不意打ちのような突然の指名に、目を見開いたユーリから素っ頓狂な声が上がる。
 話の流れに自分は無関係、とすっかり思い込んでいたのだから当然だろう。
 しかし、レイヴンにも少々予想外の展開だったようで、幾分素で驚いている様子だ。
「いやぁ…ええ?」
「驚かせてしまいましたかな。いやはや、私としたことが…。
 なに、他意はございませんよ。優秀な人材に目がないだけでしてね」
「あー…、つまり、個人的に雇いたいって?」
「そうですね、まさか当ギルドに加入して欲しいとまでは申しません。レイヴン殿のお連れとあれば、いずこかにもう所属しておいででしょうから。
 ですので、正規にそちらのギルドへ護衛派遣の依頼…という形でも良いのです。
 しばらく客分として留まっていただけないかと」
「………」
 短く唸ってユーリは黙り込む。
 そう話を持ってこられると、拒否する理由を挙げるのが難しい。強いてあげれば首領の許可が必要だとか、逃げ道はあるだろうが。しかしそうなると、この場に証拠品を引っ張り出したレイヴンの段取りが全て水の泡となる。
 いずれにしても、決断を求められているのは自分ではなくレイヴンだ。
 どうする気かと視線を向けると同時に、レイヴンが組んでいた腕を解いた。
「ま、いいでしょ。そういうことなら」
「ちょ、おっさん?!」
 あまりにもあっさり頷くもので、ユーリは思わず抗議の声を上げかける。
 肩越しに振り返った翡翠と視線がぶつかって、続く言葉は飲み込んだ。
「勝てばいい。でしょ?」
「そりゃ、そうだろうけど」
「どのみち、賭け品として出せるものがない以上しょーがないのよ。ま、諦めてちょーだいな」
「…ったく」
 この溜息は偽らざる本心120%だ。
(これで負けたりしたら、一発二発マジでぶん殴ってやる…)
 半眼で後頭部を睨みつけると、気配を感じたかレイヴンの肩がぎくりと強張った。
「それでは、お話はまとまったと考えてよろしいですか?」
「ああ、そっちの条件を飲もうじゃない」
 応じたレイヴンの頷きに満足そうな様子で頷き、オーナーはディーラーへと合図を送った。
「では、賭けは成立ということで…そろそろ始めますかな」
「へいへい」
 カードの封印がディーラーの手によって切られ――ゲームがスタートする。

 カジノゲームに参加したことはある。
 どこぞの娯楽施設で、なぜか自分達がデザインされたカードでポーカーに参加し、山ほどのスペシフィックとトリート、高級グミを手に入れた。そんなに使わないので売りさばいてほぼ全額を即日装備品につぎ込んだところ、カロルから物言いたげな視線を浴びたところまでを思い出す。手元にある金は大いに有効利用する性質だが、何か問題があるだろうか。
 とりあえず、テーブル上で展開しているゲームはポーカーに多少似てはいるが、それともまた違った。
 少なくともポーカーでダイスは使用しなかったと思う。
(…そういや、オリジナルのルールだとか言ってたっけ)
 ルールそのものはよくわからないが、チップの動きから察するになかなか良い手ごたえでゲームは進行しているようだ。
 なんとしても勝ってもらわねば困る。色々な意味で。
 フレンからの依頼であり、信念的に捨て置けない相手、というだけではなく、こうまで自分自身の事情も絡んでくると…おっさんそこをどけとっととケリつけちまえ、と言いたくなるがそういうわけにもいくまい。
 かと言って、今何かができるわけでもなく、卓上で展開するゲームを眺めても現状を把握できるわけでもなく。
 こんなに切実なのに、ここまで手持ち無沙汰という半端な立ち位置にユーリは焦れそうになる。
 仕方がないので、あまり目立たぬよう部屋中を隅から隅まで観察し始めた。
 壁紙の模様、天井の色、ゲームテーブルの材質、ディーラーの手元、カードの模様、オーナーが身に着けた装飾品の数、レイヴンの白髪の有無。
 そして最後に、今まであまり気に留めていなかったオーナーの護衛に意識を向ける。
 もちろん、万が一に備えて気配にはずっと意識を向けてはいた。が、個としての存在に注目したのは今が初めてだ。
 そこでようやく、ユーリは僅かに目を細めた。
 この男、どこかで見たような…。
 年恰好は自分とそう変わらない。薄い色合いの髪。押し殺した気配と、伏せた視線。まるで闇を見つめるような昏い瞳の――。
 そこでユーリは短く息を詰めた。
(何日か前に、街ですれ違った……あいつか!)
 思わず、まるで初めからそんなものはないかのように感情の起伏が感じられない横顔を見つめる。感情どころか生気の気配すら危ういようにユーリには感じられた。
 ――と、無機的な視線がゆっくりとユーリに向けられる。
 その瞬間。
(………?!)
 ほんのつかの間、薄色の瞳に過ぎった荒れ狂うような感情の波がユーリに叩きつけられた。
 それは、憎悪のような怒りのような……。
 ほぼ初対面の人間から、これほどまでの感情を向けられるなど。欠片の心当たりもなくユーリは戸惑いを覚えた。
 だが、次の瞬間にはその激情も幻であったかのように、男の表情が抜け落ちる。その後は最前の通り、まるで人形のように無反応だ。
(一体、なんだってんだ…)
 意識の整理をするべく視線を落として、ひとつ息を吸い――。

