ルドルフの日常:オンリー・ロンリー
【 前編 】

 昨日の雨は夜には止んだが、土はぬかるんで部活は出来そうにない。
「ま、外はアレですし。朝練は中止です」
 寮の廊下に集めたレギュラーに、観月は朝練の中止を伝えた。
「そうっスか」
 裕太はぶっきらぼうに返事をする。そして天候を呪うかのように窓を睨みつけた。


 最近の裕太は特に練習熱心であった。
 都大会が近いからだ。
 打倒兄の為、裕太の意気は日増しに高まっていく。


「放課後は何とか出来ると思います。大会も控えていますしね。では、解散!」
「「「「「は〜い!」」」」」
 メンバーが声を揃えて返事をして去って行く中、ひとり金田がボーっと床を眺めていた。


「金田くん?」
「は、はいっ!」


 観月に名を呼ばれ、金田は慌てて顔を上げる。


「寝不足ですか?」
「ええ?え、と………すみません」
 フルフルと首を横に振り、裕太の後を追って行ってしまう。


 いつもと違う感じがした。


 心配な気持ちが、観月の心に広がっていく。




 くしゃっ。
 片手で髪を掴んだ。




 また、何を考えているんだろう。




 金田くんの調子が悪いのなら、裕太くんがとっくに気付いているはず。


 僕が心配する必要はない。




 ゆっくりと髪を離し、手はだらんと垂れた。
 握っては開き、握って開き、それを繰り返しながら自分に暗示をかける。




 この恋は終わった。


 この恋は終わった。


 諦めろ。


 諦めろ。




 ぎゅっと目を瞑り、頭の中から金田のイメージを消す。


 金田への想いは、心の奥底に閉じ込めてある。
 誰にも知られぬように、カチカチに固めた。


 固めて、閉じ込めたままで、捨てることが出来ない。


 物みたいに、くずかごへ捨てて、そのまま隠滅できたら良いのに。




 いや、無理だ。




 物になっても、捨てることは出来ないだろう。
 現に今も。








 昼休み。柳沢は荷物を取りに部室へ入った。
 スポーツバックを床に置き、中を漁っていると、ロッカーの前に生徒手帳が落ちている事に気が付く。


 生徒手帳は無造作に開かれた状態で、挟んであるモノが食み出ていた。


 一目で誰のモノかわかった。


「裕太のか。全くドジだーね」
 苦笑しながら、拾う。


 指で簡単に食み出たモノを押し入れ、汚れを払ってやる。


 それは偶然、目に入ってしまった。


「え?」


 表に反し、名前を確認した。




 観月はじめ




「ええ?」


 何度確認しても、それは観月の生徒手帳であった。


 震える手で手帳を開き、先ほど押し込んだモノを取り出す。




 金田の写真




 これが入っていたから、裕太のモノだと思った。


 ひょっとして他の写真も入っているかもしれない。
 そう思って、悪い気はしたものの探してみたが、写真はこれ一枚のみだった。


 写真をまじまじと見てみる。


 長い間、生徒手帳の中にしまってあったのだろう。


 写真の角は埃が固まって黒くなっていた。




 確か、去年。
 部員何人かで写真を撮ろうとした時、端の方にいた金田を、赤澤と木更津が強引に前に出して撮った写真だ。金田が恥ずかしがって動いたせいか、周りの人間が隠れてしまい、彼1人が写っている写真となってしまった。


 写真の中の金田は少しブレて、目線も前を向いていない。


 観月なら、もっと良い写真を手に入れられたのではないか?


 手に、入れられなかった?
 どうして?




 バタン!!!


