悪夢
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山道の中を、一台の馬車が走る。運転をしているのはバーバラ、荷台にはジャミルが乗っていた。壁に寄りかかり視線を落とすと、そこにはアイスソードが置かれていた。先日、アルツールでガラハドから奪った剣だ。そもそもこれは、依頼されたものであった。
依頼主はフレイムタイラント。リガウ島トマエ火山に住む、炎の帝王と呼ばれる四天王の1人である。
彼らはヨービルを経由してブルエーレからバファル帝国内へ入り、メルビルを目指してベイル高原を通っていた。メルビルから出ている船で、リガウ島へ行く計画である。
ゴロゴロゴロ………
空の方から聞こえる、雷の音。帝国領内に入るなり、晴れだった空は曇って、雷雨となった。
雨の中、ベイル高原を通るのは土砂崩れの危険性があり、油断は出来ない。バーバラの神経を乱さないように、天気が変わってから必要の無い限りは声をかけていない。
「バーバラ」
「なあに?」
雨の音で、声が聞き取り辛い。ときどき馬車が大きく揺れて、声そのものを途切れさせる。
「タイラントさん、ぶっ倒すか」
「剣が、惜しいの?」
「元はサルーインのしもべだろう?」
「今は、大人しいようだけど」
「どうかな」
「元盗賊が、言うんだね」
「汚すのを止める事は出来ても、手は結局汚れたままだ」
「あたしは、そう思わないけれど。ジャミルがそうしたいなら、協力するよ」
聞き取り辛いはずなのに。なぜだか、だいたい何を話しているのかは察する事が出来た。いつから、わかるようになったのだろう。いつの間にかであった。月日をかけて育った、絆であった。
「タイラント、倒せるかねぇ」
「俺たちなら出来るさ」
「信用してくれるの?」
「信用しているさ」
会話が僅かに止まり、間を置いてジャミルが口を開く。
「バーバラ。どうして俺といてくれるんだ?」
「どうして、かしらね」
「おいおい。答えてくれよ」
「あたしも………ううん。野暮だね、ジャミル」
「なんだそりゃ」
くすくすとバーバラは笑う。
「雨、酷いね」
はぐらかすように空を見上げ、天気の話をした。
あたしも、罪を負っているんだ。
視線を戻し、目を細めた。
それは、まだ希望が壊れる前の日。南エスタミルの出来事であった。今日と同じような、雷の鳴る雨の日であった。ジャミルはあれだけ里帰りをしぶっていたのにも関わらず、いざ戻れば上機嫌で喜んでいた。
宿を取った後、友人に会ってくると雨の中も気にせずに出て行ったが、ダウドがいないと気を落として戻ってくる。また明日探してみると、彼はベッドに転がった。バーバラは散歩のつもりで宿を出る。
雨は少し治まったようだが、止む気配は見せない。手を頭の上に乗せ、屋根の下を移りながら移動した。
「え?」
バーバラは足を止め、目を凝らした。海沿いの所に、見覚えのある人影を見つけたのだ。濡れるのも気にせず、ゆっくりと近付いた。
ああ、やはりそうだ。
予想は当たっていそうで、歩み寄る足が速まる。
その人物は石畳に腰をかけ、素足をブラつかせて水増しした海を軽く蹴っていた。バンダナとたすきが特徴的な衣装。ジャミルの友人のダウドであった。
「ダウ、ド?」
後ろから、そっと声をかけた。
なぜだか、緊張する。久しぶりだからだろうか。忘れられているかもしれなかったからだろうか。なぜだか、掴み辛い印象がした。
「だぁれ?」
呟くような小さな声。けれども、どこか明るい。ちぐはぐであった。
「あたし、バーバラ。覚えているかな。ジャミルと一緒にニューロードを旅した………」
「ああ、お姉さん」
「久しぶりね、ダウド」
横に並ぼうとした足が、不思議と動かない。これ以上近付く事を、何かが押し止めるのだ。
「ジャミルも、一緒に来ているんだよ。ダウドに会いたがっている」
「そう」
ダウドは振り返らず、海を眺めたままバーバラに話しかける。
「ジャミルは元気?」
「ええ、元気よ」
「ジャミルは自分勝手で、なんでも1人でやっちゃうけれど、それは相手を思っての事なんだ。本当は、とっても寂しがり屋でね」
「そうなんだ、初耳」
口元を押さえ、良い事を聞いたと意地悪そうに笑う。
「ジャミルを、宜しくね」
「え?ああ、うん」
バーバラは瞬きをして、耳たぶを押さえた。今の声は違う場所から聞こえたように、頭の中へ入っていった。浸透するように、刻まれる。