「あ、ありゃ…?」
 至近距離で急に声が上がる。
 その唐突さにユーリは目をぱちくりとさせ、動きの止まった連れの背中を眺め見た。
 勝負中だったテーブルの空気が乱れたことに、漠然とした不安が一気に具象化する。
「…おい、おっさん…。まさか…」
「あーーー、あ、ええと…………」
 レイヴンが肩越しにちらっと視線を向けてくる。
 それは、完全にこちらの顔色を窺うような恐る恐るといった瞳の色で――。

「青年ゴメン、…負け、ちゃいましたー」
「こ、の………バッカヤロウが!!」


  ****


「いや、こちらも大変危ないところでした。
 さすがレイヴン殿」
「あー…、ここでさすが、って言われても…困っちゃう、なぁ…ははは」

 レイヴンの口から乾いた笑いがぎこちなく漏れる。
 背後に立つ影を非常に気にしながら、顔色は微妙に青い。
「こういうものは時の運でございますよ。そうでしょう?お連れの方」
「……そう、だな。確かにおっさんは、運が非常ーーーーーに悪かった。……そうだな?」
 地を這う低い声にレイヴンは振り返りもせず、おっしゃる通りでございます、と頷くのみである。椅子に座っていなければ、ユーリに向かって土下座の勢い…いや、本当は目を逸らしつつ脱兎で逃げ出したい、そんな面持ちだ。
 振り返れば、半眼で射殺されそうな視線を浴びるとわかっているから、椅子に座ったままで振り返ることも出来ない様子。
 だが、どう言い訳しても負けたのはレイヴンだし、レイヴンに全権を委ねたのは自分だ。
 ユーリはそう結論付け、肺が空になるほど深く深く息を吐いた。
「しゃーねぇ。負けは負けだし、賭けにオレを乗せるのを認めたのも事実だ。
 結果にゃ潔く付き合うぜ」
「いやあ青年ったら男前!」
「おっさんは黙ってろ」
 間髪入れず飛んだユーリの厳しい声に、レイヴンは首を縮こませ「はいぃ!」と畏まる。
 物理的な頭痛すら覚えて、ユーリは額に手を当てた。
「……ええと、それで…。オレは、どうすりゃいいって?」
「そうですね…。
 今日のところは一度お帰りください。明日の夕刻、またおいでいただければよろしいですので。  詳しくはまたその時にでも」
 どこか嬉しげなオーナーの言葉に、ユーリは軽く頷いた。
「わかったよ。けど、妙に入れ込まれてる気もするんだが…オレはそんなたいした人間じゃねぇぞ」
「ははは、ご謙遜を。
 こう見えて、色々な人間を見ていますので、そういう眼力には少しばかり自信はあるのですよ」
「期待にゃ沿えねぇと思うがな」
 肩を竦めるユーリに、オーナーは笑顔のまま首を振っただけで立ち上がった。

「あ、と…そうだ。ひとついいか」
 部屋を出ようとするオーナーの足が止まる。不思議そうに瞬いて、ユーリに顔を向けた。
「なんでございましょう」
「ちょっと、このおっさんに、さすがに言いたいことがある……っつーか、一発二発ぶん殴りたいんで少しでいいからここ貸してくれねぇか。
 外出たら色々面倒なんでな…」
 ユーリはそう言うなり、無言を貫いていたレイヴンの襟首をガッと掴む。
「あの…青年、おっさん逃げない、わよ?」
「どーーーーだか」
「いやあの、なんでそんなに力一杯襟首締めてんの、っていうか首絞まるから!ね?!」
 慌てふためくレイヴンの姿にか、クスクス笑いつつオーナーは鷹揚に頷きで応えた。
「承知いたしました。こちらで、どうぞごゆっくり」





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