暗い海の底を彷徨っていた

 行き場所もなく、出口もなくて、息も出来ない

 ルイは、ずっと待っていた

 この海が割れる日を

 開放の時を

 

 

 

 

 

 ゲタ・ルーこと祐名留衣がアニムノイズの支配する世界へ転落したのは、二十歳の誕生日を迎えた直後であった。
 まだ大学に在学中だったが、高校の頃からバイトで貯めた資金が数百万ほどあり、長期休暇を利用しては海外旅行を満喫していた。
 して、めでたい成人の誕生日を、グランドキャニオンで祝ってやろうと登ってバカをやって足踏み外し転落という間抜けをしでかした。

 滑落した瞬間「あ、これ終わったわ」と思ったのだが―――
 ふっと意識がなくなる、その長い長い一瞬。

 周囲は鳥のさえずりが響く森の中だった。
 森、というか……
「何この不思議のダンジョン」
 ルイは呆然としながら周囲を見回す。

 世界各地を旅してきたが、こんな場所もあるものか。
 とにかく草と苔が何もかもをびっしり覆い尽くしてい、幹も緑なら岩も緑、川底も緑、緑、緑、緑緑! という有様。
 緑酔いしそうである。色盲か何かになった気分だ。

 ただし、森に生息している生物たちは色鮮やかなもので。
 ルイは緑の空間にはばたく小鳥の美しさに、暫し時と状況を忘れた。
「―――とても不思議」
 言ったのは、ルイではない。
「うわっ、いつのまに」
 背後に佇むマスケット銃? らしきものを抱えた民族衣装を纏う青年が、此方をじっと見ていた。
 無機物じみた、硝子玉の眼球で。

 顔のつくりは自分によく似ている。鏡を見るようだ。
 ルイをモデルに物言わぬ人形を作ればこうなるのではないかな、という無表情ぶり。
 おまけに幸薄そうな空気も纏っていて、人間というのは面構えでこうも変わるものかと感心させられる。

 そしてその感覚は、向こうにとっても同じようだった。
「あなたは俺。俺の名もユウナルイ」
「あー? 何言ってんだ、お嬢ちゃん」
 同じ顔をしたものを相手にお嬢ちゃん呼ばわりもどうかと思うが、彼を見ていると、どうも。
 ルイはゲイだったし、顔立ちも女じみている自覚はあるが、それ以上に精神は男だった。
 目の前の彼は非常にユニセックスな雰囲気を醸している。

「本来、異質なのは『あなた』。あなたは試験的な過去干渉によって違う人生を歩んだユウナルイ。
 ユウナルイという存在は何度も人生をやり直している。あなたもその中の一人」
「人生やりなおし機ーってか。どらえもんかよ」
 ルイは一笑に付すが、彼は笑わない。
 それどころか唇さえ動かず、彼と対峙していると、何だか尻がむずむずした。

「おい、ここは何処だ」
「あなたや俺が産まれた世界とは違う世界。日本も中国もアメリカも存在しない」

 これ、夢かな。
 ルイは自分の頬を抓ってみたが、案の定痛くなかったのでほっとした。なんだ、やっぱ夢じゃん。
「そう、これは夢。ただし、あなたが違う世界に来たのは本当。
 アチェンラが呼ぶままにあなたを此方の世界へ移行させた。呼んだのはアチェンラ、それを許したのは俺。
 あなたは二度と日本には帰れない。ゼルバルトのために」
「その、ずぃ、ずぃばど? 誰よ」
 少なくとも日本語や英語の発音ではない。
 アチェンラ、という名にしても、ルイの耳には「あつんるぇ」のように聞こえた。これでも耳は良いほうで、なかなかネイティブに英語を話せるのだが。

「あなたはこれから、アチェンラ国のイーシェン族に出会い、二年後に徴兵される」
「ちょ、徴兵!? 冗談じゃねえぞ! 俺を日本に帰せ!!」
「帰せない。あなたの運命など何の価値もない」

 ルイは初めてその人形の瞳に背筋を凍らせた。
 彼には何もない。何も。少なくともルイに対する哀れみなど、一欠片も存在しないのだ。

「それでも貴方は、他のユウナルイより恵まれた存在。
 ユウナルイは本来、八歳まで実の父親に虐待を受け、殺されかけて身を投げた。
 あなたにそんな悲惨な経験はない。貴方はこれまでの幸運の対価を支払わねばならない」
「それが本当だとして、ハイそーですかって言えると思ってんのか」
「言えないのなら、貴方の存在を抹消してやり直すだけ。
 先ほども言ったが、貴方は試験的な存在。邪魔になるようなら消す」

