闇の中、地上で瞬く星に似た輝き。
涙のように地に零れるのは赤い滴。
綺麗なのは僅かな間だけ。時間が経てば固まってくすんでしまう。
手に持ったナイフを眺めた。鋭い切っ先には鮮血が付着している。
その付き方で、今夜の自分の仕事の具合がわかる。また一歩、上手く出来るようになったかもしれない。
淡く光るその瞬きは、彼とって一等星の輝きに見えた。
ナイフに顔が映る。紛れもない自分の顔。その瞳には迷いは無い。ああ、紛れも無くこの顔は自分のものだ。
闇の呼吸
「…………っ………」
深夜。皆が寝静まる宿の一室で、ダークは飛び起きた。
動悸が治まらず、手を胸に当てて息を整える。汗で前の方の髪が湿っている。
空ろな瞳で窓から差し込む月の光を眺めた。
室内は暗く、今夜は1人ずつ個室を取ったので、彼以外この部屋にはいない。両隣には連れのジャミルとダウドが眠っている。しんと静まり返った中、ダークの荒い息遣いだけが響いていた。
夢を見ていた。あれが真の姿なのか。俺は、誰なんだ。
問いかけても、答えてくれる者はいない。
いつになったら記憶を取り戻すのか。取り戻した後、どうするべきなのか。
わからない。
ベッドから降り、床に足を付けた。立ち上がろうと腰を上げた時、ドアが開く。
隙間から中の様子を覗いてくる瞳がダークの瞳と合うと、安心したように中へ入ってくる。
「なんだ?」
ダークが訪問者へ問う。
「うん………」
訪問者、ダウドは頷くだけであった。
「凄い汗」
側にあったタオルを取って、ダークの額に当てるようにして、汗を拭ってやる。
「大丈夫?」
膝を床に付けて、ダークを見上げた。暗いので、ダウドがどのような表情をしているかは、よくわからない。一体何の為に部屋へ来たのか、意図が読めない。
「最近、元気ないけど大丈夫?」
「……いつも、こんな感じだ」
ダークの言葉に、ダウドは首を横に振る。
「そんな事ない。ちょっとは、わかってきたつもりだから…」
立ち上がり、ベッドに腰掛けてダークと並んだ。
「おいらで良かったら相談に乗るよ。おいらで良かったら…………だけど」
話す内に自信がなくなってきたのか、徐々に首が傾いていく。
「なぜ俺に構う」
「仲間だから。あと………」
「あと?」
ダークはダウドの横顔を見据えた。
「何となくなんだけれど、ダークの抱えているもの、積み重ねてきたもの、おいら達と似ている感じがするから。何となくなんだけれど……」
「……………………………」
胸の奥がむず痒くなり、眉間にしわを寄せる。優しくされると、風に吹かれる感じがした。ふっと吹かれて浮かんで、どこかへ飛んで行ってしまいそうな。不安定になり、どうしたら良いのかわからなくなる。自分を保てなくなる。優しさは危険であった。
隣に座る青年はいつも優しかった。きっと誰にでも、無防備に優しさを振舞ってきたのだろう。だがダークは感じる。その一方で無防備に優しさに傷付いて来たのだろうと言う事を。影を感じるのだ。そう思うのは彼の言う通り、似ているからなのだろうか。不思議な巡り会わせだ。記憶を失っているはずなのに、同じ臭いを感じる者達に声をかけられ、こうして旅をしている。
少し曲がったダウドの背中に、危うさを感じた。彼を一人にしておくと、途端に騙され、付け込まれてしまいそうだと。もう1人の連れ、ジャミルがダウドを引っ張っているのも理解できる。彼を放っておいてはいけない。そんな感じがするのだ。
「ダウド」
「うん?」
ダークに呼ばれ、ダウドは顔を上げた。
「お前の方が心配だ」
「ダーク、ジャミルと同じ事言うんだ」
後ろに手を付き、足をぶらつかせて、ダウドはつまらなそうに呟く。
「おいら、そんなに頼りないかい?」
「ああ、お前は隙が多い」
ダークは企むような笑みを見せた。悪戯心が囁く、どれだけ隙が多いのか見せてやろうと。
「ほら」
ぐっと、音もなく、ダークの腕が伸び、ダウドの首を掴む。
つかまれたと思った時には、既にベッドの上へ押し付けられていた。一瞬で視界が反転する。
ダウドはただ、目を丸くするのみであった。
「この通りだ」
ダークは彼を見下ろし、目を細める。
仰向けに倒れたままのダウドが息を吸うたびに、胸が上下した。少しだけ指に力を入れると、びくりと震える。
ああこの感じ。
頭の上がすーっと透き通っていく。
「何か、思い出せそうだ」
「え?」
ダウドは起き上がろうとするが、ダークが馬乗りをしてきて、押し戻される。
均整のとれた、ダークの細くしなやか足が、ダウドの耳の横を通り、頭の両側を阻まれ、身を屈めて顔を覗き込んで来る。首を絞めている手の上に、もう一つの手が重なった。
「ダウド。俺がもう少しだけ力を入れたら、お前は死ぬ」
ダークの突然の言葉に、ダウドは驚くしかない。
