それからルイはゼルバルトと、彼の兵団と行動を共にしている。
ラハト・アチェンラ間の戦争は終わったが、傭兵団の仕事がなくなるわけではない。国内では大規模な軍事縮小が行われて、ゼルバルトの王国兵団も脱退者が増えたけれども、残った者はほそぼそと護衛任務などを続けていた。
理由があったわけではない。
寄る辺ない者が寄り添って、生活しているだけだ。
はじめこそ、長筒兵として敬遠されていたルイも、今やすっかりその一員として迎えられていた。
特に……
「ユッナ・ル―――――!!」
穀物酒のジョッキを抱えて呼ばれて跳び出て剣聖ゼルバルト。
ルイは酒場の片隅で静かに煙管をふかし、騒ぎを遠巻きに眺めていたのだが、飛びかかられて喉をつきかけた。
「なんだい、あまえんボーイ」
「ぁんで隅っこにいやがるんだよおー! 寂しいじゃねえかよおー!! お前がいねえとつまんねえだろうがあー!!」
酒臭い息で、ぐりぐり頬ずりされながら。
ゼルバルトはアニムノイズの家系の出身だが、彼はアニムノイズではない。
アニムノイズの兄たち、教育熱心な母親、家庭に無関心な父親に囲まれて顧みられることなく育ったせいで、けっこうな構ってちゃんだった。
だからだろうか、他人に認められることに躍起になるし、人の思いに応えたいと願っている。
今まで自分が何かアクションを起こさねば誰にも必要とされなかった為、無条件で受け入れてくれる年上の人間に飢えてい、甘え放題甘えてくるわけだ。
ルイもルイでそんなゼルバルトが可愛く、また頼られるのが嬉しいものだから、甘やかすだけ甘やかしている。結果がこの甘えんぼ剣聖だ。
若干、依存症に近いよなあとは思いつつも、そうして彼を縛り付けている自覚もあった。
ゼルバルトの性癖はストレートだ。同性は相手にしない。
それはどうも、過去のトラウマからくるものらしい。幼い日のこと、父親の部屋を覗いてみると、かなり濃厚な雄同士の絡み合いを目撃したそうで……確かにそりゃ嫌だ、自分の父親と雄くせー男の絡み。
ルイはゲイだが、だからといって親のそれは見たくない。誰だって親の濡れ場は見たくなかろう。
恋人になれないのは、それはそれで構わない。
ゼルバルトの大事な人間であれば、それでいい。
ルイは、隠しごとにも、秘める恋にも慣れていた。
あんまりルイに酔って絡みつくゼルバルトに、兵団員がげらげら笑った。
「ボスはホントにユナ・ルーが好きだなあ」
「大好き! 結婚したい!!」
「おーい、そろそろこのアホ剣聖を部屋に放り込んどけ」
「やあだぁー! ユナ・ルーと寝るぅうう!!」
どうしたもんかね、このアホ。
酩酊しているながら冗談なのもフザケているのも分かっているが、此方は笑い事じゃない。
「ほれ、薬香焚いてやっから、大人しく寝な」
「大変だねえ、お母さん」
「まったくだよ、こんなデッカいガキ抱えちゃってさあ」
殆ど潰れたゼルバルトに肩を貸しながら、兵団員に笑って返す。
まったく、重い。
ゼルバルトは引き締まった細身ながら、背が高い。ラハト人は日本人の1.5倍はデカかった。平均身長が百九十というのだから恐れ入る。
日本人のユナ・ルーは百七十センチそこそこで、この国ではチビの部類なのだ。
「ほれよ、ブーツは自分で脱げや」
「あーうー」
締りのない顔で寝台に転がるゼルバルト。
ゼルバルトはあまり酒に強くない。自分でもそれを心得ていて、旅中で周囲を警戒せねばならない時は勧められても一杯程度で済ますが、時たま羽目を外す時は毎回これだった。
翌朝酔いが残らぬように薬香と、酔い覚ましの薬を調合してやるうち、服の裾を掴まれて振り返った。
「なんだ。まだ起きてやがったのか」
「うー、お姉ちゃんとヤリてえー」
「娼館からお姉ちゃん呼んできてやろうか?」
「むりぃー。世界がぐるぐる回っててデキねえー」
じゃあなんで起きだした。
ごろんと寝返りをうって仰向けになったゼルバルト、あー、と不明瞭な声を上げる。
「ユナ・ルーってさあ、女抱かねえよなあ。娼館誘っても来ねえしな」
「商売女は相手にしねえよ」
「ゲイじゃねえのって言われてるけど、ホント?」