 青年は、冬の海でもこうはならないという冷えた瞳でルイを見つめた。
 逆らったら本当に消される、と肌で感じる。
 殺されるなんて生易しいものではない。自分の存在を、なかったことにされる。今までの人生、ルイがルイであった経験をすべて否定される。

「話を戻す。あなたは二年後、徴兵される。そして六年から十五年、従軍してもらう」
「はあー!? 冗談じゃねえって、じゅ、十五年だと!? こちとら平和ボケ大国日本の出身だぞ」
「問題ない。ユナ・アニムの戦闘知識を貴方に授ける。
 もともと、貴方は格闘技を習得しているはず。それも『俺』が貴方の過去に干渉したこと」

 確かに、ルイは幼少期から空手をやっている。
 といっても高校ではバイトに精を出していたからサボり気味で、今でも喧嘩には強いが戦争でそれが役立つかというと。
「貴方には薬香と煙香の知識、そして火薬の知識を授ける。そして射撃や投擲の技術の知識、戦場でどのように振る舞えば良いのかも。
 ただし、注意して。与えられるのはあくまで『知識』だけ。知識と実戦は違う。徴兵されたら数ヶ月は訓練して」
「いやいや……いやいやいやいや、ちょ、ちょっと待っ……」

 そんなもんいらんから、マジに元の世界へ帰して。グランドキャニオンに帰して。

 

 

 


 そんなこんなでルイは現在、戦場にいる。
 というかあれから、十二年経った。
 驚きである。
 大学生だった自分がもう三十路のおっさんで。

「しっかし、ユナ・ルーは年取らないなあ!」
 同じ火を囲んだ長筒兵が、人の背をバンバン叩く。

 この世界の人間は、どう言ってもユウナルイがユナ・ルーに聞こえるらしかった。ルイだと言っても「ルー」などと呼ばれるので、ルイもユナ・ルーと名乗ることにしている。
 ルーって、カレーのルーですか? 王子さまですかお姫様ですか? という。

 ルイは「そーなのよ」と大仰にかぶりを振った。
「ヒゲ生やしてみても産毛ですかコレってくらい薄くってさあ。みっともねえから数日おきに薬草で擦って落としてんの。そんだけでツルンツルン」
「どのみち、濃いヒゲ似合わねえよ!」
「ひっどーい! ユナ・ルー傷ついちゃう!」
 周囲からゲラゲラ笑い声が起きる。

 長筒部隊は悲しいことに入れ替わりが激しいが、大抵の人間とはうまくやれている。
 まあルイは言葉なんか分からずとも、持ち前の快活さで世界中どこでも友達を作れた。
 言葉の分からない国でうまくやってゆくコツは、少しの勇気と……現地の「コレナニ?」という言葉だけ。

 あとは、歌か。
 歌はいい、歌さえあれば国境はいらない。

「ユナ・ルー! 一曲歌ってくれよ」
「えー、何がいい?」
「じゃあ、あれで。スーロンボシで」
 ソーラン節のことらしい。
 ユナ・ルーは少し離れたところに固まってスープをすすっている少年たちに手を挙げた。

「ヘイ、アイルーども! リクエスト入ったぜ」
 十四歳から十六歳の少年たちが、ユナ・ルーの呼びかけにぱたぱたやってくる。

 アイルーとは、あれである。
 某ゲームのお供ネコ。
 長筒部隊では一人前になるまで、先輩について回る。ユナ・ルーは幼い彼らを不憫に思い、率先して新兵の教育を引き受けていた。
 大抵、彼らはユナ・ルーにくっついてきて、後ろで長筒の弾込めをさせている。

 俺の銃がジャムったら全員あの世行きだよなあとは思いつつ、新兵の死亡率の高さ、他部隊からの性的暴行などを考えると、見捨てるようで他人に任せる気になれない。

「ヤーレン、ソーラン、ソーラン、ソーラン、ソーラ、はいはい」
 アイルーたちをバックコーラスに日本語でソーラン節を歌うと、訳もわからんほどウケる。
 こんなことでもないと、やっていられないのかもしれない。

