ジャミルVSグレイです。
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