君の為に
- 後編 -



「……………………」
 亜久津は開けられた包みを指差し、硬直した。
 わなわなと手は震え、振動して震える唇。衝撃を前にして、身体が追いつかないのだ。
 他の仲間たちはというと、亜久津はどうしたのだろうと疑問を抱くが、亜久津がよくわからないのはいつもの事だからと特に刺激を与えないようにした。俗に言うシカトである。
「東方、座り辛いだろうから持って行ってやるよ」
 錦織が最後の一切れであるケーキを、誰かが用意した皿の上に乗せ、フォークを添えて扉近くの東方へ持っていこうとした。錦織の行動さえも目に入らないのか、亜久津は重い口を開く。
「それ……誰が開けた……」
「はーい!俺!俺!」
 命知らずとはわからずに、千石は正直に手を挙げる。
「そうか。お前か千石」
 亜久津は手を組み、指を鳴らして臨戦態勢に入った。だが仲間だったよしみか、慈悲とばかりに問う。
「どうして勝手に開けた?」
「えー?開けて良いって書いてあったんだ。ほれ」
 付箋を摘まんで亜久津へ見えるようにかざした。
「……………………」
 亜久津のこめかみに青筋が浮かぶ。
 付箋は相当古い物で、変色してよれてしまっている。
「ケーキは生菓子だってのに、普通そんなもん貼り付けるか」
「再利用じゃない?これ…………もしかして、亜久津のだった?」
 千石の一言に、山吹一同は事の不味さを悟った。重々しい空気がじわじわと室内を圧していく。
「気付かなかった」
 反省の色を見せて沈黙の中、詫びる。だが彼の口と手は休む事無く“Happy Birthday”と描かれたチョコレートプレートをぽりぽり食べていた。
「てっめー!!言ってる傍から食ってんじゃねーよ!!!」
「美味しくって、つい」
 落ち込んだ素振りで、ごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。ぷはあと息を吐くのだから憎らしい。
「くっ」
 握る拳が震えた。
「だいたい、どうしてこんなモンが付けられているんだ」
「!!!」
 それ、俺だ。
 東方は己のしでかした事に気付き、思わず声を上げそうになった口を塞ぐ。
 まずい、まずいぞ。
 手の平から冷や汗が滲むのを感じた。
「東方。ケーキおまたせ」
 空気の読めない錦織が、亜久津の横にいる東方へ皿を差し出す。
「お前!今までの話聞いていただろ!」
「ああ」
 こくっ。しごく真面目に錦織は頷いて見せた。
「東方!お前も食うな!!」
「すまない!すまない亜久津!」
 錯乱のあまり、東方は差し出されたケーキを食べ出してしまう。謝っているのは付箋の事か、食べている事なのか、わかり辛い。
「お、お前ら……お前らなんか……」
 俯き、肩を震わせる亜久津。山吹一同は息を呑む。
「大っ嫌いなんだよ――――――っ!!!!」
 バターン!
 盛大に扉を開け放ち、亜久津は走り去ってしまった。
「亜久津!」
 南は席を立つが、追う気を見せずにその場へ座る。建前であった。
「亜久津先輩……」
 亜久津の出て行った入り口を見つめながら呟く壇。
「しょうがないよー」
「事故だからねー」
 横と正面から慰める新渡戸と喜多。
 ご愁傷様です。心の内で同情する室町。
「明日にでも皆で謝ろう」
「そうですねー」
 千石の案に、同意する一同。間違った事は言ってはいないのだが、どうも緊張感に欠けるものがある。
 開いたままの入り口からは、寒い冬の風が流れ込んでいた。








 亜久津が走る頃、不二もまた走っていた。
 いや、逃げているとも言っても良い。彼は河村を避けていた。
 昼休みはなんとか遭遇せずにまいていたのだが、放課後になればそうもいかない。真実を伝えなければならないのに、足は逃げを選んでしまう。帰り支度を整えた姿で、校舎裏と玄関の辺りを小走りでぐるぐると回っていた。意味の無い行動なのに、動かずにはいられない。
 夕日が目に染みて、余計に心を掻き乱していく。答えはいくつか出ているのに、踏み出す勇気が湧いてこない。けれど、こちら側からやって来なくても相手から来てしまった。
「不二?」
 不二を見つけた河村が呼んだ。呼ばれて足を止め、彼を見る不二。
「どうしたの?」
 にこにことした笑みで歩み寄ってくる。不二の片足が引き摺られるように一歩分後ろへ下がった。彼に合わせる顔も、言葉さえも用意していない。
「不二?」
 様子のおかしい彼に、河村は手を伸ばそうとする。
「っ」
 目を丸くさせて不二は、つい手を払ってしまう。
 はずみであった。悪気などあるはずはない。だが、とてつもない罪悪感に見舞われた。
「ごめん。タカさん、ごめんね……!」
 顔をくしゃりと歪め、背を向けて走る。河村の声が後ろから聞こえるが、耳を塞いで走った。走って、走って、校門を潜った。学校の外へと逃げ出した。