 明日は特に、決戦と言っていい戦いがある。
 剣聖ゼルバルト率いる王国兵団が、アチェンラ本軍を討ちに行くのを長筒部隊で止めなければならない。

 長筒兵はアニムノイズの使う微生物アニムを、薬品煙幕で無効化出来る。
 それによってアドバンテージを握れる。
 長筒兵が対アニムノイズ兵器と呼ばれる所以である。

 アニムノイズは微生物アニムを特殊な磁力で操ることによって、魔法のような現象を起こす厄介な連中のことである。
 平原に上がる火柱を初めて目撃した時、
「なにあれ。うりえん? SDKでもいんの」
 分かる人にしか分からない、寧ろこの世界では誰一人知らないネタを戦場で呆然と呟いた。

 アチェンラにもアニムノイズはいるはずだが、彼らは無条件で特権階級になれるせいか、本軍にだけいて、前線には滅多に出て来ない。
 大抵は民兵とジプシー兵を盾にして、美味しいところだけ攫って消えるのだ。

 敵国ラハトのアニムノイズは違う。
 戦士の国の流れを汲む彼らが、民兵の後ろに隠れるなど恥。
 長筒兵が彼らを押さえているから良いようなものの、長筒兵がいなければ民兵は今以上に戦死者が出ただろう。

(明日か……)

 騒ぐ大人から少年らを開放し、ルイは星空を見上げた。
 今となっては故郷の世界のどこにでも、これほど美しい夜空はないだろう。残念なのは天の川もなければ夏の大三角形もないということだ。
 太陽と月はあるのに、星の位置関係はずいぶん違うらしい。

 というか月……ではないのだろう。太陽の光を反射する星であるだけで。そもそも模様が違う。ウサギが餅つきしていない。

 明日、アチェンラ軍は負けるだろう。

 みな考えぬようにしているが、剣聖率いる兵団は五、長筒兵の十倍にあたる。
 兵団は傭兵部隊のような存在ではあるものの、中にはアニムノイズもいる。

 おまけにゼルバルトというのは今まで対峙してきたどのアニムノイズより強いと言う。

 おともアイルーたちは、戦乱に乗じて逃す所存だ。
 味方も、出来るだけ……家族の元に帰してやりたい。

 ルイは元の世界に戻れる保証もないし、家族とそれほど仲が良かった訳でもない。
 特にゲイであることがバレてしまった後からは、もう。わざわざ貰ってきて金と時間をかけて育てた子供が同性愛者では、落胆もするだろうけれども、それにしたって汚物のような扱いだった。

 もし不都合があれば、例のお人形さんが出しゃばってくるだろう。

 彼にも不要と思われているなら、潔く、死ぬことにする。

 思えば長く生きたものだ。
 はじめこそ、元の世界に戻りたいと願っていたが、今はアチェンラの緑とイーシェンを愛している。
 ルイは、ユナ・ルーはイーシェンだ。日本人であることはもうやめた。

 少しさびしいと思うのは、やはりこの骨を埋めてくれる者がないことだろうか。

 長筒兵は基本的に距離をとって戦うが、ルイだけは少々戦法が違った。
 やり方は暗殺に近い。
 混乱に乗じて敵部隊の懐に潜り込み、切り込むのだ。
 銃よりお人形さんに教わった投擲で戦うことのほうが多く、刃物の扱いにも慣れていた。
 アイルーたちに次々弾を込めさせて撃ち続けるのも得意である。アニムノイズがいるようなら煙幕を張ってしまえば良い。
 現代日本に蘇ったシモ・ヘイヘと呼んで頂きたい。よくもまあこんなクラシックな単発式の銃でこれほど精密射撃が出来るものだと我ながら感心する。
 己に隠れていた才能なのか、それともお人形さんが手伝っているのか……まあ後者であろう。

 ルイはいつも進んで敵の前に立つ。
 だから今度の目論見が仲間に露見することもなく、怪しまれずに一人で出てくることが出来た。

 仲間は置いてきた。
 アイルーたちも逃した。

 ルイは一人、敵の進軍の前に立ち、煙管をふかしていた。
(―――ブルっちまうよなあ)
 苦笑を唇に乗せて煙を空に吐きながら、震えそうになる膝を叱咤する。

「怖いのか?」

 戦場となる予定の市街地の広場で、誰に声をかけられたのかと思えばお人形さんだ。
 はじめは、彼の色鮮やかな織物や長筒を不思議に思っていたが、今となってはルイも同じ格好だ。
 ただし、下駄だが。下駄は日本人のソウルなので外せない。煙香もやめられない。

