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-前編-



 ジャミルは1人、酒場の端の席で酒を飲んでいた。
 そこから、他の仲間達の騒ぐ様子を眺める。その中にはダウドの姿もあった。
 南エスタミルにいた頃は、ジャミルの後ろに引っ付いていた彼も、今では自ら前に出て輪の中へ入ろうとしている。調子の良い、目立ちたがり屋な部分はあった、けれどいつも怯えてばかりであった彼が、である。ダウドは成長して、兄貴分としては嬉しいはずであった。


 なのに、胸のどこかがざわついて、わだかまりが残るのだ。


 酒を喉へ流し込み、胸の中のものも流そうとしても、流れてくれはしない。
 わだかまりの正体をつかめぬまま、酒の量は増えていくばかりであった。


「ジャミル」
 向かい側の椅子を引いて、仲間のバーバラが座って来た。気配に気付かなかったので、ジャミルは一瞬目を丸くする。バーバラの分の酒を用意しようとするジャミルを彼女は止めて、自分で持ってきた瓶とグラスをテーブルに置く。
「どうしたんだい」
 優しく語り掛けるように、肘を突いてジャミルを見た。
「どうもしない」
 小さく首を横に振り、視線を逸らすようにグラスに目を向けて、酒を注いだ。
「ダウドに用があるなら、呼んで来ようか」
「ダウド?呼ぶなら自分で呼べる」
 ダウドの名を出されて内心驚くが、平静を保って答える。
 この踊り子は心の内を察するのが上手く、触れて欲しくない部分まで見透かされているようで、面と向かって2人で話すのは苦手であった。盗賊のお得意である欺きも通じそうにない。だがその一方で、口には出せぬ心の脆さに気付いて欲しいという甘えもあり、それがまた怖かった。
「そう。ジャミル、遠慮しているんじゃないかと思ってね」
「遠慮?なんで?」
「していないなら良いんだよ。ただ、あっちで皆と話していた時に、ジャミルがダウドを見ていたような気がして……」
「なんだよ」
 バーバラが何かを言いかけた内容を、ジャミルは問う。
「ちょっと、寂しそうに見えただけ」
「寂しい、ねえ」
 グラスに口を付け、バーバラを見た。
「あんたが寂しいからじゃないのか」
「ん?」
 意外な言葉に、目をパチクリとさせる。そうして、クスクスと笑った。
「そうねえ。ふふ、そうかもしれない」
 2人は仲間達に視線を移す。
「みんな、寂しいものね」
 バーバラは独り言のように呟くが、ジャミルに同意を求めるような声であった。




 その日の宿は、ジャミルとダウドは同室であった。部屋に着くなりベッドに転がるジャミルの横で、ダウドは床の上に座り込んで荷物を整え、明日の準備をしていた。
「感心なこった」
「感心してないで、ジャミルもやったら」
 背を向けたままダウドは言う。
「俺はいいの」
「変わんないね」
「ダウドもな。几帳面なようで、必ず忘れもんするのな」
「もうしてないよ」
 普段なら、いつもなら、ムキになる所だがダウドは落ち着いていた。
「そっか」
 言い返す言葉が思い浮かんだが、今度は怒らせてしまいそうだったので飲み込んだ。喧嘩がしたい訳ではない。
 ジャミルは身体を引き摺るようにベッドを降り、床に手を付いて、四つんばいでダウドに近付く。


「ダウド」
 名を呼んで、腰に手を回して身体を密着させた。
「なに?」
 とぼけてみせるが、ジャミルの意図は察している。抱きたいのだろう。
 布摩れの音と共に、回った腕が締まっていく。
「何かあった?」
 荷物を整理する手は休めずに問う。
「何もない」
 酒場でのバーバラの問いと重なるものを感じながら、ジャミルは答える。
「理由がなきゃいけないのか」
 ダウドの横顔に頬を摺り寄せ、囁いた。
「必要が、ないじゃない」
 呟くように、ダウドは言う。
「………………………あ?」
 意味が読めず、間が空いてしまう。自然と緩んだジャミルの手をダウドは解き、座ったまま方向を変えて向き合った。
「もう、寂しくないじゃない。みんな、いるじゃない」
「………………………ああ」
 ようやく、理解が出来た。
 2人が身体を重ねるようになったのは、2人しかいなかったからである。信頼し、心が許せるのは傍にいる相棒しかいなかった。母親がいない者同士、女性という存在に嫌われるのが怖かったというのもある。気を遣わなくて良い、ありのままの自身を受け入れてくれる相棒だからこそ、全てを脱ぎ捨てて求められたのだ。
 南エスタミルを出て旅をし始めて、多くの仲間が出来た。信頼の出来る仲間が出来た。もう、2人ぼっちではないのだ。もう、慰めあわなくてもいいのだ。だから、抱き合う必要はないのだと、ダウドは言っているのだ。


「そうだな」
 無意識に、ジャミルの口の端が上がった。
「ね、そうでしょう」
 ダウドは優しく語り掛ける。
 彼は立ち上がり、荷物を部屋の隅へ置くと、もう一度ジャミルの顔を見た。
「明日早いし、もう寝ようよ」
「そうだな」
 まだ座り続けている自分に気付き、ジャミルは腰を上げてベッドへ戻った。




 目を瞑ると、胸のどこかがまたざわつき始めた。
 ダウドの言葉は、確かにそうだとジャミルは思う。
 けれど、そうだとしたら、このざわつきは何だというのか。
 ダウドの言う寂しさは確かに解消された、しかしバーバラの言う寂しさは満たされていないかもしれない。意味の異なる寂しさ。満たされた後の寂しさ。昔の自分なら、贅沢な悩みだと笑われるだろう。


 2人ぼっちではなくなった。それは2人でいる必要がなくなったとも言う。
 本当にそうかと心が問う。そうではないから、ざわつくのだと瞼に隠れた闇の中で自問自答を巡らせる。


 耳を澄ますと、ダウドの寝返りを打つ音が聞こえた気がした。
 なぜ隣のベッドで眠る彼と、今ここにいるのだろうとジャミルは自身に問う。
 2人はなぜ出会ったのか。なぜ相棒として組んだのか。なぜ外の世界へ共に飛び出したのか。
 ただ、寂しかっただけではない。ただ、そこにいただけではない。その先にあるもの。


 それは何なのか。イメージは掴めているが、どう言葉を当てはめたら良いのかわからない。
 夢の中へ引き込まれながら、ジャミルは言葉を探していた。
 見つけなければ、ダウドは納得してはくれないだろう。


 理由はない。ただ、抱き締めさせて欲しかった。
 その“ただ”に秘められた想いの名は、何だというのか。ジャミルは探していた。










そんなに悩まんでもええのに。
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