 部室のドアが勢い良く開かれた。


 柳沢はビクッと体を揺らす。


「ん?何だよ」
 ドアの先には、目をパチクリさせる赤澤が立っていた。


 キョロキョロと部室を見回し。


「あった、あった」


 ミーティング用テーブルの上に置いてあるノートを見つけると声を上げた。


 ノートを手に取り、安心したように微笑むと、柳沢の方を向く。


「どうしたんだよ柳沢。変だぞ」
「ん、うん」


 柳沢は観月の生徒手帳と写真を持ったまま、立ち尽くしていた。


「あ―――――――――っ」
 赤澤は目を輝かせて、柳沢に歩み寄って写真を覗き込んだ。
「なっつかしいなコレ!」
「あっ」
 写真を取り上げ、近付けたり遠ざけたりさせる。


「こんな写真、どっから出て来たんだよ」
「えっ、それは………………」
 観月の生徒手帳から出てきたなど、言えるはずもない。


「この写真見るとさ、観月思い出すよ」
「え?」


 柳沢に写真を返し、赤澤は腕を組んで懐かしそうに話し出す。


「皆で撮ったのに、金田しか写らなかったし、おまけにブレて、金田の視線もどっち向いてんだかわかんないような写真だけど、いちおう皆に焼き回ししたんだよ。
 観月がさ、写真を渡すなり、それを見つめてボーっとしちゃって。ひょっとして観月、金田の事好きなんじゃねぇの?って木更津と噂していたんだ。あの頃は木更津と色々な噂しては騒いでいたよなー」
 お前、知らなかったろ?
 赤澤は柳沢を肘で突付いて笑う。


「知らなかっただーね。で、その噂ってどうなった?」
「どうもしねえよ。それに金田は裕太と」
「そ、そうだった」
「そうそう。そろそろ行かねぇと、先生にどやされちまう。じゃあな」
 手を振りながら、足早に赤澤は部室を出て行った。
 愛想笑いを浮かべて、柳沢は小さく手を振って見送る。


「………………………………」
 手を下ろし、写真を生徒手帳に仕舞う。


 お前、知らなかったろ?
 赤澤の声が頭の中で響く。


 知らなかった。
 本当に。
 本当に、だ。


 今もずっと、観月の生徒手帳の中で眠る金田の写真。
 どんな気持ちで、この写真を持っていたのだろう。


「………………………………」
 柳沢は生徒手帳をズボンのポケットに入れる。
 自分の手で、観月に返そうと思った。








 その頃、観月は窓際の自分の席から、昼食を取りに食堂へも行かず、窓の景色を眺めていた。
 昨日、金田と敵城視察へ行こうとした時、部室で生徒手帳を落としてしまった事に、まだ気付いていない。雨の中の金田と過ごした時間、そして朝の床を見つめていた金田の顔が忘れられず、ずっとそればかりを考えていた。


 ガタッ。
 椅子を引き、観月は立ち上がって教室を出た。
 いいかげん食堂へ行かないと、食いはぐれる。


 階段を下り、一階の廊下を歩いて行くと。




 偶然、金田の姿を見つけた。


 観月に気付く事無く、彼は保健室へ入っていく。観月も早歩きで後を追い、保健室へ入る。




「!!!」
 保健室に先生は居らず、そのまま帰ろうとした金田と、急いで部屋に入ろうとした観月。
 目を丸くさせたまま、2人は立ち尽くす。


 あと数センチで、触れてしまう所だった。


「観月、さん?」
 金田が上目遣いで、観月を見上げる。
「保健の先生なら、いませんよ」
「そ、うですか。金田くんは、どうして保健室へ?」
 一歩下がって金田との距離を取り、観月は問う。


「べ、別に」
「金田くん、具合が悪いのではありませんか?」


 朝、床をボーっと眺めていたから。


「べ、別に」
「熱があるのではありませんか?」
 体温計があるはず。
 金田を椅子に座らせて、観月は体温計を探し出し、熱を測らせた。


「……………………ふむ、微熱ですね。部活は休ん」
「だ、だ、駄目です。休みません」
 膝をくっつけ、手を乗せて金田は言う。


「都大会近いじゃないですか。俺、ダブルスですし、赤澤部長に迷惑かかるし」
「裕太くんに心配かけたくないと」
「はっ…………………」
 思わず"はい"と言ってしまいそうになり、金田は頬を染めた。


