唯一有彩色 <3>
辺りは暗闇で頼るものは街灯の明かりしかない。捜査本部からの帰宅途中、時計の針は既に11時を過ぎていた。
「思ったより遅くなったな」
端から見れば独り言の呟きだが、月にはしっかりと返される声がある。
『さっきも電話あったしな』
リュークの言葉に月は苦笑した。
遅くなるとは言っていたが具体的な時間を知らせていなかったため、わざわざ母から電話があったのだ。もう少し早かったら捜査本部の中で携帯は使えなかったから、タイミングがよかったとも言えた。
「心配性なんだよ、母さんは」
母親が煩くてうんざりしている。
そんな表情を作ってみるが、実際母を心配させるのは本意ではなかった。
『Lは結局あの事件の捜査するのかな?』
「あぁ、猟奇の方……どうかな?あれだけ主張したからにはやらない気もするけど」
月はポケットの中の携帯を指先だけで撫でた。
冷たい感触が心地よかった。
「あいつがキラ以外の捜査してる姿も少しは見てみたいかな。
そのために殺しを自粛してあげても良いんだけど……」
『……そんな事したらばれちゃうんじゃないか?』
「嫌だな、リューク。冗談に決まってるだろ」
即答すると、リュークが変な顔で黙り込んだ。
冗談だとは言ったが、実の所2割くらいは本当に自粛しても良いと思っている。
少しくらい犯罪者を殺すのを減らすだけで見れるのなら見てみたい。
声だけでたくさんの捜査員を動かすLという存在は、あいつを褒めるのは癪だが格好良いと思う。
自分の知らないLの姿を見たい。そんな純粋な興味からの思いだった。
だが、Lが断って良かったと思う心も強くある。
キラ以外、自分以外を相手にそれもキラ捜査の片手間にするLは絶対嫌だ。
Lの中でキラの存在があんな下衆な殺人鬼に負ける等認められない。
月は何となくむしゃくしゃして早く自分の部屋に帰りたいと思った。
帰って、二重底の引き出しの中のあの黒いノートを取り出して、殺したい。
焦る気持ちにしたがいすぐ側の公園に足を踏み入れた。
公園を抜けた方が近道なのだ。
住宅街に有るためにそれなりに大きい公園だが、月の向かう方向は裏道にあたるため人気がない。誰もいない暗い道を足早に通り抜ける。
『おっ』
リュークの短い呟きに月は足を止めた。
「どうしたんだ?リューク」
『なんか面白なことになってるぞ』
「何……?」
リュークの向いている方向には鬱蒼とした木々に包まれている。
暗くてとてもじゃないが見えない。死神は人間よりよほど目が良いらしい。
リュークの言うものが気になって、月は耳をそばだてた。
がさがさと木々の震える音がする。誰かいるのか……
「アァァァァァァァッ!!!!」
夜のしんとした空気を破る女性の叫び声。
月は何も考えずに草むらに向けて駆けだした。
手入れされていない枝葉をくぐり抜けていく。
しばらく進むと少しだけ開けた場所に辿り着いた。
草むらの中で黒い影が動いているのが見えた。
「何してるんだ!」
月の声にびくりと震える影。そこには女に馬乗りになっている男の姿があった。
女性の服は乱れており、むき出しの手足には痣やすり傷ができていた。
襲われたのは明白だ。
「彼女から離れろ!」
そう怒鳴りながら男を引き離そうとその肩を掴む。
その時男の逆の手が動いた。殴られる。そう判断したが月は避けなかった。
逆に降り下ろされた腕を手首のところで掴む。
月は掴んだ男の腕を見て目を見張った。手にはナイフが握られている。
男はぐっと手に力を込めた。月も負けじと手に力を込める。
相手は中肉中背で体格的なアドバンテージは月にあるが、さすがに刃物に打ち勝つのは容易じゃない。たちまち拮抗状態になってしまった。
「早く逃げて!」
月は後ろで恐怖に震える女性にむけて叫んだ。
しかし女性は恐怖からかなかなか動けないでいる。
「早く!」
月の必死の声に助けられ、女性はふらふらと立ち上がりその場から走りだした。
これで彼女は大丈夫だろう。
それが小さな油断となってしまったのか、月は男の手が動きに対応するのが一拍遅れた。
男の手の中でナイフがくるりと回転した。ナイフの切っ先が月の手首を向く。
鋭い痛みが走った。
すぐに気づいて手を引いたため傷は深くない。
痛みに月が怯んだ隙に、男は体当たりを仕掛けてきた。
ナイフで刺されなかったのは幸運だったが、そのまま地面を不様に転がる。
倒れた月に男はすかさず馬乗りになって、ナイフの先端を月の眼前に突きつけた。
目の前にナイフの切っ先が見える。
ここに来てやっと月は相手の顔を見ることが出来た。
意外な事に男は月とそう年が変わらない青年だった。
疲労と興奮で顔を赤く染め荒い息をしている。
月に切っ先を向けたまま青年は呼吸を整えている。
ナイフの刃が近すぎて動く事が出来ない。
腹にかかった男の体重が重くて気持ちが悪かった。
ぽたり、とナイフから月の赤い血がたれたのがきっかけだった。
赤い雫はそのまま月の頬を濡らす。
水分の冷たい感覚に月が身を微かに震わせると、それを見た青年がにやりと笑った。
男はナイフを突き付けたままポケットからハンカチを取り出した。
鼻を掠める刺激臭に気付いた時にはもう手後れで、布地の湿った感触が口に押し付けられる。
なんとか抜け出そうと身をねじるも相手の力の方が上だった。
だんだんと意識が遠くなって行く。
薬品の力に月は四肢の自由を奪われた。
朦朧とした頭で最後に認識したのは真っ黒い死神の翼だった。