ルドルフの日常:オンリー・ロンリー
【 後編 】

 金田は自室のベッドに転がって、体を休めていた。微熱があるせいか、天井を見つめたまま、ボーっとしてしまう。パタパタと落ち着かない足音が、こちらへ近付いてくる。瞳だけを動かして、壁に掛けられた時計の時刻を見た。時間からして、この足音の正体は部活を追えた裕太のものだろう。


 バタン!
 ドアが勢い良く開く。


「金田!」
 血相を変えた裕太が飛び込み、金田の休むベッドの側へ駆け寄ったかと思うと、その場でへなへなと座り込んだ。
「…………不二、おかえり」
 寝転んだまま、裕太の方を向いて口元を綻ばせた。
「金田、金田、金田………。大丈夫か?大丈夫なのか?」
 裕太は金田の無造作に投げ出された手を取り、両手で包んだ。
「ただの微熱だよ。死んじゃったわけじゃないんだから、そんな顔しないで」
 金田の言葉を聞いて、緩んだ裕太の両手から逃れた手で、彼の髪をそっと撫でた。
「だって金田が、俺にも赤澤先輩にも、観月さんに言っただけで休むなんて事なかったじゃないか」
「ごめんね。直接言わなくて…………ごめんね…………ごめんね」
 涙が出そうになった裕太は、床に座り込んだまま、金田のベッドに顔を突っ伏す。金田の手はずっと裕太の髪を撫で続けている。


 観月と顔を合わせられなくて、裕太に直接言えなかった。


「ねえ不二」
「ん?」
 顔を伏せているので、裕太の声はくぐもっている。
「不二は、観月さんと仲良いよね」
「観月さん?」
 どうしてここで、観月の事が出てくるのだろうと、裕太は聞き返した。
「そう、観月さん。不二は観月さんの事、どう思ってる?」
「尊敬してるよ。観月さんが兄貴だったら良いなぁ…………なんて事も思ったりして」
「そうなんだ。不二は観月さん、好きだもんね」


 裕太は顔を上げた。
 その拍子で髪を撫でていた金田の手が落ちる。


「どうした金田?」
「うん?」
「妬いてるのか?」
「どうかな……………」
 静かに目を閉じた。熱のせいでまぶたも重い。
「違うからな、俺はっ」


「俺ね」
 裕太の言葉を遮って、金田が呟くように言う。


「観月さんの事、急にわからなくなっちゃって」


 昨日は、目も合わせてくれなかったのに。


 今日は、抱き締められ、キスをされた。


「どう接したら良いのか、急にわからなくなっちゃって」


 嫌いではないけど、苦手で。


 でも尊敬していて、憧れていた。


 いつか俺も、観月さんみたいに不二を支えることが出来たらって。


「不二、俺はどうしたら良いんだろう。どうすれば良いんだろう」
 金田は手の甲をまぶたの上に乗せ、表情を隠した。


「金田。観月さんと何かあったのか?」
 裕太の問いに金田の顔が強張るが、手で隠している為、裕太にそれはわからない。


「なんにも、ないよ」


 こんな事、不二には言えない。


 俺の事で、2人の仲がおかしくなったら大変だもの。


 都大会だって近いのに。


 そうだよ、都大会が近いんだもの。


「ホントか?」
 金田の顔の上にある手を取り、裕太が顔を覗き込んでくる。


「ホント、だってば」
 笑って見せる金田だが、その顔は熱でほんのり桜色に染まり、目が潤み、唇が乾いていた。


 どきっ。


 裕太の鼓動が大きく脈打つ。


 キスしたい。


 強く、そう思った。


 金田の手を掴んだ手を組み直し、口付けを落とそうと顔を近づけた。


「え?不二?」


 金田は目を丸くして、逃れようと空いた手で裕太の胸を押す。


 裕太と観月が重なって、受け入れることが出来ない。


「嫌、か?」
 裕太は掠れた声で小さく問う。


「熱あるし。ほら、唾液感染するといけないでしょ?」
「ああ、うん」
 ぎこちない笑顔で頷く。


 裕太と金田は互いに好き同士であったが付き合いだしたのは最近で、まだ手を繋いだことがある程度の関係であった。キスは、していなかった。
 熱があるので、早めに休んだ金田は目を瞑って色々な事を考え、思い出していた。