 くすくす笑う観月だが、心の中はいささか寂しい。
 ベッドに腰掛け、金田を見る。


「君の方が、風邪をひいてしまいましたねえ」
「え?」
 金田が顔を上げ、観月を見る。


「やっぱり部活は休みなさい、金田くん」
「でも」
「赤澤や裕太くんに風邪うつしちゃっても良いんですか?」
「………………部活、休みます……」
 観月さんには敵わないと、金田は苦笑した。


「よろしい」
 んふっ。
 観月は含み笑いをする。




「ねえ、金田くん」




「裕太くんは優しいですか?」
 なぜか、そんな言葉が口から出た。
 金田に裕太の事を聞いてしまった。




「ええ」
 はにかみながら、金田は俯くように頷く。




「でも最近の裕太くんは、大会の事ばかりで」
 金田くんの体調に気付いてないじゃないですか。
 僕は気付いたのに。
 僕だって大会の事は考えてる。でも、君の体調の悪さはすぐに気が付いた。
 僕なら、気付いてやれるのに。




 ああ、何を言おうとしたんだ自分は。




 これじゃあ、これじゃあ、このまま続けたら
 裕太と別れろと、遠回しに言っているようじゃないか。
 僕と居ろと、遠回しに言っているようじゃないか。




「観月さん。でもね、俺は不二の一生懸命な所が」


 大好きなんですよ。


 そう言って笑う金田の顔が。


 やはり愛しく。
 やはり心は切なくて。




「じゃあ、俺行きますね」
 椅子から立ち上がり、部屋を出ようとする金田の背が。


 とても遠いものに感じられて。


 こんなにも金田の事を想っている自分が惨めで。




「観月、さん?」
「………………あ………………」
 金田の声に、ゆっくりと観月は目を開く。
 気が付いたら、金田を後ろから抱きしめていた。




 手を緩め、金田は解放されると、一体どうしたんだろうと観月に向き直り、彼を見つめる。




「………………………………」
「………………………………」
 沈黙の中、金田は何かを言おうとして、口を動かす。




 その形が。




 金田が裕太の名を呼ぶ時の、最初の一文字“ふ”に見えて。




「…………………っ…………」
 噛み付くような口付けで、金田の口を塞いだ。




「や、やめて下さいっ」
 金田は観月を押しのけ、唇を手の甲で拭う。




「不二と、不二とだって、まだ、だったのに…………」
 目を潤ませて、拭った手を見る。




「どうして………………こんなこと…………」
 唇をキュッと結ぶ。




「金田くん…………僕は…………」
「ひどいです、観月さん」
 そう言い残して、金田は逃げるように保健室を出て行った。




「………………………………」
 観月は呆然と、ドアの先を見つめていた。




 ああ、何てことをしてしまったんだ自分は。




 強引に引き止めて。
 裕太に嫉妬して。
 金田を傷つけて。




 無意識に指は、金田に触れた唇をなぞっていた。








 放課後の部活は最悪だった。
 金田が体調不良で寮に帰ったと知るなり、裕太は練習に手付かずで、柳沢も何だか様子がおかしい。観月も観月で上の空で、パートナーのいない赤澤に適切な指示を与えられない。赤澤、木更津、野村は何とかテンションを上げようと頑張ったが、空回りに終わった。


 部活が終わると、裕太は猛スピードで着替えて、寮へ帰って行く。
「ワオ!裕太早〜〜い。愛の力だねぇ。クスクス………………ね?柳沢?」
「え?ああ、そうだーね」
 木更津にいきなり話を振られ、柳沢は曖昧な返事をする。
「ちょっと柳沢〜〜〜?今日変だぞ〜〜〜?」
「そう?淳、今日は先に帰って欲しいだーね。ちょっと用事があるだーね」
「ん?そうなの?わかった」
 物分りの良い木更津は特に追究する事無く、寮へ帰って行った。








