言ってはいけない
- 前編 -



 夏が過ぎ、秋から冬へと変わる頃。夕方、手塚と大石は商店街を気ままに歩いていた。二人の腕には買い物した袋が抱えられている。
「なあ手塚。何か食べていかないか」
 呟くように、大石は話しかけた。
 手塚はドイツへ行ってしまう。それまでに一つでも多く思い出を作りたい。
「ああ……」
 声の底に秘められた彼の思いはわかっているつもりだ。
「何に、するか」
 ぎこちなく口元を綻ばせ、手塚は大石を見る。


「焼肉はどうだ」


 手塚の表情が固まった。
「待て、待ってくれ」
 手を出し“待った”の合図をして、携帯電話を取り出す。素早く背を向けてメールを打ち出した。
 が、携帯無精の為、人差し指を立てて一文字ずつ突くようにしか打てない。
「何やってるんだ?」
 後ろから笑顔で携帯を覗き込む大石。
 焼肉がスイッチか、大石の威圧感に手塚の身は縮まる。
「焼肉……なら、大勢の方が良いだろう……?」
 焼肉奉行の元に引き渡されるのは、大勢ならば怖くは無い。
「そうだな。誘えるなら誘おう」
「ああ……」
 大石の賛同に、手塚は安堵で肩が下がる。
「電話したらどうだ」
「ああ……」
 なかなか入力が終わらない手塚は、意見されるまま電話に替えた。


 まずは不二。
「手塚だ。お」
『やだ』
 即拒否された。
 次に菊丸と思えば番号が登録されていない。代わりに大石がかける。
「あー英二?これから焼肉……そうか。残念だな。手塚、英二は腹の調子が悪いらしい」
 聞こえない程度に手塚は舌打ちした。菊丸は逃げた。
「俺は乾にかけるから、手塚はタカさんに頼む」
「わかった」
 番号を指定して、二人は同時に携帯を耳元にあてた。


「あ」
 同じ空の下、人気の少ない路地で河村は電話の発信音に気付く。
 自転車を横に持って立ち、目の前には話をしていた相手が映る。
「ちょっと待って、電話みたい」
「そうか」
 相手――――亜久津は家の壁に寄りかかり、煙草の煙を吐いた。二人は偶然道で出会い、立ち話をしていたのだ。
 楽しそうに手塚と電話をする河村の姿を、亜久津は横目で眺める。だがしかし、もう一人見守る姿があった。
 道の角から、そっと知られずに視線を送る――――不二。彼もほんの偶然、話をする河村と亜久津を見かけたのだ。なぜだか出られずに遠目で様子を伺っていた。じっとしていたら、まるでストーカー。気軽に話しかけられない仲では無いのに。前に出なければと何度も思うのに、足が動かない。
 河村と亜久津はとても楽しそうだった。はしゃいでいる訳ではない。特に笑う訳でもない。
 二人の醸す雰囲気が、絶妙に溶け合っていた。出会いを心より喜び、言葉を交わす事を楽しんでいるようであった。二人が幼馴染と知っても、どんな風なのかは全く想像が出来なかった。けれど今、嫌というほどわかる。悔しいほど、わかってしまうのだ。
 埋められない時の差が胸を突く。どう足掻いても、不二は亜久津より“幼馴染”にはなる事は出来ない。
 不二は立ち尽くす。聞き耳だけを立てて。
「良いよ。うん、わかった」
 河村の声が聞こえる。
 どうやら、先ほど彼の声が聞こえないからと切ってしまった手塚と話をしているようだ。


 電話が終わった所で着信履歴を辿る。
『さっきはごめん。立て込んでいて。話を詳しく聞かせて』
 そう言って了承し、待ち合わせ場所に向かった。






 集まったのは手塚、大石、乾、河村。そして不二の五人。
「このメンツは意外と珍しいな」
 見回して乾が言う。
「そうだね。たまには三年だけでってのも良いんじゃない」
 くすっ。不二が笑う。
 菊丸がいない。誰もが突っ込むタイミングをはずした。


 店に入るなり、ゆらゆらと前髪を揺らす奉行をなだめ、菊丸を抜かした青学三年メンバーは思い出話や将来の事、雑談も交えて話に花を咲かす。肉で食欲も満たされ、幸せな気分が包み込んだ。
 そんな中、手塚と大石が電話をかけた時、何をしていたか、という話になった。
「僕は買い物をしていたよ」
「家にいた」
 不二と乾が答える。
「俺は頼まれ事があって自転車走らせてた」
 続いて河村が言う。彼は亜久津に会った事を話さなかった。
 亜久津の話をして欲しい。不二は心の内で信号を送る。
 隠されたら、二人だけの秘密みたいで嫌だった。特別の関係みたいで嫌だった。
 話を振ったら、言ってくれるのだろうか。いや、河村から言い出してくれないと意味が無い。
 揺れる思いを悟られないように飲み物を口に含んだ。