 裕太の事を、好きだと自覚し始めた頃。
 観月に相談しに行った事があった。


 その他諸々の相談事は赤澤の元へ行くが、この事だけは観月が良いと思った。
 何度か観月とは会話を交わしたことはあるが、伝言を伝えたり、先輩達に混じって一言二言話しただけだったので、本当の会話はこれが初めてかもしれない。


 緊張した。


 観月さんは、俺を嫌っているかもしれないと思っていたから。


 ドンくさいし、引っ込み思案だし、テニスも他のレギュラー達には全然かなわないから。


 でも、厳しいだけの人ではない事も知っている。


 俺が初めて観月さんから練習メニューを渡されて、お礼を言いに行った時、見せてくれた笑顔。


 ずっと、覚えていたから。


 その笑顔を頼りに、観月さんに相談しようと思ったから。




 部室で1人データを纏めている観月さんに話しかけた。


 あの、観月さん。と。


 そして話した。


 不二の事が好きだと。


 でも、男同士だし。友達だし。


 告白をしても、良いのだろうかと。


 伝えても、良いのだろうかと。


 ああごめんなさい。いきなり、こんな事を話してごめんなさい。
 言いたい事だけを言って、謝ってしまった。また嫌われる要素が増えたと思った。


 でも、こういう事は観月さんにしか相談できなくて。ごめんなさい。
 また、謝ってしまった。


 平謝りする俺に呆れたか、観月さんは苦笑しながらも言ってくれた。




 好きになっちゃったんなら、仕方ないじゃないですか。


 金田くん。


 君は凄いですね。


 僕じゃ、とても言えそうにない。


 そういうのは、言える時に言っておきなさい。


 心も環境も、常日頃移り変わっていますから。




 励ましているのか呆れているのか微妙だったけれど。


 その言葉は俺に勇気を与えてくれた。


 浮かれていたのか、観月さんの言葉に何か引っ掛かったのか、俺は聞いてしまった。


 観月さん、誰か好きな人がいるんですか?と。




 え?僕ですか?


 観月さんは笑っていたけれど、視線を僅かにはずした。


 調子に乗ってしまった。謝ろうとしたのに気付いたのか、小さく首を横に振って


 うん。いたんです。


 僕は勇気が無くて、タイミングをはずしっぱなしで。


 もう、手が届きそうに無いんですよ。


 だから、金田くんもタイミングをはずさぬよう、気をつけなさい。


 観月さんは笑って答えてくれた。


 その後、俺はお礼を言って部室を出て行った。




「ねえ不二」


 金田はそっと隣のベッドで眠っているだろう裕太に話しかける。


「俺ね、不二に告白する前……観月さんに相談しに行った事があるんだ」


 裕太の返事は返って来ない。


「今日、あの事ばかりを思い出すんだよ」


 寝返りを打つ、布の擦れた音がする。


「なんでかな」


 金田は蒲団を頭からかぶり、再び眠りに付いた。








 翌日、体調も回復したので朝練に参加しようとした金田だったが、彼を気遣う裕太に猛反対された為、放課後からの参加となった。昨日の観月との出来事は忘れる事にした。観月の方もきっと忘れていると言い聞かせながら。
 部室に入るなり、赤澤と木更津に肩を叩かれながら心配された。ロッカーの方では、禁句を言ったらしい野村が裕太にこめかみグリグリされている姿も見える。柳沢はスポーツバックの荷物を整理しながら、声を掛けてくれた。観月はそんな騒がしい部室の様子には目もくれず、黙々とノートパソコンに向かっている。