 制服に着替えた柳沢は、ポケットの中に生徒手帳が入っているのを何度も確認しながらテニスコートへ向かう。コートには備品チェックをしている観月がいるはずだ。
 テニスコートでは1人で備品チェックと、データをノートにまとめている観月がベンチに座っている。真っ赤な夕日が、彼を照らす。
「観月〜〜〜〜〜」
 軽く手を上げて、柳沢は歩み寄った。逸る思いは足を速め、普段通りでいようとする思いは足を落ち着かせる。ノートを横に置いて観月は立ち上がり、ストレッチをしながら彼を待った。
「どうしました?」
「あ、うん、ちょっと」
 観月に生徒手帳を返せる範囲で立ち止まり、柳沢は言葉を濁す。


「あ、あの」
「はい?」
「ちょっと、話が」
「はぁ」




「これ」
 観月の目の前に、生徒手帳を差し出した。




「落ちてたから、返す」




「あ、どうも」
 観月は顔を強張らせたが、瞬時に直す。




「全く気が付きませんでした」
 落ち着いた口調とは裏腹に、奪い取るように生徒手帳を掴む。




 自嘲気味た微笑を浮かべ、手帳に視線を落とした。




「………………めん」
「はっ!?」
 観月ははじかれたように顔を上げ、調子のはずれた声が2人以外誰もいないコートに響く。




「写真………………見えちゃった、だーね」
「は……?」
 サア…………………。
 口をぽかんと開ける観月の顔から、血の気が引いていく。


 生徒手帳を持つ手が、だらんと下がった。


「そう、ですか」
 のろのろとベンチに戻り、前屈みに腰掛ける。
「隣、座る…………だーね」
 柳沢は少し距離を置いて隣に腰掛けた。




 夕日に照らされたコートを眺めながら、同じように夕日に照らされて、2人は話し始める。




「観月さ、あの…………」
「どうだって、いいでしょう」
 面倒くさそうに観月は言う。




「金田の事、好きだったんだ」
「ん」
 口を開けずに声を出して返事をした。




 金田の事。好きだったんだ。




 金田が好き。




 ずっと心の中に仕舞い込んであった言葉。




 初めて、心ではなく、耳で聞いた。




「いつから………?」
「酷な事を聞く人ですねぇ」
「ごめん」




「裕太くんが、来る前からですよ」




「………い、一途………」
「ムカつく事ばっかり言わないで下さい」
「ごめん」




「………………………………」
「………………………………」
 校舎の方から、生徒達の楽しそうな声が聞こえてくる。




「俺、ホントに何も知らなかっただーね」
「こんな事……知られるような事、僕がするわけ無いじゃないですか」
「………………ゴメンだーね。気付いて、やれなくて。仲間なのに」




 ずっと隠していた想い。




 でも。




 どこかで。




 誰かに、気付いて欲しかったかもしれない。




「………………………………」
 観月の目から、涙が溢れる。




 ボロボロ。




 ボロボロ。




 とめどなく零れ落ち、頬を伝う。




「観月っ!?」
 突然泣き出した観月に、柳沢はオロオロする。




「そんなに、ジロジロ見ないで下さい。柳沢が変な事、言うからです」
 目元を何度も摘まんで涙を拭いながら言う。




「……り…………とう」
「え?」
「何でもないです」
「そう。ティッシュいるだーね?」
「いりません」




 観月は苦笑して、ベンチの背もたれに寄りかかって背伸びした。




「観月、どうするだーね?」
「え?」
「このまま、何も言わずにいるつもりだーね?」
「どうしましょうね…………」
 空を見上げて、他人事のように呟く。




「ま、とりあえず誤解は解かないといけませんね」
「え?」
「んふっ。こっちの話です」




 誤解。それは……………
 僕は、金田くんを傷付けたくてキスしたんじゃないって事。







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