 結局、河村は亜久津の話は出さず、不二も振れなかった。
 食事が終わる頃には外はすっかり暗くなっている。店の前で解散するが、途中まで道が同じなので河村と不二は一緒に帰る事にした。
「店、出ると寒いね」
「うん」
 当たり障りの無い話をして、大通りから小さな路地に入る。
 このまま帰れない。不二は不意に足を止めた。
「不二?」
 河村が数歩歩いた先で振り返る。
「タカさん。僕見ちゃったんだよ」
「何が?」
 わからず、首を傾げる河村。
「夕方頃、亜久津と会っていたでしょ」
「え……ああ」
 回答に間が出来た。その間がとても嫌だった。動揺しているみたいで。
 そうだよ、と何でもない事のように答えて欲しかった。
 不二は思い返せば、今日亜久津といる姿を見てから、河村に願望ばかりを投げ掛けている。
「たまたまね、見かけちゃったんだ」
 まさか聞き耳を立てていたなど言えない。
「そうなんだ。うん、会ったよ」
「どうして亜久津に会った事を言わなかったの」
 望んでいた回答を得られるが、追い討ちをかけてしまう。
「どうしてって」
「なんで?」
 河村の困惑を感じるが、不二は強引に問い続ける。


「……たぶん、不二がいたからかな」
「なんで?」
「不二は亜久津の話を出すの、嫌がるから」
 気遣われるより、腫れ物を触るように感じて、不二は苛立ちが込み上げる。
 河村の優しさは時にそう感じる事があり、もどかしくなる。今日の今が初めてではない。
「どうしてかわかる?」
「亜久津が不良だから……かな」
 河村には不二の苛立ちを感じ取っている。なだめようと、落ち着かせようと笑う。
 けれども奥底にある“どう扱えば良いのかわからない”思いを不二は感じ取っていた。
「それもあるけど、それだけじゃない」
「他には浮かばないよ。ごめん」
「タカさんには想像できない、醜い感情だよ」
 どろどろ渦巻く嫌な感情を吐き捨てるように言い放つ。
「ヤキモチ、妬いてんの」
 不二は歩き出し、河村の横を通り過ぎる時にもう一言吐く。
「君が好きだから」
 そう言って、そのまま過ぎるはずだった。この話題はここで終わるはずだった。
 河村が反射的に言わなければ。
「俺も好きだよ」


 目を見開き、不二は河村の胸を掴んで向き直る。かかとを浮かせて、より彼に顔を近付けようとした。
「気安く言わないで」
「気安くって、不二も言ったじゃない」
 不二に気圧されるが、根本的にわからない河村は掴みきれずにきょとんとしている。
「僕のは違う。君のとは違う」
 顔を歪めて、睨んだ。こんなにも近いのに、あまりの遠さに眩みようになる。
 歪みが、泣き出しそうな悲しみに見えて、河村も悲しい顔をした。
「どう、違うの」
 胸を掴む手が震える。
 この想いは説明がし辛い。言葉とはこうも不自由だっただろうか。
 この手にもう一方の手も加えて、首を絞めてしまえばわかってもらえるだろうか。
 在るのは衝動。熱く押し上げる炎。言葉では表せない激流。
「愛しているもの」
 目を瞑り、衝動のままに河村の唇に、自分のそれを押し付けた。


 ああ、止まる。
 河村の硬直を感じる。不二自身も自分が固まっていくのを感じた。
 氷になってしまう前に。不二は無理矢理突き破り、身体を離す。
「僕の好き、気持ち悪いでしょ」
 言い捨てて、暗闇の中へ駆けて行った。
「待って!不二!」
 我に返った河村の声が聞こえる。
 振り払うように走る速度を上げた。声は遠くなって、やがて消えた。






 翌朝。自室のベッドに突っ伏して眠る不二。この日は幸い、学校は無い。河村と顔を合わせずに済む。
 眠りから覚め、顔を上げた時。枕元に置いてあった携帯が鳴る。
「もしもし……」
 寝惚けた声で電話を取った。
「不二、起こしちゃった?」
 相手を確認せずに取ってしまったが、声で菊丸だというのはわかる。
「うん、寝てた」
「寝てる場合じゃないよ。昨日、タカさんが夜道で車に当たって入院したらしい」
「なに、それ」
 血の気が引く。不二は布団の中で正座になって菊丸の話を良く聞こうとした。










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