「ばあーか、俺様はとっくに童貞卒業だってえの」
それは本当だった。
大学に入学した時、新歓コンパでゲイ疑惑が持ち上がり、それを誤魔化すために女と寝た。
女は嫌いじゃない。可愛いと思う。抱けもした。
ただ根本的にルイは男に惹かれるし、というか抱かれたいと思うほうなので、女の恋人を作ろうとは思わなかった。そこまで気持ちをごまかせない。
こんなにゼルバルトのことを好きなのだから、抱きたいと思いそうなものだが、不思議と「抱きたい」という欲求はなく、抱かれたいと思う。
我ながら救えないものだ。
この性格ならバリタチっぽいのになーと自分でも思うものの、性癖ばかりは自分でどうしようもない。
「ユナ・ルーもてるじゃん」
「俺は良い男だからね」
「うっわヤな奴」
「お前も良い男だよ、ゼル」
「てめーに言われると嫌味にしか聞こえねー!」
耳を塞いで転がってしまった。
実際、これだけ男前で、剣聖の称号を持ち、性格はよく女あしらいも上手いのだから、ゼルバルトはもてる。
ただ良い女は不思議とルイに惹かれた。
ひとつは女にガツガツしていないからだろう。金と女はがっつく奴から逃げるものだ。
「もてるくせに、女作らねえよな。変なやつ」
「変じゃあねえよ。たった一人に想いを捧げているだけさ」
「ぐぁああああぎゃぁああああなんつーキザったらしいやつ! ちぃくしょー!!」
なんでか知らないが、ゼルバルトはユナ・ルーに男としてコンプレックスを抱いているらしい。
というより、彼は案外とコンプレックスの塊なのだ。
ルイはそれを乗り越えてきた人間だから、彼の先にいるように見えるのかもしれない。
「ほら、さっさと寝ろ。それとも子守唄でも歌ってほしいのか?」
「ユナ・ルー」
「あん?」
ルイに目元を手で覆われたまま、ゼルバルトは蕩けた声音でふにゃふにゃと笑った。
「お前とダチになれてよかった………」
ルイは苦笑して「ん」と返したが、その時にはすっかりゼルバルトは夢の世界だった。
部屋を出て一階の喧騒をよそに、ふうと溜息ついたルイの隣へ、誰かが並んだ。
「よう、お嬢ちゃん。久しぶりだな」
すっかりお馴染みになった人形のような青年。
徴兵された頃は恨むこともあったが、もう悪感情はない。
彼は、自分とゼルバルトを引きあわせたかったのだと、今となっては知っている。それを感謝してもいた。
青年は相変わらず何処を見ているのか分からぬ虚ろな視線をしていたが、珍しく唇を動かした。
「――――とても不思議」
また、それか、とルイは肩を竦める。
「今度は何が不思議なんだい、お嬢ちゃん」
「あんなふうにゼルに甘えられたこと、ないから」
ルイからすると、甘えんぼでないゼルバルトのほうが不思議なのだが。
「いつも、人形のユナ・ルーは彼に庇護されるばかりで。ゼルバルトの力になりたくても、どうしていいか分からなかった。今も」
「んー……」
ルイは煙管に煙香を詰めながら、考えこむ。
「あのさあ。そろそろ色々話してくんない? 何か目的があって、俺を呼んだんだよね」
「そう」
青年が頷いた瞬間――――
周辺の景色が色を失った。
階下の酔っ払いたちの声は途絶え、時が止まったように全てが静止する。ルイと青年を除いて。
この、アニムノイズ以上に不思議な力。圧倒的な、と評して良いかもしれない。
人間のルイにはこんな力はない。アニムノイズですらないのだから。
かつて、青年はルイと同じものと言った。同じ顔をしている。同じ背格好だ。
だが、あくまで青年とルイは交わらない存在でもある。
「何から聞きたい?」
囁くような声音に、ルイは煙管を咥えた。
「なぜ俺を呼んだのか―――と言いたいところだが、まずお前さんのことさ。お前さん、一体何者なんだい?」
「俺の存在と言う意味でなら、『貴方』の成れの果て。
正確には本来のユウナルイの成れの果て。
ユウナルイとは、自閉症の子供から意図的に感情を削ぎ落した人間。それをアニム化させたもの。
それを『我々』はユナ・アニムと呼んでいる」
「我々……って他にもいんの」
「もう何千にもなる。数えるのは無為。貴方もその中の一人。やがてユナ・アニムになる」
俺、お嬢ちゃんみたくなるの?