「ダウド、一緒に宿まで行かないかい?」
中腰になって、ダウドを誘う。
「もう少し、ここにいたい。後で行くね」
「そう。風邪ひかないようにね」
「有難う」
そうして、バーバラは宿へ戻って行った。なぜだか気になり、何度も振り返りながら、戻って行った。
ダウドの背が、脳裏に焼き付いていた。
もしあの時ならば、彼を救えたのかもしれない。もしあの時、何か出来たなら。後悔をせずにはいられないのだ。
思い返せば、不思議な時間であった。雨を感じなかった。閉鎖された空間のような、僅かな許された時間とでも言うのか。あれは、もしかしたら幻だったのかもしれない。ダウドの伝言だったのかもしれない。
気付かずに、悲劇は訪れた。
ジャミルといるのは、ダウドとの約束なのだろうか。
それとも、何も出来なかった自分への罪滅ぼしか。ダウドに会った事、話をした事、今も言い出す事の出来ない秘密。圧し掛かるものを、抱えていた。
バーバラ達の馬車を見下ろしながら、平行して走る一匹の馬がいた。フード付きのマント姿の2人組みが乗っている。グレイとミリアムであった。
長く尖った耳は、クジャラート人の特徴。情報は思うように集まり、追い付いてきたのだ。
「あれか」
手綱を引きながら、空いた手で望遠鏡から様子を伺う。
「まさかベイル高原で間に合うとはな。町に入られると騒ぎが起こる。ここで決着を付けたい」
「グレイ、待って。落ち着いて」
グレイの腰にしがみつくミリアムが制止をかける。
「こんな天気じゃ、今馬の足を速めたら危険だよ。すぐそこまで来ているんだ。落ち着こう」
「わかっている」
予想より上手いように進み、今まさに標的がすぐそこにいる。ミリアムの言い分もわかるが、落ち着くなと言われる方が無理である。
「2人組みのようだが、馬車に何かを積まれていたら厄介だな」
望遠鏡をミリアムに預け、荷物の袋から飛び出た武器の柄に手をかける。布に包まれているそれは、片手斧。かつて帝国へ訪れた時に購入した物だ。
「まず荷台の車輪をこれで狙う。この雨では火術は不利だ。回復を頼む」
「ねえ」
すがるように、ミリアムはグレイのマントを掴む。
「なんだ?」
「殺すの?」
「……………………」
「それとも、許すの?」
「ガラハドだったら、メルビルの警備兵に突き出せと言うんだろう。だが生憎、俺はガラハドじゃない。あいつらの、態度と目的次第だ」
「グレイ………」
グレイの背に、顔を埋めた。
仲間を失い、また仲間を失おうとしている。
ミリアムは思う。まだ、ジャミルの仕業だと信じたくはない自分がいる。
かつての仲間だと言ったら、グレイはどんな顔をするのだろうか。
きっと、連れて行ってはくれず、1人で立ち向かうのだろう。彼は1人だろうと、2人だろうと、考えを改めるような性格ではない。
いてもいなくても、同じかもしれない。
けれど彼を1人になどは、出来なかった。離れるなど、出来なかった。
それに…。
顔をしかめ、低く呻く。
あまりにも上手く出来すぎていると、邪推をしていた。
確かにクジャラート人は特徴あるが、こうも情報は集まるものだろうか。考えれば考えるほど、矛盾点が思い浮かぶ。アルツールの時点、そもそもガラハドの噂を聞いた頃から、おかしさがあった。何がおかしいとは、具体的には答えられない。しかし、操作されているような、作為的なものを感じずにはいられない。こうしてジャミルと対峙する事を、狙われているような気がしてならない。悪意に満ちた糸を引く何かを感じるのだ。
このまま戦えば、思う壺。だが、この怒りと悲しみは、どうにもならなかった。流されても構わないとさえ思う。
愚かでも構わない。心があるのだ。赤い血が流れているのだ。
「ミリアム、降りるぞ」
「わかった」
腰に回した腕に力を込める。
馬は飛び降り、真下を走る馬車の前へ舞い降りた。
突然目の前に現れた物に、バーバラは避けようと手綱を強く握る。横に逸れ、車輪がグレイの前に晒された。すかさずに片手斧を投げ込む。遠心力を付けて大きく回り、車輪に食い込み、砕いた。
バランスを崩すが、岩にぶつからずに馬車を止める。荷台から華麗に飛び出し、前に現れたのはやはりジャミルその人であり、水晶の中で見たものと、同じ瞳の光を宿していた。
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