翌日から、ユーリはカジノで護衛もどきを始めることとなった。
 普段着のままで指定の夕刻に顔を出すと、
「ひとまずは、客人ということで…護衛の形を取りながら、しばらくここの様子を見ていただきましょうか」
 と、ありがたくも胡散臭い申し出があり、ユーリは黙ってそれに頷いた。
 開場前のカジノで、内部の案内を受けながら愛人とオーナー付きの例の護衛を含む主な従業員、護衛たちを紹介されていく。
 驚きと同時に「やはり」と思ったことといえば、自分が名乗るより先にオーナーがユーリの名を初めに出会った従業員に告げたことだろう。
 その場は黙ってやり過ごし、移動途中にさらりと問いただす。

「なんだ、知ってたのかよ。黙ってるなんて人が悪いぜ」
「知ったのは、あなたがお帰りになられた後でございますよ」
「へえ? 調べたのか?」

 目を細め皮肉っぽく鼻を鳴らすが、オーナーは穏やかな笑顔を崩さない。後ろに控える例の護衛を示しつつ種を明かす。
「この者が今日の昼に街へ出た折、名を呼びながらあなたを追う騎士の姿を見かけたと」
「…あー、あれか」

 ユーリは苦笑混じりで顔をしかめる。
 そんなところから足が付くとは思わなかった、が、必然だと言えばそうとも言えた。
 下町お馴染みの騎士、ルブランとデコボココンビは、暇さえあれば今でもユーリを追っかけてくる。まだ手配書は解除されていないだのなんだのと…もうあれは彼らのライフワークなのではなかろうかとユーリは思う。と同時に、山積みのはずの仕事の中、それだけの暇を見つけてくる執念にも呆れるやら感心するやら。
「名前さえ承知であれば、あとは簡単でございますよ。なにしろ――」
「有名人だから…ってか? 不本意ながら、よく言われんだよな」
「左様でしょうとも」
 自分を見つめる視線と同意する声の熱っぽさに、そりゃどうも、と返しつつ気付かれない程度に軽く奥歯を噛む。
(気味悪ぃな…。とりあえず、警戒されてんのは間違いないと見ていいか)
 レイヴンとの別れ際、オーナーに気をつけろと耳打ちされたことを思い出して、案内を続ける男の背をじっと見つめる。
 説明に素っ気なく頷きを返し、各部屋の位置関係と人間関係を頭に叩き込みながら、ユーリは焦るなと自分に強く言い聞かせていた。

 しばらく様子見のつもりで、カジノに通うこと数日。
 人間関係やそれぞれの仕事ぶりを観察すると同時に、元来の親しみやすさで色々な従業員と打ち解けていくうち、ユーリの中でギルドの暗部に関わっている人間とそうでない人間の線引きが粗方仕上がっていく。
 が、最後まで正体がつかめないのが、例の護衛だ。
 誰に尋ねても、あの男がろくに喋っているのを見たことがないと返る。指示に対して短い受け答えをしているのを聞いた、というのが関の山。
 ただ、オーナーの懐刀とも子飼いの筆頭とも言われ…いずれにしてもオーナーに一番近い立場の人間であろうという認識は誰もが抱いている。
 その立場と、あの身のこなし。
(一番の警戒が必要な相手ってことか)
 ユーリはフレンの能力を、多分誰より正確に把握している。買いかぶりもしないが、過小評価などしない。
 経験は足りていないかもしれないが目は敏いし、頭も固いものの並以上によく働く。何らかの異常を見落すはずがない。
 そのフレンが、第三、第四の事件で暗殺の証拠をつかめなかった。
 魔導器を失った今でも高水準で成せる隠密行動、暗殺の実行、そして事件の隠蔽。全てを抜かりなく完遂する精神力。
 まだ数日の期間だが、ユーリはあの男以上の適役と思われる存在を、組織の中で他に誰一人として見つけることができなかった。
(十中八九、実行役はヤツだろうな…)
 そんな確信に似たものを抱きながら、ユーリは秘密裏にレイヴンと連絡を取り、抜け目なく立ち入り禁止エリアを探る機会を探り続けていた。

 チャンスが訪れたのは、カジノに通い始めて一週間ほどが経過した日のことだ。
 このカジノに決まった休日はないものの、早仕舞いが週に二度ある。
 従業員達を交代で休ませるため、少ない人手でカジノを切り回していく日は稼動側の負担を減らす目的で、早くに営業を終わらせるとのこと。
 これはこのカジノが始まって以来ずっと続く習慣であるため、常連たちも事情を良く飲み込んでいるもので、終業の合図とともに特に混乱もなく客達はあっさり引き上げていった。
 あれ以降、レイヴンはカジノに顔を見せないままだ。
 店じまいの手伝いをしていたところ、顔見知り程度には馴染んだ若いバーテンダーからその件を問われユーリは軽く眉を上げる。