 最悪。
 最低。
 なんでこんな事になったんだろう。
 悲しみが悲鳴をあげて胸を締め付ける。
 せっかく君の為に、頑張ったのに。
「はあー……あ」
 歩調を緩め、長い息を吐く。沈んだ気持ちで歩いていけば、駅前まで来てしまっていた。
 おもむろに顔を上げ、不二はある考えが過ぎる。
 まだ誕生日当日、過ぎ去ってはいない。今日に用意をすれば良いのではないか。
 自分で自分を追い詰め、単純な事さえ見失っていた。
 駅前なら洋菓子の店もあるだろうから、見回しながら探す。見つけ出すのは簡単で、すぐに適当な店が目に入った。
 入ろうと自動ドアの前へ来ると、隣に人の気配を感じて影が差しかかる。
「……………………」
「……………………」
 横を向き、見上げて、目が合う。白い学生服に銀髪。亜久津であった。
 ドアが開いて“いらっしゃいませ”と店員の声がするが、動き出せない。
 今日この日にこんな店へ来る理由は一つしかない。二人の間に刺々しい雰囲気が漂った。
「なに、買い物?」
「教えてやる義理もねえ」
 たった一言言葉を交わしただけなのに、胸がむかむかする。
「ふん」
「けっ」
 つんとそっぽを向いて、重なる店の床を踏むタイミング。


 好敵手を無視し、本来の目的であるケーキを探した。
 これだと思う物を見つけ、店員に声をかける。
「あの」
「おい」
 またしても重なるタイミング。
 こういう時はお先にどうぞと譲るものなのだが、相手が相手だと引き下がれない。
 注文したもの勝ちだと目当ての物を指差す。
「これ」
 声が揃い、同じ物を示していた。
「真似、しないでね」
 亜久津だけに聞こえる音量で潜める不二。
「どっちが」
「……………………」
 顔を一瞬しかめるが、すぐに戻して咳払いをする。
「僕、どうしてもケーキが良いんだ」
「俺だってそうだ」
「二つ同じ物じゃ、タカさん困るよ」
「そうだろうな」
 横目で相手を見て、半分だけ折れた。
「割り勘。…………どう?」
「そうなるだろうな」
「決まりだね」
 不二は店員に普段の笑顔を見せて注文をする。店員は営業スマイルで応えた。
「どうせなら、名前入れてもらおうか」
「お前の案って事にすればな」
「良いよ、それで」
 ケーキに名前を入れてもらうように頼む。多少時間ものの待っている間、心が温まってくるのを感じていた。
「お待たせしました」
 綺麗に包んだケーキの箱がガラスケースの上に乗せられる。値段を提示され、数字を見た二人の身体が止まった。値段が奇数なのだ。
 どうする?
 相手に聞く必要も無い。
「釣りは」
「いりません」
 同時に一円玉をケースに押し当てて多めに払っていた。




 店を出る頃には太陽はすっかり沈んでいて暗い。冬は日が短く、すぐに夜が訪れてしまう。
 二人は包みの端と端を持って並んで歩いた。変にくっつきもせず、変に離れもせず、微妙な距離を保って進む。向かう場所は河村の家である。
 前を向いたまま、亜久津は口を開いた。
「珍しいな。とっくに渡していると思った」
「亜久津こそ、今頃渡しに来ていると思っていた」
 深くは追求しなかった。そうすれば、自分の話もしなくてはならなくなるだろうから。
 言葉はほとんど交わさなかった。
 相手の事はあまり知らないし、知ろうとも思わない。そもそもいけ好かない。
 だが、特に具体的な理由はないが、認めている部分があった。
 河村の家の明かりが見えてくると、胸が安堵する。不二は学校での事を謝らなければならないと思い出す。
 扉の前に立ち、空いた手を軽く挙げて相手を見た。
「同時だからね」
「細けぇ野郎だな」
 面倒くさそうに言う亜久津の口元は笑っているようで、不二の顔もまた、すっきりとしている。
 開けると、河村父の威勢の良い声が店の外にも聞こえた。










アクタカフジは亜久津と不二の河村を思う気持ちだけで構成されています。
タカさん、出番無かったな。
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