 いつもと何ら変わりない風景。


 安心した金田は、テニスウェアに着替えてコートに出た。何事もなく時間は過ぎていく。




「赤澤」
「今日はこれで解散だ。みんな体調には気を付けろよ」
 赤澤の挨拶で、放課後の練習は終わった。


「金田くん」
 観月が金田を呼び止める。
「ちょっと来て下さい。裕太くんも」


「「はい!」」
 良く通る声で返事をする裕太とは対照的に、金田は怯えたように地を見つめて言う。
 “説教?説教?”と興味津々な赤澤&木更津&野村を、柳沢がフェンスの外へと押す。


 観月はてくてくとコートの端へと歩いて行く。


「一体、なんなんだろ?」
「…………………………」
 裕太の何気ない問いに、金田は引き攣った笑顔で答えるしかなかった。




「ここで良いでしょう」
 観月は立ち止まり、振り返る。


「金田くん」
 観月は普段見せないような優しい眼差しで、慰めるように金田を見つめた。
「昨日はごめんなさい」
 深く頭を下げる。
 突然の観月の行動に、裕太は目を丸くして立ち尽くしてしまう。
「べ、別に……俺は……」
 金田はふるふると首を横に振る。


「別に、で済む問題じゃないでしょう」
 観月は顔を上げた。


「裕太くんとが良かったでしょうに」


 小さく息を吸う。


「初めてのキスは」


「えっ!!?」
 裕太の声がコートに響く。
 金田はじっと地を見つめる。




「昨日、僕は金田くんの唇を奪いました」
 はっきりとした口調で言う。




「か、金田………………」
 金田は小さく頷く。


「衝動的にしてしまって……金田くんを傷付けてしまいました……………………。
 このまま、無い事には出来ません。君を傷付けたままには出来ません……………」




「金田くんの事が、好きだから」




 今、なんて。
 聞き返そうとする前に、観月は続けた。




「裕太くんが想うくらい、金田くんの事が好きです。ずっと…ずっと…前から、ずっと好きでした」
 泣きそうになるのを必死にこらえ、観月は長い間胸に溜め込んだ想いを金田に伝える。




「僕は、勇気が無いから。君達が好き同士であっても、この想いを忘れる事も、他の人を好きになる事も出来ませんでした」




「観月さん、俺……」
 呆然とする裕太の横で、金田は口を開く。




「俺、観月さんに嫌われているかと思いました」
「まさか」
「だって、笑ってくれなくなってしまったから」




「覚えていますか?
 観月さんが俺に初めて練習メニューを渡してくれた時、お礼をしに行ったのを。あの時、観月さんはとても優しい顔で笑ってくれました。
 テニス部に入った頃、周りは補強組の人達ばっかりで、不安で不安で堪りませんでした。同じ生え抜きである赤澤部長もいっぱいいっぱいみたいで、背中を追う事ぐらいしか出来なくて。そんな中、観月さんがくれるアドバイスが……とても的確で、俺の事をちゃんと戦力として見ていてくれるんだって…………励みになって、自信が付いて、救いになりました。
 練習は厳しかったけれど……観月さん、ときどきあの笑顔で、俺を見ていてくれたじゃないですか。
 でも、不二が来てから……観月さんの方を見た時……もう、笑ってはくれませんでした……。俺、嫌われたのかなって思って……不二の方が戦力になるから……仕方ないのかなって……。もう、あの笑顔を見られないと感じた時……急に、悲しくなったんです………………」


 金田の声が小さくなっていく。


「………………そうでしたか…………」
 観月は自嘲的な笑みで俯いた。




 観月が金田を見ていたように、金田も観月を見ていた。




 しかし、それはすれ違い、噛み合う事が無いまま、金田と裕太は恋をするようになった。




 どうにもならない。神のいたずら。




「話してくれて、有難う。告白して、良かった。君を好きになって、良かった」
 観月は笑う。幸せそうに微笑んだ。
「観月さん………………」
 金田は真っ直ぐと観月を見つめ、微笑む。