半信半疑で彼を見やるが、冗談で言う節もない。彼に冗談が言えるとも思えない。
「秘宝のことは、ゼルバルトに聞いた?」
「ああ、あの胡散臭い宝石かあ。なんかラハト王に貰った有難い秘宝で、割れると凄いコト起こるらしいぜ」
「あれは貴方の心。
貴方がゼルバルトを深く愛するほどに亀裂が入り、やがて玉砕する。秘宝が割れた時、貴方はアニムと化し、貴方ではなくなる」
「ま……待って待って。俺の心?」
だって、ゼルバルトがラハト王に貰ったものだろう。
なんでルイの心とやらを会ったこともないラハト王が持っていて、それをゼルバルトにくれてやっているのだ。おかしいだろう。おとしものは持ち主に返せ。一割はやれないが。
「あれを創造したのは、本来この世界に貴方を呼んだもの。アチェンラという名の神。それがラハトに秘宝を託し、ラハトが神の子に授け、ゼルバルトの手に渡った」
「なんでゼルバルト?」
「貴方がゼルバルトを愛してしまうから。全てのユウナルイは違わずゼルバルトを愛した。俺も、かつては」
ユナ・アニムと名乗る青年は、少し視線を落とす。
「貴方の質問に正確に答えるなら……『俺』は始まりの一人。
繰り返すユウナルイの、最初のユナ・ルー」
「最初……ってぇと?」
「ゼルバルトはやがて、貴方を失う。そのことに耐えられず、ゼルバルトはユナ・ルーに会いたいと俺に願う。そうして何度も時を巻き戻してきた」
何度も……って何千回?
何千回と、自分ではない自分がゼルに恋して、ゼルバルトはそれに耐えられず同じことを……いやありうる。あのあまえんボーイはやりかねない。
「俺と出会ったゼルバルトは、こんなに早くユナ・ルーと打ち解けはしなかった。
最期が来るまで、俺はその他大勢に過ぎなかった。
数多の繰り返しの中で、何かが蓄積されてゆくのか、ユナ・ルーとゼルバルトが互いを想うようになる時間は早まってゆく。
でも、それは何の意味もない無為のこと。ゼルバルトがユナ・ルーを愛すことはないし、ユナ・アニムがゼルバルトを愛すこともない」
話が複雑すぎてこんがらがってきた。三行で頼む。
とりあえず……ルイはいずれ、お嬢ちゃんたちのような超常的な何かに成り果ててしまう。そしてその都度、ユナ・アニムとやらは増えていってしまう。
甘えんボーイのワガママでしょーがなく、ユナ・アニムたちは時間を巻き戻す。
あんまり何度も繰り返すものだから、どうにかならんかと悩んで、ルイのような存在を生み出した。
よし、なんとか把握できた。
「お前らはさあ……ゼルのワガママに付き合ってやってんだ?」
「彼の願いを叶えるのが存在意義だから」
「お嬢ちゃん。一つ良いことを教えてやろう。
幸せじゃない奴は、誰かを幸せに出来ないよ」
「………」
人形のようだとばかり思っていた青年が、ぽやんとした瞳でルイを見つめてきた。
彼がこんなふうに視線を合わせてくることなど、初めてではなかろうか。
「お前さん、見たところ幸せが何だかもわからないんじゃないか」
「分からない……」
「分からんものを他人に与えるなんて、出来る訳ねえだろうよ」
「どうしたらいい?」
子供のように、問いかけてくるユナ・アニム。
今まで超然とした存在とばかり思っていたが、何のことはない、迷子なのだ。
ルイはユナ・アニムに微笑みかけた。
「ゼルを幸せにしたいなら、まずお嬢ちゃんが幸せを知らないといけないよ」
「不可能。それらは強制的に排斥されてしまった」
「そうかな? 俺には、お嬢ちゃんにも心があるように見えるけどなあ。
なあ、お嬢ちゃん。お前さん、前に俺に言ったね。俺の運命がどうなろうが、知ったことじゃないと。
それって、言い換えれば自分の運命がどうなろうと知ったことじゃないってことだよな?」
「そう」
「それじゃダメなんだって、分かるかな?」
「………」
ユナ・アニムはついに俯いてしまった。
「どうしたらいい? 俺ではゼルを幸せにしてあげられない。ゼルの願いを叶えてあげられない」
「それはね、お嬢ちゃん。お前さんが、お前さん自身の願いを叶えようとしないからだよ」
「俺の願い……?」
「そうさ。失恋云々じゃない。お前さんが、お前さんらしく生きるということ。人間にはそれが一番大事なことなんだ」
ルイには、目の前の青年が自分というよりかは、弟か親戚の子のように思えた。
ゼルバルトと同じ、愛情の足りない子供だ。アダルトチルドレンというやつだろうか。
誰かが愛してやらねばなるまい。でなければいつまでも、このままだ。
「お嬢ちゃん。ゼルのことは、ゼルのことだ。俺もゼルの幸せを願う。
でもゼルと俺たちの関係は、二人の感情が合わさらないといけない。
だから、俺たちは俺たちのことを考えよう。ゼルとうまくいかなくたって、その先を歩んでいかなけりゃならないんだ。
お前さんがゼルの幸せを願うように、俺はお前の幸せを願おう。
俺が、必ずお前さんに心を取り戻してやる。いつか、必ず。絶対だ」
ユナ・アニムはしばらく、ルイを見つめていた。
その硝子玉の瞳が、僅かに揺れた気がする。
「貴方は、不思議なひと」
とうとう彼のほうも、ルイを「自分だ」とは言わなくなってしまった。
それきりふいと彼は消えてしまって、『ルイ』は二度と彼と出会わなかった。
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