「……………………………」
「苦しいか?」
ダウドは僅かに首を動かす。手から彼の震えが伝わってくる。恐怖しているのだ。
心が満たされていく感覚を覚えた。
「離して欲しいか?」
ダウドは僅かに首を動かす。
「駄目だ」
ダウドの喉が僅かに動く。
「離したら、お前は何をしてくれる?」
「……………………………」
「答えられないだろう。声が出せないのだから。お前は逃げられないんだ」
「………はっ…………」
ダウドの口から、声にならない吐息が漏れる。やがて目元から涙が溢れて零れた。
「泣いても、どうにもならない」
ダークは指に力を込めた。
「…………あ………………あ……………」
ダウドはパクつかせ、何かを訴えようとするが、やはり声にはならない。
「……………あ………………………」
「良い顔をしている」
低音で、優しく囁きかける。
「生にしがみつく様、良いぞ」
瞬きをする度に、ダークの瞳の温度が下がっていくように見えた。
「だが、あっけないものだ。あっけないのだ」
多くの命を一瞬にして消して来たような気がする。それはあまりにも一瞬で、あっけなかった。こうして肌に触れ、命が消え行く様を眺め続けるのは興味深かった。実感がわくのだ。今、尊いものを殺そうとしているのだという事を。
「……………ん………………」
冷や汗が浮かび、顔色が蒼白になっていく。虚ろになっていくダウドの瞳。
「……………………………」
ダークは素早く瞬きをして、今自分のしている事を思い返そうとした。締め付けている手が、血で染まっているように見え、驚いて離す。目を固く閉じ、ゆっくりと開けて、もう一度手を見つめた。恐る恐る開いた両手には何も無い。錯覚だったようだ。
手の隙間から、ぐったりとしたダウドが見え、ダークは悲鳴のような声を上げた。
「ダウドっ」
ダウドの体から下り、抱き抱えて胸に耳を付けて心音を確かめる。心臓は動いていた。
「…………ダーク……」
薄く開かれたダウドの口から、ダークの名が漏れた。
「すまない……すまない……ダウド……」
ダークは頭を垂れてダウドに詫びる。
ダウドの心配する通り、彼は大丈夫などではなかった。記憶が確かになっていくにつれ、悪夢にうなされる事が多くなり、取り戻そうと踏み出せば我を失う。情緒不安定で、夜は特に心を掻き乱す何かがざわついていた。
「俺は………お前達の側にいない方が良いのかもしれないな………」
その呟きは、とても悲しそうに聞こえた。
危険な状態だというのを、ダーク自身も良くわかっていた。だが、ジャミルとダウドと共にいるのが心地よくて、甘えてしまっていた。その甘え続けた結果がこれである。ほんの戯れから起こった事であるが、もしそれが無かったとしても、いつか近い未来に起こるとわかっていた事であった。いつか、2人を、どちらかを、傷付けると。
「………ダーク、何言っているの?おいらは大丈夫だから」
「死にかけておいて、何を言うというのはどっちだ」
「でも、こうして生きているし」
「次は、どうなるかわからないぞ」
「……………………………」
そう言われてしまうと、かけるべき言葉が見つからない。ダウドは黙り込んだ。
「でも………」
搾り出すように、ダウドの声は掠れていた。
「だったらダーク、おいら達と別れてどうするの?」
「旅を続けるだけさ」
「だって、1人だよ?」
「そういうものには、慣れていた気がする」
「嘘」
ダウドは首を横に振る。
「そういうものに、慣れなんて無い事、君はきっと知っているはずだ」
「……………………………」
次に黙り込むのは、ダークの方であった。
「おいらもジャミルもわかってる。だから2人一緒なんだ。ダークも一緒にいよう。そうしよう?」
ダウドの手が、ダークの胸元を掴んで揺らす。
「しかし……」
「お互い様だから、大丈夫。おいらも散々ダークに迷惑かけているし。今日だって魔物との戦いで助けてもらったじゃない」
泣きそうな顔で微笑みながら、ダウドはダークの答えを待つ。
「……………………………」
「ダーク」
「わかった。だがもし……」
ダウドの指が、ダークの口に触れた。
「いいよ、その先は」
ダウドの腕が、ダークの首に回った。
「ダークがいてくれる。おいらは嬉しい」
体を引き寄せられ、抱き締められた。そのぬくもりに、吸い込まれそうになる。気持ちの良い、風に吹かれたような心地よさに、ダークの目はとろんと半眼になり、体を預けた。
優しさは危険であった。わかっているはずなのに、避ける術を知らない。
思っていたよりラブになってしまった。
少しだけ
続きもやってみました。ジャミル→ダウド←ダークで、性的な発言有。
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