「で、裕太くん」
 観月は裕太の方に視線を向ける。すでにいつもの顔に戻っている。
「どうして昨日、金田くんの体調に気が付かなかったんですか」
「えっと…それは……………」
 突然話を振られ、裕太は口ごもる。
「都大会が近いからとは言わせません。
 僕は気付きましたよ?僕の大切な人を……こんな子に任せて良いのやら……」
 観月は髪をいじりながら、裕太の周りをぐるぐると歩く。
「そうですね………もし君が試合で負けたら、金田くんは没収ですね。んふっ」
 ぴたりと手足を止める。


「か、勝ちますよ!勝てば良いんでしょう!?」
 裕太は拳を握って言い放つ。
「ええそうです。さすが裕太くんとでも言っておきましょうか。
 頑張ってくださいね。ルドルフの為に、2人の未来の為に」
 ニヤリと笑い、手をひらひらと振りながら、観月はコートを離れて行った。




「絶対!勝ってやる!!!」
 腕を組んで、観月の背中に向かって声を上げる。




「不二なら勝てるよ」
 くすくす笑いながら、金田が裕太に寄り添う。




「あー、ええと……金田」
「ん?」
 裕太は急に顔を赤くさせて、金田をじっと見る。
「今日は、唾液感染しないじゃん」
「は?」


 金田は首を傾げたまま固まってしまう。


「ずるいじゃん。観月さんばっかり、ずるいじゃん」
 いじけたようにブツブツと言う。


「もう、不二ったら」
 金田はやっと裕太の言いたい事がわかったようだ。




 夕日に染まったコートで、2人の長い影が1つに重なった。




 しかし、肝心の都大会。聖ルドルフ学院は準々決勝、青春学園に負けてしまう訳で……








「赤澤先輩!!木更津先輩!!柳沢先輩〜〜〜〜!!!!」
 大会後、裕太がズカズカと大股でコートで打ち合う先輩達に歩み寄る。
「金田知りませんか!?」
 “金田〜?”赤澤、木更津、柳沢は顔を見合わせて、首を横に振る。
「観月、知ってっか〜〜?」
 赤澤は観月を呼ぶが、姿は見えない。
「ありゃ?」
「どこ行っただーね?」
 木更津と柳沢はキョロキョロと見回す。


「ま、ま、まさか……」
 裕太は顔面蒼白になったかと思うと、全速力でコートを出て行く。
「お、おい!テニス部ならテニスしろって!!!」
 赤澤の声もむなしく、裕太の姿は見えなくなった。
「弟く〜〜ん?野村さんには聞かないのかなぁ〜〜?」
 野村の呟きも、裕太には届かなかった。








 一方その頃。
「観月さん、良かったんですか?何も言わないまま出て行っちゃって」
「練習メニューは渡しておきましたから、大丈夫ですよ」




「それより」
 観月は空を見上げた。真っ青な空に散らばった白い雲が流れていく。




「今日は良い天気じゃないですか。良いデータが取れるといいですね」
「はい!」




 観月と金田は、船で優雅に敵城視察へ向かっていた。船は観月オーダーの貸切りである。




「風が強くなってきました…髪が乱れます……。室内へ入って、美味しいお茶でも飲みましょう」
 観月は優しい笑顔を向けると、金田の手を引き、船室へ入って行く。




 部長、先輩達、そして不二、俺だけ観月さんのごちそうになってごめんなさい。
 そっと心の中で仲間に謝って、観月の手を握り返した。







かなりの月日を空けましたが、やっとこさ完成です。この作品は私の観月×金田観の集大成にしたかったので、色々考え込みすぎて時間がかかってしまいました。
Back