フレンと別れ城を「脱出」した後、レイヴンはすぐ裏通りへと紛れる。
 あの時――背筋を走った嫌な予感に、カジノへ駆けつけると同時に酒場のマスターへ飛ばした合図は、マスターへ預けておいた手紙を騎士団へ至急届けてくれというものだった。
 それは『早急にカジノへ踏み込め』という最緊急用の内容で、顔色を変えたフレンが自ら一個小隊を率いて駆けつけたものの……結果は見ての通りだ。
 どうも今回は、ことごとく後手に回ってしまっている。それがこんな最悪の形で現れるなんて。
(いや、まだ最悪じゃない。まだ……)
 レイヴンは奥歯を噛み締める。
 ユーリの命そのものは、まだ無事のはずだ。あれだけの執着を見せたユーリを手にかけているとは思えない。
 もし、もう殺されているとしたら、見せしめと警告のため死体はわかりやすく…これ見よがしに放置され晒されているはず……。
 レイヴンの思考は、経験から淡々とその結論を導き出す。
 ……が、その事実を突きつけられる心はギシリと軋みをあげた。

「――っは、ホントに…仮定よ、かーてーい。
 自分でわかってるハズでしょ」

 ふらついた足を止め、壁に寄りかかり呟く。
 ジュディスにさりげなく「睡眠不足は老化の元よ」と釘を刺された。大仰に胸を押さえて傷付いたふりをしたが、同時に、ひと目で悟られるようでは少々マズいなと行動プランを練り直したりもした。
 しかし……、
「いやー、ジュディスちゃんは元々鋭いんだけど、ね…」
 眠れるわけがない。
 血まみれのユーリなんていう、わかりやすい白昼夢を見るくらいだ。
 まどろみと共に訪れる悪夢は――そんなものの非ではなかった。
「早く青年助けないと、俺様マジで死んじゃうわぁ」
 唇をゆがめ、何かを掴み出すように胸へ手を当てて拳を作る。
 過労?
 ストレス?
 そんな生易しい言葉で片付くものか。
 紛い物のくせに、そう言って心臓が痛みを訴える。
 それはまるで、ユーリがいないと動いている意味などないといわんばかりで……。

「随分勝手なこと言ってるじゃないのよ。
 というより――カラダは正直よねぇ。ほんっと参っちゃうわ…」

 壁にもたれていた背がズルズルと滑り落ちた。
 裏路地の暗がりの中に蹲ると、まるで昔に……自分という存在が非現実としてしか感じられなかった頃に戻ったようだ。
 投げ出した手の指先から少しずつ熱が逃げていく。
 じわじわ体温が失われていく様は、身体を通う血流が流れ出て行くのに似ている。まるで――生命のかけらが逃げていくような。
 ユーリの行方がわからないということが、こんなに堪えるなんて。
 ばっかねぇ、数ヶ月離れてたじゃない…なんて誤魔化そうとしても、その間もユーリの居所を常に把握していたことを思い出して自嘲はより深くなる。
 「凛々の明星」に情報を届けるためという理由は、嘘ではないがただの口実だったと思い知った。
 ――ユーリの居場所を把握して、自分が安心したかったのだと。

「…リ、ユーリ、ユーリ………」

 幾度も呟き、髪を掻き毟るように頭を抱えた。
 失いたくない。
 たとえずっと傍にいられないとしても、あの青年がこの世から失われるなどということがあってはならない。
 自分が人間として生きていくには、ユーリ・ローウェルという存在が絶対条件なのだ。
 共に旅をした仲間たちにはすまないと思うが、ユーリがいないなら……残りの人生なんてどうでもいい。
 自分の命はユーリがその手で掬い上げたもので、自分の心はその手によって生かされたのだから。

「待っててよね青年、絶対に見つけるからさ…」

 レイヴンは瞼を硬く閉じ、不器用に呼吸を繰り返して思考を集中させる…。
 ユーリは、一体どこに。


「帝都の包囲網はすぐ完了した。あれだけの荷と人数なら、奴らはまだ帝都(ここ)のはず…」
 ――探す糸口は何だ
「今、青年のそばにいるとしたら、誰?」
 ――ユーリに触れるな
「目的なんて、わかりきってる…」
 ――その指を微塵に砕き、生きながら引き裂いてくれる
「としたら、どこに隠す?」
 ――いっそ殺してくれと哀願するがいい
「そばにいる奴らを、あぶり出すならどうする…」
 ――ひとり残らず葬り去るためには
「誘い出すなら…」
 ――エサは、どこにあ……


 大きく深く繰り返されていた呼吸が、ピタリと止まった。
「……餌、ね。
 まだ、あるじゃないの」
 呟きと共に、ゆっくり顔を上げる。
 表情の抜け落ちた瞳が、じっと暗がりを見つめて……無機的な視線が市民街の一点へ向いた。
「今………の知らせがあれば、奴らのうち誰かは必ず動く。
 餌を吊るして、網を…張っちゃうか」
 自らの貪欲さが、奴ら自身の罠になる。
 その罠に、必ず誰かがかかる。
 かかったら――

「逃がしゃしないからねぇ」
 ユーリに手を出したのだから、相応の覚悟は出来ているのだろうな…。

 男は唇の端をゆっくり持ち上げると、誰にともなく宣告を下す。
 その横顔に、ユーリや仲間たちの知る胡散臭くも大らかな笑みの面影はなかった――。





 翌夕刻、フレンの元に一通の密書が届く。

 『――ギルド首領の死去に伴い、遺品の引継ぎが発生。
  確実に幹部の誰かが食らい付くはず』

 それを決して逃がすな――と……。





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