「そりゃ、人のこと売っておいて即顔出しできるかよ…って、やりそうだけどな、あのおっさん」
「あははは、あんたらしい物言いだよな」
 明るく笑い飛ばされ、ユーリは肩を竦める。
「でも、来たのがあんたみたいなヤツでホントに良かったよ。
 あいつみたいなのがもう一人増えたらどうしようか、って思ったもんな」
「あの、カーズってやつか?」
「え、あいつってそういう名前なの?」
「え? 違うのか?」
 きょとりと瞬くユーリに、バーテンダーが多少落ち着きをなくす。
「ち、違うのか、って言われてもな…。あいつの名前知ってるやつなんか、いないと思うぞ」
「ふーん…。一度オーナーがそう呼んでたの聞いてな。そういう名前なのかと思ったんだが」

 探りの一つは他と変わらない反応、とユーリは脳内メモにチェックを入れる。
 あまり聞いて回ると目立つので部署単位で抽出した相手に限っているが、皆が皆似たような反応だった。
 質問によっては、部署が変わればたまに違う反応が出ることもある…が、この一点については揺るがない。
(さて、今日の本命の質問は…っと)
 相手の様子を窺いつつ、ユーリは別の問いを重ねた。

「…そういや、オーナーって毎日来るんじゃねぇのな。今日はどうなんだ」
「今日は来なかったんじゃないか? 厨房のやつらに聞いたら、すぐわかると思うけど…来たら晩飯用意しなきゃならないらしいからな。
 ていうか、下っ端にすりゃ毎日出てこられても困るっていうか。気疲れするっての」
「ははっ、そりゃそうだな。首領なんか来た日には、緊張の度合いが違うだろ?」
「そりゃあ違うさ」
 頷いたバーテンダーは、その後片付けの手を止め…懐かしむように目を細める。
「でも、あれは気持ち良い緊張、だったなぁ…。ホントに早く元気になって顔出しして欲しいよ」
「…病気なのか?」
「ああ。オーナーと主任がそう言ってたぞ。交代で見舞いに行ってくれてるらしいしな」
「そっか…。あんたがそう言うなら、いい首領なんだろうな。オレも早く会ってみたいもんだ」
 ユーリは小さく微笑み、仕事を続ける相手に手を挙げてその場を離れた。

 全員が全員、オーナーの影響下にあるわけではないということに、ユーリはささやかな安堵を覚える。
(…自分が毒盛ったんだろ。病気だなんて白々しいぜ…)
 しかしこれで、フロア主任もオーナー側の人間だと言うことがはっきりした。おそらく、主な責任者たちはオーナーの息がかかっていると見て間違いない。
(警備、フロア、道具管理、厨房担当…そんなとこかな)
 早仕舞いの今日、主任達は揃ってカジノから早くに引き上げる。
 まして、オーナーが来ていないとなれば、奥の探りを入れるチャンスかもしれない。
 深くを探るには、悔しいがまだ情報が足りない。今日のところはほんの軽く…焦りは禁物だ。
 脳内に叩き込んだ設備裏の見取り図でプランを再構成しながら、ユーリは自分にそう言い聞かせ、物置奥の空きスペースに身を隠して片付けを終えた従業員達が引き上げるのを静かに待っていた。



 人の気配が消えた深夜過ぎ。
 凝り固まった肩や足をゆっくり揉み解しながら、ユーリはそっと立ち上がった。
 足音を消すためブーツの裏に厚いコルクをしっかり貼りつけると、物音を立てぬよう愛剣を抱えて荷物の間を縫うように進み、細く開けた扉から隙間をすり抜けるようにして物置を出る。
 調査の標的は、目算ではじき出した見取り図上の違和感だ。
 部屋の位置関係から計算したところ、あり得ない厚みの壁や柱がいくつかあった。隣室との扉の位置と部屋の面積が食い違うだとか。
 細かい計算はレイヴンと済ませてあるから間違いはないはずだ。
(どっかにカラクリがあるんだろうな…。しっかし、こういう謎解きだとか、オレ苦手なんだけど…)
 ウチの首領はすげぇよ。
 内心ボヤキと賞賛の入り混じった呟きは、無音のままでユーリの唇から先に漏れることはない。
 単独行動の多かったレイヴンも、こういう場面には慣れているのだろうか…。そう考えると、苦手意識を持つ自分と比較してほんの少し悔しい気もする。
(なーに、お化け屋敷と一緒だ一緒。
 …にしても、暗いしなかなか見つか…、これか?)
 手垢で荒れた箇所を見つけ、暗がりの中を手探りで慎重に仕掛けを動かす。
 小さな音がして、ゆっくり隠し扉が開く。
 薄闇を切り取るようにぽっかり開いた入り口は、なお暗い闇が更なる深みへとユーリを誘っているよう。

「はっ、上等…っ」

 好戦的に唇を吊り上げると、ユーリは闇に呑まれるように細い階段を慎重に下りていった――。





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