 お人形さんは時々こうしておいでになる。ルイが一人の時に。
 ただ、誰かがいたとしても、誰にも見えないのではないか、という予感はした。
「怖いさ。戦うのだって本当は怖いし、死ぬのも怖いよ」
「そう」
 お人形さんは僅かに目を伏せた。
「俺は怖いと思ったことがない。死ぬのは特別なことじゃない。戦えるのは幸せなこと。抗う自由があるから」
「哲学だなあ」
 そりゃあ踏みにじられるのが嫌だから戦うのだし、人は誰だっていずれは死ぬ。
 今日は死ぬには良い日だ、というインディアの言葉を思い出した。

「貴方は俺のはずなのに、死ぬことが怖いと言う。どうして、貴方と俺はこんなにも違ってしまったのだろう?」

 お人形さんはルイに触れるたび、とても不思議そうにする。
 そんなこと、ルイのほうが聞きたい。

 改めて彼と話してみたいと思ったが、敵がやって来たので中断させられた。
 騎馬隊の軍勢、およそ数百。
 ルイは長筒を空に向け、一発派手に鳴らした。

「ヘイ、日光猿軍団。お出かけ前にちょっとお話しない?」

 交渉役と思ったのだろう。
 先頭の騎馬が罠を恐れもせずに進み出てきた。

 その根性にも感心したが、ルイはそれよりその青年のご面相に驚いた。
(なに、このイケメン)
 カスピアン王子、モナコ王子? なんでこんなのが戦場にいるんだ。
 いや、自分もだが。
 相手の優男面に面食らったルイだが、そういえば自分など優男通り越して女みたいな顔をしていたっけと思い出し、煙管を咥える。

「お前は何者だ?」
 あらやだ声まで素敵。
 ルイは含み笑いながら煙を吐き、「俺?」と肩を竦める。
「俺は長筒隊の長、ユナ・ルーつったらちょっとは聞こえた名だと思うけど」
「貴様が……」
 さんざん戦場ひっかき回してラハトのアニムノイズを倒してきたから、やはり敵に名が知れているようだ。

「お前さんはもしかして、剣聖ゼルバルトかな?」
「いかにも。して、何用だ」
「長筒隊なんだけどさ、見逃してあげてくんない?」
 向こうが何か言う前にルイはナイフを喉元に当てた。
 警戒されるのは当然だ。見逃してくれと嘯いて、背後に潜む長筒隊が襲ってくる可能性とてある。
「イーシェンは長年アチェンラ軍に迫害を受けていた……無理やり戦争に連れてこられて、無理やり戦わされてたんだ。家族の元に帰してやりてぇ。
 だが、それじゃアンタらも格好がつかねえだろう。
 俺の首級ひとつで収めちゃくれねえか」

 剣聖は秀麗な眉目を見張った。

 自ら命を断つ真似をする民族は、そうはいない。アチェンラ軍では軍規に反した者は自決するよう促されるが、それは処刑の一つだ。
 自らの意志で、誰かの為に命を断つという考え方自体、相当に珍しい。故郷の「腹切り」とて他所の国には恐ろしい文化と戦かれていたのだから。

「待て、早まるな――――馬鹿な真似すんな!!」
 それまで頭領然とした剣聖が馬を下りて、慌ててルイのナイフを取り上げた。
 敵将にそんな事をされるとは思いもよらなかったルイは、目をぱちくりさせる。
 そんなルイの頭を、叱るようにばしっと叩く剣聖。

 戦場で。敵将に。敵兵の真ん前で。
 なんだこの図。

「お前なあ、命粗末にしてんじゃねえよ!」
 挙句は胸ぐらを掴まれて説教。
 いやあの顔近いです。どぎまぎしちゃうからやめて。
「生きてなんぼだろが! 命穢く生きろよ!!」

 さんざん苦しめられた長筒隊の長を生かそうとして、なんぞ一生懸命に。
 ルイはぷっと吹き出した。
「お前さん、変わった奴だなあ」
「てめえに言われたくねえよっ!」
 荒々しく手を放して、剣聖はまだぶつぶつと文句を言っている。
 変わった奴。本当に変な奴。
 悪魔より強くて恐ろしいと言われていたのが、こんな男だったなんて。


 ルイとゼルバルトは、こうして出会った。






//拍手/中編